ある錬金術師の憂鬱
お久しぶりです。
「ねぇ、こんなところで燻ってないで、王国に行ってみない?」
スープに浸したパンを口に放り込んだ僕に、彼女が提案してくる。
ここのところ、毎日のように繰り返される話だ。
「王国かぁ……別に今の待遇に不満が有る訳じゃないからね。それに、辺境伯様には恩もあるし……」
それに対する僕の返答もいつも通り。
§
半年ほど前だろうか、ここで働かせてくれと彼女が突然訪ねて来たのは。
聞けば、僕の開発した新薬で家族が一命を取り留めたらしく、絶対に僕の弟子になると故郷から遥々訪ねて来たそうだ。
日の光に輝く金髪に涼し気な碧い目。服の隙間から覗くのは、透き通るような白い肌。
長旅で草臥れた服に身を包んでいても、彼女の美しさは欠片も損なわれてはいなかった。
そんな彼女に真剣な目で弟子入り志願をされてしまえば、錬金術師として日がな一日研究室に籠り、禄に人付き合いもしてこなかった僕が絆されてしまうのもまた、無理からぬ事だったろう。
行く当ての無いという彼女に、自宅の一室を与えて内弟子としたその日から、僕の生活は一変した。
彼女は良く笑い、良く働き、そして、良く学んだ。真綿が水を吸うように知識を吸収していく彼女を見るのは楽しかった。
一つ屋根の下に男女が二人。隠す事の無い好意を向けられれば、僕達がそういった仲になるのにさして時間はかからなかった。
朝起きればスープの匂いが漂い、共に研究について語り合い、同じベッドで眠る。
幸せだと胸を張って言える生活を営み、彼女の言葉から敬語が消え始めた頃、師弟では無く、対等な一組の男女として、彼女との将来を考えるようになる。
『王国に行ってみない?』
そう彼女が口にし始めたはその頃。
曰く、王国では錬金術師の地位が非常に高いらしい。
優秀な錬金術師には、貴族並みの待遇が与えられ、今の隠者のような生活とは比べ物にならない程豊かで煌びやかな生活が出来るのだと言う。
正直な話、今の生活に不満は無い。
彼女の言う豊かで煌びやかな生活なんてものは望むべくもないけれど、彼女と二人、たまに贅沢をしながら暮らしていくだけの稼ぎは僕一人でも賄える。
それに、僕の気質的に『豊かで煌びやかな生活』というものに馴染めそうにもない。
何より辺境伯様には恩義もある。
けれど、はっきりと断って彼女に嫌われるのも怖くて、なんだかんだとはぐらかすのが常となっていた。
§
そう言えば、最近彼女はあの言葉を口にする事が少なくなったな……。
事の始まりはそんな、僕にしてみれば些細な変化だった。
その時は彼女の変化に気付く事も無く、ただ、はぐらかし続けた事を申し訳なく思いながらも、彼女が王都に行くことを諦めてくれた。この土地の、今の生活の良さに気付いてくれたのかと、そんな事を呑気に考えていた。
やがて、彼女の行動に違和感を覚えるようになる。
それまでは日がな一日僕と一緒に研究室に籠っていたのが、些細な理由をつけては外出するようになっていた。
在庫が十分に有るにもかかわらず、街の冒険者ギルドへ、薬の原料となる薬草の調達依頼を出すと言っては出掛ける。
先に消費した方が良い食材が有るにもかかわらず、街の市場へ食材を買いに行くと言っては出掛ける。
先週行ったにもかかわらず、街の薬屋と納品の打ち合わせが有ると言っては出掛ける。
そのくせ、僕が辺境伯様のところへ報告に行く時には、今度は些細な理由をつけて同行を断る。
そして、やたらと帰ってくる時間を気にするのだ。
一度だけ、彼女に伝えていた時間よりも早く帰った事が有る。
辺境伯様との話が思いの外上手くいき、予定より随分と早く屋敷を辞する事が出来たのだ。
折角だからと、街で評判の甘味を買い求めて彼女へのお土産とし、意気揚々と自宅に戻ったところ、留守番をしていると言っていた彼女は何処かへ出掛けていた。
朝に伝えていた時間の少し前に帰って来た彼女は、僕の姿を見て大層慌てて見せる。
聞けば、この街で出来た友人に、急に食事に誘われたらしい。
僕と出掛けるのは拒む理由は有るのに、友人とやらはその理由よりも大事らしい。
違和感は疑念へと変わる。
意識して彼女を観察するようになる。
流行りの服、薄く施された化粧、仄かに香る香水。
一人で出かける時、僕と出掛ける時は気にしていなかった身嗜みに気を遣うようになっていた。
一緒のベッドに寝ている時でも、僅かに僕と距離を取る。
いざ誘ってみても、疲れている、気分ではないと言ってはぐらかされる事が多くなっていた。
やたらと日付を気にする。一日に何度も暦を見返しては溜息を吐く。
そんな日の翌日は、決まって一人で街へと出掛けて行った。僕と一緒のときには見せた事も無い着飾った姿で。
ついこの間まで、手を伸ばさずともそこにいた彼女が、とても遠くに居るような孤独感。
同じ方向を見ていた彼女が、いつの間にか僕とは違う、僕ではない誰かを見ているような絶望感。
言わずとも通じていた言葉が、まるで聞こえなくなっているかのような焦燥感。
何度も問い詰めようと思ったが、それが決定的になってしまう事が怖くて、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
そんな夜を幾つも過ごし、僕は、漸く一つの決断を下す。
§
「あら、見つかっちゃったのね」
僕の知らない男と連れ込み宿へ入ろうとしていた彼女は、呼び止めた僕の姿を見て、悪びれる事無くそう言い放った。
隣に立つ男は、気まずそうに眼鏡を上げながら顔を背ける。
「彼はね、王国から来た錬金術師なんですって。貴方より稼ぎも多くて、素敵な生活をさせてくれるって言ってくれたの。見た目だって貴方より上でしょう?」
そう言って彼女に腕を抱かれた男を改めて見れば、スラリと僕よりも高い身長で、運動不足気味の僕よりも精悍な体つきをしていて。
色付き眼鏡のせいで顔は良く確認できないが、それでも女性受けしそうな顔をしているであろう事は想像出来た。
僕の知っている彼女の姿で、僕の知っている彼女の声で、僕の知らない彼女が語る。
僕が見た事の無い、蕩ける様な表情を男に向け、僕の聞いた事の無い甘い声で男に囁く。
「そんな訳だから、私は彼と一緒に行くわね。貴方も悪いのよ? 私がずっと誘っていたのに、いつまでもうだつの上がらないままなんだもの」
彼女の姿をした誰かは、僕に向かって最後の時を告げる。
「私は、『真実の愛』を見つけたの」
そう言い残し、彼女は項垂れる僕に背を向ける。
男の腕を抱いたままで。
「ま、まぁ、そういう事だから。悪いな」
取り繕う様な男の声が聞こえた気がしたけれど、顔を上げる事も出来ず、僕は彼女たちの気配が遠ざかるのを感じていた。
§
彼女が出て行ってからどれくらい経っただろう。
一週間か、一ヶ月か、もっと短いかもしれないし、もっと長い時間が過ぎたのかも知れない。
ともあれ僕は、日々を無気力に過ごしていた。
何もする気が起きず、彼女と過ごしたベッドの上で蹲っているだけの日々。
それでも、人生に絶望はしていても、自ら命を絶つような気力も無く。
そうであるなら生きていくためには食事をせねばならない。
悲しくとも腹は減る。
人の体とは、さても不便なものなのだと変な方向に達観し始めた頃、家の扉を叩く音がする。
あるいは彼女が戻ってきたのかと重い気持ちで扉を開けてみれば、誰かが胸に飛び込んできた感触と、
「兄様!」
と言う、聞き覚えのある声と、視界に広がる見覚えのある美しい銀髪。
視線を下げれば、満面の笑みで僕を見上げる、義妹の顔が、そこには有った。
「やっと会いに来ることが出来ました! ずっと、ずっと会いたかった!」
そう言って僕の胸に顔を埋める義妹を、宥め賺して家の中へと招き入れる。
ついぞ掃除などしていなかった部屋を、慌てて荷物を隅に寄せて体裁を取り繕い、テーブルの向かいの席を勧めると、何故か義妹は僕の隣の席に腰掛けた。
彼女が僕の妹になったのは、彼女がまだ幼い頃、彼女の両親が、流行り病にかかり亡くなった事に端を発する。
彼女の父と僕の父は、所謂親友という仲だったらしく、両親を失って行くあてもなく、質の悪い親戚に押し付けられていた彼女を連れ出した。
同時に、その親戚を文字通り引っ立てて司祭様のところまで連れて行き、彼女を家の子とする事を認めさせたのだという。
父と共に、目に涙を溜めて家に入ってきた女の子。
優しく抱きしめたら、堰を切ったようにわんわんと大声を上げて、僕にしがみついて泣いていた女の子。
僕が家を出た時は、まだまだ幼いと思っていた女の子が、素敵な女性となって、今、僕の顔を覗き込んでいた。
「やっとお医者様から、遠出のお許しが出たんです。兄様ったら、ちっとも家に帰って来てくれないから!」
少し拗ねたような口調で話す彼女に、僕は頭を掻いて詫びるしかない。
数年前、彼女は流行り病にかかり床に伏した。
それは、当時まだ不治の病と言われていた、彼女から両親を奪った、あの病であった。
如何に錬金術師に適した『能力』を与えられているとは言え、駆け出し錬金術師の浅い知識ではどうしようもない事も、僕のような若造が思い付く事など、既に先人が試している事も承知で、それでも何か手掛かりだけでもと、研究に没頭する日々。
既に不治の病として定着し、研究される事すら少なくなっていたその病の治療法を模索する僕を、辺境伯様が応援して下さった。
先人の遺した資料を開示し、研究に必要な素材を惜し気もなく提供されて、その研究は実を結ぶ。
病に臥せっていた間に失われた体力が、元に戻るまでには時間がかかるだろうと思われたが、それでも義妹の容体は安定し、快方に向かっていた。
これが、僕が辺境伯様から受けた恩義。
その後、僕はその功績を認められて辺境伯様お抱えの錬金術師の一員となり、辺境伯様の御膝元であるこの街に研究所を構える事を許される。
義妹は泣いていたけれど、大きくなったら会いに来ると約束を交わし、僕は家を出た。
そうして日々の研究に忙殺され、家に戻ることも無く今に至る。
「ね、兄様。これからは、私も一緒に住んでも良いでしょう? お父様とお母様にはお許しを頂いているの!」
この家に溢れる『彼女』の残滓、それを感じながらも彼女は笑顔で僕に言う。
他者から向けられる好意に憶病になっていた僕だったけれど、彼女は『家族』なのだから。と頷き返す。
§
独りぼっちで、明かりを灯す事も忘れていたこの家に、義妹の笑顔という明かりが灯る。
引き籠りがちな錬金術師の知り得る情報などはたかが知れているけれど、あの後『彼女』の行方は杳として知れない。
あの男と幸せになっているのかも知れないし、そうではないのかも知れない。
そもそも、最近では彼女の事を思い出す事も無くなっていた。
義妹の手により『彼女』の残滓が取り払われる度に。
義妹との思い出で、『彼女』との思い出が上書きされていく度に。
僕の心に空いた穴が、一つ、また一つと、塞がっていく。
そんな気がしていた。
全然関係ない話なんですが、筋トレした後にプロテイン飲み忘れた事に
後で気付くと、凄い損した気分になりません?
私はなります。