5.思い掛けない疑惑
急いでお風呂に入って、朝食の手伝いをしていると……時間はすぐに、朝の6時になってしまった。
朝食は6時からと決まっているそうだが、ベティちゃんの姿が見えない。
「……ベティちゃん、来ませんね。どうしたんでしょう」
手元のサラダにフォークを刺しながら、軽い感じで聞いてみる。
「いつものことだから、気にしないで良いわよ。
今まで時間通りに食べていたのは、わたくしとクロだけだから」
「クロエさんはしっかり来てたんですね、偉いです!」
「へへへ、そうでもないっすよ!」
俺の言葉に、クロエさんは自慢気に言ってきた。
「……折角ならもう少し早く起きて、準備するのも手伝って欲しいんだけどね?」
エマさんの言葉に、クロエさんは一瞬で縮こまってしまう。
「い、いやぁ……。自分、寝る時間が遅いもので……。
……あ、そうそう。アリシア殿、今日の夜は空けておいてくださいっす!」
罰が悪いのか、クロエさんはすぐに話題を変えてしまった。
ちなみに今日の夜……は、色々なことを教えてもらう約束をしていたんだっけ。
「分かりました、夕食後なら大丈夫です!
……21時で良いですか?」
夕食の時間は、毎日19時と決まっている。
昨日クロエさんが帰ってきたのは20時頃だったから、あまり遅れないように釘を刺した形だ。
「了解っす、それまでに帰ってくるっす!」
「……もう少し早く帰って来れば、クロも夕食の準備が出来るのにねぇ……」
静かな口調で、またもやエマさんの指摘が入る。
クロエさんは常識人に見えるけど、そういえばエマさんのことは全然手伝っていないからね……。
「こ、これは藪蛇の流れ……っす。
よし、ご馳走様でしたっす! それではまた夜に!!」
そう強く言うと、クロエさんは急いで食堂を出て行ってしまった。
……もちろん、使ったあとの食器を残して。
「はぁ、まったくあの子は……。
お皿を洗うくらい、出来ないのかしら」
「あはは、クロエさんもやっぱり……なんですね。
……ちなみに比較ってわけじゃないですけど、以前の私はどんな感じでしたか?」
「朝食のこと?
ベティと一緒に、10時頃に食べていたわよ」
「……すいませんでした」
もはや『アリシア』の行動について、俺は謝ることに慣れてきてしまった。
これからは、ルールを守ってエマさんに楽をしてもらうことにしよう。
「ふふふ♪ アリーは随分変わってくれたから、頼りにさせてもらうわよ。
それで、今日もお仕事をお願いして良いかしら?」
「はい、もちろん!
ただ、筋肉痛が酷いので……お手柔らかにして頂けると……」
「あら、そうだったわね。
でも筋肉痛なら、少しくらいなら何とかなるわ」
「え?」
俺が不思議そうに聞き返すと、エマさんは俺の腕に両手をかざした。
しばらくすると、彼女の手のひらがうっすらと光り始める。
……温かい。
しかしどこか、清涼感のある冷たさ……。
10秒もすると、エマさんは手を引っ込めてから一息ついた。
「どう?」
どう? と聞かれても――
……と思いながら身体を動かしてみると、何と筋肉痛の症状が軽くなっていた。
「お……おぉ、楽になりました!
何をしたんですか?」
「わたくしの神聖力で、痛くなったところを癒してあげたの。
治癒魔法ほどは治らないけど、結構便利なものでしょう?」
「そうですね――
……って、『治癒魔法』っていうのもあるんですね!」
「ええ、使い手は限られるけど……。
わたくしも治癒魔法が使えれば、もっと色々な人のお役に立てたのに」
……ふぅむ。
聖職者だから、治癒魔法が使える……というわけでも無いのか。
俺の筋肉痛はかなり楽になったけど、本調子にはまだ遠いから……治癒する力としては、実際かなり小さいものなのだろう。
しかし、それでも――
「……エマさん、凄く頑張っているじゃないですか。
私もエマさんみたいに、誰かの役に立ちたいって思いました!」
「え……? いやね、泣かせないでちょうだい……。
そんなにおだてても、今日もしっかり頑張ってもらいますからね……!」
「はい、望むところです! まずは何をしましょう!」
うっすらと涙を浮かべるエマさんをあやしながら、俺は今日の仕事を聞いていった。
ひとつひとつは簡単だけど、ここでの生活に慣れるために……全力で頑張って行くとするか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アリシア様、おはようございます!」
俺が礼拝堂の掃除をしていると、ベティちゃんが明るくやって来た。
時間は10時過ぎ……彼女がいつも、朝食を取るという時間だ。
「ベティちゃん、おはようございます。
朝食は食べました?」
「いえ、アリシア様と一緒に……と思ったのですが。
もしかして、もう食べられましたか?」
「ごめんなさい、朝の6時に」
「え? 早起きですね――
……って、あれ? アリシア様、もしかしてお化粧を変えました?」
ベティちゃんは俺の顔を見つめながら、不思議そうに聞いてきた。
実は朝食のあと、エマさんに化粧のやり方を教えてもらったのだ。
今までのアリシア流からエマ流に変わったせいで、印象が結構変わっている。
個人的にはエマ流の方が、自然に可愛い感じだから……結構気に入っていたりする。
「どうです? 上手く出来ていますか?」
「いえ……。
ベアトリスは、前の方がアリシア様らしくて好きです……。
明日から戻しましょう?」
……残念ながら、ベティちゃんには不評のようだ。
記憶のこともそうだけど、本当に『アリシア』に戻って欲しいんだなぁ……。
「うーん、考えておきます……。
あ、そうだ。朝食が終わったら、ベティちゃんも一緒に掃除をしませんか?」
「……ごめんなさい。
ベアトリス、今日は用事がありますので……」
「そ、そうですか?
分かりました、お気を付けて!」
俺がそう言うと、ベティちゃんは寂しそうに礼拝堂から去って行った。
……あの子もごく自然に、何も手伝ってくれないんだよなぁ……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昼食でパンを軽く俺とエマさんは食材の買い出しに向かった。
シスターの人数が多い頃は配達をしてもらっていたそうだが、今は普通に買い出しに行っているとのこと。
……今後は運動がてら、俺が主体となって買い物に行くのも良いかもしれない。
だからエマさんには、色々なお店を教えてもらうことにしよう。
行く先々で、エマさんは誰かしらと雑談をしている。
俺はそんなエマさんの後ろに控えていて、たまに、にこやか顔で相槌を入れるのだが――
……そのたび、空気が微妙になっていたのは……気のせいではないはずだ。
「――……はぁ。
昔の私って、みなさんに警戒されていたんですね……」
「まぁ……日頃の行いが、ねぇ……。
でも今のアリーなら、みんなもきっと心を開いてくれるはずよ?」
エマさんは俺に気を遣って、そんなことを言ってくれる。
そんな優しくて頼りになるシスター長を、俺は一生懸命、支えていくことを心に誓うのだった――
……そう。俺は案外、チョロいのだ。
「はい、いっぱい頑張りますね!
さて……買い物はさっきのところで終わりでしたよね?
教会に戻ったら、次は何をしますか?」
「そうね、どうしようかしら……。
最近は最低限のことしか出来なかったから、いざ何かをすると……ねぇ。
でも、わたくしとアリーの2人になっても、急に出来ることなんて――」
……自然とため息が出るエマさん。
確かに教会の仕事をしっかりやるのであれば、何をするにしても2人では人手が足りないだろう。
「……そういえば、教会の仕事って何をするんですか?
礼拝堂でお祈り……とか?」
俺の言葉に、エマさんは頭を痛そうに抱えた。
それと同時に、昨日言われた『腐っても聖職者』……というフレーズが、俺の頭に蘇える。
「……まずはアリーに、基本的なことを教えてあげないとね。
教えることは今日と明日でまとめておくから……それまでは自由行動にしましょう」
「わぁ、本当ですか?
土地勘も養っておきたいし、明日は街を歩いてみようかな」
「それも良いわね。
……でも、お財布はちゃんと持っていくのよ?」
子供でも出来そうなことを、何故か改めて言われてしまう俺。
いや、そういえば屋台のおばちゃんにも何か言われた気がする……。
……きっと『アリシア』が昔、何かをしでかしたんだろうなぁ……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――今日の夕食は、まだ見ぬディアーナさん以外の4人で食べることが出来た。
俺も少しは慣れてきたが、ベティちゃんが話し出すと微妙に気まずい空気が流れてしまう。
少し前までは『アリシア』とベティちゃん、エマさんとクロエさん、みたいに分かれていたんだろうけど――
……今は完全に、ベティちゃんだけ態度が悪い感じになっているからな。
「アリシア様、あとでお話をしませんか?」
食事がずいぶん進んだ頃、そう提案してきたのはベティちゃんだった。
しかし今晩はクロエさんとの約束がある。
1対1で、気兼ねなく聞きたいこともあるし……今晩は遠慮させて頂こう。
「ごめんなさい、クロエさんと先約があるので……」
「えぇ? それは残念です……。
ではまたの機会に……」
そう言うと、ベティちゃんは食堂を後にしていった。
……当然のことながら、食べ終わった食器はそのままで。
「さて、クロエさん。
今日はこのあと、お話をする約束をしていますが――」
「はいっす!」
「まずは食器、洗ってみましょうか!」
「え? 自分が……っすか!?」
「うん、それは良いわね。
クロは外に出てばかりで、教会の仕事は何もしてくれないから。
それなら、食器洗いくらいは……ねぇ?」
エマさんが冷たい視線を送ると、クロエさんは怯んでしまった。
「わ、分かったっす……。
感謝の気持ちを込めて、頑張って洗わせて頂くっす……!!」
……クロエさんが頑張った結果、お皿が2枚割れたのはまさかの事態だった。
慣れないことを急にすると……ってことなのかな?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お風呂にも入って、身のまわりのこともして、あとは寝るだけ――
……そんな状態にしてから、俺はクロエさんの部屋に向かった。
話をする場所はどこでも良かったのだが、クロエさんが彼女の部屋を指定してきたのだ。
「アリシア殿、ようこそっす!」
そう言って通された部屋は、俺の部屋と変わらない広さだった。
しかしあちこちに大きな設計図や何かの部品が広がっていて、とても雑多な印象を受けてしまう……。
「何だか凄い部屋ですね……。
クロエさんって、何をしている人なんですか?」
シスターなのだから、本来はシスターをしている人のはずだが……。
しかしこの部屋は、『シスター』という概念からずいぶん離れているように見える。
「自分は『発明家』っす!
事情があってこの教会に送られたっすけど、この街では技術的な活動をしているんすよ!」
「へー、ただ遊んでいるわけじゃなかったんですね」
「そ、そうっすよ!?
ただ、教会の仕事では無いから……遊んでいる、と言われても仕方が無いっすけど……」
「あはは♪
まぁ、私が言えたものでは無いですけどね」
今までは『アリシア』も、教会の仕事をしないで自由に暮らしていたはずだ。
それに加えて、色々な人に迷惑を掛けていたみたいだし……。
「ま、まぁ……?
それにしても、アリシア殿はずいぶんと変わられたっすね……。
本当、自分の未来がとても明るくなったっす……」
クロエさんは嬉しそうに、しみじみと言った。
「もしかして、クロエさんに悪いことをしちゃってました……?」
「それはもう……。
例えば……この教会って、お風呂や水洗式のトイレがあるじゃないっすか」
「え? はい、そうですね」
「あれはアリシア殿の命令で、自分が1週間で全部作ったんすよ……」
「え゛」
「シャワーもそうっすし、照明器具もそうっすし……。
突然わがままを言い出して、しかも期日が地獄だったっす……
……みんなの役に立ったから、今となっては良い思い出っすけど」
「申し訳ないです……」
もはや恒例だが、俺からの謝罪が自然と入る。
「――……さて、それはそれで良いとして。
アリシア殿、早速本題に入るっすよ!」
クロエさんは表情を明るくさせて、嫌な記憶を吹き飛ばすように元気に言った。
……そうだ。
今は『アリシア』の悪行よりも、俺に起きたことを何でも知りたいのだ。
「はい、よろしくお願いします!!」
……どんなことを教えてくれるのかな?
色々あるだろうけど、まずは何を――
「……アリシア殿。
記憶喪失というのは、実は嘘……なんじゃないっすか?」
クロエさんは、にやりと笑った。
そして不敵に光る眼鏡を、くいっと指で持ち上げる。
「え? もしかして……、私が演技をしているとでも?」
「ノン、ノン、ノン。
演技には見えないっすし、そもそもアリシア殿が演技をするだなんて思えないっす!」
「……それじゃ、何だと?」
「例えば――
……『異世界から転生してきた』、とか?」
「っ!?」
……突然出て来た、クロエさんからの思い掛けない疑惑。
まさかそんな話になるとは思わず、俺の背筋には冷たいものが走り抜けていった――