750.Main Story:Ameless Hell Forloyts
────神が、顕現してしまった。
帝都上空にてとぐろを巻くように舞う、この広大な帝都の半径程はある翼を持つ大蛇。
その身から溢れ出す威圧感は凄まじく、避難中の民が次々と膝から崩れ落ち、絶望した様子で静かに涙を流している。
「とんでもねぇのが出てきやがったな……」
「魔神海帝アルミドガルスか。あれは少し厄介だな……何せあの蛇の権能は概念すらも喰らい呑み込むという。さしもの氷と言えども、凍結は難しかろう」
デリアルド伯爵とフリザセアさんは取り乱すことなく、大蛇を見上げていた。
まさか本当に神が現れるなんて。そんなのってありなの? ……なんて文句を言っても、実際現れてしまったのだから、全て後の祭りだ。
「ひっめさーーーーん! 無事ですかー?」
エンヴィー師匠の声が聞こえてくる。それに釣られて振り向けば、カイルとマクベスタを両脇にそれぞれ抱えるエンヴィー師匠が、軽やかに走ってきた。
その後ろをメイシアが追いかけ、そのまた後方には、レオナードに支えられながらゆっくりと歩く兄様がいる。
「エンヴィー師匠、そちらの進展は?」
「まーなんとか。お嬢さんの魔眼で例の蛇は倒せたんですが……こっちに向かってる最中にまさかの魔神復活で、急いで戻ってきたってわけです」
「成程。貴方の目から見て、あの蛇はどうですか?」
「──殺せませんね、今の俺達には。権能を使っても勝ち目は薄いです。勝っても負けても、ここら一帯人間が住めない世界になるのは確定でしょう」
「……フリザセアさんと同じ見解のようですね」
フリザセアさんやエンヴィー師匠ですら倒せないと断言する存在。そんなもの、どうやって対処すればいいの?
「つーか、俺達がさっきまで戦ってたのはなんだったんだよ……あの蛇もどう考えても神そのものだったんだけど。アレは分身で、あのデケェのが本体ってことかよ」
エンヴィー師匠の腕の中で、カイルがげんなりと呟く。
「王女様、ご無事でしたか?」
「私は無事よ。ありがとうメイシア。彼等の応援に向かってくれて」
「いえ……ようやく、わたしも役に立てて嬉しかったです」
できれば貴女は安全な場所にいてほしかったのだけど……こんな状況だもの、仕方がないわよね。
「──妹よ。そんな予感はしていたし僕もその前提で街に来たが、敢えて聞こう。何故お前が此処にいるのだ」
兄様が私をじっと睨んでいる。しかし、目が合った途端兄様は何度か瞬きをして、
「…………お前、また体調が優れないのか。不審者とやらとの戦闘で何かあったか?」
要領を得ない問いを飛ばしてきた。
「体調が優れない、とは?」
「お前の様子が妙だ。昔のように敵対心を露わにするでもなく、近頃のように愚かでもない。ならば体調不良を疑うべきだろう」
……兄様は私とみぃちゃんの区別がつかないのね。他の人達が揃ってすぐ見抜いてくるから、てっきり兄様もそうなのだとばかり思っていたのだけれど──
「まあ、仔細なぞどうでもいい。僕の後ろを着いてまわっていた頃も、僕を無闇矢鱈と邪険にする今も、お前の様子は常々おかしいのだから。体調が優れないのであれば、あの巨大な爬虫類は僕達に任せてお前は東宮にでも戻っておけ」
──違う。兄様は、私達の区別がついていないんじゃない。兄様にとっては私もみぃちゃんも、どちらも妹でどちらもアミレス・ヘル・フォーロイトなのだ。
だから区別なんて必要無い。だって、兄様にとって私達は『常に様子がおかしい妹』でしかないのだから。私達は、別人ではないのだ。
……なんだ。そっかぁ。本当に、この世界の兄様は……私達を愛してくれているのね。
その事実が、今にも泣き出しそうなぐらい、胸を熱く震えさせる。
「…………あの、王女殿下。貴女は本当に…………いえ。今はそんな場合じゃない、ので。やっぱり、なんでもないです」
レオナードは気づいているらしい。しかし隣に兄様がいるからか、あえて言及は避けたようだ。相変わらず賢い人ね。
「とにかく、海帝アルミドガルスをどうにかしないと。どうすれば神を殺せるのかしら……」
そんな方法があるのだろうか。神を殺すだなんて、神話じゃあるまいし……。
「先程の蛇……海帝アルミドガルスの分身と思しきものは、一度に呑み干せない圧倒的な物量で押し切ることで、なんとか倒せましたが……」
「分身は小さかったうえ、ありゃ多分、保持する権能と魂も本体のごく一部だった。本体相手に例の手法を取るとなれば、それこそこの大陸を丸ごとぶっ飛ばす程度──『色彩の魔女』レベルの魔力が必要だろーな」
「うぅ、やっぱりそうですよね……そもそもの胃袋が大きくなってる筈ですし……あれで権能が本体のごく一部とか意味わかんないってぇ…………」
「泣き喚くなレオナード。いつも以上に無様極まりないぞ」
「フリードル殿下はこんな時でも辛辣だしぃ……」
エンヴィー師匠がズバリ冷静に現実を突きつければ、絶望的な状況を前にレオナードはめそめそと項垂れた。
「あ、アミレス居た!」
「姫ー!」
声に引かれて振り向けば、ユーキとメアリードが、セインカラッドとシュヴァルツを伴いこちらに向かって来ている。その傍らには見覚えのある衣服の男も居た。
「あ? おいハーフエルフのガキ共。その眼鏡、不審者と同じ服じゃねぇか。この事件の犯人一味だろうが、何を呑気に並走してるんだよ」
「ま、まってくださいデリアルド伯爵! これには森のように深い事情があるのです!」
「知るか。クソどうでもいい。俺にはそいつの事情なんざ関係無い。だから殺す。こちとら不審者を一匹逃しちまって虫の居所が悪ぃんだ」
「……っ!」
剣呑な顔つきで血の極長剣を傾けるデリアルド伯爵。セインカラッドはビクリと肩を跳ねさせ、眼鏡の男を庇うように前に立った。
……頑固で生真面目な彼があそこまで庇い立てるなんて。【大海呑舟・終生教】の信徒のようだけど、いったい彼等の間でどんなやり取りが交わされたのかしら。
不安から震える手をもう片方の手で押さえつけながら、じっと一触即発の状況を眺めていると、背後に何者かの気配を感じた。
「──お前は、黒い方か」
「……シュヴァルツ、急に背後に回らないでちょうだい」
「そりゃ悪かったな。で、アイツは? まさかとは思うが……逃げたんじゃないだろォな」
「…………何の話かしら」
「全部知ってるクセに。随分と白々しい女だな、お前は」
「──あの子はただがむしゃらに、前だけ見て生きているの。その途中でたまたま出会っただけなのに……勝手に救われた気持ちになって、理想やら欲望やらを押し付けて、思い通りにならないからって卑怯な手段に出て。散々、あの子を困らせてきたくせに。白々しいのはどちらなのかしらね」
「…………ふ、騎士気取りのお姫様とは驚いた。えらく面倒な同居人がいたモンだなァ、アイツ」
「騎士気取り? ごめんあそばせ、私達の騎士はただ一人と決めているの。だから私はただの悪役王女だわ」
澱んだ昏い紫水晶の瞳が、疎ましげに歪む。
どうやらシュヴァルツにとって必要なのはみぃちゃんであって、私ではないらしい。まあそうだろう。私だって、私は要らない。みぃちゃんさえ居ればそれでいい。
「というか。今、貴方のようなかまってちゃんに費やす暇はないの。あの子の望みの為にも、あの神をどうにかして消さなければ……」
脱線した挙句成果は無く、振り出しに戻る。
今ここに立つのが私ではなくみぃちゃんであれば。もっと早く打開策が出ていたかもしれない。そもそもこんな事態にはならなかったかもしれない。
……でも。あのままメイシアとのデートを続けていれば、きっとみぃちゃんの心は取り返しのつかない壊れ方をしていた。
あの子は責任感が強すぎる。そして人間として生きることにまだ不慣れな、純粋無垢な子供だ。だから、罪悪感や後悔といったものの処理方法がわからない。積み重なったその暗雲から雨のように自責が降り注ぎ、彼女の心を蜂の巣にしていた。
そして最悪なことに、みぃちゃんはそれをおくびにも出さない。
だから誰も、私以外の人は誰一人として、彼女が罪悪感と後悔で押し潰されそうなことを知らない。
あんなにも彼女は、“選べないこと”に苦しんでいるのに。変えようのない価値観や自己矛盾を嘆いているのに。誰もそれを知らず、選ぶことを強要してくる。傲慢にも選ばれようとする。
彼女のことを好きだとか、愛しているとか言っておきながら、みぃちゃんの気持ちやみぃちゃん自身のことなんて一切考えていない。
何も気づかず、何も知らず、知ろうともせず、何も分かっていないのに、このひと達はみぃちゃんの一番を盲目的に欲する。
あなた達のアミレスにとっては、その欲求こそが一番の猛毒だというのに。
自分達のその身勝手な感情が、愛する人の首を締めているのだと、何故理解できないの?
みぃちゃんは昔からずっと……恋や愛というものへの恐れを口にしていたのに! どうして理解してあげられないの? どうして自分さえ気持ち良くなれたらそれでいいと、そんな身勝手な欲望を振り翳せるの?
あなた達は、みぃちゃんのことを愛しているんでしょう!?
なら、少しぐらい愛する人の為を想って行動してよ!
あんなにも、誰も知らないところで自責や後悔が積み重なるまで、みぃちゃんは一人で耐えて来た。その結果、元々脆かった精神面に限界が来たから、大切なみぃちゃんが壊れないように、仕方なく私が代わったのだ。
誰も彼もが彼女に恋をしていて、彼女ではない私を拒む。それ自体はいい。だけど、その身勝手さは許せない。
私が出てくる状態にまで彼女を追い込んだのは、他ならないこのひと達なのに。
──あぁ。やっぱり、恋なんて大嫌い。
貴女を傷つける感情なんて消えてしまえばいい。
「主君! ご無事そうで何よりです!」
「……ルティ。貴方も無事だったのね。よかったわ」
「お気遣い、痛み入ります。……主君」
ルティはみぃちゃんにとても忠実で、かつ有能な人だ。私も、ルティは可愛いと思う。
今だってほら、きっと彼も私が主ではないと気づいている。だが口を閉ざし、成り行きを見守っているのだろう。本当に優秀な執事だ。
「……あら? ヘブンじゃない。どうしてここに?」
あの“ゲーム”において帝都を襲うテロリスト──。貴族を嫌う彼が好き好んで帝都に来る筈がない。まさかこの男までみぃちゃんに心を奪われたんじゃ……もし変なことを吐かせば、この場でその恋を終わらせてさしあげましょう。
私は一切の希望を摘み取る。優しいみぃちゃんに甘えて勝手に希望を見出したようだけど、そんな身勝手な希望がこの世に在ることを、私は許さない。
「観光だ、観光。つーかなんなんだよあのデッッケェ蛇! 魔神とか言ってたぞ!? 妖精といいデケェ蛇といい何が起きてんだよこの街は!!」
「……新鮮な反応をありがとう。あれは正真正銘、魔神だそうよ。私達はあれをどうにかしなければならないの。乗りかかった船よ、最後まで付き合いなさいヘブン」
「あぁ!? チッ……シャーリーが帝都観光を楽しみにさえしてなければこんな所さっさとオサラバするってのによォ……!」
どうやら私の杞憂だったらしい。ヘブンはただの観光客なようだ。
みぃちゃんに群がる狼は、戦力的にはかなりの期待が持てる面々ばかりだ。腹立たしいが、これを使わない手はない。
「主君、申し訳ございません。先程魔神を自称する蛇へと変質した蛇人なのですが、俺がきちんとトドメを刺しておかなかったから……魔神が現れてしまいました。精神を破壊するだけに留まらず、心臓が時間差で止まるよう仕組んでおくべきだったところを、俺の不手際でこのような事態になってしまい、心よりお詫び申し上げる所存です。この首が必要とあらば、如何様にも」
とてつもなく物騒なことを言っているわ、この子。断頭台にかけられた罪人のように首を出す執事に、若干の恐怖を覚える。
「……顔を上げてちょうだい、ルティ。貴方が死ぬことなんて、絶対に貴方の主は望まない。それに私……さっき、敵を一人みすみす逃してしまったの。神が現れたのだって、きっとあの男の仕業。私があの男を逃してしまったからよ。貴方だけの所為ではないわ」
「…………貴女、は……」
何かを言いかけて、またぐっと堪える。
ルティは苦しげな表情で体を起こし、静かに私の後ろに控えた。これは……私も、主として一応認めてくれたということだろうか?
ルティはこんなにも聞き分けが良く、仕事をきちんとこなす有能な執事だというのに。みぃちゃんに好意を持つひと達は揃いも揃って、私を目の敵にするのよね。少しはデリアルド伯爵みたいに割り切ってくれたっていいでしょうに。
特にカイル。ほんとうに嫌よ、あの男。
みぃちゃんの前ではいつもヘラヘラしてるくせに、彼女が眠った途端あれだもの。腹に一物抱えているのが分かりやすすぎる。みぃちゃんの優しさに甘えに甘えているのも気に入らない。
私だって……みぃちゃんと一緒に歌ったり、踊ったり、海に行ったり、遊んだり、お買い物をしたり、お料理をしたり、やりたい事がたくさんあるのに。
私だけが知ってるみぃちゃんの誕生日だって、きちんとお祝いしてあげたいのに。
「……なんだよ」
「……べつに。何も無いわよ」
キッとカイルを睨むと、彼は真顔で睨み返してきた。
そんな顔、絶対みぃちゃんには見せないくせに。あとでみぃちゃんに教えるんだから。みぃちゃんが眠ってる間のカイルや他の面々の私への態度を、全部。
陰湿な女だと思われて構わない。元々私は陰湿な女だもの、今更だわ。
「──ああ、よかった! アミレスさんは皆と一緒にいたんだね。魔神なんてものが出てきたから、君は真っ先に一人で戦ってそうで……肝が冷えたよ」
「姫君──……、ようやく会えました、ね」
今度は屋根の上から、ジスガランド教皇と聖人様が現れた。ジスガランド教皇はイリオーデを、聖人様は光の縄で拘束した男を抱えている。
拘束された男を見た眼鏡の不審者が「インヴィダ……!?」と声を上げたことから、あの男も【大海呑舟・終生教】の信徒なのだろう。
「…………ねぇ、アミレスさん。それって、踏み入ってもいい状態なのかな?」
「別にいいですけれど、話したところで時間の無駄ですよ。ややこしいので」
「……成程ね。確かに厄介な問題なようだ」
屋根から飛び降りるなり、早速何かに勘づいたジスガランド教皇。何故か、会う人会う人に気づかれる。そんなに私って彼女のフリをするのが下手なのかしら。舞踏会ではバレなかったのだけど……。
「…………不躾にすみません。貴女は、何者ですか」
「──アミレス・ヘル・フォーロイトです。それ以上でもそれ以下でもありません」
「……そう、ですか」
少しだけいつもと雰囲気が違う聖人様が、これまた随分と冷たい瞳で私を貫く。
このやり取りも飽きてきたもので。冷たく返せば、これ以上の追及は無駄と悟ったのか、聖人様は口を閉ざした。
ジスガランド教皇と聖人様。何故この二人が一緒に現れたのか、その点は甚だ疑問だが……人類最強と名高い聖人様と、そんな彼と張り合える“ラスボス”のジスガランド教皇。彼等を戦力として数えられるのはかなり大きい。
私達のイリオーデがジスガランド教皇の腕の中で眠っているのもかなり気になるが、今はあの魔神だ。
魔王たるシュヴァルツや精霊のフリザセアさんにエンヴィー師匠だけでなく、“ゲーム”の“攻略対象”をはじめとして、これだけの面々が揃っているのだから、無能な私にだってそれなりに足掻くことは出来る……はず。
でも、不安で足まで震えそう。
もしも無理だったら。この街も、貴女が大切にする全ても、私では守れなかったら。そう考えると……今にも足が竦んでしまいそうなのだ。
でも、やらなきゃ。──親愛なる貴女の為に。
そう覚悟を決めた瞬間。
ドクン、と心臓が強く鼓動する。直感的に理解した。それは私にとって、あまり望ましくない音だ。
ああ……もう、目覚めてしまうのね。この世界は貴女を苦しめるものが多すぎる。きっとまた、貴女は辛い思いをするのに。
貴女はもう、戻ろうとしている。綺麗なものよりも汚いもので溢れかえる世界へ。
誰よりも生きたいと願っているのに、生きるのが下手なんだから。もう少し、あのひと達のように自分勝手に生きてくれたっていいのに。
そんな些細な不満をぬいぐるみのように抱えて、私の意識は霞みゆく。
この九年間貴女とずっと一緒にいたのに、私は誰よりも、貴女との思い出が少ない。
そんな……当たり前だけれどそれでもやっぱり少しだけ切ない、小さな氷に触るような気持ちが、私の心を埋め尽くすの。
誰よりも近くに居たのに、誰よりも遠い貴女。
ほんの数時間にも満たない僅かな時間だけれど……私は、貴女の片割れとして上手くやれていたかしら。
私という悲運の王女の人生は、貴女にとってどんなものだったのかしら。
ほんの少しでも、貴女がこの世界での日々を楽しんでくれたなら……それだけでも、悲運の王女は嬉しいです。
「──あの子を泣かせたら、絶対に許さないから」
最後にそれだけ言い残し、完全に意識が沈む。
どうか、辛い思いをしないで。
どうか、苦しまないで。
貴女には笑っていてほしいの。
独善的と言われても構わない。
私は、貴女だけの幸せを望むから。
大好きなみぃちゃん。
明くる日々の中で、どうか、優しい貴女が心の底から笑えますように──……。
明日20時頃にも更新予定です。
よろしくお願いしますヽ(´▽`)/




