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2.静かな礼拝堂

 教会の敷地に入った後、俺は建物を目指して歩いていった。


 ここから見える入り口は、真正面のものがひとつだけ。

 裏手にまわれば他にも扉はありそうだが、まずはあそこを目指してみよう。



 ……建物の扉は木製で、重々しい両開きの形になっていた。

 しっかり開けば、大人の2人は余裕で通れるだろう。


「鍵は……、掛かってないのかな?」


 そもそも鍵穴が見つからなかったので、ものは試しと扉の片方を引いてみる。

 元の身体であれば、これくらいの扉なら簡単に開けられたはずが――


 ……しかしこの身体では、かなりの重さを感じてしまう。

 これからこの身体で過ごすのであれば、しっかりと鍛えていかないとなぁ……。



 扉を少しだけ開けて、その隙間に身をねじ込んで……俺はどうにか、建物の中に入ることが出来た。

 誰もいないことを確認してから、再び力を入れて扉を閉める。


「ここは……礼拝堂、か?」


 ガランとした空間には静寂が広がっており、不思議な圧迫感を感じてしまう。

 俺は宗教や信仰にはまるで詳しくないが、この場所はいかにも……神聖な場所、といった感じだ。



 ……天井の高さは6メートルほど。

 一番奥の壁にはステンドグラスが備え付き、外からの光を美しく取り込んでいる。


 光の射す先には老人の像が掲げられ、その下には重い色の立派な卓が置かれている。

 卓の左右には立派な燭台が立ち並び、ある種の結界を張っているようにも見えてしまう。



 そして向かい合う形で、信徒が座るであろう椅子がずらりと並べられている。

、5人用の椅子が横に2つ並び、それが縦に20列ほども続く。


 ……単純計算をすれば、200人が座れることになる。

 椅子の周りにはスペースがあるから、最終的にはそれ以上の人数を収容できるだろう。



「凄いなぁ……」


 椅子の背もたれを軽く触れながら、ステンドグラスや天井を眺めながら、ゆっくりと奥に進んでいく。

 奥まで辿り着いて、そのまま左手に歩いていくと……さらに奥に続くドアを発見することが出来た。


 教会には『礼拝堂』の他に、当然ながら別の部屋もあるはずだ。

 例えばシスターは教会の従事者なのだから、どこかの彼女たちが暮らす部屋があってもおかしくは無い。

 ……つまり、この先に『アリシア』が暮らす部屋があってもおかしくは無いのだ。



 俺は緊張しながら、目の前のドアをゆっくりと開けた。

 ドアの先には真っすぐな廊下が続き、その左右にはドアが5つずつ見える。


 当然ながら、どのドアが何の部屋に続くのかは分からないが――


 ……全部開けてみるか?

 いや、でも誰かがいたら気まずいから――



 そう思った俺は、とりあえず誰かいないか……呼び掛けることにしてみた。


「すいませーん」



 まずは小さ目に。

 しばらく反応を待ってみるが、人の気配は感じられない。



「誰もいないのかな……?

 すいませーん!」



 今度は少し大きめに。

 すると、しばらくして――


 ……カタッ。



 左側の一番手前の部屋から、微かに物音が聞こえた。

 そのまま緊張しながら待っていると、ドアからは大人びた感じのシスターが顔を覗かせた。


「……何だ。誰かと思えばアリーじゃない。

 こんな時間に、一体どうしたの?」


 ……黒髪で、黒い瞳。

 日本人を思わせる色味に、俺はどこか安心感を覚えてしまう。

 左目の下の泣きぼくろも、とても魅力的だ。



「えぇっと……こんにちは?」


 誰かを呼んだは良いものの、そこからどう話を繋げるかまでは考えていなかった。

 そんな俺の様子を、目の前のシスターは怪訝そうに見てまわす。


「ああ、うん……お昼だね?

 ……それで、何の用?」


 会話のキャッチボールが成立せず、シスターの方からは何の情報も出て来ない。



 ――さて、どうしたものか。


 ここは何とかごまかして、『アリシア』の情報を得ることに専念してみるか……。

 もしくはいっそ、全てを正直に話してしまうか――


 ……いや、しかし『正直に』に『異世界から来ました』なんて言えるわけも無い。

 それならいっそ――


「……あの。

 私、記憶喪失になったみたいなんですけど……!」


 困ったときの、『記憶喪失』という設定……!!

 今までの人生では見たことも無いが、創作の中で幾度となく出くわしたこの設定なら――


「本当に、どうしちゃったの……?

 そんな冗談を言う暇があるなら、たまには礼拝堂の掃除でもしてくれないかしら……」


 そう言うと、シスターは気怠(けだる)そうにドアを閉め始めた。


「ままま、待ってくださいっ!!」


 俺はドアの隙間に足を挟み、閉まりきるのを何とか阻止する。

 しかしその代償で、足にはかなりの痛みが走っていく。


「ちょっと、大丈夫……!?」


 慌てるシスターを前に、俺の口からするっと出てきたのは――



「そ、掃除をするのでっ!

 掃除道具はどこですかっ!?」



 ……そんな、とても素直な台詞だった。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 とりあえず教えてもらった倉庫から、バケツと雑巾、ホウキを確保する。

 廊下にあった蛇口から、バケツに水を満たしていって――


 ……って、あれ?

 蛇口をひねれば、水がしっかり出てくるんだ?


 中世風な世界かと思っていたけど、それなりに技術は発展しているのかな……?


 そんなことを考えながら、まずはホウキで礼拝堂の床を掃いていく。

 掃くたびに埃が舞い、それが外から射し込む光にキラキラと照らされている――


 ……のだが、埃は埃である。

 一瞬綺麗に見えてしまったが、そんな空気は出来るだけ吸い込みたくはない。

 俺は息を殺しながら、手早く床を掃いていくことにした。


 一通りを掃き終えたあとは、雑巾での水拭きに移っていく。

 床も窓も、椅子も壁も、至るところが汚れているようだ。


 それならまずは、全体的に、ぱーっと拭いてしまうことにしよう。


 ただ、椅子だけでも5人掛けのものが40個もあるわけで……。

 それを水拭きするだけでも、かなり大変な作業ではあるのだが――


「……まぁ、掃除は慣れっこだしな」


 元の世界では、無駄に広い道場を、毎日ひとりで掃除していた。

 この礼拝堂よりは流石に狭い面積だが、いつもやっていたことの延長だ。


 まずは出来るところまで、全力でやってみることにしよう。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「……あら?

 アリー、何をしてるの?」


 外が薄暗くなってきた頃、先ほどのシスターが礼拝堂にやってきた。


 無我夢中で掃除をしたおかげで、ざっくりとした掃除は終わりつつあった。

 ……やり直したいところはたくさんあるが、現実的には限界……というものもあるからな。


「何をって……、掃除をしてました。

 あれ? 掃除をするように言ってましたよね……?」


「え……? えぇっと、確かに言った……けど。

 ほ、本当に掃除してたの!? 何で!?」


 俺の言葉に、シスターは何故か驚きながら答えてくる。


「何でって……。

 いや、掃除を頼まれたから……ですが?」


 シスターは俺の方に歩み寄り、ふるふると震えながら、驚きの表情で俺を見下ろした。

 彼女は俺よりも背が高いから、自然とこんな構図になってしまう。


「でも、だって……!?

 大丈夫? 熱とか無い? 体調、大丈夫!?」


「えぇっと、大丈夫……ですよ?

 でも、昼に言った通り……その、記憶喪失になったみたいで。

 ……だから正直、何も分からないんです」


「…………。

 え!? あれって本当だったの!? 嘘じゃなかったの!?」


「はぁ、本当なんですが……」


 俺の気の抜けた返事を聞くと、シスターは額を手で触れ、そのまま天を仰いだ。

 しばらくすると彼女は近くの椅子に座り、俺も座るように促してくる。



「――あなた、自分の名前は分かる?」


 俺の横に座ったシスターが、真っすぐな目をして聞いてくる。


「『アリシア』ですよね?

 門番の人がそう言っていました」


「……それじゃ、わたくしの名前は?」


 目の前のシスターの名前……。

 それはまだ、聞いたことも無いな……。


「すいません、分かりません」


「それじゃ、ベティのことは?

 クロのことは? ディナのことは?」


 立て続けに、3人の名前が挙げられる。

 流れからすると、この教会の他のシスターのようだが――

 ……当然ながら、誰一人として分からない。


「えぇっと、すいません。

 全員分かりません……」


「そ、そう……。

 それなら、記憶を失った場所……って、分かる?」


「具体的には分からないんですが……。

 気が付いたら、森の……湖のところ? に、いました」


 俺がそう答えると、シスターは背もたれに身体を預けて目を閉じた。

 彼女はそのまましばらく考えたあと、目を開けて、俺の目を真っすぐ見ながら話し始めた。



「……わたくしは、この教会のシスター長のエマ。

 とりあえず一旦、アリーの話……記憶喪失の話を信じるわ」


 そう言いながら、エマさんは俺の両手を握りしめた。


 今まで見知らぬ世界で、誰も彼もがそっけない態度だっただけに――

 ……俺の中で、何か熱いものが込み上げてきてしまった。


「あ、ありがとうございますっ!!」


 俺も手を握り返して、エマさんの顔を笑顔で見つめ返す。

 そんな俺を見たエマさんは、顔をくしゃっと歪ませて……突然、泣き出してしまった。


「……ふぇっ。

 アリーが、すごく良い子になってるぅ~……っ!!?」


「えっ!? だ、大丈夫ですか!?」


「だ、大丈夫だけど……。うぅ、生きてて良かったぁ~っ!!」



 そのあとは何故か、俺がエマさんを慰める流れになってしまった……。


 ……アリシアさん。

 あなたは一体、どういう人だったんですか……?


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