プロローグ
巡海歩の一日はこうだ。
朝6時に起床。テレビでニュースを流し、朝食を食べる。決まって炊き立てのご飯に味噌汁と納豆と沢庵と魚か肉。朝食を食べ終えたらシャワーを浴びて身支度を整える。7時15分、家を出る前にリビングのミニサボテンに水をやり、靴は決まって右から履く。自宅近くの駅から7時35分の電車に乗り、電車内ではスマホゲームのログボ回収。8時着の駅から降りたら少し歩いて会社へ8時20分には到着。一息つきながら、当日のやることを確認して8時45分にタイムカードを押し仕事へ。12時に昼食。社内食堂でいつものランチメニューを食べ、13時から午後の仕事を開始する。18時を過ぎたら退勤。18時30分発の電車に乗り、19時5分着の駅から自宅へ移動、25分には帰宅。先日注文しておいた食材が届いていたら、冷蔵庫などに仕舞う。20時にニュースを流しながら夕食を食べて、その後は朝食時の洗い物なども済ませ、翌日のご飯を洗い炊飯予約を入れる。21時にシャワーを浴び、就寝前の準備を済ます。23時までの時間は自由に使い、就寝する。
特に大きな変化もないが、歩は特に不満はなかった。それよりも変わらない毎日を大事にしたいという思いが強く、繰り返される同じ行動は巡海の性に合っていた。
ある日の朝、会社の課長が
「巡海くん。急で申し訳ないんだが、今日のコンペで使う資料を幸田くんに届けて欲しいんだ。」
と言う。
少し小太りで、背の低い課長は普段は威厳のいの字も見当たらない柔和な顔つきをしており、人当たりが良く人望が厚い。
幸田とは巡海からすると後輩にあたる。入社して3年目の若手で、持ち前の明るくなんでも吸収する性質を買われ、今回の会社で参加するコンペティションのチームの一員に抜擢された。
こんな自分にもいつも気さくに話しかけてくれる可愛い後輩だ。歩はそう思い、自分の仕事を後にして資料を届けることを快諾した。
「巡海くん、すまないね。」
「いえ、自分の仕事に比べたらコンペの方が重要ですし、自分の仕事は誰でもできますから。」
「ははは、そう謙遜しなくてもいい。巡海くんの仕事は誰でもできるかもしれないが、誰にもはできないよ。」
「?、どういうことです?」
「君は毎日同じことを手抜きもせずやってくれている。その精度と速度は誰もができるレベルではないんだ。君が抜ける間、こっちはてんてこ舞いになるさ。」
ははは、と言ってマシュマロみたいな顔をさらに綻ばせながら課長は資料を手渡しその場を後にした。
思わぬタイミングで褒められたものだから、気持ちが浮ついてしまう。気持ちのやり場がなく、そそくさと資料を鞄にいれ会社を出た。
急いで電車に乗り、ガタガタと揺れる車内で後輩のことを考える。
幸田は何かあるとすぐ困った顔でどうしたらいいのか聞いてくる。童顔の幼さの残る顔つきで柔らかそうな髪を揺らして、細い眉をきゅっと寄せていると昔飼っていた犬を思い出す。
きっと今も困った顔をしているんだろうと想像したら、あまりにも簡単にイメージできるもので少し笑えた。
アイツが待っている。
30分程揺られていると目的の駅に着き、改札を抜ける。チラリと時計に目をやるとまだ余裕があり、ほっとする。
コンペティション会場のある大きなビルに着くと、その入り口前で幸田の姿があった。やはり子犬のようで自然と口元が緩んでしまった。
「幸田。」と声をかける。
「巡海さん!?なんでここに。」
「課長から幸田に資料届けてくれって、ほら。」
「課長が!?巡海さんがいなくなったら会社が大変なのに、、、。」
「幸田まで、そんな持ち上げるな。恥ずかしい。」
「いやいやいや、皆んな巡海さんのこと言ってますよ。あんな仕事のできる人いないって。」
まさか。と言うが、幸田は今までどんなに助けられたか、会社の皆がどれだけ巡海に感謝してるかを熱弁する。
今まで、同じことを繰り返してただけだと思っていたが課長といい幸田といい、そこまで思ってくれるとは。巡海は少し自分のやってきたことを振り返った。
効率的に、スピードを持って。を毎日毎日、繰り返していた。いつの間にか仕事量も増えていき、難なくこなせるようになった。誰にでも出来ることだと何も特別ではないと考えていた。
「巡海さん、ありがとうございます!」
幸田は深々と頭を下げていた。
「幸田、別にいいんだ。そこまでのことじゃない。」
「いえ、これがなきゃ今日のコンペティションは全ておしまいだったんで、本当に感謝しかないです!」
「そうか、分かった。こっちもありがとうな。俺は幸田達コンペチームみたいなことはできないし、俺のことよく言ってもらって嬉しいよ。コンペ頑張ってな。」
巡海はそう言うと、幸田の再度の感謝の言葉を受けて背を向けた。
機械的に行う日常でも、人の抱く感情で鮮やかにもなるものだ。
会社に戻ろう。少しでも役に立つために。
と、思った矢先だった。
視界が突如ブラックアウトした。
ーーー。
ーーー死んだのだろうか。何も感じない。巡海はそう思った。
これから仕事だったのに、呆気ないもんだ。仕事を繰り返すってのも悪くなかったんだな。自分も知らない間に、周りから感謝されて、、、。
『スキル獲得。』
なんだ?スキル?ゲームでもやり過ぎたかな。ってそれほどやってはないか。
課長も驚くだろうな。あのマシュマロみたいな顔してて、でもあの柔軟な仕事ぶり。もっと一緒に仕事したかったかもな。
『スキル獲得。』
また聞こえた、、、。スキルって何だろうな。アプリならステータスとかすぐに見て、確認してたところだ。
『アビリティ獲得。』
おお、なんか慣れてきたな。
アビリティ?
スキルと何か違いがあるのか。
ーーー。
ああー、もし幸田の前で倒れてたら情けないとこ見せて死んでしまったのかもな。幸田の成長も見てあげたかったな。あの貪欲に吸収する姿勢、見習いたいもんだ。
『スキル獲得。』
ーーー。
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ーーー特に何も起こらないな。と巡海が思ったときだった。
急に頭上から引っ張られる気がした。同時に圧迫感。
体に重さも感じるが、上手く動かせない。
僅かに光を感じる。
よく分からず、ただ引っ張られる方向に意識が、体が向かう。
より重さと光を感じる。
そうか、、、。
巡海はなんとなく理解した。
俺はーーー
遂に圧迫感から解放された。
そこにあったのは眩しい光。
大きな巨人。いやこちらが小さいのだ。
俺は、転生したのか、、、。
巡海歩、二周目の人生が始まる。