3.以前の私
「うぅ……。
まさかアリーに、夕食の手伝いをしてもらえるだなんて……」
俺とエマさんは炊事場に並んで、夕食の準備をしていた。
この教会にはシスターが5人いるらしいのだが、炊事は全てエマさんがやっているらしい。
「でも……エマさんが全部、準備をしているんですね。
他の四人は手伝わないんですか?」
そう言うと、エマさんは冷ややかな目で俺を見てきた。
「あなたがそれを言うの……?
……って、アリーは記憶が無いんだったわね……。
みんなが手伝ってくれないから、わたくしが一人でやるしかないのよ……」
当然のことながら、『みんな』の中には『アリシア』も含まれている。
今の俺の話ではないのだが、申し訳ない気持ちにはなってしまうわけで……。
「い、今まではすいません!
これからはたくさん手伝いますね!」
「え、本当に……?
明日になって、急に記憶を取り戻さないでね!?」
エマさんは嬉しそうに、しかしぶっちゃけたことを言い始めた。
記憶喪失の人間に向かって、『記憶を取り戻すな』……って言うのはどうなんだろう……。
「あのー、ちなみになんですが……。
以前の私って、どんな感じでしたか?」
「……聞かない方が良いわよ?」
俺の言葉に、エマさんは再び冷めた目をしてくる。
うーん、でもいつかは知ることになるだろうしなぁ……。
返事に困っていると、可愛らしいシスターが静かにやって来た。
空色の髪の毛、左右で1か所ずつ結んだお下げが可愛らしい。
瞳の色は薄赤色で、全体的に『薄幸の美少女』という感じだ。
俺よりも少し身長が低くて、俺よりも華奢な感じがする。
「アリシア様!」
「あ。ベアトリスさん、お帰りなさい」
記憶喪失の件は、エマさんから彼女に伝えてもらっていた。
ベアトリスさんは倉庫から取って来たジャガイモをテーブルに並べながら、申し訳なさそうに言葉を続けてくる。
「アリシア様、記憶が無くなって大変だと思いますが……。
今まで通り、『ベティちゃん』って呼んでください!」
「……あ、そうだったんですね。
それじゃ、ベティちゃん。これからもよろしくお願いします」
「はい!
……でも、口調まで変わってしまって……とても心配になってしまいます……」
「え? 今まではどんな感じだったんですか?」
俺がそう聞くと、ベティちゃんはおずおずとしてから……両脚でしっかりと立ち、腕を組んでのけぞり始めた。
「『はぁ!? なんで私が夕食の準備をしなきゃいけないわけ!? 忙しいんですけど!!』
……みたいな、感じです」
「え? ……本当に?」
俺がエマさんの方をちらっと見ると、彼女は悩ましそうに小さく頷いた。
どうやら『アリシア』は、本当にそんな感じの女の子だったらしい。
少し話をして分かったのだが……ベティちゃんは俺には積極的に話し掛けてくるが、エマさんには全然話し掛けていかない。
逆に、エマさんはベティちゃんに話し掛けるけど……反応は薄い、って感じかな。
俺が炊事場を手伝っていなかったら、きっとベティちゃんは手伝っていなかっただろうなぁ……。
「これからはベアトリスがしっかりとお世話をしますので!
だから早く記憶を取り戻して、以前のアリシア様に戻ってくださいね!」
記憶を取り戻させたくないエマさんと、記憶を取り戻させたいベティちゃん。
こういうところでも、何だかギクシャクしてものを感じてしまう……。
「あはは、出来るだけ頑張りますね……。
……ところでエマさんの呼び方も、以前の方が良いですよね?
私、エマさんのことは何て呼んでいたんですか?」
「……聞きたい?」
例によって、エマさんは冷たい視線をこちらに寄越す。
「そ、そうですね……。
是非、教えてください!」
「…………。
……『おばさん』って」
「…………。
……すいませんでした……」
別に俺が悪いわけでは無いのだが、自然と謝罪をしてしまう……。
……アリシアさん。
目上の人に対して、何て呼び方をしていたんですかぁ……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕食の準備が終わったあとも、他のシスターは姿を現さなかった。
少数で共同生活をしているのに、まさかここまで揃わないとは――
……そもそもシスターなのに、夜になっても帰って来ないって言うのはどうなんだろう?
俺の心配をしてくれてか、エマさんもベティちゃんも、差し障りの無い話題しか振ってこなかった。
しかし食事が終わりそう……というところで、他のシスターについて聞こうとしたところで――
「ただいまっすー。
長様、今日の夕食は何っすかー?」
……緑色の髪の毛で、髪型はボブっぽい。
瞳の色は橙色で可愛くはあるが、美少女とはちょっと違う……眼鏡を掛けた、女の子。
恋人よりも友達にしたい、といった雰囲気の――
……そんなシスターが、マイペースな感じで食堂にやって来た。
「お帰りなさい、クロ。
今日も遅かったわね?」
「あはは、今日は水車の修理を頼まれてしまって……。
いやー、お腹ぺこぺこっす!」
『クロ』さんはエマさんと明るく言葉を交わすが、ベティちゃんや俺とは目も合わせようとしない。
……ここもやっぱり、仲が悪いのかな?
とはいえ、これからは一緒に暮らしていくことになるのだ。
俺としては仲良くやっていきたいから……昔はどうあれ、しっかり挨拶くらいはしておこう。
「お帰りなさい!」
……と俺が明るく言うと、『クロ』さんの動きが固まってしまった。
ギギギ……なんて音が聞こえてきそうなくらい、彼女は不自然な動きで俺を見てくる。
「ひ、ひぃ……っ!?
アリシア殿が、自分に挨拶を……っ!?」
「え? おかしいですか?
って、いつもはもしかして――」
「アリシア様が声を掛けるのは、クロエ様に命令をするときくらいですから」
ベティちゃんは目線を動かさず、ぼそっと言った。
ここのシスターたちって……何だか本当に、人間関係がこじれているな……。
「たたた、ただいまっす……。
あの、何か御用があるなら、明日にしてくれると助かるっすけどぉ……」
『クロ』さん……もとい、クロエさんはびくびくしながら俺に言ってくる。
俺はこの関係を、これからどうやって修復していけば良いんだ……。
「……クロ、ちょっと事情があってね。
少し、外でお話できるかしら」
「は、はいっす!」
戸惑うクロエさんを連れて、エマさんは食堂を出て行ってしまった。
はぁ……、と一息つくと、ベティちゃんが俺の手を握りしめてくる。
「……アリシア様、本当に記憶喪失なんですね……。
ベアトリスは絶対に、以前のアリシア様に戻って頂きたいです……!」
テーブルに身を乗り出して、俺の顔を見上げるように覗き込むベティちゃん。
本当に心配をしてくれているようで、心がどうにも痛んでしまう。
「……あはは。
でも……教会に帰って来るまでに、街の人からは随分と冷ややかな目で見られましたよ?
それでも、元に戻った方が良いんでしょうか……」
「もちろんです。他人は他人、自分は自分……ですから。
時間が必要になるかもしれませんが、ベアトリスを頼ってくださいね!」
「ありがとうございます。
……ところでこの教会のシスターって、あと1人いるんですよね。
まだ帰って来ないんですか?」
「ディアーナ様ですね。
あの方は、戻って来ても深夜にいつの間にか……という感じでして。
ベアトリスも、もう3か月以上は会っていないんです」
「そ、そんなにですか!?
……っていうか、教会の仕事ってどうしているんですか?
みなさん、外で何かしてるんです?」
「仕事は全部、エマ様がやっているので大丈夫ですよ?
アリシア様は、そんなことを気にしないで問題ありません」
酷いことを言っているのに、悪びれる様子がまるで無いベティちゃん。
これがエマさん以外の共通認識だったとするなら――
……そりゃ、食事の手伝いなんか誰もしてくれないよね……。
「ところで……エマさんたち、戻ってきませんね」
「そうですね……。
……さて、ベアトリスはそろそろ戻りますね。
アリシア様も、今夜はゆっくりとお休みください!」
「はい、ありがとうございます!」
ベティちゃんは俺に挨拶をすると、そのままパタパタと食堂を出て行ってしまった。
「――さて、やることも無いし……。
食器でも片付けるか」
一人暮らしが長かった身としては、食後の食器洗いは当然のことだ。
逆に洗わないでいると、気持ち悪くて落ち着かない。
とりあえずエマさんは、食事がまだ終わっていないようだから――
……俺とベティちゃんの分だけ、ささっとやってしまおう。
炊事場には蛇口が付けられているので、洗い場の使い勝手は元の世界とほとんど同じだ。
ちなみに火を点けるガス台のようなものもあるのだが、燃料は何を使っているかは今のところ不明……。
ガスが通っているのか、それとも未知の力を使っているのか――
……その辺りも今後、少しずつ学んでいくことにしよう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――おお、アリシア殿が食器を洗っているっす……」
水の音に紛れて、クロエさんの声が聞こえてきた。
振り返ってみると、彼女の横ではエマさんが何故か自慢げに頷いている。
「記憶喪失になってから、本当に良い子になっちゃったの……。
ああもう、夢みたい!」
「本当っすねぇ……。
ちなみに長様、アリシア殿は『忘却の森』でこうなったんすよね?」
「本人の話では、そうみたい。
なかなか信じられないことだけど……」
「『忘却の森』……って、私のいた森のことですか?
もしかして、私みたいに記憶喪失になった人が他にもいるとか――」
「その辺りは、自分から説明してあげるっす。
でも今日は疲れたので……、明日にしても良いっすか?」
「はい、大丈夫です!」
俺が明るく答えると、クロエさんは何故か複雑そうな顔をしてきた。
「……いやぁ。
アリシア殿に明るく笑い掛けられると、やっぱり複雑な気持ちっすね……」
――……とほほ。
この流れ、いつまで続くんだろう……。