745.Recollection Story:Robolar
洗礼名ロボラ(花の人)の過去です。
誰も、オレを受け入れてくれなかった。
気味の悪い生き物だと忌避し、倦厭する。
それも仕方のないことだった。何故ならオレの体は普通じゃない。
まず目の色が左右で違う。そして生まれつき体のあちこちに植物のツタのような痣があり、それが時間が経つ程に伸びて、全身を這うのだ。
そりゃあ、誰だって気味が悪いと言う。
極め付けは……この心臓。医学知識が中途半端にあるオッサン曰く、オレの心臓は止まっているらしい。確かに脈拍というものがオレには無い。つまり、オレの体は生まれながらに死んでいるのだ。
当然、心臓が止まっているのに生きている人間など、誰もが忌避するだろう。
だから仕方ない。魔力暴走でこの心臓に生えた花が心臓を侵蝕して乗っ取り、その根がこの体における血脈や神経の役割を担う、正真正銘の非人間。……それがオレなのだから。
本来ならば死んでいるはずが、暴走した魔力によって無理やり延命させられている影響で、オレは酷く貧弱な人間だった。
ほんの数十歩程歩いただけで息切れする。絵本より重たい物は持てない。一階ぶんの階段を登るのに何十分とかかる。数日に一度は熱が出て、誰にも看病してもらえず泣きながら眠れぬ夜を越す。その繰り返し。
オレは、孤児院の鼻つまみ者だったのだ。
その日はよく晴れた日だった。
どうしてかは分からないが、オレは日光を浴びれば少しだけ元気になれた。だから何十分とかけて孤児院の階段を降り、肩で息をしながら辿り着いた人気のない裏庭の隅で日光浴をしていた、その時。
『───ねえ! そこで何してるの?』
柵の向こうから無邪気な声が聞こえてきた。
普段、誰かに話しかけられることなんてまず無い。なんとか顔を向ければ、そこにはツヤツヤな肌の子供がいた。
おそらくは、オレ達と違う『きぞく』という存在なのだろう。『きぞく』なら、こんな『きしょくわるい』人間でも、ここまで嫌われなかったのかな。
幼いオレはそんな夢ばかり見ていた。
『…………おひさま、みてる』
孤児院の大人や他の子供達を真似して喋ると、
『日向ぼっこかぁ……! いいなあ、僕もやる!』
その男の子は柵をよじ登り、よっと乗り越えてきた。そしてオレの傍に座って、にっこりと笑う。
『わあ……すごく綺麗な目だね! ねえねえっ、きみ、名前は?』
『なまえ……しら、ない。でも、よく『もんすたー』『きもちわるい』『しねばいいのに』って、いわれる。これが、おれのなまえ?』
『え…………それ、本当? 本当に、そんなことを言われてるの?』
よくわからないけど、男の子の表情が孤児院の大人達とそっくりなものになって、少しだけ怖かった。とにかく、孤児院の子供達を真似て首を縦に振ってみた。人の話を聞く時はこうした方がいいらしい。
『…………そう、なんだ』
それ以降、話題を変えるように男の子はオレについてあれこれと聞いてきた。だから教えた。心臓に花があること、体中の痣のこと、オレの知る限りのオレのことを。
しかし時間が過ぎるのは早いもので、日が暮れ始めた頃に彼は帰ってしまった。『また明日ね』と去り際に笑顔で言われた言葉を、あの日のオレは理解できなかったが……それでも胸のどこかがじんわりと温かくなった気がしたのを、今でも覚えている。
翌日。男の子は宣言通り同じ時間にやって来た。──何人もの大人を引き連れて。
『あたくしの可愛いルシー。本当に、孤児を引き取るの? 使用人はじゅうぶん足りているわよ?』
『うん。どうしてもお友達になりたい子がいるんだ』
『はっはっはっ。あまりおねだりしないルシーが初めて駄々を捏ねたんだ。親として、快く聞いてやろうじゃないか』
『もう、あなたったら……』
男の子が連れて来たのは両親だった。『きぞく』だとは思っていたが、男の子はこの領地を治めるサルベート伯爵の子供だったのだ。彼等の来訪に孤児院は大騒ぎになった。
──これは後から聞いた話だが、オレへの虐待疑惑でこの孤児院に勤めていた大人達は全員解雇になったそう。その後派遣された職員による指導が厳しすぎて、子供達もきちんと教育されたとか。
男の子はオレを見つけるなり楽しそうな顔で笑い、『見つけた!』と走って来て、開いた手をずいっと出してきた。
『改めまして……僕はルシアルヴィート。ルシーって呼んで!』
ルシアルヴィート。これがなまえ?
オレには無縁なものだ。そう、目の前にある手とルシアルヴィートの顔を交互にじっと見ながら、考える。
『……もしかして、手を繋いだこと、ない?』
それはなんだろう。子供達がよくやっているやつだろうか。
首を傾げながらも、痩せこけた手を伸ばしてみる。だけどルシアルヴィートに触れる直前で、オレは思い出した。
誰もオレには触ろうとしない。他の子供達はお互いべたべたしているのに、オレだけは何も無い。オレは、人にさわっちゃ駄目なんだ。
固まった腕をなんとか引っ込めようとしたら、それを見たルシアルヴィートが更に手を伸ばして無理やりオレの手を掴んだ。
『あ、さわっちゃ……っ』
『へへーんだ。つかまえたぁ。今日からきみと僕はお友達だからね。僕の家で、たーっくさん、日向ぼっこしようね!』
ルシアルヴィートがオレの手を引っ張って、無理やり立たせた。そのままずんずんと、オレの手を引っ張ったまま進んでいく。
もちろんオレはすぐに息を切らした。するとルシアルヴィートは慣れた様子でオレを背負い、また歩き出す。いつの間にか孤児院の入り口まで来ていた。そこでルシアルヴィートは一度オレを降ろして、向かい合う。
ごほん、とわざとらしく咳をして、ルシアルヴィートは夜明けの太陽のようにきらきらと笑った。
『僕、実はきみの名前を考えてきたんだ。──“シューケルト”。きみの綺麗な目みたいに、黄色と青色の花びらを持つ、綺麗なお花の名前なんだ。綺麗なきみにぴったりだと思って……どう、かな?』
シューケルト。それが、オレのなまえ?
なまえがどういうものか、いまいちよくわかっていないけど……オレのもの。オレの、なまえ。そう考えると自然と胸がポカポカとした。
『シュー、ケルト。おれ、シューケルト』
『! 気に入ってくれたのかな? そうだったら嬉しいなあ』
言って、ルシアルヴィートはまた笑い、手を伸ばしてきた。
──こうして、オレとルシーは出会った。
オレのような非人間を人間のように尊重し、友達になってくれた……心優しい彼との出会いの日。
あの日のことは、今もまだ脳裏に焼き付いているとも──……。
♢
『聞いてよシューケルト! 今日、二ヶ月ぶりにあの子に会えたんだ! 話せたのは、リリアナ夫人がいなかったほんの十数分の間だけなんだけど……本当にもう、可愛くって』
『また弟自慢か? そうは言っても、オレはまだ一度も会えた試しがないからなあ。君とはあまり似てないんだろ?』
『うん……僕とあの子は腹違いだから……でもそんなの関係無いぐらい、僕はあの子をすごく可愛がってるし大好きなんだ。……何やらもう反抗期が来ているような気もするけれど、いいんだ。反抗されても僕があの子を大好きなことに変わりはないし! とにかく、いつかシューケルトにもあの子と会ってほしいよ』
『いいの? オレが弟さんにメロメロになって、君を蔑ろにしてしまうかもしれないぞ』
『えっ。僕のこと、蔑ろにするのかい……?』
『しーなーいーよー。冗談だから、冗談。オレはルシアルヴィート様付きの使用人ですので』
『使用人云々以前に君は僕の友達だろう!?』
ルシーの元に使用人という形で引き取られてから数年。
心臓に咲いた花に栄養を持っていかれ、成長がかなり遅れている貧弱な肉体。この体質のことでサルベート家の方々には散々ご迷惑をおかけしているものの、ルシーのお気に入りという一点のみで、オレの存在はお目溢しいただいている。
どうやらルシーは相当、伯爵夫妻から愛されているようだ。
だがそんな伯爵夫妻にも、ルシーは少なからず不満があるらしい。あのルシーがだ。オレのような気味の悪い非人間すらも受け入れ、笑って手を差し伸べてくれたあのルシーが。人を疑うことを知らず、人の優しさを心から信じるあのルシーが。
ルシーはこの通り、少し歳の離れた腹違いの弟を非常に可愛がっている。しかしこの腹違いの部分が厄介らしく……ルシーは伯爵夫妻の子で、弟は王命で仕方なく娶った後妻との間に出来た子なのだとか。
妻を愛している伯爵は後妻のリリアナ夫人とその子共を冷遇し、妻であるティフィーラ夫人とルシーを溺愛している。そして、そんな夫婦の間に割り込んできたリリアナ夫人を、ティフィーラ夫人はひどく敵視しているらしい。
よって、ルシーは大好きな弟と全然触れ合えない日々を送っていた。
それでもこうして隙を見ては弟に会いに行き、無事に会えたらそれはもう嬉しそうに報告してくる。正直、オレとしてはルシー以外の人間なんて興味無いしどうでもいいんだけど、ルシーが凄く嬉しそうに話すものだから。
この笑顔が見られるなら、まあ、いいかと。
顔どころか本名すらも知らない弟さんに、オレはこっそり感謝していた。
──だけど。ある時期から、ルシーはおかしくなりはじめた。
極端に笑顔が減った。口数も減った。何かに悩むような表情が増えた。でも、オレでは何の力にもなれない。
だけど、どうにかしたい。ルシーに笑ってほしい。そう考え、ルシーが好きだと言っていた花でとびきりの花束を作って渡そうと考えたが……事件は起きてしまった。
『シューケルトッ! シューケルト……っ、大変だ!』
『ど、どうしたんだ?』
『あの子がどこにもいないんだ。屋敷中のどこにも! あの子は滅多に部屋から出られないのに……っ、父さんと母さんがあの子に何かしたんだ!!』
鬼気迫る様子で、ルシーはそう言い残し走り出した。
ここ最近思い悩んでいたのは、両親への不信感によるものだったのだろう。ルシーは不器用すぎるぐらい優しい。そして人一倍、普通なのだ。だからこそ成長して分別がつくようになり、両親が自分ばかりを愛して可愛い弟を蔑ろにする状況に耐えられなくなった。
それが、あの表情の答え。
『……ルシーのあんな顔、はじめて見た』
やっぱりルシーは笑った顔がいい。ずっと笑っていてほしい。
あの日、太陽みたいにオレを照らしてくれた、あの笑顔のままで。ずっと苦しまずに、オレみたいな思いだけはせずに、生きてほしい。……それがオレの望みなのに。
現実とはなんとも理不尽なものだった。
結局ルシーの弟は見つからなかった。ルシーを可愛がっていた使用人のうちの一人が、『ここだけの話なんだけど……』とこっそり教えてくれたのだが、やはり伯爵夫妻の仕業で間違いないらしい。
ルシーが弟のことをやたらと気にかけているのが、伯爵夫妻的に面白くなかったらしい。金で雇った人間を使って、弟を処分したというのだ。
話すか迷ったけれど、何でもいいから情報が欲しいとルシーが言うから。誰から聞いたかは伏せて、聞いたことを全て話した。──そしてそれをすぐさま後悔した。
『────僕の、せいで。あの子、は……死んだ、の? 僕が……あの子を、殺した……』
『違うっ! それだけは絶対に違う! ルシーは悪くない!』
ルシーは本当に弟を可愛がっていた。両親のことを心から尊敬していた。
そんな両親への失望と、弟を死に追いやったのが自分だという思い込み。その二つが彼を絶望の底に突き落とした。
──オレでは、ルシーの希望足り得なかったのだ。
それからというものの、ルシーは日に日にやつれていった。両親への態度は悪化するばかりで、いつも朗らかだったルシーが、まるで復讐鬼のような形相で睨んでくるものだから……伯爵夫妻もヒィッと悲鳴を上げていた。
オレの慰めの言葉は届かない。オレでは、ルシーの手を引いて歩けないのだ。
そんな自分が憎らしい。オレはルシーに救われたのに。あの手に全てを貰ったのに! それなのに、オレはルシーを救えない。ルシーの傷を癒すことも、埋めることも、オレには出来ない。
だからせめて寄り添おう。ルシーがまた笑えるその日まで。それだけがオレに出来ることだから。
そう、思ったのに。
『───シューケルト。僕は、神に仕えようと思う。この絶望ばかりの世界を変える為に』
覚悟を決めたような表情で、彼はオレに宣言した。──この世界を変えてみせる、と。
オレは、寄り添うことすら許されなかった。
ルシーを救ったのは神だという。それも、天空教の神々ではない蛇の神。
正直、最初は信じていなかった。
ああ……でも。神が実在するかどうかなど、もはやどうでもいいんだ。
だって、君が笑ってくれるから。
ルシーが笑えるのなら、オレはなんだっていい。
君が笑えないこんな世界は滅んでしまえばいいさ。ルシーが笑っていてくれるのなら、そこが新世界だろうがどこだろうが構わない。
ルシーが笑ってくれるのなら、オレはどんな存在にだって傅いてやる。だからお願い、オレを置いていかないで。
オレじゃあ弟の代わりにはなれないだろうけど、でも、オレはルシーの友達だから。ルシーが一人で苦しまないでいいように、オレも連れていって。
『あの子に与えられた理不尽。その根源を断たなければ……』
ルシーが笑ってくれるなら、オレは何だってするよ。
君はきっと憎い存在への復讐すら良心が咎めるだろう。だからオレがやる。それがきっと、寄り添うことも救うことも出来ないオレが、君にしてあげられる唯一の事だから。
『ルシー。君が世界を変えたいなら、オレも協力するよ』
『シューケルト……ありがとう。君が一緒なら心強いよ。本当に、ありがとう』
……オレが笑顔にしてあげられたらよかったのに。
ズキズキと痛む胸から目を逸らし、この日オレは、ルシーと一緒に茨の道を進む覚悟を決めた。




