749.Episode Odium:Vota adsunt. Spes in crastinum.
引き続きオーディウム視点となります。
──あの少女を見つけなければ。
この街のどこかにいる筈なんだ。彼女さえ、あの少女さえ見つかれば……僕の役目は果たされる。艱難辛苦に満ちたこの旅路も、ついに終わる。
待ち望んだ約束の日。ようやく誰しもが苦しみから解放される。新たな世界で穏やかに暮らせるようになるんだ。
だから、役目を果たさないと。
『───天の加護属性。それは天と地を繋ぐ鍵にして扉。その力があれば、精霊界を除く全ての世界に行けるという。我らが神を忌まわしき封印から解放するには、天の加護属性で人間界と我らが神を封じている空間を繋げ、神を人間界にお連れしなければならない』
封印されし我らが神をこの世界で復活させる。それが、僕達の使命。
アルミドガルス様は、魂を分割しそこに権能の一部を織り交ぜることで存在を保ち、世界を越えて僕達の元にご降臨された。
世界を呑み干すには残りの権能と魂を解放しなければならない。だから僕達が、我らが神を解放する。
封印により衰弱した魂と権能。それを“浄化の儀”によって生まれた憐れな魂と、絶望や恐怖といった感情を用いて修復することで、アルミドガルス様の肉体を取り戻せるのだ。
『その為に“浄化の儀”を行い、醜い心を持つ者、愚かな心を持つ者、悪しき心を持つ者、その全ての憐れな魂を“救済”する。我々が“救済”するのはあくまでも、死してなお変わらないであろう醜悪さを持つ者のみ。決して善良な人々は傷つけてはいけない。“浄化の儀”はあくまでも不浄なる者を炙り出す為のものなのだから』
善良な人々に一切の被害が及ばないよう、何かと理由をつけて人を遠ざけ、爆発を引き起こす。そうして人々の反応を窺い、不浄なる者をこの世界から排除する。それこそが“浄化の儀”。
爆破事件ともなれば、善良な人々は恐怖に支配されてしまうだろう。だが一部の悪しき者は混乱に乗じて罪を犯す。そういった醜悪な魂を持つ者達を、僕達は“救済”する。
そして彼等彼女等の魂を、我らが神の糧として昇華させるのだ。
だが数週間程前から、何者かが我々の周囲を嗅ぎ回っていた。僕達が警戒すればいいだけのことだとネズミを泳がせたのが、間違いだったのだろう。
ストプロムが犠牲となってしまった。彼はリンデア教の怪物──ジスガランド教皇の手により、筆舌に尽くし難い無惨な姿となっていたのだ。
僕はまた間に合わなかった。また、優しき同胞を失ってしまった。僕が、弱く何も出来ない凡愚な所為で。
我らが神を信じて着いてきてくれた人達を、救えなかった。彼等の笑顔と未来を、守れなかったのだ。
──アルミドガルス様解放計画は順調だったのに、何かがおかしい。
鍵となる少女ミシェル・ローゼラの捜索を僕とシューケルトで行うなか、アルミドガルス様が一時的に顕現された気配がした。
それ即ち、そうしなければならない程の緊急事態が起きたということ。
やはりジスガランド教皇が我々の妨害をしにきたのか。ならば僕があの怪物を斃さなければ。人類最強の聖人に匹敵する圧倒的な力を持つ怪物の相手など、これ以上同胞達に任せられない。これ以上──皆に、犠牲になってほしくないんだ。
誰かが死ななければならないのなら、僕でいい。僕であってくれ。
そう祈りながら、アルミドガルス様の気配を辿ったが……そこにジスガランド教皇はいなかった。
そこにいたのは氷の血筋の姫。年端もいかないこの少女には、アルミドガルス様が真っ先に狙うべきと判断する程の何かがある。
同胞達がジスガランド教皇と遭遇していないことを祈りつつ、彼女との戦闘を開始した。──思えばこの選択が、最大の過ちだったのかもしれない。
「……──どこにいるんだ、ミシェル・ローゼラ……!」
見つからない。こんなに探し回っても、どこにも少女の姿は無い。
そんな筈はない。いるのは分かっている。ずっとこの日を待っていたんだ! 世界と世界の境界線が揺らぐ新月の日を!
あとはあの少女の力さえあればいい。不浄なる者達の魂や肉体は集まっていないが、僕がアルミドガルス様の依代となればいいだけのこと。僕如きでは依代という大役が到底務まらないことも重々承知している。だが、僕がやらなければ。
僕の絶望と、苦痛と、魂と、全てを捧げてアルミドガルス様を解放するんだ!
帝都を駆け抜け、何度目かの曲がり角に差し掛かる。
シューケルトが稼いでくれた時間を無駄にする訳にもいかず、足を止めることなく走っていたのだが……僕の足は、自然と、石になったように固まった。
「──────────え?」
角を曲がった先、進行方向から走ってくる人達。騎士のような揃いの服を着ているようだ。
「そ、んな」
ありえない。夢か、それとも幻覚なのか?
「ラーク──……」
信じられない。でもここは現実で、彼は間違いなく、あの子だ。あの子が成長した姿を何度も想像したんだ。だからわかる。信じられなくても、分かるんだよ。
──あの青年は、死んだ筈の僕の弟なのだと。
「おいラーク。あの男がお前の名前を呼んでた気がするが……知り合いなのか」
「まさか……浮気か? 浮気はよくないぞ、ラーク。浮気するヤツはぶっ殺すとクラリスも言っていた」
「えぇー! ラークにぃがオレ達の知らない男と仲良くなってる!」
「俺が浮気した前提で話を進めないでくれるかな!? 俺は昔からずっとディオ一筋だから!!」
「お熱いですなあ〜〜〜〜」
「? 近頃は丁度いい涼しさだと思うぞ、ジェジ。雨が多くてよくじめじめしているが」
「そゆコトじゃないんだよ、シャルにぃ」
男達は楽しげに話している。その中で、『ラーク』という言葉が聞こえてきた。ならばやはり、彼はラークなんだ。
失ったと思っていた僕の大好きな笑顔。──ずっと、君の笑顔が見たかったんだ。僕の存在が奪ってしまった、君の可愛い笑顔が……ずっと、ずっと、見たかった。
君は笑えているんだね。こんなにも理不尽で、絶望ばかりの世界でも。君が笑えているのなら……お兄ちゃんは、それだけで報われた思いだ。
たとえ、君が僕を憎んでいたとしても。
「──俺、あの人のことを知ってる気がする。まさか……いや、そんな……」
「心当たりがあるのか?」
「もう、記憶も朧げなんだけど。もしかしたらあの人は──」
ラークが何かを言おうとしたその時、
「ん? とゆーかあの人、さっきオレとシャルにぃが倒した女の人と同じ服着てねぇかにゃあ?」
「本当だ。つまりは敵ということか」
獣人の青年が呟いた。女の人を倒したと。
彼等が来たのは西部地区方面から……あちらに向かわせたのは──アフェクトム、だ。彼女も……犠牲になったというのか。僕と同じように過去を想う彼女にこそ、絶望とは無縁の新世界を見届けてほしかった、のに……。
「あの人も俺達の……敵、なの?」
「あの女の人と同じ服なんだからそうとしか考えられないにゃあ。あの女の人みたく暴れられたら大変だし、早く無力化した方がいいと思うぞお」
「…………でも、あの人、は……」
「……ラーク。俺は、お前の意思を尊重する。お前があの人と腹割って話したいって言うなら、どうにかしてその機会を作る。お前はどうしてぇんだ?」
「俺が、どうしたい、か……」
悩ましげに眉根を寄せたまま、ラークが一歩こちらに踏み出した。
「貴方は、俺のことを知っているん、ですか」
「……ああ。知っているよ」
「俺の名前も、知っているんですか」
「……名前も、僕がつけた愛称も、誕生日も、全部覚えている」
「俺は貴方の名前を、覚えていません。声だって、覚えていない。薄情な人間だと……嘲ってくれて、構わない」
「仕方ないよ。君はまだ幼かったから」
「──やっぱり……貴方は、俺の兄、ですよね」
「……そうだよ、ラーク。僕は君の……兄にあたる人間だ」
ラークから飛び出した兄という言葉に、彼の同僚と思しき青年達の目が丸くなる。
「名前、教えて、くれませんか」
「──ルシアルヴィート。ルシアルヴィート・サルベートだ」
「……サルベート。あの家の、名……じゃあ本当に……貴方は俺の……」
このまま彼と言葉を交わし続けてはいけない。──彼等は、僕達の敵なのだから。
ラークが生きていて嬉しい。また会えて嬉しい。本当に嬉しい。もっと笑顔が見たい。たくさん、君と色んな話をしたい。
──でも約束したから。皆と共に、我らが神が創る新世界を見届けると! 誰しもが笑って暮らせる世界へ必ず変えてみせると!!
僕の可愛い弟、ラックスディート。君が元気に成長していて、僕はすごく嬉しかったよ。生きていてくれて本当にありがとう。
どうか君も……いずれ訪れる新世界で、変わらず笑っていておくれ。
「──だが、今の僕はオーディウムだ。洗礼名オーディウム……それが、背負った覚悟と託された理想を追う名。僕は僕の果たすべき使命に、この身を尽くす」
蔦の義足が壊れないよう、片脚に力を入れて跳躍する。
やはり僕は甘くて、愚かな、凡人だ。彼等はアフェクトムの仇だろうに……ただ、その中に笑顔の弟がいるという理由だけで、彼等を見逃すのだから。
やはり僕は指導者足り得ない。そんな大層な器ではないのに指導者を騙ったから、今、こうして最悪の形で綻びが出てきたのだろう。
全て僕の所為だ。同胞達が志半ばで犠牲となったのも、何もかも……。
「あっ! ラークにぃの兄ちゃんが逃げた!」
「なんだあの脚力は。ラークのお兄ちゃんは兎さんの獣人なのか?」
「ジェジ、あの人を追え! 理解がまだ追いつかんが、あの人は一旦拘束した方がいい気がする!」
「兄さん……っ」
屋根を伝って逃げ出した僕を、獣人の青年が追ってくる。彼を目印にラーク達も走っているようだ。
だが、止まれない。南方の空を覆っていたプラッシピオの魔法はもう消えてしまった。その代わりとばかりに、屋根上からは僅かにレヌンティアツォらしき巨大な石像が見える。
彼女も、彼も、皆が懸命に戦ってくれた。僕達の願いを叶える為に。誰しもが笑って暮らせる世界の為に!
ならば、僕が歩みを止めるわけにはいかない。それだけは絶対に許されない。僕自身が、許さない。
「──見つけた」
西部地区南方の広場に、その少女は居た。
爆破騒ぎの余波で怪我をした善き人々を彼女は治癒しているようだ。天の力を与えられるだけはあり、心が清らかな少女らしい。
その傍らには、彼女の手伝いをしている黒髪の青年と橙色の髪の少年が居る。二人ぐらいならこの脚でも躱せるだろう。
「お待たせ致しました、我らが神よ」
屋根から飛び降り、金髪碧眼の少女に接近する。黒髪の青年が僕に気づいた。黒く蠢く短剣を構えこちらに向かってくる。大毒針で短剣を弾き、すかさず肉薄してきた青年を、跳んで躱す。
今はまだアルミドガルス様のご加護が僕を支えている。だからなんとか躱せるが……ご加護が無ければ、僕如きでは躱せなかっただろう。
「ロイッ!! ローゼラさんを守れ!!」
黒髪の青年が叫べば、橙色の髪の少年が僕目掛けて火の矢を放った。あの速度と精度で矢を生成して放つなんて、若いのに凄いなぁ。
でも。僕も、伊達に三十年近く生きていないんだ。
「火なら全て──僕の魔力で呑み込んであげるよ」
「なっ……!? おれの矢が……!」
アルミドガルス様のご加護で増幅した僕の、火の魔力。それで少年の火を呑み込んだ上で、着地し、一気に駆け抜ける。
「すまないね、ミシェル・ローゼラさん。決して君を傷つけはしない。だから……少しだけ、その力を貸してほしい」
「え────」
「──洗礼名オーディウムの名のもとに、この者の力を呑め、“暴呑暴喰”の権能よ!!」
少女の額に触れ、加護を通してアルミドガルス様の権能を発動する。その影響でふらりと倒れた少女を受け止め、そっと床に寝かせた。黒髪の青年と橙色の髪の少年が猛烈な殺意を手に駆けてくるが、もう遅い。
我らが神が持つ権能、“暴呑暴喰”。概念すらも喰らうこの力で、少女が持つ天の加護属性を僅かに呑んだのだ。──これで、最後の鍵は手に入った。
「我らが神アルミドガルス様! この身を捧げ、願い奉ります! どうか、この絶望ばかりの世界を変えてください────!!」
世界を繋ぐ鍵を使い、力の限り高らかに叫ぶ。
『──ああ。オマエ達の願いは、オレが叶えてみせる。……だが、オマエは犠牲にならんでいい。どいつもこいつも、オマエだけは死なせるなと訴えてくるのだ。だからすまんな、オーディウム。オマエはまだ、死なせてやれない』
神の声が頭に響く。
しかしそれでは、アルミドガルス様の肉体はどうするのだ。僕の不手際で魂も感情も足りていないのに。
「……まさ、か」
南部地区の方角からアルミドガルス様の気配を強く感じた。誰もが空を見上げている。天を仰げば、石化したレヌンティアツォが、暗黒の竜巻──に見える強大な力の渦に呑み込まれながら空に昇っていった。
何者かと接敵した彼は、この状況下では魂や絶望などが満足に集まらないと悟り、自ら身を捧げたのだ。
「あ、あぁ……っ、レヌンティアツォ……!」
仲間想いな彼だからこそ、真っ先にその選択に思い至ったのだろう。
──神の依代となれば、神の下に還る為、新世界には行けない。
あれ程に望んだ新世界へ僕達が行けるように……彼は自ら、この選択をしたのだ。
「────数千年ぶりだな、人間達よ」
強大な力の渦が霧散する。そこに在るのは、唯一にして絶対なる、翼を持つ黒い大蛇の神。
「此処に宣言しよう──……海帝アルミドガルスが、今度こそこの世の全てを呑んでやる」
もしかしたら来週の平日は火曜あたりから四日間ぐらい更新あるかもです。まだ未確定ですみません。あまり期待はしないでいただけますと助かります。




