747.Main Story:その笑顔が何よりも愛おしく2
「姫はそこで待っていてくれ。あの花は──俺が全て刈る」
笑っている。こんなに楽しそうなフリザセアさんは初めて見た。あまりの美しさに圧倒され、しばしば凍りついたように身動きが取れなかった。
フリザセアさんの手中に現れたのは目を奪われる程に美しい氷の剣。先程のものとは少し意匠が違う。
彼が目に見えない速度で氷の花畑を駆け抜ければ、剣の軌跡をなぞるように氷晶が舞い、それはまるでオーロラのようにも見えた。
「……私にもできるかしら」
やりたい。みぃちゃんならきっと創意工夫でやってみせるだろう。オーロラのようにキラキラと輝く、氷のカーテン──
「ええと……ア、氷の……か……天幕!」
無理よ! みぃちゃんみたいに、その場で魔法の名前を考えるなんて私には難しいわ!
歌は個性的、絵は独創性がある、詩は世界観が頭一つ飛び抜けていて素晴らしい、ってハイラに言われたもの! 私だって王女だ。お世辞とかには慣れている。だから、ちゃんと気づいているのだ。
私はっ、こういった芸術センスが皆無なのよーーーーっ!
そんな私の嘆きが影響してしまったのか、オーロラになる予定だった氷のカーテンは、刃渡り二十メートルの出鱈目な氷のギロチンとなっていた。
あまりにも殺意が高い鋭利な巨大氷が、形だけオーロラのまま上空で生成されてしまった。
「なんじゃありゃぁ……」
「これは姫が作ったのか。いい氷だ」
デリアルド伯爵はたまげて、フリザセアさんは激甘な採点方式で評価する。
「氷の……ギロチン、なのか……っ!? 味方すらも犠牲にするなど、血も涙も無い氷の血筋め……!」
じわりじわりと迫り来る氷のカーテンに戦慄し、忌々しそうにこちらを睨むロボラ。
確かに、オーロラのように波打つ巨大な氷は、落下すればかなりの広範囲に攻撃を及ぼせるだろう。
意図的にそうしたわけではないのよ。私はただ、オーロラみたいに見える氷晶を自分でも出せたらいいなと……本当にそう思っただけで……ギロチンを出すつもりなんて一切無かったの…………。
「──ふ、ふふ。何を仰っているのかさっぱりですわ。フリザセアさんとデリアルド伯爵が、これしきの攻撃を避けられないとでも? まあ……人ひとり庇う貴方はどうかわからないけれど」
「ッ!!」
とりあえず、全力で乗っかっておこう。みぃちゃんならきっとそうする。
「外道め……ッ!」
「あら。酷いことを言うわね。私はただ、貴方達と同じことをしているだけなのに」
「同じなものか! オレ達は大義の為に戦っている。我らが悲願──誰しもが笑って暮らせる穏やかな世界を作りたいという、ルシーの優しすぎる夢を叶える為に戦っている! 自分さえ笑えればいいとのうのうと生きているお前達と違って! 優しい人が笑えないこんな世界を変えようとしているんだ! 同じこと、などと間違っても言うな!!」
彼の叫びに呼応するように、新たな花が氷を突き破って現れる。それに真っ先に対応したのはデリアルド伯爵。生えたそばから血の刃に刈り取られてゆく花々が、無惨にも戦場に舞う。
──誰しもが笑って暮らせる穏やかな世界。……なんて。本気で言っているのかしら……彼等は本気なのでしょうね。
「……同じと言ったことは訂正します。確かに私と貴方達は違う。私は貴方達のように優しくなれない。他人の笑顔なんてどうでもいい。誰しも? いいえ、そんな有象無象よりもただ一人、愛する人が笑ってくれるのならば私はそれで構わない。それがいい。他のものなんて何も要らない。貴方達は世界の為に少数を犠牲にしようとしているみたいだけれど……私なら、少数の為に世界を犠牲にするもの」
同じにしてごめんあそばせ。とドレスを摘んで軽く謝罪する。でも、と続けた。
「やっぱり、貴方達がやろうとしている事は私と同じだと思うわ。結局のところ私も貴方達も、この世界を犠牲にしようとしている点は一致しているもの」
「だから一緒にするなと言って──ッ!」
「世界を変えたいと願うのは、この世界に生きる全ての命とその過去未来現在全てを踏み躙り、犠牲にするのと同義よ。貴方達少数の独善的な願いによって、現行する世界は犠牲となる。ほら、一緒でしょう?」
ロボラは絶句した。
彼等はきっと、世界を変えたいという意思ばかりが先行していたのだろう。だがそれを現実のものに出来てしまう神の力を与えられたから、よりその願いを叶えることに執着していた。
だから、世界が変わることを望んでいない人間の犠牲──という不可逆的要素を勘定から外してしまったのだろう。
「……たしかにオレは独善的だ。それは認める。本当に世界中の人の笑顔や幸福を望めるルシーとは違う。でも、大切な人の笑顔を望んで何が悪い? その代償として世界がどうなろうが、オレには関係無い!」
「まあ。結局、私達は一緒ということになってしまいますね。どちらもただ、大切な人の笑顔が見たいだけ。その為ならば世界を犠牲にしても構わない。これで大義とやらは五分五分になったし……」
フリザセアさんとデリアルド伯爵がこちらの様子を窺いながら、蠢く花を次々と散らしてゆく。花弁と氷晶が舞う戦場では、巨大なギロチンと化した氷がゆっくりと落下していた。
そんな巨大ギロチンの下で、ロボラと向かい合って氷の剣を構える。
「ここまでくれば、どちらの執念がより強いか──今回はただそれだけの勝負になりそうですわね。私の方が大切な人の笑顔を望んでいること、ここで証明しましょう」
「オレの方がその想いは強い! あの笑顔を守る為ならなんだってするって決めてるんだ──だから失せろォッ! 氷の化け物ォ!!」
猛毒の花マランコミダが現れる。なんと、同時に十本も。でも大丈夫だ。今の私は一人じゃない。デリアルド伯爵とフリザセアさんがいる。
その花は猛毒です! と叫ぶとフリザセアさんが冷たく「絶対零度」と告げ、マランコミダだけが時を奪われ氷のまま砕け散った。
「クソッ、出鱈目な連中が……!!」
荒れ狂う花々は氷の剣で一枚一枚丁寧に花弁を落とし、茎や葉だけ木っ端微塵にしている。氷晶と花弁が小鳥のように舞う様は、とても幻想的なものだった。
……うっとりしている暇はない。気を取り直して、私はロボラに視線を繋いだ。
私にはみぃちゃん程の戦闘能力はない。体は鍛えられているし、みぃちゃんの訓練はずっと見てきた。でも私にはその実感が無い。
知識として理解はしていても、実際に体を動かしてきたわけではないから、体が追いつかないのだ。
あくまで体を動かしていたのはみぃちゃん。経験も全て彼女のもの。だから彼女のように剣で戦うことは出来ない。──でも、魔法なら。
詠唱文は全て覚えている。彼女が脳内で思い浮かべていた魔法のイメージも、私は寸分違わず記憶している。だから、魔法なら彼女と同じように戦える。彼女と共に戦える!
「凍てつけ、水の鎖──水氷鎖」
ロボラが操る蔦や花を避け、魔法を発動する。
水色の魔法陣から飛び出した無数の水の鎖。それが瞬く間に凍てつき、ロボラの体に絡みつく。締め殺さんとばかりの強さで締め付ければ、ロボラは「ぐぁ……ッ」と苦悶の表情で呻いていた。
そこに更に畳み掛ける!
「水よ、氷となりて矢の如く駆けよ。氷雨!」
垂らした水を氷に変えて落とす槍雨と、水の矢を放つ水圧砲の合体技。
迫り来る巨大ギロチンの隙間を縫って上空から降り注ぐのは、凄まじい速度で射出された氷の矢。
それが集中豪雨のようにロボラを襲う。
「まだそれ程の魔力を……ッ!」
ロボラは黒い花を咲かせる不気味な蔦を二本生やして、無数の氷の矢を弾く。
「まだまだぁ!!」
「──そう来ると思ったわ」
体を拘束したのだ。上空から降り注ぐ際限の無い攻撃を防ぐとなれば、こうやって蔦を生やすしかない。その間は、意識がどうしても上空に向く。
「水鉄砲」
指先に魔力を集め、高水圧の弾丸を放つ。それはロボラの左脇腹を貫いた。
「ぐ、ぅうッ!?」
「──トドメは刺しておくべき、だよな」
脇腹を撃たれ悶絶するロボラに、デリアルド伯爵が追い討ちをかける。瞬く間にロボラに肉薄し血の極長剣で逆袈裟斬りを放つと、ロボラの胴を裂くように血が溢れ出す。
溢れ出た血は意思を持つように宙を漂い、やがてデリアルド伯爵を避けるように飛び散る。血を大量に失ったロボラは、正気を失った顔で糸の切れた人形のように倒れた。
「……倒せたのかしら」
上空の巨大ギロチンを消滅させながら、呟く。──だけど、何か、嫌な予感がする。
「おいアミレス二号。一人足りねぇぞ。俺が脚斬った奴がいない」
「え──?」
そうだ。先生とやら。あの男の姿がどこにも無い。ロボラと戦っている間に、片脚を失った人間が一人で逃げたというの? でもどうやって?
「……ふ、はは。ざまぁ、みろ……るしー、は……しなせ、ない……おれ、が……るしーを、まも……る…………」
虫の息のロボラが、掠れた声で呟く。
「かみ、よ。おねがい、します……るしーだけは……ぜったい、しなせ、ないで……ください。おれは、どうなっても、いい……から……」
まさかこの男──神の力を使った時点で、先生を逃す為に犠牲になるつもりだったの? 勿論、勝つつもりではあったのだろうけれど……もし万が一勝てなくても、彼だけは逃げ切れるように時間を稼いでいたのか!
「試合に勝って勝負に負けるとは、このことを言うのね……」
悔しい。ここまで来て、手負いの人間をみすみす逃すなんて。
「だから無意味な花を乱れ咲かせていたのか。神の力が僅かに混じる、魔力を過分に含んだ花……それによってあの人間達の気配や魔力が探れなくなっていた。蔦が縦横無尽に暴れていたのは、視線誘導といったところだろう」
「悪ぃな、アミレス二号。俺があの時首を落としておけばこうはならなかった」
「デリアルド伯爵やフリザセアさんに非はないです。二人を主軸に戦っていたのだから、私があの男を見張っておくべきだったのに……」
いくら後悔しようが結果は変わらない。
私は敵方のリーダーを、みすみす逃してしまったのだ。……きっと、みぃちゃんならこんな初歩的なミスはしなかったんだろうな。
今ここにいるのが私だったから。お父様の期待に何一つ応えられない、出来損ないの悲運の王女だから。
上手くやれなくてごめんなさい、みぃちゃん────。




