第36話 手帳
南方から来た調査隊と共に本部へ帰還した明日香たちは調査の報告と休息を兼ねて数刻の間、本部で過ごしていた。
与えられた一室で、明日香、音琴、弥園、源の四人が丸テーブルを囲んで椅子に座り茶を飲んでいる。空になった茶碗に、急須からトプトプと注がれる若草色の茶。明日香は十分注ぐと、急須を置き、一口啜る。
「さて、どうする?困ったことに、トラウマが蘇りそうなんだけど」
音琴はテーブルに置いている自らのスマホを見ながら話す。
「まだそうと決まったわけではないのでは……」
不安な表情を浮かべる弥園とは違い、源はテーブルをジッと眺めながら指先でトントンと叩いている。
「……一つのシナリオとして」
ピタッと動きを止めた源は、言葉を紡ぎだした。
「枢機に対して総攻撃を仕掛けるとなった時、ネックになるのは場所と枢機の力。まさか地球でやろうものなら、世界大戦と同じ轍を踏む可能性が高い。やるなら迷宮だな」
テーブルに向かって話していた源は、徐に床に置いてある鞄から一つの本を取り出した。本と言えど、その大きさはどちらかというと手帳に近い。
「それは?」
「うちの親父が送ってきた、枢機に関するデータっす」
音琴に答えながら、手帳を片手で開き、最初の一ページからパラパラとページを捲っていく。
「南野先生が枢機をネカフェに留めてくれた御蔭で、調査と監視が容易だったそうですよ。それで、二つ目の枢機の実力に関して、どうやら上はあまり分かっていないらしいっす」
「……わかってないのは、上も同じってことね」
「そもそも、奴はまともな戦闘を一回もしてねえから分析の仕様がないってのと、奇怪な動きが多すぎるせいで、その分析に追われてるらしいですよ」
「まあ確かに、よくわかんないところ多いよね。空飛んできたり、いつの間にか勝手に何処かへ行ったり。そもそも口数が少なくてあまり話さないから、何を考えてるのかさっぱり」
「……どうやら、上は其処に注目しているわけではないようですよ」
源は、あるページで捲る手を止める。見開きとなったページの左上には大きな文字で、「潜在能力の考察」と書かれている。その下に続いて、ページを埋め尽くすほど夥しい量の文字がビッシリと書き連ねてある。
「枢機が生活してるネカフェ付近での張り込み調査の結果や、今まで監視して得られたデータとかに対する、上の反応っす」
源は左側のページに書かれてある一つの文章を指す。
三人はテーブルに両手を置き、身を乗り出して覗き込んだ。
【特の潜在能力すら我が測ること能はず。況やこの男をや】
「特級を測り知ることはできないのは、確かにそうだけど……」
弥園はそう言いながら、次の文章に目を通していく。彼女の言葉に続けて、源は明日香を見るように視線を向け説明をする。
「どうやら、積極的な活動はあたい達の周囲のみのようで、ネカフェでは常に屍のように寝ているらしいっす。食事も一切せずに」
「え?食事を一切しない?」
驚きの表情を浮かべて明日香はオウム返しをする。隣に座る音琴も眉間に皺を寄せて、困ったと言わんばかりに蟀谷に手を当てている。
「レストランとか、弁当屋とかで食事を済ますことも全くしない。ただ、約一週間に一度の頻度で街に繰り出すことがあるらしくて、その際に調査のため数名で尾行。これまた奇妙な結果に行きついたようっす」
源はそう言うと、隣のページ下半分を指でグルッと囲むようにして示す。
「ここの部分を要約すると、『尾行していた調査員は撒かれ、監視カメラやドローンの映像でも追うことはできなかった』。因みに、尾行していた調査員は全員、中央情報局所属」
「は!?」
「国家の主要機関じゃん。しかも諜報を主としてる」
驚愕するあまり大きな声が出てしまった音琴は、啞然とした表情で口をあんぐりと開けている。
手帳を読み進めていた弥園も思わず読むのを止めた。
「名前は同じだけど、CIAを超える猛者が勢揃いしてる機関の中でも精鋭を送ってこれっすからね~。特級も彼らを撒くことが出来たらしいんで、力量は同じかそれ以上な可能性が高そうです」
お手上げと言うように肩を竦めている源の隣で、両手で頭を抱えながら音琴はため息を吐いた。
「こうなると、彼を排除することは非現実。だけど、このまま野放しにしておけば今回と同じことが起こる可能性が高い。……ああ~やってらんな~い」
「今まで無かった出来事が、枢機と関わったことで起こるようになった。因果関係があるかどうかはわからないけど、国家としては無関係と見なすわけにはいかないでしょうしね」
「人命や国軍が直接損害を被るとなると猶更だな。そもそも、あたいらに試練と称して指導している動機がさっぱりわからん。文明を滅ぼすだとか、人類の絶滅だとかを考えてるようには思えんしな~」
パラパラと手帳を捲る源の対面に座る明日香は、その手帳を見つめ続けている。




