第43話 燈逢庵での話し合い 2
「じゃあ、先に入ってるね」
「おっけ~」
服を脱いでいる音琴にそう告げると、バスタオルとトイレタリーセットを手に持った明日香はガラガラと音の鳴る扉を開けて、蒸気の充満する風呂場に入る。彼女は、辺りをキョロキョロと物珍しさに心打たれた子供のように見まわす。
(広っ。流石と言ったところ)
幾つものシャワーと桶が左右の壁沿いにズラリ整然と並び、それらに対応して蒸気と温度差で曇った何枚もの鏡が壁にはめ込まれている。風呂場の中央には巨大な温泉の池が設けられ、百畳を優に超える広さを有する風呂場の四割を占めてその存在感を放っている。
(てか、アメニティみたいに貰ったシャンプーとボディーソープって、間違いなくブランドもの。軽く一万はする代物じゃん)
あるシャワーの前で座った明日香は、床に置いた籠の中に入っているそれらをジロジロと見つめる。容器のデザインからして、一般的に売られている市販の品とは明らかに格が違うことがわかる。
桶を手に取った明日香はお湯を貯め、足元から首まで、ゆっくりと何度もかけ湯をして体を温める。そして、明らかな高級シャンプーを使おうとした時に、扉を開けて音琴が入ってきた。
「うわぁ……。格の違いって感じ」
扉を開けると辺りをグルリと見まわし、シンプルなデザインで貴金属や宝石による装飾は一切無いのに、高級さ、優美さを染み渡るように感じる風呂場を観察する。入る視界からの情報に戸惑き驚いていた音琴は、明日香の隣に座り、籠を大理石の床に置く。音琴も明日香のように、トイレタリーセットをジロジロと見つめている。
徐にシャンプーを手に取ると、容器を傾けたり、裏や底を見ようとひっくり返したりして様々な角度で観察している。
「……何これ」
「え、シャンプー。知らない?」
「知ってる」
シャンプーを籠に入れると、桶にお湯を入れてかけ湯を始めた。
明日香は籠から出したブラシで髪を丁寧にブラッシングすると、シャワーで髪を濡らしながら手で入念に洗い、汚れを流す。容器を二回プッシュして中身を掌に出し、しっかりと泡立てる。
髪全体に泡立てたシャンプーをつけ、マッサージをするように頭皮を指の腹で優しく動かしていく。
「すっごい良い匂いする。やっぱ高級品じゃん」
「こんなのを数十個ポンと渡せるって、どんだけ裕福なんだか……」
側頭部、前頭部、後頭部、襟足と頭皮を数分かけて洗い、毛髪にもシャンプーをいきわたらせると、シャワーからお湯を出して髪を濯いでいく。洗い残しが無いよう、頭全体を入念にお湯で洗っていく。シャンプーを完全に洗い流した後の髪は、水で濡れているとはいえ、金属かと見紛う程に光沢を放ち、その艶やかさには目を見張るものがある。
髪に手を滑らせると、氷の上を踊っているように抵抗のない触り心地。たった一回ではあるが、以前とは比べ物にならない大きな変化が髪に見られ、その凄まじく高い性能が実感できる。
「やば……全然違うじゃん」
「……まあ確かに、これなら……」
「本当にやるの?」
怪訝、というより、あり得ないという感情が大半だろうか、そんな表情を浮かべながら音琴を見ると、彼女も同じような感情を顔に出している。
「……あの作戦、上手くいくと思う?」
シャワーから出て、床を流れ、排水溝へと入っていく水をジッと見つめながら、明日香へと問う音琴に、明日香は間髪も入れずに返す。
「いや」
「だよね」
事理明白。赤子でもわかると言わんばかりに答えた明日香に、音琴も同意を示す。明日香はボディーソープをプッシュして中身を出すと、お湯を加えてしっかりと泡立てる。泡ボディーソープと表記されているために当然ではあるのだが、しかし、掌同士で少しゴシゴシ摩擦するだけで、驚くほど大きな泡の塊が完成した。
「そうは言えど、このまま何もしないってわけにもいかない。彼が何をしたいのか、味方なのか、一切が不明な存在なんて恐怖以外の何物でもない」
掌の上にある一回り小さなバスケットボールの泡を凝視し続ける明日香。
「特級と思われるとなれば尚更、か」
シャンプーを使って髪を洗った音琴も、明日香のように己の髪が急激な変化を起こしたことに驚きを隠せず、何度も髪を触りながら目を輝かせている。
「……ねえ、みーちゃん」
「ん?何?」
ただただ、泡の塊を見つめ続ける明日香。その塊は、次第に小さくなっていく。
「前に、特級の月浪さんと任務に当たったって、言ってたよね。仮に月浪さんと枢機が戦ったとして、どっちが勝つと」
「枢機」
彼女は明日香の言葉が終わらないうちに、被せて、何も不思議ではないとでも言うように、一言ただそう言った。
「……本当に?」
「……まあ、私は二級だから、両者の具体的な実力を測ることはできないからね。一級『天』、せめて『空』はないと。それでも、枢機が複数の魔法を使った報告がなされていることを鑑みるに、枢機に軍配が上がるのは自明じゃない?」
「……まあ、そうだよね」
泡の塊を肌につけ、体を洗っていく。ゆっくりと同じところを手のひらで洗う明日香は、暗い表情を浮かべている。
音琴は、体を洗いながら横目で明日香の表情を見つめると溜息を吐く。
「気にすることはないって。因果関係があるって証明はできないし、そもそもの原因が、あーちゃんだと断定も不可能でしょ」
「……でも、今回失った一個師団の戦力を考えると、二級相当の奥塚迷宮ではありえない。あれは一級にも耐えられる要塞と戦力だったと聞く。……」
自分の記憶にある要塞跡地を頭の中で映し出す。木々に覆われた山脈に挟まれた平原の上に、ただ真っすぐ、一直線に連なる多数の巨大な固定砲と地雷原、機関銃の要塞線があると言われたその場所に、唯一存在したもの。
(あの巨大な穴。あれは……)
「あーちゃんの言いたいことはわかるよ」
「馬達加斯加と豪州を彷彿とさせる光景だった。規模は小さいけど、あれは間違いなく、特級の仕業」
「……だろうね」
シャワーから出たお湯で、体中についている泡を流した二人は、傍にタオルを置いて大きな湯船につかる。体をゆっくりと湯に入れていき、肩まで。
「ふぅ~……」
二人の体は温かい湯に包まれ、その満足感により、彼女たちの口から同時にため息が零れ出た。波を打つ湯船をジッと見つめて、二人揃って同じ言葉を口にする。
「色仕掛けね~……」
その時、ガラッと扉を開けて弥園と源が風呂場に入ってきた。二人は何の気なしに風呂場を歩き、シャワーの前で並んで座るとかけ湯を始める。
「ねぇ。源さん」
「なんですか?先生」
「作戦、上手くいくと思う?」
呆れたような目線を向けられた源は、それを一切気にすることなく言い放つ。
「まあ、可能性は低いでしょうけど。……失敗しますかね?」
源の言葉に、三人は寸分違わず、声と台詞を揃えて言った。
「絶対失敗する」
翌日。何時ものように学院の授業を終えた六人は、放課後の練習場に集まっていた。シンプルなデザインで動きやすく、吸汗性もある服に身を覆われた彼らは、誰もいない練習場の只中に腕を組んで立っている枢機の元へ歩いていく。
三好と鍋島は女子四人組の少し後方で背を向けた枢機に視線を固定して、四人組は横一列になって何処か緊張した面持ちで。
「……漸く来たか。いつまで待たせ……」
六人が来たことに気づいた枢機がクルリと体を回転させる。その視界に明日香、音琴、弥園、源を入れると、言葉を紡ぐこと能わず、信じられないものを見るように彼女たちを凝視する。
日光を反射する艶やかな髪に、多分に水を含んだ真っ白な肌。多少の赤みを帯びた頬は、燈逢庵で整えた賜物である。
「……んぅ~…………はぁ……」
摩訶不思議なものを見たかのように瞬きを繰り返し、謎を解き明かそうと首を傾げて唸った枢機は、合点がいくと溜息を吐いて眉間に手を当て一言。
「脳細胞が癌に侵されたか……」
「はあ!?」
彼の一言に、女子四人組は共鳴するように声を荒らげた。




