悪魔vs『夕星』マスター ―証明戦―
雲の向こうに月が隠れ、闇に覆われた町。
銀色のアタッシュケースを大事そうに抱え、細い路地を逃げるように早歩きでいく闇組織の重役の男。
彼の道を塞ぐように、一人の青年が現れた。
「こぉんばんはぁ、『ヤドカリ』さん?」
ヤドカリと呼ばれたその男は驚いて飛び退き、銃を構えた。
「……誰だ……!」
銃が、細かく震えている。
「ん?殺し屋、だぁよ?」
雲が流れ、月の光が青年を照らす。
「『東の悪魔』、と言えば、分かりますよねぇ?」
凶器の日本刀を肩に担ぎ、狂気の色を瞳に宿す青年。
暗殺の四家最強、斬殺の東家の狂人。対象を残虐非道なまでに切り刻み、鮮紅の海の中一人、狂喜の笑い声を上げる、狂気の権化――――東の悪魔。裏社会の人間ならば、誰しもが耳にしたことのある、「消えたはずの」殺し屋の名だった。
「う……嘘つけ……東の悪魔は……『殺し屋殺し』に殺されたはずだ……!」
鞘からゆっくりと引き出された刀身が、ギラリ、と光る。
「ひぃ……!く、来るな……!」
ヤドカリが銃の引き金を引く。それとほぼ同時、悪魔の手も動いた。
刀に反射する光が2本の筋を描く。1本は悪魔に向けて飛んできた弾丸を切断するため。そして、もう1本は――――――
「ぎぃゃぁあああ!」
相手の右手を切り落とすため。
ヤドカリの右手の手首から先は消えていた。断面からは鮮血が飛び散り、下に落ちた銃とそれを握ったままの手を真っ赤に染めていく。
「これで分かったでしょぉ?残念だけど、悪魔はまだこぉして生きてますよぉ。」
ポケットから小型ナイフを取り出し、首筋に当てる。
「わ、悪かった……!か、金ならいくらでもやる……!だから、命だけは……!」
「別にオレはさぁ、金のためだけに殺し屋やってんじゃなぁいよぉ?」
ヤドカリに顔を思いっきり近づけ、悪魔は囁いた。
「オレ、アンタのこと、大っ嫌いなの。」
首からナイフを離したかと思えば、すぐさま肩に突き刺す。
「5歳の女の子を攫ってさぁ、おもちゃみたいに遊んで、残虐に殺したそぉじゃん?」
ぐりぐりとナイフを回され、苦悶の表情を浮かべるヤドカリ。
「アンタは身勝手な欲望を満たすためだけに、無垢な女の子の命と未来を奪った。」
一度、ナイフが引き抜かれ、
「自分勝手で、他人を人とも思わないアンタみたいな大人、大っ嫌いなんだぁ。」
ヤドカリの心臓に突き立てる。
「どぉ?殺される気分は?おもちゃにされる気分はぁ?」
ヤドカリは何も言えなかった。口から血の泡を吹き、目を見開いてその場に崩れる。
その無様な姿を見下ろす悪魔の顔に、恐ろしい狂気の笑みが浮かぶ。喉の奥から零れる、笑い声。
「大っ嫌いな大人を斬る、この瞬間がたまらなく楽しいんだぁよ?」
ヤドカリから数歩離れた悪魔は日本刀を高く掲げる。
「ばぁいばい。」
ヤドカリの首が飛んだ。
刀は何本もの光の線を描く。狂ったように笑い声を上げ、悪魔は身体を斬り刻む。血が飛散し、壁を、悪魔の服を、顔を濡らす。
ヤドカリの首が地面に落ちる頃。
路地一帯は赤黒い血の海と化し、ヤドカリだった肉塊があちらこちらに散らばっているだけだった。
現場から少し離れた、小さな小屋。
シャワーで血を流し終えた悪魔は、タオルで髪を拭きながら外に出た。
ミャーア。
足元を見ると、1匹の黒ネコがちょこんと座っていた。
「ん?また来たの?ねこちゃん。」
撫でると嬉しそうに喉を鳴らす。
「ちょっと待っててね。」
小屋に戻り、半分にちぎったミルクロールを持ってくる。
「キミはこれが好きだったかな?」
ネコの前にパンを置くと、ニャアと一声鳴いてから食べ始めた。
「……おい、もう行くぞ。」
暗闇から一人の背の高い男――ガンが現れる。
「はいはぁい。ねこちゃん、またねぇ。」
ネコはしっぽを振って闇に帰る悪魔を送り出した。
道脇に一台の黒いワゴンが停まっている
ガンは助手席に、悪魔は後部座席に乗り込む。
運転席にはもう1人、スキンヘッドで方に紫色のどくろマークのタトゥーを入れた男、ポイズン。
「遅かったな。」
「ごめんよ、ポイズン。」
エンジンがかかり、静かに動き出す。
「どうせまた、猫に餌付けしていたんだろ?」
ガンが大きくうなずき、悪魔はいたずらっ子のように舌を出す。
「猫が好きなのか?」
「動物全般、好きだよ。」
「意外だな。シリアルキラーは小動物から殺すのにな。」
「オレ、殺人鬼じゃないよ。」
「似たようなもんだろ。」
ポイズンが飲み物をくれ、というように手を出した。悪魔は足元の小型冷蔵庫を開けて、中を見る。
「ねぇ、お酒しかないんだけど。」
「なんでもいいぜ。」
「ダメ。」
「なんでだよ。」
「飲酒運転はダメ。事故起こされても困るし、警察に捕まるなんて、まっぴらごめんだよ。」
「殺し屋が何言ってんだ。」
「それとこれは別なの。とにかくだぁめ。そんなに飲みたいなら、ノンアルでも積んどけば?あ、オレはサイダーね。」
「分かったよ……。」
冷蔵庫から缶ビールを1本取り出し、ガンに渡す。
「お前は飲まないのか?」
「ん?オレ、まだ未成年だもん。」
「何歳なんだ?」
「言ってなかったっけ?今年19。って言っても、早生まれだから当分先だけどね。」
「分からん奴だ。飲んでる奴はもう飲んでるぜ。」
ガンがプルトップを開け、一口飲む。そして、口を開いた。
「……分からん奴と言えばもう一つ。お前、また死体を斬り刻んだろ。新人の死体処理屋が泡を吹いて気絶したそうだ。片づけが面倒だから控えろと、何度言えば分かる。」
「ごめんよ。ボディ(死体処理屋のリーダー)達に謝っておいて。一応気を付けてはいるんだけど。今回のターゲット、大っ嫌いだったからついやっちゃった。」
「そう変わったターゲットじゃなかっただろ?確か、ちょっと頭のねじが飛んだ、組織幹部だろ?」
「アイツ、自分の快楽のためだけに子供を殺してた。オレ、他人を利用する人、特に子供を使う人――――大っ嫌いだから。」
殺気の籠った悪魔の声に、2人は口を閉ざす。
静まり返った車内。いつの間にか悪魔は眠りに落ちていた。
***
細い路地にひっそりと佇む一軒のバー。
客はほとんどいない。それほど有名な店でもない上に、梅雨の時期なため、今日も一日中雨が降っている。
「マスター、ハイボール。」
スキンヘッドの男がカウンターの髪の長い、糸目の男性に注文をする。
「はい、少々お待ちください。」
マスターは冷蔵庫を開けて在庫を確認する。
「ごめんなさい、ポイズン。ソーダがあと1本しかないので、別のものにしていただいてもいいですか?」
「別に構わないが……予約でもあるのか?」
「えぇ。今日は悪魔が来そうな気がして。彼、ソーダが無いとすねますからね。」
慣れた手つきでオレンジピールを飾り、氷、ウィスキー、オレンジジュース、ジンジャーエールを注ぎ、仕上げに軽くかき混ぜる。
「どうぞ。クロンダイク・クーラーです。今日は湿気が多いですからね、さっぱりしたものが良いかと。」
「いつもありがとな。」
ポイズンはカクテルを口に含む。
「そういや、悪魔が初めてやってきた時も、こんな雨だったな。」
「えぇ。そうですね……。」
***
雨がしきりに降る夜。
閉店時間となり、一般客は一人もいない。マスターの仲間数人だけが、酒を飲みながら次の仕事のことを話していた。
床をモップで磨いていたマスターはふと、外の看板をまだ回収していないことを思い出した。
そして、視線をドアに向けた時、ドアベルが鳴った。
「あっ、すみません、お客様。既に閉店時間が過ぎておりまして――」
入ってきたのは、雨に濡れた美青年だった。だが、マスター達はすぐに彼が只者ではないことに気が付いた。
彼の目――狂気を孕んだその目が、彼が異常であることを強く語っていた。
「ここが――」
値踏みをするかのように、ゆっくりとバーの中を見回す。
「ここが、暗殺者集団『夕星』の構成員が集まるバーですか。」
『夕星』――成立時期不明、構成員数・規模不明の日本を中心に活動する裏組織。一般人から政財界の要人の暗殺、マフィアや暴力団の殲滅など、幅広い暗殺を担う実体のつかめない暗殺者集団。ここにいるマスターやその仲間は全員、構成員だ。
「なかなかいい雰囲気ですね、ここ。」
殺し屋達の警戒心が強くなる。
「あなたは……何者でしょうか?」
青年は手を前に持ってくる。
殺し屋達は、青年が手している凶器に視線が吸い寄せられる。
「日本刀を見るのは、初めてかなぁ?」
柄に手をかけ、ゆっくりと引き抜く。研ぎ澄まされた刀身がライトを受けてギラリと光る。
「東の悪魔と申します。貴方がた『夕星』に加えていただきたく、参上した次第です。」
悪魔と名乗った青年は、丁寧にお辞儀をする。
「東の悪魔……だと……?!」
彼の名を聞いた殺し屋達に戦慄が走る。
「『殺し屋殺し』に殺されたと聞いていたが……」
「……生きていた……とは。」
「生憎ね、死に損ねたんだ。」
刀を納め、殺し屋から少し離れたカウンターに腰を掛ける。
「これを。」
マスターは悪魔にタオルを差し出す。
「ありがとうございます。」
髪を拭きながらマスターに言う。
「何か飲み物はない?サイダーとかあるとありがたいんだけど。」
「……申し訳ありません。今日はもう品切れでして……カクテルか何か、お作りしましょうか?」
「いや、いい。ここは酒屋だったな。期待したオレがバカだった。」
少し声が不機嫌になる。
「前にいたとこ――『宵の薔薇』の命令でね、『殺し屋殺し』を殺しに行ったんだ。で、いろいろあったんだけど、南家の子供と殺し合って、『殺し屋殺し』に刺された挙句、『宵の薔薇』の爆弾魔に処刑されそうになったんだ。おかげでこのざまだ。」
包帯の巻かれた肩口を見せる。
「撲殺の南家に、『殺し屋殺し』に、爆弾魔……よく、五体満足でいられたな……。」
「まぁね。でも、さすがにキツイものがあるよ。まだ身体は満足に動かないし、かといって仕事しないとお金がないし。でも、東の悪魔が死んだことになってるみたいで、偽物に思われて全然仕事が入らなくって困ってたの。で、近くに『夕星』の拠点があるって聞いたから、早速足を運んでみたら、ビンゴだったってわけ。」
「仕事するって……大丈夫なのか?『殺し屋殺し』にやられると、人を殺せなくなるって聞いているが。」
悪魔の目つきが鋭くなる。
「オレを誰だと思ってる。オレは悪魔、バケモノだ。人間の子供にやられた程度で、人を殺せなくなるとでも思うか?」
悪魔の威圧に、誰もが口を閉ざした。マスターのグラスを磨く音だけが響く。
挑発的な目が、マスターに向けられる。
「マスター、アンタがこの中で最も強い。恐らく、リーダーだろう。」
マスターは初めから変わらない営業スマイルを浮かべるだけ。
「一回、直接殺し合ってみたいねぇ。」
「……承りました。」
マスターは静かにグラスを置き、カウンターから出てきた。
悪魔は立ち上がり、鞘を握る。自然と笑みが零れる、まるで、おもちゃを見つけた子供の様。
ゆっくりと柄に手をかけ、背筋が凍るほど、冷たく強烈な殺気を放つ。
時計が午前1時を知らせる鐘を鳴らした。
それが合図。
2人は同時に動いた。
流れるような素早い抜刀。
刀身はまっすぐとマスターの首を襲う。
ガキィィィン!
甲高い音が響いた。
「へぇ……これが噂に聞く『インビジブルナイフ』かぁ……。」
刀はマスターが軽く上げた拳数センチ上で受け止められていた。
「よくご存じで。」
刀を乱雑に振るう。様々な角度で刃がぶつかり合い、音が響く。
悪魔は数歩後ろに下がる。
「刃渡り11cm、両刃直刀、形状的に投擲・刺突用だと推測される。」
仲間の殺し屋から声が漏れる。
「……見える……のか……?」
「目では見えないよぉ。でも、打ち合えばある程度は分かる。」
マスターが手を叩く。
「お見事。私の負けです。」
マスターはカウンターから取り出した大きめのグラスに水を入れ、何かを入れる。
中には氷のように透明な、刃渡り11cmで両刃、直刀の投擲用ダガーナイフが現れた。
「まだ、続けてみないとぉ、勝負は分かんなぁいよぉ?」
マスターは首を横に振る。
「私にとってはナイフを見破られれば負けたのと同じこと。あなたほどの実力ならば、確実に殺されます。あの初撃で分かりました。」
「……そこまで言うなら、止めておくよ。無益な殺生はしたくないしね。」
パチン、と刀を鞘に戻す。
仲間たちは感じていた。
『夕星』の中でも1,2を争う実力を持つマスター相手に、たった30秒足らずで負けを認めさせる桁違いの力。そして、打ち合い開始前に放った背筋の凍るような、精神を狂わせてしまうような、誰も感じたことのない異質な殺気。
――――――自分達とは、格が違う。
その場にいる誰もがそう思った。
「納得してもらえました?オレが、本物の東の悪魔だってこと。」
「えぇ。確かに。」
「それでさ、月に数件、オレにも仕事を分けてもらえませんか?」
「もちろん。あなたの望むとおりに。」
マスターは大きく頷いた。
「あと、何かルールはありますか?オレ、組織に所属するのは苦手なんだけど、入るからには知らなきゃいけないですし。」
「『夕星』は裏社会の仕事案内所のようなものですから、特に気にしていただくことはありませんよ。ただし――――」
マスターの顔が厳しくなる。
「『夕星』に害をなす行為をした場合、あなたの命は無いと思ってください。我々総出で、あなたを殺します。」
「それは怖いねぇ。胆に銘じておくよ。」
悪魔はドアノブに手をかける。
「それじゃあ今日はもう帰ります。また明日、早速仕事をもらいに来ますね。」
「あぁ、お待ちください。これを。」
マスターは傘を差しだす。
「ありがとうございます。」
今までとは違う、本当に純粋な子供の様な笑顔を見せる。
こうして、悪魔は静かに去っていった。