748.Recollection Story:Odium
オーディウム視点、ほとんど過去話になります。
──すまない。
本当に、ごめんなさい。ごめん、ごめんなさい、シューケルト。
僕の所為で君は犠牲となった。僕が弱かったから。僕が愚かだったから。僕が、君を巻き込んだから。
「……ぅ、あ、ああああああああっ!」
走りながら、悔しさのあまり声が漏れ出た。
氷の精霊と吸血鬼と氷の血筋。火の精霊とシャンパージュの魔女が姿を消してもなお、その勢いは衰えることを知らず。常識の埒外にある者達の理不尽極まりない攻撃を、彼は一人で請け負った。
『ルシー。ここはオレに任せて、君は今のうちに逃げて。……そんな顔するなよ。二人で決めたじゃないか。いつか、どこかでどちらかが死んでしまったとしても……絶対に、オレ達はこの願いを叶えてみせるって』
吸血鬼に斬られた僕の脚の代わりを植物の蔦で造り、ロボラ──僕の無二の友シューケルトは、昔と変わらない綺麗な笑みを浮かべた。
『オレのぶんも、たくさん新たな世界を楽しめよな』
ずっと、僕を支えてくれた笑顔。
絶望してばかりの僕がギリギリのところで耐えられたのは、間違いなく、シューケルトの存在があったから。彼がずっと一緒にいてくれたから。彼が、昔と変わらない笑顔で僕の隣にいてくれたから。
そんな彼が僕を突き放した。僕に、生きろと。生きてこの悲願を叶えろと……昔から変わらない向日葵のような笑顔で背を押してくれた。
僕の親友。僕の花。ありがとう、今までもこれからも、僕は君と共に在る。君の想いも、願いも、君という花も全て──僕が新たな世界に連れて行ってみせる。
「君だけじゃない。ストプロムも、志半ばで旅立った同胞達も、皆を新世界へ連れて行ってみせる。絶望とは無縁の、幸福と希望に満ちた穏やかな世界へ……! 僕は、彼等の願いも、夢も、想いも、全て託されたのだから────!!」
目尻の涙を拭い、眦を決する。
これがルシアルヴィート・サルベートの決意であり、洗礼名オーディウムの覚悟。
あの日……全てに絶望した僕の元に、我が神がご降臨なされた日から、僕はずっとこの日を待っていたのだ──……。
♢
クサキヌア王国東部にあるサルベート領。伯爵位を賜るその家に、嫡男として僕は産まれた。
僕には五歳下の弟がいる。母親は違うのだが、それはもう可愛くって、僕はあの子のことが本当に大好きだった。
でも。弟の母親と、僕の母親は、僕達が関わることを拒んでいた。『妾の子と遊んではなりませんわ。あたくしの可愛いルシー』と何度言われたことか。あちらの母親からも、『あの魔女の子供が……っ、この子に近寄らないでッ!』と叫ばれてしまう。
だから二人の目を掻い潜り、僕にも弟にも優しくしてくれる使用人の協力を得て、僕は弟にこっそり会いに行っていた。
僕はたしかに嫡男だけれど、いわゆる才能というものには一切恵まれなかった。
ただ見た目だけは良いようで、僕の個性と言えばこの顔のみ。才能もなく、このまま伯爵になっていいのか怪しい平々凡々な人間。それが、ルシアルヴィート・サルベートだった。
しかしそんな僕にも友達ができた。
同年代の子達は女の子も男の子も一緒に過ごすうちに何故か皆おかしくなって、最終的に喧嘩になる。酷い時は流血沙汰にもなった。だから友達は諦めていたのだが、なんと! 僕にも素敵な友達ができたのだ! 名前はシューケルト。一晩中色んな本を読んでなんとか考え抜いた、僕発案の名前だ。
両親とピクニックに行った日、少し両親の元を離れて近くの村を探検していた時に、僕は彼を見つけた。
彼は少しだけ特殊な生い立ちのようで、それで今まで苦労していたらしい。だから彼がこれからたくさん笑って暮らせるように、僕がその手伝いをしよう。
あまり我儘は言わないようにしていたのだが、あの日、それはもう我儘を言った。とんでもなく駄々をこねて、渋る両親を説得することに成功。彼を使用人として引き取ることになったのだ。
──後に知ったのだが。使用人として引き取るにあたり両親が素性を調べたところ、なんとシューケルトはアンダーラ子爵家の出身らしい。……が、その変わった体質故に生後間も無く孤児院に預けられたようだ。
本人に言うかどうか両親に聞かれたが、僕は言わない選択を取った。なんとなく、彼にこの事実を明かしてはいけない気がしたのだ。
それからはや数年。
シューケルトは徐々に人並みの生活が出来るようになった。地道な努力の甲斐あって、体力と筋力が少しずつ増えてきたのだ。
『──いえーい! 僕の勝ちー!』
『ぜぇっ、はぁ……っ、大人げないぞぉ、ルシー……!』
『えへへ。だって僕まだ子供だもーん』
『むむむぅ…………!』
二人で屋敷の庭を駆け回って、空を見上げながらぜぇぜぇと大きく息を吸い、笑い合う。たまに隙を見ては弟に会いに行って、その成長を見守る。
そんなありふれた日々が、僕は大好きだった。
本当に、大好きだったのだ。
──⬛︎⬛︎⬛︎が、死ぬまでは。
あの子を殺したのは僕の実の両親だった。僕があの子を気にかけているのが気に入らない、なんてふざけた理由で、両親はあの子を殺した。
『全てはルシーの為なのよ。あたくし達の愛するルシー。どうか分かってちょうだいな』
『あれは卑しい女の胎から生まれたものだ。元よりおまえが気にかける程のものではない。』
……僕が⬛︎⬛︎⬛︎を好きになったから、あの子は死んだ。僕が悪いのだ。僕が、君のお兄ちゃんだったから。
もう嫌だ。死んでしまいたい。あの子が死ぬ原因となった僕なんて、消えてしまえばいい。
心の中で自分自身にグサリ、グサリ、と短剣を刺し続けた。
このまま壊れてしまえばいい。誰かが理不尽に傷つく理由となる僕なんて、生きていない方がいいんだ。だから死ね、今すぐ死んでしまえ。早く、死んでくれ。
『───死んだところで、失った相手には会えないぞ』
誰かの声が聞こえた。低くて、どこか寂しそうな、冷たい声だ。
『だれ、ですか』
『オレか? オレは……魔神ってやつだ。志半ばでどこぞの白いバケモノにぶん殴られて、拉致されて、訳の分からない悪魔にあっさりと封印されちまった。それはもう無様な魔神だよ』
『ま、じん。実在……したんだ……』
『実在するさ。オレだって自分が神なんてものになるとは思ってなかったが……ま、実際なっちまってんだから愉快な話だよな』
努めて明るく振る舞う魔神と名乗る声。だけどその言葉の節々からは、隠し切れない寂しさを感じた。
『魔神、様は……どうして、僕に話しかけて、くれたんですか』
虚空に向けて声を落とせば、暫しの沈黙を置いて魔神様は語りはじめた。
『──オレも、そろそろ休もうと思っていたんだがよ……懐かしい嘆きが聞こえたものだから。誰かを憎んだり、恨んだり、何かに絶望したり……苦しんだまま死ぬのは、きっと辛い。オレはその辛さを知らないが、あんな風に苦しみながら死ぬ人間なんざ一人でじゅうぶんだ。だから──……オマエの絶望を呑みに来た』
絶望を、呑む? この魔神は、いったい……何者なんだ?
『オレは──全てを呑む蛇の魔神。海帝アルミドガルスだ。…………一応言っておくが、この海帝ってのはオレが考えたものじゃないからな。オレの旧い友が、いつか王になったらこう名乗りたいとかなんとか言っていたのを思い出して何となく名乗っているだけであって、虚ろのバケモノと同列に語るのだけはやめろ。いいな?』
最後の方は何の話かよく分からなかったが、僕はこの時、藁にも──いいや神にも縋る思いだった。
『お願いします、魔神様。僕を殺してください。僕の弟は、僕の存在が理由で理不尽に殺されてしまったんです。僕がいたから、弟は死んだんです。だから──』
『オマエは殺さない。殺すとすればその理不尽の根源だ。オマエの絶望は呑んでやる。だが、オマエの命は吞まん。言っただろう……死んだところで想う相手になど会えないし、ましてや相手が生き返ることなど無い』
『でも……あの人達はもしかしたらまた、同じようなふざけた理由で理不尽に誰かの命を奪うかもしれない! 僕はそんなの……っ、耐えられない……!』
『──そのように己を客観視し、自身にまつわる脅威を正しく認知できるオマエは、決して間違えない。だが、オマエの言う“あの人達”はどうだ? オマエが生きていようが死んでいようが、その者達は浅ましくも他者の存在を免罪符に理不尽を振り翳す。一度過ちを犯した者は、二度、三度と同じ過ちを繰り返すだろうな』
『────』
そんなの、だめだ。僕が死んだ後、もしもシューケルトまで殺されてしまったら。僕は死んでも死に切れない。
生まれ変わってもきっと後悔し続ける。
じゃあ、どうすればいいの? どうすれば僕はあの子に償えるの? シューケルトを守れるの? 僕自身を、許せるの?
『……どうしても死者に贖いたいのであれば。その者を死に追いやった理不尽の根源を、消すしかなかろう。そういった手合いの者達は死んでも変わらん。寧ろその憐れな魂を救済してやればいいさ。……オレには、そんな資格は無いがな』
『僕に、できますか? そんなことが』
『さあ。それはオマエ次第だろうな。でも、まァ……オマエが本気で理不尽を拒むのなら、オレも協力してやる。なんたら同舟、ってやつだ』
誰とも会いたくなくて閉じこもった、暗い自室の中。ベッドの上で泣き喚く僕の前に、ぼんやりと光る人影が現れた。
いいや……人じゃない。これは、蛇だ。
『……オレだって神様だ。一度くらい人間の願いを叶えたって、きっと、許される筈だ。──さあ、教えろ。オマエの願いを。どんな絶望も、苦痛も、憎悪も、オレが呑み干してやる。その願いを叶える為に、オレの存在全てを費やしてやる。どれだけ時間がかかろうが、必ず叶えてみせるさ』
願い。僕の、望み──。
『……──みんなが、笑って暮らせる世界。あの子みたいに理不尽によって苦しむ人がいない、穏やかな世界……そんな世界に、なってほしい』
あの子も、シューケルトも、みんなも。世界中の人達が笑って暮らせる穏やかな世界。
そんな世界があればいいのにと、何も持たない凡愚の分際で浅ましくも望んでしまう。
『それがオマエの願いか。──ならば叶えてみせよう。魔神海帝アルミドガルスの名にかけて』
顔を上げる。すると、大人と同じぐらいの大きさの蛇が僕の顔を覗き込んできた。
『だが……きっと、その願いに至るまでの道は険しい。オマエは悲痛と苦悩に苛まれることになる。オマエだけは笑えないかもしれない。それでも、願うのか』
『──はい。僕はもう笑えなくていい。あの子の笑顔を奪った僕に、心から笑う資格なんてないから。みんなが笑って暮らせる世界になるのなら……僕は地獄の果てに堕ちてもいい』
『…………そうか。オマエの覚悟、しかと聞き届けた』
少し間を置いて、魔神様が続ける。
『オマエに、祝福を与えよう。……知っての通りオレは魔界に封印されている。封印が解けない限り、世界を変える程の権能は扱えない。過酷な道のりとなるが、オマエにはオレの封印を解いてほしいのだ。さすれば、今度こそこの絶望ばかりの世界を呑み干してやる。この力は過酷な道のりを進む杖とでも思ってくれ。……やれるか?』
『やります。やらせてください』
『……辛ければいつでも辞めろ。オレは人間の絶望というものが、この世界で一番嫌いなのだ』
『ありがとうございます。魔神様』
ふん。と鼻を鳴らして、魔神様は僕に告げた。
『オマエに名を贈ろう。──我が眷属、オーディウム。オレはオマエの神として、オマエの願いを叶えられるよう努める。だから……もう、絶望したまま死のうとするな』
優しい声でアルミドガルス様は言った。
この日。僕は我が神に救われ、そして誓ったのだ。
──この絶望ばかりの世界を変えてみせると。
続きは明日20時頃更新予定です。
よろしくお願いしますヽ(´▽`)/




