751.Episode Miko:月に叢雲花に風
みこの話です。よろしくお願いします。
選ぶという行為は、私には許されないものだった。
選定は神様にのみ許される行為。私はただ、巫女として公平に、公正に、平等に、貧富貴賤問わず、聞いた言葉の全てを一言一句違えず記憶し、神様にお伝えするのみ。
そして神様の御言葉を一言一句違えず記憶し、人々に伝える。
それこそが私のお役目。神様と人々を繋ぐ架け橋になること──それだけが、私の存在意義だったから。
『みこ……っ! みこ……!!』
何度も聞いた、涙に潤む神様の声。
『ごめん、ごめんよ……! 私が君を救えたら! 私が君を治してあげられたら、よかったのに……っ、どうして君を救える“縁”は、この世界の何処にも無いんだ────!!』
謝らないで、と言いたかった。謝るのは私の方だ。私が死んでしまえば、神様はまたひとりぼっちになってしまう。
なのに。ごめんねすらも言えないまま、寂しがり屋さんな神様を置いて、私は死んでしまったのだ。
そして何の因果か分からないが、ハマりにハマった乙女ゲーム『UnbalanceDesire』の悲運の王女アミレス・ヘル・フォーロイトに転生し、第二の人生を歩んでいる。
そこで私は知ってしまった。
前世で得たことのないものを。『愛』という、尊いものを。
何かを失うことが怖い。誰かに嫌われることが怖い。
そんな傲慢で強欲な感情から、私は選択を拒み続けた。だって何かを選んでしまえば何かを失うことになる。誰かを好きになってしまっては、誰かに嫌われてしまう。
万人に愛されるなんて現実的にありえないと分かっているからこそ、非現実的な妄想に執着して、誰にも嫌われたくないなんて我儘を幼児のように叫んでいる。
何も選べないくせに、散々期待させるような真似ばかりして、皆を裏切り続けた。
全てを受け入れる事なんて出来ないくせに、中途半端に受け入れるような真似をして、その末に身勝手にも拒んだ。
その全てのツケがついに回ってきた。
シュヴァルツを追い込んだ。ローズを悲しませた。メイシアをきっと苦しめる。マクベスタも、フリードルも、皆……私の所為で、傷ついてしまう。
──いいや、違う。もう何度も傷つけてきたんだ。
何度も傷つけて、苦しめて、悲しませた。最も恐ろしいのは私自身にその自覚が無く、最も怒りを覚えたのはそれでもなお身勝手な自分について。
傷つけてきたのに。苦しめてきたのに。この期に及んで私は現状維持を望んでいる。
嫌われたくない。失いたくない。だから私は、傲慢にも不公平な平等を振り翳し続けている。
だが、どうすればいいのだろう。
私には皆を完全に受け入れることも、完全に拒絶することも出来ない。『大切なもの』の中で順位を定められない。『一番』を、決められない。
そんな身勝手が、私には許されない。
──ねぇ。神様。
私はどうしたらいいのかな。私、このまま皆を苦しめて、傷つけて、壊してしまうの? そんなの嫌だよ。皆とずっと一緒にいたいだけなのに……その願いが、大切な皆を一番苦しめるものだなんて、認めたくない。
だって認めてしまったら私はこの願いを捨てないといけなくなる。大切な皆を一番苦しめる願いなんて……あっていいはずがないから。
でもこの願いを捨てたくないよ。
皆とずっと一緒にいたい。私は、皆と一緒じゃないと幸せになれない! ……だけど。皆の苦痛の上に成り立つ幸せなんて、きっと私には耐えられない。自分勝手なこの心は罪悪感で今度こそ壊れてしまう。
クロノの言う通りだ。でもでもだってと駄々をこねるばかりの、どこまでも中途半端で、曖昧で、矛盾ばかりの、愚かな偽善者。
──そんな人間に、幸せを望む権利なんてあっていいのだろうか。
「本当に、どこまでも卑怯だね。私はそうやって答えの無い問いを繰り返すばかりで、誰かが『そんなことないよ』って言ってくれるのを待っている。許されようとしている。私の罪から逃れようとしている。私は、この罪と向き合わなければならないのに」
真っ暗な空間にぽつんと現れた、巫女装束の女。墨のような黒い髪に、あのひとが綺麗だと誉めてくれた藤色の瞳。痩せぎすなその女はとても懐かしい顔をしている。
「私は何も選べない。それは、私に不平等が許されないから。私は何も受け入れられない。それは、私に不公平が許されないから。私はただ粛々とお役目を果たす存在。それだけでよかった。そうで在り続けられたなら、こうはならなかった。──でも、私は変わってしまった。そうでしょう?」
これは私の罪悪感だ。積りに積もったそれが幻影の姿で私の前に立っている。
「変わったのなら、その責任を取るべきよ。もう二度とあの頃には戻れない。もう、皆を苦しめない方法は無い。もう、皆を傷つけない手段は無い。だから、きちんと責任を取るの。この罪を償うことで」
──どうやって責任を取れっていうの?
選べもしない、拒絶もできない、そんな傲慢なばかりの人間の成り損ないが人間のように振る舞ったから、こんな事になってしまったのに。
「私は既に変わってしまった。私はもう巫女じゃない。ならば、人間にだって成れる。今だからこそ変われるはずよ。生まれ変わって、ちゃんと答えを出して。皆を傷つけたぶんだけちゃんと償って。きちんと選択することで皆へ償う──それだけが、私に許された道だから」
生まれ変わって、ちゃんと答えを出す。……そんなことが、本当に私に出来るのだろうか。
でも、やらなければ。ここで逃げ出せば私の願いは守れる。だけど、それだけは駄目だと罪悪感が訴えてくるのだ。
この願いを捨ててでも、罪と向き合えと。
「そうだね。どちらにせよ、罪悪感はもう消えることはない。このまま積み重なって、深く深く精神に根差すだけ。その根が私の精神を壊すのも、そう遠くない未来でしょう。人形にはこんな感情分不相応だもの、人間の成り損ないの分際で『愛』を得てしまった代償ね。だからもう、完全に人間に成るしかない。望んだ形とは、何から何まで違うけれど」
私が人形でも人間でもないからこそ、最悪の事態を招いてしまった。
だから、最初の選択をしよう。──私は、人間に成る。望んでいた未来とは違うけれど、そんな夢物語を守る資格など私には無い。
皆に嫌われたとしても。皆との未来を失ってしまったとしても。
私という不出来な存在の後始末をしてみせる。
それが私の──……皆への『愛』だ。
ごめんね、シルフ。
もしかしたら私……貴方との約束を、守れないかもしれない。
♦
──体が重い。
目蓋を押し開ければ、霞む視界の中で沢山の顔が所狭しと並んでいて、それらは必死な様子で何かを叫んでいた。
「──姫っ! 姫大丈夫!? 急に倒れたからアタシすっごく心配したんだからぁ!」
「アミレス様……っ、無事でよかった……!」
メアリーとメイシアが涙を流しながら抱きついてきた。
どうやら私は急に倒れたらしい。抱き止めてくれたのはシュヴァルツのようだ。上からこちらを覗き込んで、彼は安堵の表情を浮かべている。
おそらくは……私の精神面が限界に近くなった時点でアミレスが無理やり私を眠らせ、その間はずっと代わりに行動していたのだろう。
私自身今の今まで夢を見ていたようなものだから、彼女との記憶の同期が行われておらず、いまいち状況が掴めない。
どうして皆は揃いも揃ってボロボロなの? そもそも何、この顔ぶれ。ヘブンまでいるし。本当に何があったの?
混乱する頭のまま周囲を見渡せば、何やら複雑そうな面持ちでこちらを見つめてくる人が多数で、それがより一層謎を深める。
「ええと……」
何も知らないとは言いづらい。
だって皆はつい先程までアミレスと行動を共にしていたのだから。しかし私は何も知らない。どうしたものか……。
「姫、ひとまずここを離れよう。海帝アルミドガルスが君を狙っているようだ」
「え? ちょっと、あの……!?」
シュヴァルツから奪うようにして私をひょいっと抱き上げたのは、フリザセアさん。知らないうちに表情が随分と柔らかくなっている気がする。
──って、明らかにヤバそうな大蛇が上空にいるんですけど!?
「アミレスをどこに連れて行くつもりだ。ぼくから逃げられると思うなよ」
「この状況で主君を攫えると思わないでください」
「二人で何処かに行こうとすれば、それが誰であれきっとこうなるし……一時的に身を隠すなら皆で身を隠せばいいんじゃないかな?」
「聖職者サマよォ、本気であのデカブツから逃げられると思ってンのか……?」
「ていうかなんでアミレスが魔神とやらに狙われるのさ。何したの、あんた」
「アミレス王女は寧ろ、何もやらかしていない時の方が珍しいのでは?」
あまりの急展開に愕然とする私の周りで次々と言葉が飛び交いはじめる。
シュヴァルツが実力行使でフリザセアさんを止めようとしたので、私は一旦解放された。相変わらず何一つ理解が追いついていないので、その場で放置プレイが開始してしまったのである。
ところで、さも私自身に問題があるように言ってくるハーフエルフさん達はなんなんだ。特にセインカラッド。貴方はユーキから何を聞いたの??
「もも、もし本当に王女殿下が海帝アルミドガルスに狙われているのなら、早く避難した方がいいかと……!」
「そもそもどうして僕の妹が魔神なぞに狙われるんだ? おい、そこの精霊。心当たりを洗いざらい吐け」
「俺が一番聞きてーわ。なんでうちの姫さんがあの蛇に狙われてんだよ」
「あれは貴様のものではない。僕の妹だ」
「は? うちの姫さんだし。つーかお前、昔あんなに姫さんのこと蔑ろにしてたくせにどの面下げてそんなこと言ってるんだよ」
「家庭の事情に部外者が首を突っ込むな」
収拾が! つかない!
「アミレス一号……ってのは変な話か。なあアミレス。俺のこと、覚えてるか?」
「アンヘル君。間違いなく、今そんなことをしている場合ではないよ。姫君の安否がかかっているんだから」
「うるせえミカリア。俺にとっては非ッ常に重大かつ何よりも優先されるべき確認事項なんだよ。もしアミレスが狙われても命懸けで守るし、何も問題は無い」
「……君、そんな感じだったかい? 数日会わないうちになんだか変わったね」
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ。おまえこそなんか…………なんか、変わったな」
「本当に僕に興味関心が無いね君は」
言われてみれば少し雰囲気が変わったような気がするアンヘルとミカリアが、何故か私を挟んで会話する。
どうしていつも、誰かしらが私を挟んで話しているんだろう。私は感染症対策のパーテーションか何かなの?
喧嘩に巻き込まれたくはないので、スススッと距離を取ってみる。
「アミレス」
名前を呼ばれて顔を向けたら、覇気のない表情のカイルが、ふらふらと寄ってきた。
そしてほんの数秒じっと見つめてきたかと思えば、
「…………よかった。『お前』が無事で」
もう会えないかと思った、と。彼は私の肩に顔を埋めて、声を震えさせた。
やはり、あの夜といい今といい、近頃のカイルは情緒が不安定だ。きっと、ゲーム本編が始まったにもかかわらず何一つとしてゲームとは違う現状が、相当なストレスなのだろう。
「ねぇカイル。私の肩ならいくらでも貸すから、手始めに一つ教えてほしいんだけど……なんでマクベスタは師匠に抱えられた状態で、イリオーデはリードさんの外套の上で、それぞれ気絶して──」
カイルなら私の事情も把握してくれている。この男に事の経緯を聞くのが最も手っ取り早いと思ったのだが、
「カイル・ディ・ハミル、貴様……ッ!」
「姫さんから離れろカイル! お前いっつも近いんだよ! ついでに野郎共は全員散れ!!」
「邪魔だなぁ……殺すかァ…………」
「貴方はまた! アミレス様にベタベタと! このっ、ムッツリケダモノ様!!」
「そこを退け変人。俺は今から非常に重大な確認をしねぇといけないんだよ」
「姫君に無闇矢鱈と触れるなど……言語道断……」
「主君は今病み上がりなのです! 主君は俺が預かります!!」
「私も、彼女を預かる立場に立候補しておこうかな。ここにいる人達の誰にも任せられないような気がするので」
それはもう非難轟々。
本当に何をしたの、カイル。貴方はどうしてそんなに皆から強く当たられがちなの?
「チッ…………」
え? 今舌打ちした? 舌打ちしたよねこの人。カイルって舌打ちとかするんだ……かなり意外だわ。
「……込み入った話はまた後で。今はとにかく目先の安全を確保した上で、情報共有も兼ねて作戦会議だ。お前もそれでいいだろ、アミレス」
「え、えぇ。それでいいよっ」
すっとぼけた所為で声が上擦ってしまった。
魔神に狙われているらしい私が、下手に民の避難先に近づいては駄目だということで。シュヴァルツとミカリアとリードさんによる三重の結界を展開し、その中で私達は作戦会議をした。
人外さん達の見解では、まだ復活したばかりで海帝アルミドガルスも身動きが取れない状態なのでは? とのことなので……あれが本格的に動き出す前に、作戦会議を終える必要がある。
一連の流れをかいつまんで聞いたわけだが、それはもうびっくりした。顎が外れるかと思ったし、だらしなく空いた口を手で隠して誤魔化したぐらいだ。
予想通り【大海呑舟・終生教】が爆破テロを引き起こし、偶然各地で犯人一派と出会した彼等が図らずも各個撃破。カイルとマクベスタとフリードルとレオは四人で魔神の分身と戦い、メイシアと共になんとか勝利した、というのが現状。
二十分程前にあの大蛇──魔神海帝アルミドガルスが顕現し、自然と彼等は集まったらしい。
しかし突然私が意識を失ったものだから、避難とか作戦会議どころではなくなったそう。私が目覚めるまでは、ミカリアとリードさんが原因不明の中で必死に治癒を試みてくれていたのだという。
彼等には、本当に迷惑をかけてばかりだ。
二人だけじゃない。これ以上皆に迷惑をかけない為にも……私も生まれ変わらないと。
まだ、答えは出せないけれど……いつかきちんと選択できるように。皆の苦しみに少しでも償えるように。
それが、『私』の選んだ道だから。
…………巻き込んでごめんね、アミレス。たとえ私の願いが叶わなくても、せめて貴女は幸せになれるよう、頑張るから。
もう少しだけ、私に時間を────……。
続きは明日20時頃更新予定です。
よろしくお願いします!ヽ(´▽`)/




