冥蛇vs断罪のメナデル -冥土の足掻き-
登場人物
・ 冥蛇
裏社会組織「連合」巳の神将。組織きっての暗殺者。主に、裏切り者の粛清と敵対する人間の暗殺を担う。
作戦では武器職人でもある子の神将 眠りねずみと二人で行動する予定だったが、彼女の「親友ことりを取り戻す」願いのため、単身でシスター・モーに挑む。
• シスター・モー
連合の丑の神将で、拷問担当だった。だが、その正体は過激な教団「赤豹教団」のNo.2である「断罪のメナデル」。彼女に対して戦闘で単身で勝てる可能性があるものは、冥蛇の暗殺以外で誰もいない。
見晴らしのよい裏庭。
普段なら花々が咲き乱れる美しい景観が広がっていただろう。
今は、ところどころに血が飛び散り、見るも無残な死体が転がっている。
彼らを仕留めたのは黒い修道服を身に纏う淑女。人を殺したばかりだというのに、凶悪なモーニングスターを片手に穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと建物内へと足を進めた。
空気が揺らぐ。
何処からともなく伸びてきた革ベルトが、シスターの首を捉えた。
彼女は舌打ちをすると、首とベルトの間に手を入れ、窒息を防ぐ。
直後、彼女の背後に降り立つ黒い影が一つ。
「へぇ……まさか、貴方が一人で来るとは、思いませんでしたわ。」
ベルトで彼女の首を絞めているのは、「連合」の巳の神将 冥蛇だった。
「でも、一足、遅かったですね。」
シスターはモーニングスターの柄で冥蛇の腹に殴りかかる。
首を絞めるのを諦めた冥蛇はベルトから手を離し飛び退いて距離をとった。
彼は既に別のところで戦闘をしてきたのだろうか、スーツの左袖が何か所か切り裂かれている。
「猿渡さんも乱歩さんも、冥蛇さん一人では私に敵うはずもないって分かっているでしょうに。貴方が全力をだせる状態なら可能性は無いとは言いませんが、消耗していて、今の一手を逃した貴方では、ねぇ?」
彼女――元丑の神将 シスター・モーはその穏やかな笑みを崩さないまま獲物のモーニングスターを構える。
一方冥蛇は、構えず自然体のまま。
――――――彼女の言う通り、今の一手が決まらなかった以上、俺に彼女を殺す術は、完全に失われた。
「私、これでも貴方のことは買っていましてよ?殺気の消し方、バランスのとれた戦闘能力、そして、何よりも素晴らしいのは、組織への忠誠心と停止した思考。私の下には、ただ私の言うことだけを聞く優秀な人間がいればいいのです、そう――貴方のような人間が、ね?」
冥蛇はかつて、宵の薔薇の四神 玄武として、数多の身内を殺してきた、組織に忠実な兵器だった。
「あのやり手爺に先につば付けられちゃって、残念でしたわ。それに貴方、いくら誘っても全然なびかないんですもの。まぁ、すぐ鞍替えするのも、考えものですけれども。」
シスター・モーが目を細める。
「今からでも遅くありませんわ。私の下に付きませんこと?すぐに私たち『赤豹教団』が『連合』を吸収しますわ、その前にこちらに付いていただければ、いい待遇、用意しましてよ?」
呼応するように、冥蛇の目つきが鋭くなる。
「……お前の甘言一つで、俺が寝返るとでも思ったか?」
――――――俺の仕事は、ねずがことりを取り戻すまでの『時間稼ぎ』だ。たとえ、モーさんに力及ばずとも……!
「俺は、裏切者の処刑人、巳の神将――」
その役目はかつて、宵の薔薇から命令されるがままに担っていたもの。
そして今は、命を繋いでくれた仲間のために、自ら選んで背負ったもの。
「――連合最強の暗殺者 冥蛇だ。」
『最強で在る』
それは、かつての彼が渇望した『栄誉』であり。
それは、巳の神将になってずっと吐き続けた『虚栄』であり。
それは――冥蛇がその席に着くとき、眠りねずみを守るためだけに、己に科した『罰』である。
「シスター・モー、『裏切者』のお前ごときに、後れを取るつもりは――ない。」
拳を固く握り、シスター・モーを睨みつけるその瞳は、今までの光の無い濁った、死人の瞳ではない。
「随分と、嫌な目をするようになりましたね。」
澄んだ光を灯す、生きている人間の瞳だ。
「貴方の死んだ魚ような目、好きでしたのに。一体何に感化されたのですかね。あの眠りねずみの仕業でしょうか?」
彼女がモーニングスターを振り上げる。
「冥蛇さん、もう、貴方に用はありません――さぁ、断罪を始めましょう。」
「シスター・モー、地獄の底まで、付き合え。」
襲ってくる鉄球をひらりと躱し、一瞬で距離を詰め右手を伸ばす冥蛇。
その背後には返しの鉄球が迫っている。
「くっ……!」
回避を余儀なくされ、腰を落とす。そこを狙っていたとばかりにシスター・モーの膝蹴りが顔面に向けて飛んでくる。
構えていた左手を顔との間に入れて衝撃を緩和するが、それでも後ろに大きくのけぞってしまう。
チャンスとばかりに鉄球が落ちてくる。
それを間一髪で地面を押して飛び退いて避ける冥蛇。着地した味方の死体から流れる血だまりに一瞬、足が取られた。
その隙をついて風を切って襲い掛かる鉄球を、体を反らして直撃だけは避ける。
冥蛇の視界の右半分が赤く染まる。
「手負いなら、この程度でしょうね。」
血を拭う冥蛇にゆっくりと近づくシスター・モー。
「もう一度聞きます。本当に、私の下に付く気はないのですね?」
――――――俺の仕事は、『時間稼ぎ』……
普段なら戦闘中に言葉の応酬など絶対にしない冥蛇が、珍しく口を開いた。
「……なぜ、裏切った。」
「尋ねているのは、私ですよ?」
「お前は、何が目的だ。どうして、俺たちを利用した。」
「頭でもおかしくなりましたか?随分と貴方らしくないですね。」
冥蛇の脳裏に浮かんだは、眠りねずみの泣き顔。頭に響くのは、彼女の慟哭。
重い感情をずっと一人で抱え込み、重圧に耐えられなくなり、人生を台無しにすると分かっているのに、処刑人に全てを打ち明け懺悔するほど、彼女は裏切ることを後悔していた。
――――――ねずは、自分もシスター・モーと同じだ、と言った。
「お前は、俺たちを裏切ったことを、何とも思わないのか。」
――――――お前は、何を思う?
処刑人が心根を問いかけると、シスター・モーは意地悪そうに目を細める。
「私は初めから、貴方たちを仲間だと思ったことはありませんわ。」
「……そう、か。」
――――――ねず、お前は決して、裏切者と同じなんかじゃない。
冥蛇の右足が凄まじい勢いで跳ね上がり、つま先がシスター・モーのこめかみを狙う。
「ふふふっ……。卑怯な暗殺者らしい、下賤な手ですね。」
――――――卑怯者で結構。下劣なお前に、お似合いだろう。
急襲は左腕の隠し甲冑で軽く受け止められ、そのまま弾かれる。跳ね返された勢いを身体に乗せ回転させ、振り上げた足の踵をシスター・モーの左わき腹に叩きこむ。
金属同士がぶつかり合う鈍い音が響く。
「あらあら、顔に似合わず、物騒なものを仕込んでいらしているのですね。」
頭上から鉄球が降ってくる。
冥蛇が地面を蹴った直後、その場に鉄球がめり込む。そのままその鉄球が跳ね上がり、飛び退く冥蛇に襲い掛かる。
「うっ……」
やはり直撃は免れたものの、そのとげが冥蛇の胸を深く切り裂く。痛みで固まる身体を無理やり動かし、モーニングスターの射程圏外に出る。
片膝をつき、肩で息をしながら胸を抑える手の隙間から、どす黒い血が溢れる。
「抵抗を止めなさい。そうすれば、楽に逝けるわ。今ならまだ、ね。」
「……俺が、逃げるとでも?」
暗殺者本気の殺意は、陰りを見せるどころか、より一層鋭さを増す。
「そうね、貴方はそうでしたわね。――甚振り殺して差し上げましょう。」
モーニングスターの鉄球が風を切り縦横無尽に飛び交う。
それを、紙一重で躱す冥蛇。
「ちょこまかと……鬱陶しいですわ、ね!」
大振りの一撃。
――――――躱した直後が、狙い目だ。
とげ付き鉄球の軌道を完全に読み切った冥蛇は皮一枚で外し、シスター・モーの眼前に肉薄しその胸倉に手を伸ばす。
だが読まれていたのだろうか、それよりも速く、シスター・モーの頭蓋が彼の額に叩きつけられた。
予想していなかった強打に冥蛇の視界が明滅し、身体が大きくのけぞり倒れる。ブラックアウトしたままの視界、だが、直感でその場を飛び退いた。
その予感は的中していた。地面から鈍い衝撃――鉄球が地面を抉る振動が伝わってきた。
――――――これは、まずい……!
視界と三半規管がやられ、自分がまともに立てているのかすら分からない。だが、長年の戦闘経験と地面や肌から伝わる僅かな振動から、鉄球が襲い掛かってくるのは分かった。身体の近くで鉄球が空を切る音がする。何度かは躱した。が、背後から近づいてくる鉄球に気付くのが遅れ避けるのが間に合わず、もろに左腕に当たり体内で骨の折れる嫌な音が響いた。ここに来る前にあったひと悶着のせいで左腕が負傷していたが、ついに使い物にならなくなった。
ぐらぐらと揺れる体は左腕の強烈な痛みの衝撃に耐えられず、何処かもわからない茂みに倒れ込む。
上から鉄球が降ってくる気配がする。
「ぁぐっ……!」
身体を捩るも、その鉄球のとげは冥蛇の腹を貫通し、体全体に激しい衝撃と痛みを響かせる。
「かはっ……」
逆流した血が口から溢れる。
「私の勝ちですね。」
ぐらぐらと揺れる視界が、勝ち誇り止めをとばかりにモーニングスターを振り上げるシスター•モーを捉えた。
――――――今だ!
力をかき集め飛び起きる。そして、使い物にならないはずの左手の関節を無理やり外し、彼女の顔面に向けて振るう――まるで、しなやかな鞭のように。
「あがぁぁぁぁああ!」
その指先はシスター・モーの右目を深く抉る。しかもその爪は彼には似つかわしくない長いネイルが付けられていた。
ただでさえ抉られれば壮絶な痛みが彼女を襲うのに、卑怯なことに、その爪には強力な毒が仕込まれていた。
冥土の蛇は痛みに悶えながらも右手を伸ばし、その頭を自らに引き寄せる。そしてそのまま両足で彼女の首を捕らえ絞める。
「絶対、に……逃が……さ、ない……!」
掠れた声で叫ぶ。その瞳には、あるはずのない力を引きずり出す、狂気的な決意が宿る。
「離し……なさい!」
鮮血が溢れる傷口を殴られ痛みで涙を零しながらも、冥蛇の力が緩むことはない。
「くそっ!しつこいわね……!」
何度も何度も肘で傷口を抉るシスター・モーは焦っていた。
脚は完全に入り切っていない。それでもギリギリと少しずつ、強引に血管を抑えつける。
空気が、血が、流れる量が減っていく。
このままでは、落ちる。
「さっさと死ね!」
殴られた数は50を優に越した頃、落ちたのは冥蛇の身体だった。
「今度こそ……私の勝ち、よ……。」
その言葉に、冥蛇は口角を上げた。
「何が……可笑しいのよ?」
「お前は……俺の相手を、していた、時点で……負け、て、いたんだ……。」
「気でも、狂ったかしら?」
「……お前の、言う、通り……俺、一人で、は……お前を、殺すことは……でき、ない……。――だが。」
地面を這いつくばりながらも、冥蛇は、勝ち誇ったような目で彼女を見上げる。
「ねずの、ことが、済むまでの……『時間稼ぎ』なら……俺一人で、十分、だ……!」
冥蛇の耳からインカムが落ちる。微かにだが、眠りねずみとことりの声が聞こえてくる。
「さっき……ねずがことりを、取り戻した。だから……俺、たちの……『勝ち』だ……!」
ことりが、『現人神』が敵の手に渡るということは、『赤豹教団』にとってはこれ以上ない屈辱であり、ことりが『現人神』ではないという証明となる。『赤豹教団』が『赤豹教団』たらしめる象徴が失われた。
当然、シスター・モーはことりを奪い返すためにその場を後にする。
「!?」
その足首を、止める手があった。
「この、死に損ないが……!」
「言った、だろ……付き合え、と……」
甲冑の隙間に食い込む、右手の毒の爪。
「俺が……地獄に、堕ちる、まで……!」
地面に這いつくばり、血反吐を吐きながら、それでも冥土の蛇はその毒牙で喰らいつく。
「離せ!穢れた手で、私に触るな!」
頭を蹴られ意識が朦朧としているにも関わらず、その手は最後の力でシスター・モーを留める。
「私の、邪魔を、するなぁあ!」
過剰なまでに振り上げられたその凶弾は、まっすぐと冥蛇の身体を貫き抉った。
致命傷だった。
喰い込んでいた毒牙はそのままに、その手から力が抜け落ちる。
シスター・モーは乱暴にその手を振りほどき、憂さ晴らしとばかりにその手を踏みつけると、建物内へと入っていった。
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身体から急速に温度が抜けていく。
死にかけるたびに味わった「寒さ」。
今まではその得体のしれない「寒さ」に怯え、恐怖し、逃げ惑っていた。
が彼は今、「寒さ」を感じても「恐怖」は感じていなかった。
「……さむ、い……な……。」
全身が痛い。だが、今までのように苦しみ悶えるような痛みではなかった。心地よさすら感じる。
「ね、ず……俺、は……お前、を、守れ、た……か……?」
インカムからの音は、もう、冥蛇には届かない。
役に立たなくなっていく目から涙が零れる。
「……助け、て、……くれ、て……ありが、とう……。」
冥蛇の意識は、地獄の底へ堕ちていく、満足気に――
――――――どうだ、楽しかったか?
宵の薔薇で残虐な命令に従う、殺したくもない善人を、心を消して殺し続ける日々だった。
せめて、この残虐な行為を、誰かに認めて欲しかった。誰かの役に立っていると証明したかった。
『最強』になって、これ以上、自分の手で犠牲を出したくなかった。『栄誉』が欲しかった。
そのために心を殺し続けたのに、報われなかった。
――――――嫌だった。だけど。
連合の暗殺者として、悪人を殺し続けた。
この残虐な行為が、みんなの役に立つならと喜んで振るった。
『最強』を演じて、ねずを、みんなを守りたかった。
殺し傷つけた心が癒えていく気がした。
――――――楽しかった。嬉しかった。だから。
だから、もう、満足だ。
ねずを、みんなを守って死ねたんだ。
貰った命をみんなのために使えたのなら、もう、思い残すことは、ない。
『本当に?』
俺の役目は、文字通り命懸けで達成した。これで、ねずのやることは、ねずの願いは達成された。だから、もう、終わりでいいだろう。これで、受けた恩は返せたはず。
そうやって納得したい自分がいた。
――――――そんなの、誰が喜ぶんですか?
ねずは、自分の一番大切な親友を取り戻せたんだ。だから、きっと、喜んでくれる。
あぁ、でも……また俺のこと、泣きながら殴ってくるかな……?また、無茶して、って。あれ、地味に痛いから、止めて欲しいんだが……。乱歩さんにも、ひっぱたかれてしまうな……。まぁ、もう、その痛みすら……感じないんだろうが。
そこで、ようやく気付いた。
もう……ねずに、みんなに会えないのか、と。
『そんなの、嫌だ。』
まだ、ねずの笑顔を見ていない。
「寒いのは嫌だ。死にたくない。」
後ろ向きな理由で繋がっていた命。
だけど、今は。
「ねずに、会いたい、生きていたい……!」
初めて、自らの意志で生きていたいと願った。
途端に身体中の感覚が戻ってくる。さっきまでの微睡みは痛みの地獄へ変化する。光を受け取れない瞳から涙が溢れる。
それでも。
冥土の蛇は、地獄の底から手を伸ばす。
最愛の少女に会うために。




