18.目撃情報
すぐにディアーナさんの後を追い掛けたものの、再び言葉を交わすことは出来なかった。
彼女の後ろ姿は、裏口を出るところまでは見えたのだが――
……俺が外に出たときには、その姿は既に無く。
俺はそのまま、何とも言えない気持ちで朝の稽古に戻ることになってしまった。
「――……はぁ」
「アリー、おはよう。
どうしたの? 朝からため息なんて衝いちゃって」
「お姉さま、おはようございます!」
エマさんの言葉のあと、ベティちゃんが俺のところにやって来た。
そして気を遣ってくれたのか、炊事場に置いてあった椅子を引いて、座るように促してくれる。
「二人とも、おはようございます。
……えっと、3時過ぎにディアーナさんと初めて会いまして……」
『初めて』とは言っても、そもそも『アリシア』は普通に会ったことがあるだろう。
今回は『記憶喪失になってから初めて』、というのが前提だ。
「あら、珍しい……。
どこで会ったの? 礼拝堂?」
「はい。小さな灯りだけ点けて、卓のところで神様の像を見上げていました」
……ステンドグラスの前に掲げられた、ひとりの老人の像。
この像こそが、この教会が祀っている神様の像なのだ。
「ベアトリスも最近はお会いしていないんですが……。
ディアーナ様、元気にされていましたか?」
「うーん、元気だった……かなぁ。
最初、誰だか分からなかったから名前を聞いたんだけど……そうしたら、怒られちゃって」
「ああ、それはそうよね……」
俺の言葉に、エマさんは苦笑いをした。
ディアーナさんは俺の記憶喪失のことなんて知らないから――
……絶対に、ふざけていると思われたんだろうなぁ……。
「ところで、ディアーナさんっていつもはどこにいるんですか?
教会には夜も戻っていないんですよね」
……今まで、何となく聞きづらかった質問。
そもそもで言えば、ディアーナさんの夕食も毎日作っているんだよな。
結局それは、エマさんの毎日の昼食になっていたりするんだけど……。
「それがね、よく分からないの。
わたくしも知り合いに聞いてまわっているんだけど、街中で見掛けた……くらいの情報しか無くて」
「本人に聞いたことは無いんですか?」
「そりゃ、何回もあるけど……。
全然教えてくれないし、あんまり強く言いすぎると……そのまますぐに消えてしまうのよ」
……ああ、そうか。
他のシスターは改善してきたけど、ディアーナさんもしっかりと問題児なんだっけ。
「なるほど……。
ディアーナさんが教会にいてくれるようになれば、人手も増えて助かるんですけど――」
「おはようっすー!」
俺が腕組みをして考えていると、クロエさんが元気にやって来た。
……時間は6時の10分前。
食事の準備をほとんど手伝わなくて済む、絶妙に狙いすました時間だ。
「おはようございます。
そう言えばクロエさんも、街のあちこちに行っているんですよね?」
「へ?
さ、最近は割と教会で過ごしているっすよ!?」
クロエさんは何を勘違いしたのか、壁に引っ付いて震え始めた。
いやいや、今は非難をしたいわけではなくて――
「……いえ、それは知ってるので良いとして……。
ディアーナさんのことを街で見掛けたり、何か聞いたりしたことは無いかなぁ……って思ったんです」
「ディアーナ殿……っすか?
急にまた、どうしたんす?」
「昨日の深夜、礼拝堂に来ていたみたいでね。
アリーと出くわしたそうなのよ」
「ああ、なるほどっす……。
でも、自分も最近は見てないっすからねぇ……。
……うぅーん、ディアーナ殿の情報……、ディアーナ殿の情報……」
「何でも良いので、何かあればお願いします!」
俺がクロエさんに聞いている間、エマさんとベティちゃんは聞き耳を立てながら朝食の準備を続けていた。
朝食は次々に食堂へ運び込まれて行き、そのまま自然と全員が席に着く。
「……あ、そうっすそうっす。
そういえば――」
「はい、それでは朝食にしましょう。
頂きます!」
「頂きます!」
「頂きまぁす!」
エマさんの挨拶の後、俺とベティちゃんも元気に続ける。
クロエさんはそんな俺たちをきょろきょろと見まわしてから、小さく挨拶を続けた。
「い、頂きますっす……。
……え、えっと。話を続けても……大丈夫っすか?」
「はい、お願いします!」
「それでは改めて……。
この前、街で水車の修理を頼まれたときのことなんすけど……。
そこの建物から出てきたおじさんが、ディアーナ殿の名前を出してきたっす」
「えぇっ!?」
そのままズバリの情報が、何とクロエさんから出て来た……!?
「水車……? どの辺りの水車かしら」
エマさんがクロエさんに質問を投げ掛ける。
「街の南の方の……。
くるみパンで有名なパン屋があるじゃないっすか。あそこの横の、製粉所っす」
「ベアトリス、あそこのパンは結構好きなんですよ。
お姉さま、今度一緒に行きましょうね♪」
自然な流れで、ベティちゃんからお誘いが飛んでくる。
……この辺り、女子力が高いというか何というか。
「あ、うん。そのうちね……。
それで、その人は何て言っていたんですか?」
「自分の方を見て、『うお!? ……ああ、ディアーナかと思ったぜ、紛らわしい……』って、言ってたっす!」
……なるほど?
独り言を聞いたとかではなく、クロエさんが姿を見られて、その上で言われてしまったようだ。
「確かに、そこでディナの名前が出るのは不自然ね……」
……ディナ?
ああ、ディアーナさんのことか……。
エマさんって、みんなのことを愛称で呼ぶからな。
クロ、アリー、ベティ……みたいな感じで。
「そうすると、ディアーナさんはそのパン屋と関係が……?」
「どうっすかね……?
あんまり好意的な言い方では無かったっすけど……」
クロエさんの言葉に、エマさんは少し考え込んでしまった。
パン屋とシスター……。
これだけでは、繋がりがどうにも見えてこないが――
「……うーん。
実はあそこのパン屋って、ちょっとした組織の拠点なのよね」
「え? ……パン屋が?」
エマさんから、思い掛けない話が飛んでくる。
「わたくしも詳しくは無いんだけど、裏では『情報屋』って呼ばれているの。
お金を払って情報を買う……もしくは、情報を売ってお金を貰う……って感じで」
「はぁ……。
そうすると、ディアーナさんは情報屋さんと何か関係が?」
「何かあるのかもしれないわね。
でも、そこの人が……ディナには好意的では無かったんでしょう?」
「好意的では無い、っていうと……。
ディアーナさんが何かやっちゃったのか、他には――
……情報屋さんには敵がいて、そこと関係があったり……とか?」
今まで平和そうに見えていた街なのに、そう言った瞬間……嫌なイメージが湧いてきてしまう。
しかしそんな集団がこの街に2つもあったら……実際、少し怖いかもしれない。
「敵、ねぇ……。
確かに、違法すれすれのことをやってる組織もあるけど……。
ディナがそこに行く理由なんて、特に見当たらないのよね」
「うーん、そうですか……。
でも、ディアーナさんを説得するのは問題ないですよね?
私としては、みんなでこの教会を支えていきたいので」
俺の言葉に、エマさんの表情はぶわっと明るくなった。
「……本当に?
それじゃ、申し訳ないけど……アリーにお願いしちゃおうかしら。
もちろん、上手くいかなくても全然気にしないで大丈夫だから!」
そうは言いつつも、エマさんの表情は全力で期待している。
実際のところ、俺は今までクロエさんとベティちゃんを良い道に戻してきたわけだからな。
その辺りの実績が、エマさんに大きな期待を抱かせているのだろう。
「分かりました!
それでは早速……今日とか、出掛けても良いですか?」
「あ、お姉さま! ベアトリスも着いていきます!」
俺の言葉に、ベティちゃんは早速乗っかってくれた。
このままだと……何となく、くるみパンを食べに行く流れになってしまいそうだけど。
「ええ、教会のことは心配しないで良いからね。
もし信徒さんが来たら――
……今日はクロに応対してもらうから!」
「えっ!? じ、自分っすか!?」
突然の指名に、クロエさんは驚いてしまった。
「……だってあなた、まだ一度も応対したことが無いじゃない。
少しはアリーとベティを見習いなさい!」
「ひっ、ひぃっ!?」
エマさんの一喝。
涙目になるクロエさんが、何やら俺の方を見ているが――
しかし何だかんだで、クロエさんは教会の仕事を全然やっていないからなぁ……。
……だから、たまにはお願いします。
今日はどうか、一人で頑張ってくださいっ!!