第32話 森を抜け、
数十メートルを超える大木が剣山のように無数に聳え、木の葉によって日光が遮られた森の中を、一行は全速力で駆けぬけている。
生い茂る背の高い雑草と薄暗さに包まれた林床には、個々の大木を支えるに足る太い根が地表に顔を出し、根と根が絡み合って露出しているものもある。
「みーちゃん!軍から連絡は?」
「まだ来てない!多分、防衛部隊と通信が途絶してるかも!」
片方の耳にスマホを宛てがいながら、地表に出ている根を足場に跳躍して移動する音琴は、同じようにして移動する明日香と大きな声を出して会話している。
「さっき連絡した時も本部は上から下まで、てんやわんやの状態みたいだったから。こっちに連絡する暇もないんでしょ」
二人の少し後方には弥園と源がいる。源は大きな翼を羽搏かせながら低空飛行し、弥園は両手で源の手を掴んで移動している。その二人のやや後方に、各々の荷物を運ぶ四台のドローンが飛行している。
新幹線を超えるほどの速度で進んでいるために景色が後方にどんどん流れていく中で、源は左方を、弥園は右方を常に観察している。
すると、弥園が声を上げ、ある地点を指で指した。
「あ!また血痕があります!間違いなくこっちです!」
弥園の眼には、瞬き一回分ほどの、正に一瞬しか映ってはいなかったが、確かに大木の幹に血が付着しているのが見えた。彼女にはその一瞬で十分だった。
「やっぱり、三人が倒した鋼熊はこの方向から来たと見て間違いないね」
弥園の報告を聞いた音琴は、蟀谷に手を当てると苦い表情を浮かべる。
「しっかし、いくら二級とは言え、軍の防衛線ですよね。そう簡単に突破されるもんなんですか?」
源が左方を眺めながら抱いていた疑問を口に出す。つられて、弥園は視線を音琴へちらりと移す。
「『津波』が起こった場合、そういう事例は珍しくないね」
「『津波』?ここ海に近かったですっけ?」
源は高速で移動しながらも、目の前に迫る大木に慌てることなく回避して音琴に疑問を投げかけた。
「水が押し寄せる方じゃなくて、幾千幾万というモンスターが発生して防衛線に侵攻してくることを『津波』って言うの。さっきの鋼熊に匹敵する力を持つモンスターがうじゃうじゃと現れるから、最新兵器を揃えていても突破される可能性は十分にある」
「え!?」
「マジっすか!?うわっと」
音琴の返答を聞いた二人は目を見開いて驚きの声を上げた。源は眼前に大木に現れたことにも驚き、慌てて回避行動をとる。その動きに合わせて、源の手に掴まっている弥園は大きく揺られることになった。
「……だとしたら、明らかに妙なことになってるよね?」
後方にいる二人の状況を見ることなく考え事をしていた明日香は音琴に同意を求めた。先ほどの音琴と同じ表情をしている。
「うん。間違いない」
(かなりの距離を移動したはず。なのに、ここまでモンスターを一体も見ていない。あの鋼熊だけ防衛線を突破した?いやいや、それこそ非現実的でしょ)
二人は周囲の様子を神経を尖らせて伺うものの、結果は疑念が深まるばかり。
「どう見る、あーちゃん。ここまで遭遇しないってこと、有り得ないと思うんだけども」
「さっきの鋼熊は、はぐれの一体であって、『津波』と軍は今もなお戦闘している。……いや、これもおかしいか」
(ちょっと前に本部と連絡した時、駐屯部隊と通信できたら折り返すと言ってた。未だに連絡が来ないってことは、部隊との通信が途絶しているってことでしょ。なら、部隊は壊滅状態になって防衛線は突破されたとみるのが普通。でも、突破されているなら、この森全体にモンスターがいないと筋が通らない)
明日香は顔を動かして周りを見る。聳え立っている夥しい数の木によって少々暗くなっているせいで視界は良好ではないものの、モンスターと思しき生物がいないことは明らかであるということはわかる。
「ふっ!」
周辺の状況を確認した明日香が地面に両足をつけ、ドン!と音を立てて大きく跳躍した。数十メートルの高さを飛んで比較的太い木の枝に着地すると、斜め四十五度くらいの角度で再び大きく跳躍する。
明日香は木の葉を超え、地上から百三十メートルほどの高さまで到達する。これほどの高度となると最早木の葉は生えておらず、視界を妨げる障害物も無い。
上を見れば無辺の青い海が存在し、ところどころに琺瑯質のように固くつややかに見える雲が自由気ままに泳いでいる。遙か高くに見える景色から顔を動かして下を見れば、緑色の大地が彼方まで続き、光を通らせまいという意志さえ感じられる程に豊かに繫茂する木の葉は宛ら泥のよう。だが不思議なことに、吹く風に揺られている木の葉は波かと思える。
(何もいない……。木の上を飛んでいるモンスターもいるから、もしかしたらと思ったけど……)
最高点に到達すると、そのまま物理法則にしたがって加速していきながら葉の地面を貫通し、森の中に戻ってきた。
見ると三人は既に遠くまで移動していたため大急ぎで彼女たちのもとにまで走っていく。音も無く移動するドローンを追い越し、彼女らに近づいたあたりで明日香はとあることに気付く。
(……あれ?枢機は?)
明日香は後ろへ振り向いて確認するが、当然枢機の姿はない。前方を見てもやはりいない。
不味いことになったと悟った明日香は更に速度を上げていく。
(……?)
ここで、前方の三人が立ち止まり、それに合わせてドローンも止まりホバリングする。どうやら森から抜けたようで、鬱蒼としていた場所から一転、燦燦と輝く太陽の光が地上にこれでもかと降り注ぐ平原が目の前に現れた。
三人は、その平原と森の境界線で立ち止まって同じところを見ている。
「一体どうしたの?」
明日香がそう問い、彼女たちが見ているところへ視線を向けると、
「遅い」
平原の真ん中で胡坐をかいて腰を下ろしている枢機の姿があった。
風に揺られて枢機の髪がなびく。彼は汗の一滴も掻いていない。
「たったこれだけの距離を移動するのに時間をかけすぎだ」
(いつのまに……?)
唖然とする四人の顔を見ながら、つまらないとでも言うように溜め息を吐く。
徐に立ちあがった枢機は後ろに振り向き、
「さっさと行くぞ」
そう言ってスタスタと歩き出した。それと同時に、付いてこいと言わんばかりに右手を上げて人差し指を動かす。
「……やっぱりアイツ、無茶苦茶じゃん」
「枢機と会ってから一週間も経ってないけど、どんな奴かは把握した」
小声でボソッと呟いた源と音琴は枢機の後に従う。
明日香が追い付いてきたことに気付いた弥園は、
「先生、枢機ってどうやって私たちより先に行ったんでしょう?」
と明日香に尋ねながら指で枢機を指す。
明日香は何も言わず、首を傾げて返事をした。
四台のドローンが弥園の後を追って移動し始めたのに合わせて二人も歩き出した。




