第11話 急な依頼 8/7
「……はい、それで今のアパートに引越してから心霊現象が絶えなくて……」
先程握った手がまだ熱を持っている様な気がした。その残った熱を確かめるように、巫女装束に身を包んだ結衣は自身の手を重ね合わせる。
ふと、さり気なく横を伺うと、辰巳が依頼人の話を真剣に聞いていた。精悍な顔つきになったと思う。子どもの頃と比較するのは流石に可笑しいとは思うが、より男性的になって結衣の女の部分をチクチク刺激して止まない。
「夜中のある時間になると何かが揺れるような音がするんです……ぎぃっ、ぎぃって……──」
結衣が子どもの頃から変わらずにある執着心。その執着心は時が経つにつれてより強くなっている。そして、再会してからも……結衣にとって彼は、既に何をしてでも手に入れると誓った存在になっていた。その想いはもはや彼女を構成する要素の一つと言えるほどに。
──先程など、あまりの高揚感にとんでもないことを口走ってしまった。人形見から結衣の方へと辰巳の霊力が逆流し、侵入してきたせいで絶頂に近い感覚に至ったせいだ。
そして、結衣がいきなり起こったそれに驚き、逆流の流れを堰き止めてしまった結果、逃げ場の無くなった霊力が人形見から溢れ爆発した。偶然ではあったが、その爆発に巻き込まれる形で、霊力の通り道であった結衣の手にも傷がつくことになってしまった。
しかし、女としての勘と言うべきか。結衣は咄嗟にその傷が辰巳のせいだと罪悪感を抱かせるように誘導し、とある言葉を発した。
──傷物にしたのだから貰ってくれ、と。
そこまではまぁ良い。ただ、その後の誤魔化しがよろしくなかった。沈黙と羞恥心に耐えることが出来ずに《《冗談》》などと逃げてしまったのだから。これでは、策を一つ無為に失ったようなもの。出来る事ならもっと罪悪感を育て、もっといいタイミングで、もっと雰囲気を作って確実にYESの答えを引き出すべきだったと。
傷者にしたから貰え? そんなのいきなり言われても困った顔されるに決まっているでしょうに! もっと上手く出来たはず! あと少し粘れていれば! という自省が現在結衣の脳内で高速で行われており、絶賛自己嫌悪と先ほどの失態のフラッシュバックの最中であった。
「管理会社に聞いたら、実は過去に事故があったって……そんなこと内見の時には一言も言ってなかったのにっ」
包帯の巻かれた右手に左手を重ね温める。自身の抱いている感情が好意である事などとうの昔に認識している。だとしたら後は何も迷う事はない筈なのに、と結衣は自問自答をループさせる。
好意を伝えるだけのこと。その一歩がなかなか踏み出す事が出来ない。一歩踏み出そうとすると、どうしても身が竦んでしまう。でも、反対に逃げる理由なら幾らでも湧いてくる。再会したばかりでそんな事を言うのは不自然だ。もっと二人の距離感を詰めてからの方が成功率が高い。《《こんな化け物到底受け入れられる筈がない》》と。
何が、交際、結婚、出産、子育てまでのシミュレーションは完璧だ、だ。結衣がこれまで散々してきたシミュレーションはただ自身に都合の良いだけの妄想でしかなかった。
「まさか……首つり自殺があの部屋であったなんて……」
結衣が、自身が受け入れられないと考えている理由。それは、好意を伝えるのであれば、自身の全てを曝け出さなけれならないと考えているからというのもある。
人の心が読める事や、自身の心に関するハンデキャップ。それらは一般的に忌避される事であり、それらを含めた『本当の私』が果たして受け入れて貰えるかが不安だったのだ。
「……夫もリビングで首を吊っているみたいに揺れている影を見たことがあるそうで……」
人の心が読めるのに自分の心を曝け出すのが、『本当の私』が受け入れられないのがとても怖い。結衣は無意識に恐怖で肩を抱いたのだった。
「つい昨日に至っては、とうとう金縛りまで……もう怖くて怖くて……」
「はぁ……そうですか……」
「そっ、そうでしたか! それはさぞお辛かったでしょう」
辰巳は心ここにあらずといった、どこか様子のおかしい結衣を庇うように、代わりに依頼人の話を親身になって聞いていた。
「正直、幽霊の類は信じていませんでしたし、今でも胡散臭いと思ってるんですけど……被害が大きくなる前に何とかしないとって……」
「それはいい判断だったと思いますよ。旦那様は一緒でないようですが、今日はどちらに?」
辰巳は依頼人の女性の心情を汲むように言う。結衣は彼の言動から誠実さを感じ、話すべきか否かの天秤が僅かに揺れ動くのを感じた。
「……仕事です。幽霊だなんて馬鹿馬鹿しいって……夫は除霊だとかお祓いだとか、そんな訳のわからない事に金を使う必要は無いと言うばかりで……」
……しかし、辰巳のことを信じられたとしても結衣は過去に異界研究の為に人を怪異への贄として利用し、結果的に殺めている。それに対して何ら罪悪感がある訳ではなかったが、結衣の中に育った微かな良心は非人道的、そんな自分が受け入れられるのかとチクチクと咎めていた。そのこともどうしても好意を伝えることを躊躇させてしまう。
「私、どうしても心配で。なので、今日此処に来たことは夫には伝えていないんです……」
「ははぁ、そうでしたか」
では、と──結衣は単純に考えてみようと思索した。欲しいか欲しくないかでいったら、それは勿論欲しい。事情を伝えられるか伝えられないかで言えば、事情を伝え理解を得ることが最上であるが、一方でリスクも感じている。彼を信じられるか、信じられないかで言えば……──
なら、取るべき手段は──何だ、簡単ではないか。何があっても絶対に逃げられないようにすればいい。確実な関係を築き、受け入れざるを得ないように誘導すればいいのだと。そう、それは例えば──
「──木、さん──神楽木さん、大丈夫? 依頼人の話は一通り聞き終わったと思うけど……」
思考のため内側に意識を沈ませていた結衣の意識が辰巳に軽く揺すられたことで浮上し、外界を認識する。触れられた身体の一部が熱くなった気がした。
「あぁ……ごめんなさい。これからどうしようか、少し考えていた所でした」
どうしても欲しい。その感情を隠しながら──結衣は如何にも霊障に対する対策を考えていたと繕い、目の前の女性の背後をチラリと視たのだった。
□
それは鬱屈とした感情だった。白黒に映る過去の記憶。結衣が碧の目で視た、首を括った霊の感情。死の間際の記憶と言える──
部屋の中にはいくつものゴミ袋やら弁当のカラ、ペットボトルが床を覆い、悪臭が立ちこめている。あちらこちらに衣服が散乱し、片付けをした形跡なども見られない。部屋のテーブルの上には束になった薬剤のアルミシートが紙袋から出されたまま放置されていた。
暗い表情で手の中にある皺くちゃの紙を眺める。その紙には退職証明の文字。その文字列を何度も何度も行き来させた。
──心の中に溢れてくる自己否定の言葉。
もう終わりだ。もう何をやっても俺の人生はどうにもならない。取り返すことなどできない。俺は存在自体が無価値なんだ、と。
心の中身が空っぽに感じる癖に、自身の体重の何倍もの鉛を心に詰めているようにのように気分が重かった。気分が沈んだまま、元に戻らない。心の中の鉛を取り出すすべがわからない。頭の働きが悪く、最近では記憶力もどんどん低下してゆくのがわかった。自分は生きる屍だと思った。
もはや何をする気も起きなかった。生活は崩壊して久しく。趣味だった山歩きは興味すら失せ、いつ道具を出したのかもわからない。最後に行ったのは、どこの山だっただろうか……
思えば可笑しくなったのは、最後に山歩きをしたそれ以降のことだったように思う。
頭の中に靄が掛かったような感覚がし、眠りが浅くなった。そして、そんな異変から始まる変化を周りの人は察知していたのだろう。
──当初こそ、職場の同僚たちは自身の異変に気付き、心配してくれた。
『疲れてるのか? 大丈夫か?』
『……あぁ、最近ちょっと眠れなくてな』
初めはやる気が出ないくらいだった。だが、次第にエネルギーがどこからか漏れているように身体が重く感じるようになっていった。それは自分でも危機感を覚えるほどの気力の減退。
そして感じる漠然とした不安。キーボードを叩いていると不安感が浮かび上がり頭から離れなくなった。俺はいったい何をしているのか、毎日こんなことを繰り返していて何の意味があるのか、俺の人生とはいったい何なんだという疑問が。
一度考えだすと止まらなくなる。思考がマイナスに傾き、脅迫観念のように自己否定の言葉が頭に浮かぶ。苦しい。辛い。虚しい、と。それは会社だけで無く、家に帰ってからも続いた。食事の味が感じられなくなり、眠れなくなった。
そして仕事に集中出来なくなり、とうとうミスをした。初めは笑って誤魔化したが、新人がするような簡単なミスを繰り返してしまった。何でこんなことも出来ないんだ。何でこんなミスに気付けなかったんだ。俺はいったいどうしてしまったんだ。自己嫌悪や焦りがつのる。
『大丈夫か? 最近可笑しいぞ』
『大丈夫だ……』
同僚は心配してくれていたのだろう。だが、心の底から溢れてくる不安や限界を知らせる言葉は喉元まで出かかるだけで口を突いて出ることはない。
『一度病院に行った方が……』
『大丈夫だって言ってんだろうが! 俺が病気だって言いたいのか?!』
その目が、その言葉がナイフで刺されたように感じた。瞬間的に怒りに支配され、デスクを蹴りあげ怒鳴り散らしてしまった。同僚は啞然としていた。ヤバいと思って煙草を手に事務所を後にする。背にした同僚達はヒソヒソと噂をしているようだった。
『アイツ、またやったらしい』
『もう他に任せられる仕事無いんだけどな』
『指摘するとキレるし厄介だよな』
『あぁ、正直迷惑だ』
そして、いつしか人を寄せ付けないようになり職場では孤立するようになっていった。ミスすることが普通になり、同僚は声をかけてくることもなくなった。影でアイツは駄目だ。早く辞めてくれ。無能だから仕方ないと言われている気がした。
家では仕事の話はしなかったが、妻に元気がない、表情がないと言われて、その時ようやく自分が鬱であることに気が付いた。
『気分はどう? 今まで頑張ったんだから、ゆっくり休んでね』
『あぁ、ありがとう……』
妻は俺の状態を理解してくれた。休職して病院に通い、鬱を治そうと。お金の事は私が仕事のシフトを増やすから心配いらないと。その事が申し訳なくて、頭がいかれそうだった。
『今日も一日横になってたの? 少し運動した方が気分転換になるんじゃない?』
『すまない……そうするよ……』
日がなベッドで横になり、ボゥっと天井を眺めたまま起き上がらない事もあった。妻に言われ、それではいけないと気分を変える努力もした。妻や子の為にも自分が何を出来るか考えた。……でも気力がずっと空で、何も出来ないことに打ちのめされた。家の中でもお荷物、負債、無能だった。
自尊心などとうに崩壊していた。
『はぁ、疲れた……あなたはいいわよね、一日寝てるだけなんて……せめて簡単な家事くらいしてくれればいいのに』
『……』
思うようにならない心と身体。俺はいったいどうなってしまうんだという不安でいっぱいだった。妻からの小言が胸に刺さって痛い。自分の家が、自分の居場所ではない気がした。
早く病気を治そうと思った。だが、一月立ち、半年立ち、一年と……時ばかりが過ぎ、一向に改善しない症状。貯金は尽きていた。焦る。早く治したい。その一方で諦めが心を支配し、思考がマイナスに傾いていた。
『ねぇ、いい加減──』
『うるさいっ! 一々指図してくんな! 俺は精一杯やってんだよ! そもそも俺がこうなってしまったのは誰のせいだと思って──』
悪いことは重なる……治療に専念する為に休職していたが、それにも限度というものがあった。復帰の目途が立たないことで退職勧奨を受ける羽目になってしまい、それを受け入れざるをえなかった。
『……』
『なんだその目は! こうなったのは何もかもがお前の──』
苛まれる不安から妻にあたり散らすこともあった。こうなったのは誰のせいだ、お前のせいだと。根拠などない理論で、感情任せの暴言を吐き出し続ける。家の中の雰囲気は最悪で、そして妻は俺に愛想を尽かし、子を連れて家を出て行った。待ってくれ。俺が悪かった。そう謝り、後を追いかける気力すら俺にはなかった……
──荒れ果てた部屋。食事も喉を通らない。吐きそうになるから薬を飲む事も止めた。ただ、カチコチと鳴る時計の音だけが時間が進んでいる事を示している。
希死念慮──ずっと楽になりたいという気持ちがあった。自分は一人きりだという孤独感が苛んでいた。もうどうにもならない。誰も俺なんかを必要としていない。こんな無能、生きていてもしょうがない。
『もう疲れた……終わりにしたい……』
最後に目に入ったのは、梁に吊り下げられたロープ。そして、ガラス窓に映るやつれた男の姿と──
□
結衣がゆっくりと目を閉じる。
「──依頼人様の霊障の原因となっているのは、依頼人様ご自身で予測されております通り、過去部屋で自死した者でありましょう」
「や、やっぱり……! 家にいると誰もいないのに視線を感じることがあるんです……もうこんな不安になる生活嫌なんですっ」
それが巫女としての姿なのか。いつも以上に落ち着いた声音で、女性の背後から視線を外した結衣はそう断言した。その言葉は確定事項だというように明瞭である。
『ア゛ァ……グルシ、ィ……ア゛シィ……ツカナイ゛ィ……ダスケ……』
その女性の背後では、天から下りた蜘蛛の糸のように、虚空から垂らされ伸びるロープで首を括った男性の霊がおり地に足着くことなくブラブラと揺られていた。その形相は生前人だったとは思えないほど醜悪なものに崩れてしまっている。
──碧の眼が瞬き、真実と感情を暴く。
結衣の異能である碧の眼で視た霊の思念。霊とは思念の塊ともいえ、死を迎えた者の思念を覗くということは、本来視るものの精神に多大なる負荷を掛けることに他ならない。しかし、結衣の場合は心を視る異能の代償に認知が歪んでおり、共感能力が著しく鈍いという事情もあった。奇しくも、結衣の異能の代償が死への共感を妨げ、精神への負担を軽減させている。
それに加えて、そもそもが彼女は半人半霊の、人たり得ない化け物である。死に対する認識も常人とは異なっており、生者らしい死への過大な恐れもなければ、生に対する執念なども薄い。ある意味、結衣はフラットな視点で霊を視ていた。
──そして、そんな結衣の事情も知らず、結衣ほど《《視ること》》に特化した眼を持っていない辰巳も、彼女に比べれば幾分かマイルドな見た目をしたように見える男性の霊を視認し、同じ結論に至ったことで頷くのだった。
「──ただ、家に憑いているのはどうやら一体だけではないようです」
「えぇっ!?」
しかし、続けて話された結衣の言葉に依頼人の女性のみならず、辰巳も一緒に驚いた。
その驚きの方向性は異なる。女性は他にも憑いている存在がいると言われ驚いているのに対して、辰巳の場合は少し話を聞いただけで此処にはいない、他の霊障の存在を容易く看破したことにある。
「時に、旦那様のお仕事は順調でしょうか?」
「え? えぇ……今日も忙しそうにしてましたから。順調にいっているのではないかと思いますが……」
依頼人である女性が不安そうな表情をして質問に答えた。
「最近、不安を訴えるようなことはありませんでしたか?」
「不安……特に何も言ってはいませんでしたが、最近仕事でミスをしたみたいで少し落ち込んでいるようでした」
「そうですか……急ぎ旦那様に連絡を取ることは出来ますか?」
「で、できますが、まさか幽霊が夫に何か悪さをしているのですかっ?」
女性は必死に説明を求めるように、結衣の方へ身体を前のめりにして聞いてくる。その形相は不安に怯えるもので、鬼気迫っていた。
「少し落ち着いてください」
「す、すみません……」
それを諫めるように辰巳が間に割って入る。そして辰巳もいったいどういうことなのかと視線で結衣に対して説明を求めた。
「……まだわかりません。一先ず先住の男性の霊は今のところ大きな悪さはしないようですが」
それから、女性が落ち着くのを見計らって結衣が口を開いた。まず、依頼人の家に影響を与えている存在は何とかできそうであること、それからその霊は生前、他の存在に憑かれ取り殺されていた可能性があるということ。
そして──その霊障の源ととも言うべき存在が、今は女性の夫に憑いている可能性があるということを伝えた。
「そ、そんな……」
「ですので、急ぎ電話で様子を確認して欲しいのです。もし可能なら私が一目視て、問題ないかどうか確認することもできるのですが──」
「どうかっ、よろしくお願いします!」
女性が大きく頭を下げて言った。時間はまだ昼前という頃で、男性が仕事中であるならば個人の電話には出ないかもしれない。しかし、女性は心配そうにスマートフォンを触り気にしていることから、早く夫と連絡を取りたいのだろうと察せられた。
「わかりました。ではまずは電話で此方に来られるかどうかを聞いていただけますか? 音声はスピーカーにしていただけると助かります」
□
『……もしもし』
「あなた、今仕事中? 少し時間ある?」
『あぁ……少し疲れてるみたいでさ。上司に帰って休めって言われたよ……これから帰るところ』
「あ、あのね、今、前に話した神社に来てるのだけど──」
『は──? 何馬鹿な事をしてるんだ。お祓いなんて気の持ちようだし、霊感商法に捕まる切っ掛けになりやすいってあれほど言ったのに。早く帰って来るんだ』
仕事中ということで個人の電話には出ない可能性も考えられたが、意外なことに女性の夫は数コールで通話状態になった。その電話越しに聞こえるのは男性の声。その声からは今にも溜息をつきそうな疲労感が感じ取れ、どこか得体のしれない不安感や閉塞感を抱えているようにも聞こえた。
「ち、違うのよ! やっぱり霊の仕業なのよ! それに霊媒師の方が言うには、あなたが憑かれている霊に取り殺されかかっているって!」
『……はぁ……何訳のわからないこと言ってるんだよ。何で会ってもいない俺のことが分かるんだ。そんなことある訳ないだろ……』
「本当なのよ! だから──」
女性が必死に夫を説得するが、話は平行線のままで一向に進む様子はない。辰巳も女性と夫の会話を聞いていたが、夫の方は心霊現象やオカルトといったものは一切信じていない質であることがアリアリと分かった。
「私はあなたのことが心配でっ……!」
『それがそいつらの常套手段なんだよっ。不安につけ込んで脅して、要求を押し通そうとする。君は騙されてるんだ。家が事故物件で不安になるのは仕方ないけど、そんなものは存在しない! 目を覚まして現実を見るんだよ!』
「あなたがこういう話を信じようとしないのは知ってるけど、少しは私の話を聞いて!」
『いい加減にしてくれ! 俺も疲れてるんだ、こんなことで喧嘩なんてしたくないんだ!』
夫の一切の話を聞こうとしない態度に、女性の方も苛立ちを隠せないようだった。その様子を伺っていた結衣が女性に制止するようジェスチャーし、微笑みかけると口を開いた。
「旦那様。私、八杜神社の神職をしております神楽木と申します。申し訳ありませんが、先に相談料とお祓いに関わる初穂料をお伝えしておこうと思いまして」
『……どうせ話は聞いていたんだろ? 相談料もお祓い費用も一切払う気は無い』
「そうですか……それは困りました。奥様からは既に相談内容はお伺いし、対応方法もお伝え済みなのですが……では、どうでしょう? 奥様には私どもの活動にご協力いただくということで」
『……どういうことだ』
「簡単なお手伝いです。今度、信者達の集まる自己啓発セミナーがあるのですが、会に参加し奥様の経験談を皆にお話しいただければ、それで──」
『……っ、いくら払えばいい!! だからもう関わらないでくれ!!』
「そうですか、それは残念です……相場では相談料で10万円、お祓い込みですと50万ほどいただいておりますが……もしもお納めいただけない場合、修祓が不完全となり霊障が続くかもしれません。何分、奥様も大変不安がっておられるようですので、よくよくお考えいただいた方がよろしいかと」
『……っ! ほら見ろ、やっぱりインチキじゃないか……! 今すぐ妻を返さないのなら警察に通報するぞ……!』
結衣の口にした高額の料金に電話の向こうにいる男性は息を呑んだ様子で、そしてすぐに烈火の如く怒りを露わにした。
しかし、結衣は臆する様子もない。
「ふふ、私どもの神社は古いだけが取り柄……ですので、地域の警察の方とも昔から面識があります。聞けば、奥様と旦那様は県外から転入していらしたとか……此処は田舎の地域の結びつきの強い土地柄ですので、警察とはいえ、ご相談を聞いていただくのには些か苦労するかと思いますよ」
『こっ、この、詐欺師め……!!』
「クス……それではお待ちしております」
『ま、まてっ!!』
結衣は言外に警察に相談しても無駄だと伝えた。それと、あなたの妻を返すにはきちんと御供していただく必要があると。
演技なのであろうが、時に悪辣に、時に毅然とした語り口に辰巳は閉口した。今の結衣の姿は学芸員としての地味な姿でもなく、プライベートの魔性を垣間見せる姿でもない。彼女は生家の神社が殆ど没落していると以前に揶揄していたが、その一歩も退かない霊障から必ず救おうという態度は神職としての資質が顕れているように見えた。
そして、結衣が電話の向こうの男性を煽るようにクスリと短く笑いかけて追い打ちし、神社へ来るように誘導すると通話をそのままブツリ、と切断するのだった。
「あ、あの……事前に聞いていた額では御祈禱料含めて15万円ほどだと……」
「あぁ、先ほどの金額は此処に来ていただく為の口実ですよ。実際にお納めいただくのは事前にお伝えしたもので構いません」
「そ、そうですか……あの、流石に驚きで胸が……」
まだ年若い結衣のその堂々たる態度に、依頼人である女性は驚きを隠せなかった。そして夫を激怒させてまでこの場所に呼び出そうとしたことに気付き、自身が受けている霊障と、目の前の巫女が《《本物》》であると確信するに至ったのだった。
「それじゃあ、旦那様が来られる前に御祈祷の準備をしておきましょうか。これはお父さんと繭子にも準備を手伝って貰わないといけないみたい。石動くんも、よろしくお願いします」
「お、おう! 俺に出来ることなら何でも任せてくれ!」
結衣は内心で張り切っていた。そう、全ては辰巳にカッコイイところを見せ、まずは確固とした信用と信頼を築くために。
心の見えない辰巳には、そんな結衣の考えなどわかる筈もなかった。




