第8章 揺らぐ輪郭
ステフの部屋。
テーブルを挟んで、ステフの向かいにノア刑事とスティーブン刑事が腰を下ろした。
警察署ではなく、あえて“自宅での報告”という形がとられたのは、ステフの精神状態への配慮だった。
「……昨日、マイクさんが自白しました」
ノアが静かに告げる。
ステフの手がわずかに震える。視線はカップの中の紅茶に落ちたままだ。
「彼は……メアリーさんとの関係も認めています。
そのうえで、計画的ではなく、揉み合いの末、彼女を刺してしまったと供述しました」
ステフは唇をかすかに開いたが、言葉にはならなかった。
「現在は被疑者として、さらに事情を聴いているところです」
スティーブンが補足する。
「……そう、ですか。彼が……」
ステフの声はか細く震えていた。そして続けた。
「……私の記憶は……戻るんでしょうか……」
少し間をおいて、ノアが静かに答える。
「……すぐには難しいかもしれません。
詳細は不明ですが、彼が事件後、“記憶操作を請け負う業者”に連絡を取ったというのは、供述からしてほぼ間違いありません。
あなたが監視カメラに映り込んでいた時間、マイクさんにメアリーさんの部屋へ呼び出され、
その後に記憶操作を受けたと推測されます。
ただ、その業者は一切痕跡を残していない。
連絡先はダミー、契約記録も存在せず、メアリーさんを殺害したとされる凶器も見つかっていません。
おそらく、業者が現場から持ち去ったと考えられます」
ノアは一息ついて続ける。
「……捜査は難航しています。
記憶改ざんの痕跡については、今後あなたの検査と合わせて、解析を進めていく予定です」
ステフはただ、静かにうなずいた。
──数日後。
警察署の一室。
スティーブンは書類の束を前に、無言で天井を仰いでいた。
「……何か……おかしいな……」
彼が手にしていたのは、“マイクとメアリーの関係”に関する聞き取り記録だった。
メアリーの職場の同僚、大学時代の友人、ステフと共通の知人はいなかったが、マイクの周辺人物──
誰ひとりとして、ふたりの交際を聞いた者はおらず、見たという証言もなかった。
「メアリーはそういうことをするタイプじゃなかった」
「マイクと付き合ってたなんて話、聞いたことない。そもそもマイクに彼女がいることもしらなかった」
「二人にそんな素ぶりもなかったと思います」
スティーブンは独りごとのようにつぶやく。
「……殺人事件にまで発展した関係だぞ?
なのに、誰一人知らなかったって……そんなことあるか?」
加えて、マイクの生活記録にも、妙な空白が発見された。
事件直後の24時間、彼はほとんどの記憶を失っているという。
最初は事件のショックによるものと軽視していたが、念のため調べたスマホには、
位置情報もSNS投稿も、電子決済の記録も、一切残っていない“完全な空白の24時間”があった。
「……なんでだ……」
スティーブンは眉をひそめながら、無言でメモを取り、立ち上がった。
「……こいつ、本当にやったのか……?」
小さな疑念が、スティーブンの中で静かに芽吹きはじめていた。