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第一話 巡海歩

生まれた直後、巡海は酷く困惑した。

それは自身の体と自身の意識の乖離であった。


転生した自分の体は赤ん坊そのものであり、意識はたった今まで二十数年生きてきた大人のままであるので、当然と言えば当然だが。


赤ん坊の体は正直である。お腹がすけば泣き、疲れたら眠る。よく食べ、よく出し、よく眠りと忙しい。その最中、見て聞き嗅ぎ味わい感じたたものは巡海の意識に伝わる。五感全てが伝わる思い通りに動かないロボットに乗り込んだものだと巡見は思った。


暫くは、明るい暗い。何かしらの物音が聞こえる。

朧げに匂いを感じ、漠然とした味がする。

柔らかなものに包まれる温もりを感じる。

そんな日が暫く続いた。


不思議なもので、肉体的な時間の流れと内面的な時間の流れにはズレがあるようだった。意識は肉体に起きる時間の流れという川を上から眺めているような感覚。いずれは肉体と意識が統一された時には元に戻るのだろうか。と巡海は考えた。


巡海は無理に乗り込んだ体をなんとかしてやろうとはせず、一先ず流れに身を任せていた。

不思議と温かな雰囲気が常に自身を囲み、嫌な感じは全くしなかった。


穏やかな感覚に意識を浸し、暫くたったある日。生まれて数ヶ月は経っていた。

「アマネ。」

そう聞こえた。

優しい声だった。

「アマネ。分かるかしら?」

わりとハッキリと聞こえるようになった。

「今日もなんて可愛いのかしら。お母さんよぉ。」


言うことの聞かない体は反射的に音のする方を見る。

徐々に見えてきた目は、音の発生源を捉える。


巡海の意識にはその姿が伝わった。

「これが、お母さん、、、。」

言葉は出ないが、巡海はそう思った。

黒髪の女の姿が朧げながらそこにあった。


そこで巡海は元の世界の母を思い返す。

巡海の母は女で一つで彼を育てあげた。

黒髪を肩口まで伸ばし、細身な体からは想像できないほどパワフルであった。バリバリのキャリアウーマンでそれなりの役職に就いていた。


巡海が社会人として間もない頃もよく相談をしては、檄を飛ばされていた。

「歩はそのままでいいのよ!自分のできることをちゃんとやり続けられるのが歩の良いところなんだから!」

「でも、他の同期たちは新しいことどんどんやってるし、、、。」

「いいから歩はできることをやる!やれることは後から自然と増えてくるわ。分かった?」

「う、うん、、、。」

今思い返せば、母さんの言ったことはちゃんと実を結んでいたな。と巡海は思った。


評価してくれる上司や慕ってくれる部下も、有り難く思ってくれる職場も母さんの言ったことをやっていたことが大きいんだろう。

母さんには頭が上がらないな。自分のことを自分以上に分かってくれて、進むべき道を迷いなく押し出してくれた。

「母さん、ごめん。」

意識の中で巡海は呟いた。


巡海の記憶の中で、巡海の母が泣いていたのはただの一時期だけだった。

それは、巡海がまだ小さかった頃に父が亡くなった時だった。

あの母が泣きに泣き、憔悴し切っていた。

子供だった巡海はそれを見て何とかしようと考えた。


その結果、彼は身の回りの家事を行った。下手くそながら料理を作り、慣れない手つきで掃除をし、干すのも畳むのもあくせくしながら洗濯物と格闘をする。弱々しく父の遺骨の側に座る母に変わらぬ自分を見てもらうために。


朝早く起きたら朝食、母を起こす。

片付けをして、元気にいってきますと言って学校へ。

帰ったら洗濯乾燥機に洗濯物をいれ、夕飯を作る。

祖父母が食材やら、作り置きのおかずを定期的に置いて行ってくれたので助かった。

夕食中は学校のことや友達のことを話す。

食べ終われば片付けをし、母を連れてお風呂へ。

就寝の時間も母と一緒に寝るのだった。


平穏な日常があればそれでいい。

巡海少年はそう思っていた。

そんな生活が一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と続いた末母は活力を取り戻し、以後彼の前で泣くことはおろか弱音すら吐くことはなかった。


「母さん。急にいなくなってごめん。」

再度、巡海は呟く。

元の世界での自分がどうなっているかは分からない。

事故に巻き込まれて死んだのか、幽体離脱よろしく意識だけが体を離れこの世界にやってきたのか。

ただ母はまた悲しみに暮れているかもしれないという心配だけが巡海の意識を占めていた。


突然、赤ん坊である体がミルクを吐き戻ししてしまっていた。

不快感が巡海に伝わってくる。

気づけばまた何ヶ月か経っていたようだ。


「あらあら、大丈夫?苦しい?」

またあの優しい声がする。

温もりが体を包む。腕に抱かれているのだろう。

口元に柔らかい感触がし、不快な水っぽい感じが薄れる。布で戻してしまったものを拭ってくれたか。

心地良い揺れを感じながら、慈愛溢れる声を聞くと体は目は彼女の姿をはっきりと捉えるようになっていた。


豊かな黒髪を頭の後ろで束ね、丸顔の女性。

少し太めの眉と目尻の下がったその目は優しさを讃えていた。

小ぶりの鼻、厚めの唇。その口元は笑みを浮かべていた。

巡海の母とは似てはいないが、その女性が言った。

「アマネ。あなたはーーー


似てはいないのだが、その瞬間は、その瞬間だけは母が被って見えた。


ーーーあなたはそのままでいいのよ。」

自分のやれることをちゃんとやり続けられるのが歩の良いところなんだから。


そう言われた気がした。


その時、巡海の意識と体がピッタリと一致して泣き出した。

「うわああぁん、うわあぁん!!」

出生した時とは違う。巡海が初めてこの世界に繋がった瞬間だった。


元の世界の母が、この世界の母が巡海を送り、そして迎えてくれたような。都合のいい妄想でもなんでも巡海はその一言に救われた。

そして、決めた。


この世界でもこの母さんを、自分を大切にしてくれる人達を、平穏な日常を守ろうと。

いつか、もしかしたら元の世界に帰ることがあったなら母さんに、皆に会いに行こうと。


「アマネ?ふふっ、また寝ちゃったの?」

アマネの母がそう呟いた。


アマネの顔は心なしかいつもより安心した様な顔だった。

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