743.Side Story:騎士よ、剣を取れ。2
空を覆う禍々しい色。建物の上、どこかの通りで屋根よりも高い場所をのそりのそりと動く筋骨隆々な上半身。
帝都南部地区はまさに混沌とした様相を呈していた。
その中で響く、剣と剣が衝突する音。その剣戟の激しさたるや、いつ剣が折れてもおかしくはない程だ。
しかし、どちらの剣も未だ健在。それどころか……イリオーデの剣に至っては傷一つつかない。
「…………これだけ斬っても死なないなんて。心臓を刺されたのに、どうしてまだ戦えるんだ?」
肩で息をしながら、洗礼名インヴィダは眉を顰めた。
眼前では、身体中から血を流すイリオーデが凛然と立ち剣を構えている。ごぷっと口から溢れた血を手で拭い、イリオーデは洗礼名インヴィダを冷たく睨んだ。
「この剣が折れない限り私は死なないし、私が死なぬ限りこの剣は折れない。ただそれだけだ」
(──だが、勝てない。たとえ死なずとも……今の私では、この男に勝てない。妖精女王近衛隊のエディエラ卿もそうだった。騎士では…………彼等のような卓越した者に勝つことは敵わない)
イリオーデは、その剣──その志が打ち砕かれない限り、決して死なない。故に彼はまだ戦場に立っている。
神の加護を得た洗礼名インヴィダの攻撃は、かつて神童と呼ばれたイリオーデすらも防御に徹する程であった。
しかし、防御に徹してもなお防ぎきることは出来ず。天才たるイリオーデが、なんと全身に傷を負っていた。
確かにイリオーデは天才だが、彼が神童と呼ばれていたのは、アミレスの騎士となる前の話。今の彼はあくまでただの天才に過ぎない。
ならば何故、幼い彼は神童とまで呼ばれていたのか。
(……そうだ、思い出した。あの日も私は、この身を剣に貫かれたのだ)
思い出すは、幼い頃の記憶。
『お前は騎士であらねばならない。いついかなる時も、お前は騎士であらねばならないのだ。騎士でなければお前は──……』
カランカランと剣を落とし、焦りから顔を青くして、厳格な父親は縋るような姿勢で必死にイリオーデへ言い聞かせた。
『お前は、兵器となる。ただ生きているだけで……お前が剣を取るだけで、多くの命が奪われてしまう。だから騎士となれ。誰のものでもないその身を、その剣を、誰かのものにするのだ。誰かに捧げるのだ! お前は騎士にならなければならない。騎士ではないただの剣のお前は……人類にとっての脅威となってしまう。だから頼む、イリオーデ──帝国の剣として、この国の為の騎士になってくれ。父は……息子が巨悪とされ、多くの者から命を狙われる様など、見たくはないのだ』
祈るように言い聞かされた騎士道。そしてそれ以外の道はないとばかりに用意された、騎士としての人生。
それらが、イリオーデの根幹に関わる呪い。
彼を生粋の騎士たらしめる父の言葉と、騎士道。前者を忘れていたのはきっと、アミレスの騎士になった時点で不要と判断された記憶だったからだろう。
だからイリオーデはただひたすらに騎士道に従い生きてきた。──あの、未来の悪夢を除いて。
(……剣ならば、まだ勝機はあったのだろうか)
「──私は騎士になったぞ、父さん。だから……一度だけ、戻る事を許してくれ」
かつて父が望んだのは国の為の騎士となること。だがイリオーデはその願いに反し、王女の騎士として永遠の忠誠を誓った。
図らずもあの誓いが、イリオーデという帝国の剣の化身を、神の座から引きずり堕としたのだ。
神童は天才へ堕ちた。かくして、ただの剣は誰かの騎士と成ったのである。
「っ!」
(──なんだこの身の毛がよだつ魔力は……!?)
全身から血を流し、極めつけに心臓を貫いてもなお膝をつかない騎士。口から血を流す男は、がくりと項垂れたまま固まっている。
彼の言い分は意味不明だ。もはやこのまま首を斬るほかない。
洗礼名インヴィダが僅かに剣を傾けた瞬間、イリオーデから得体の知れない魔力が溢れ出した。
「この身は、あの御方の騎士であり、あの御方の剣。我が身命が尽きるその日まで……我が剣、我が志が打ち砕かれるその時まで、この身の総てを王女殿下に捧げると誓った。ならば──生きている限り私は戦う。騎士として。そして、剣として────」
ドクン、と心臓が強く脈打つ。魂に刻まれたものが疼く。
怪しく光る何かが愛剣を這い、イリオーデの胸の前では黒く澱んだ魔法陣が不気味に煌めいている。
「──やっぱり、とんだバケモノじゃないか」
洗礼名インヴィダが乾いた笑いをこぼす。
戦闘中に彼が感じたイリオーデへの恐怖。それがついに牙を剥いてきたものだから、洗礼名インヴィダは手足の震えと共に脂汗を滲ませた。
「魂の喝采を。この身、この命、この忠義、その総てに祝福を。──告げる。我が身は剣なれば……決して折れること勿れ。決して砕けること勿れ。忠義を此処に。命を此処に。総てを此処に。私は、アミレス・ヘル・フォーロイト様だけの剣である」
血を垂らす口元からぶつぶつと紡がれる詠唱。
彼の足元を照らすように現れた黒く澱んだ魔法陣が、波打つ水面のように広がりその濃さを増してゆく。
「彼方の妄執は目醒める」
おもむろに上げられた端正な顔。誰もが目を奪われる美丈夫の顔は喀血で僅かに赤いものの、生気を吸われたような青白いものになっていた。
何より特徴的なのはその瞳。
浅葱色の涼やかで美しい彼の瞳は──光を失い、焦点が合わない。
「……私は剣。王女殿下の剣。あの御方の敵は──全て毀す」
不穏な黒い光を受けイリオーデの愛剣がキラリと光った、直後。傷だらけの騎士の姿が消えた。
洗礼名インヴィダが目を瞠った瞬間、凄まじい悪寒が殺意を伴い背後から首を狙ってきた。それはまるで、死神の鎌のように思えて。
「ッ!!」
(──いつの間に!?)
咄嗟に屈むと、自分の首があった位置に一閃の殺意が放たれていた。
(我が神の力が無ければ、間違いなく避けられなかった。あの瞬間に死んでいた。──なんなんだよ、このバケモノ……?!)
神の加護で跳ね上がった身体能力で取れる限りの距離を取っても、青い髪の騎士はあり得ない速度で追いついてきては、比べ物にならない殺意を淡々とぶつけてくる。その恐怖たるや。
彼によるバケモノと言う評は正しい。
イリオーデ・ドロシー・ランディグランジュは、歴代ランディグランジュ家当主達による『王の剣』への妄執が積み重なり、それが考えうる限り最悪の形を取って産まれた存在。
妖精に祝福されたテンディジェル家の分家筋出身の、初代ランディグランジュ卿──ドロシー・ランディグランジュは、その圧倒的な強さからフォーロイト王家の騎士となった。
子々孫々に至るまでその強さを求められ、かつての栄光とその強さに取り憑かれた歴代ランディグランジュ家当主達の妄執が呪いとなり、理想の騎士を──ドロシー・ランディグランジュを超える存在を作り出してしまったのだ。
時を重ね『王の剣』から『帝国の剣』へと変わろうとも。ランディグランジュ家当主の願いは変わらず。
よもや……子孫が生まれながらにしてその身を呪われ、破壊的なまでの剣才の代償に人間性を失う事になるとは、考えもしなかったのだろう。
妄執が転じた呪いを生まれながら魂に宿していた、一つの剣。
ランディグランジュの妄執の化身たる、イリオーデ・ドロシー・ランディグランジュが持つ魔力属性は二つ。
風の魔力と──……呪の魔力だった。
「〜〜〜〜ッ!!」
「あの御方の道を阻む者は、等しく死に絶えよ」
人の身ではあり得ない破壊力と膂力。もはや避けることも叶わず、仕方なくその剣を受け止めた洗礼名インヴィダの全身から、悲鳴が上がる。
神童と呼ばれていた頃のイリオーデは、まだ騎士ではなかった。物心つく前から騎士道を叩き込まれ、それがなけなしの人間性として存在していただけの、研ぎ澄まされた剣そのもの。
いつ誰を傷つけるか分からない、ただ剣を振って全てを斬るだけの怪物。それが、幼きイリオーデだった。
そしてそれを知るのは、父である先代ランディグランジュ侯爵だけだったのだ。
イリオーデが歴代当主の妄執に呪われていることなど誰も知らない。誰しもが、イリオーデを神童だと持て囃すだけだ。ランディグランジュ家当主ではない自分以外には、到底理解もできまい。
ならば、我が子を呪った責任を私だけでも取らねば。──そうして、先代ランディグランジュ侯爵はイリオーデをランディグランジュ家当主に据える事にした。
それが、全ての歯車を狂わせる選択になるとも知らずに。
やがて王女の騎士となったことで、イリオーデ・ドロシー・ランディグランジュは妄執の神の座から堕ち、ただの人に成った。
その時点で『神童』だった頃の破壊的な剣才は魂に封印されている。呪われた剣は、王女の騎士という生涯の誓いによって封じ込められていたのだ。
──しかし。今、騎士では勝てない相手が現れた。
ならば、呪われた剣を使うしかない。二度と逆戻りしてはならないと、剣と共に封じられた記憶を取り戻してしまったから。
王女の騎士でありながら、イリオーデは呪われた剣を再び振る────。
「がッ、ぁ、ああッ!!」
鬼神と見紛う程の猛攻の末、イリオーデは洗礼名インヴィダを追い詰めた。騎士を経たからか剣だけでなく体術まで使って来るこのバケモノは、剣による一撃を防いだ洗礼名インヴィダを容赦なく蹴り飛ばしたのだ。
轟音と共に家屋の壁に衝突し、血と唾液を吐き出して、洗礼名インヴィダは一瞬意識を飛ばした。瓦礫の上にカランと剣が落ちた音で彼は意識を取り戻したものの、今の衝撃で骨がいくつも折れており、何度かイリオーデの剣を防いだ影響で手足に力が入らない。
(ここまで、なのか。センセー、セリヴァリン……ごめん、なさい…………)
霞む視界を埋め尽くす、青い騎士。
作り物のような冷たい表情と光を失った瞳で、こちらを見下ろしている。静かに剣を掲げ、洗礼名インヴィダの首を落とさんと動かした瞬間、
『───今も昔も私の騎士は貴方だけよ、イリオーデ。私の元に戻って来てくれてありがとう』
脳裏で鈴を転がすような声が響いた。
(……そうだ。私は、騎士なのだ。我が剣は王女殿下のもの。私だけが、王女殿下の騎士で……王女殿下の、剣)
動きが止まる。
妄執と誓いが、呪われた剣と王女の騎士が、せめぎ合っているのだ。
(王女殿下ならばきっと…………この男を、殺しはしない。ならば、私も。王女殿下の騎士として、恥じぬ……選択、を)
ゆっくりと剣を降ろし、イリオーデは片目を覆うように手を当てては、その場で膝をついた。
無そのものだった表情は、今や苦悶に染まっている。
「……っ、今更、呪いを解放したから、か……!」
呪われた剣を再度封印しようと試みるが、中々どうして難しい。呪いが理性を侵蝕するのだ、相応の苦しみがイリオーデを襲う。
このままでは理性も危うい。理性が失われては、それこそ呪われた剣の──『神童』と呼ばれたランディグランジュの妄執の化身が、あの頃より遥かに成長したこの肉体で、世界に解き放たれてしまう。
(それだけは、避けなければ……っ! 王女殿下の騎士として私は死ぬのだ────!)
瀕死の洗礼名インヴィダを放置し、呪いに侵され静かに呻くイリオーデの元に、二人の男が接近する。
男達はキャンキャンと口論しながら何故か並んで歩いていたのだが……イリオーデ達を発見するやいなや、ギョッとした様子で駆け寄ってきた。
「どうしたんだイリオーデさん! 無事かい!? 君程の男がこんなにも重傷を負うなんて……っ、というか何このとんでもない呪い! 国一つ呪い殺せるレベルだけど!?」
波打つ深緑の髪を振り乱し、黒衣の男──ロアクリード=ラソル=リューテーシーは膝をついてイリオーデの顔を覗き込んだ。
「……リード、か……私を、眠らせて……くれ。その後にでも、この呪いを、封印して、ほしい…………」
「え? 封印? いやいやいや、こんなの今すぐにでも解いた方が──、まさかとは思うがこの呪い……君の魂に根付いているのか?」
「……そうだ。消すことは、できない。これは私が抱えなければならない……代償、なんだ」
「いつも意味が分からないことばかり言うし、何でも一人で背負い込もうとするよなあ君達主従は! ああもう分かったよ封印してやるよこんちくしょう!」
何故かキレ気味のロアクリードが必死に封印作業をしていると、遅れてやってきた紳士服の美青年が、絹のような白金の髪の下で檸檬色の瞳を丸くして呟いた。
「──ラファエリス? どうしてこんな所に。それにその服は……」
「………………聖人、さま」
名を呼んだ声に引かれてなんとか上を向いた洗礼名インヴィダの前には、一目お目にかかる事すらも難しかった、尊い人が立っている。
「おれの、こと……覚えて、くださっていたの、ですか…………」
「……当然だとも。僕が君を聖騎士に任命したのだから。ウォーベルライトの若き天才、ラファエリス卿」
「はは…………身に余る、光栄……です……」
(──未だに騎士であろうとしていることといい、相変わらずどっちつかずで、自分が嫌になるなあ……)
力無く笑うかつての部下の一人、ラファエリス・ウォーベルライトを前に、ミカリア・ディア・ラ・セイレーン──改め『ミカ』は、複雑そうな面持ちを作った。
幼い自分が心の底から憧れた存在。そんな男が目の前に現れたものだから、無意識のうちに昔の口調がまろび出る。今はもうあの天の神々ではなく、世界を呑む魔神を信仰しているというのに。
「ラファエリス。君が何故行方を眩ませたのか、何故神々を裏切ったのか……その理由は聞かないでおく。だけど、これだけは君に伝えておきたい」
ミカリア・ディア・ラ・セイレーンならば、神々を裏切ったこの背教者を赦さない。かつての部下だろうが、この場で即座に粛清しただろう。
──だが。彼は『ミカ』だ。聖人であることを辞めた、ただの男だ。
ならば……少しぐらいラファエリスの事情を慮ったって、許されるはずだ。
「きっと、君の聖騎士としての日々は艱難辛苦に満ちていた。辛いことばかりだっただろう。君達を守れなかったこと、助けてあげられなかったこと、全て、申し訳なく思う。…………君達若い聖騎士に私刑を行わせた信者達は、全て大司教が粛清した。あの悲劇で失われた命は全て、僕が弔った。全てが終わってからしか動けなくて、本当に、すまない。──よく、頑張ったね。君が生きていてくれて、僕は嬉しいよ」
ぎこちなく微笑んで、『ミカ』はラファエリスに治癒魔法を使った。
「なんで……っ、俺に優しくするんですか……! 俺は、貴方も、神々も裏切った、のに……っ!」
「──僕もだよ。僕も、神の期待を、裏切ってしまったから。普通の人ならきっと……ある日突然いなくなった部下とたまたま出会ったら、優しくするだろう?」
元聖人の治癒魔法により、みるみるうちに治ってゆくラファエリスの体。
やがて五体満足まで回復したものの、ラファエリスからは戦意が失せている。既に神の加護の効果が切れたというのもあるが、目の前には瀕死まで追い込んできた青いバケモノと、人類最強と名高い元上司の聖人と、彼等の指導者たる洗礼名オーディウムを追い詰めたリンデア教の怪物がいる。戦うなんて無謀もいいところだ。
「……プラッシピオちゃんと、ヴォナフォルトゥーナさん、は? あの怪物と、戦っていた……はず……」
彼女達も、理不尽によって人生を狂わされた善き人々だ。ラファエリスは彼女達のことも守りたかったのだ。
視線の先では、洗礼名レヌンティアツォによって石化されていたはずのロアクリードがピンピンしている。
つまり。彼女達はあの怪物に敗北したのだろう。きっと……神の力を以てしても、あの怪物には敵わなかったのだ。
「…………そんな。あぁ、また善き人達が……心優しい人が……理不尽の犠牲になってしまった……っ」
薄紫の瞳からポロポロと涙を溢れさせながら、ラファエリスは声を震えさせた。
(……彼を守ってあげられなかった僕に彼を慰める資格は無い、だろうな)
ラファエリスが涙を流す姿を見て『ミカ』は言葉を投げかけようと口を開いたが、躊躇われたのか、ぐっと唇を結んで踵を返す。
「──ジスガランド教皇。姫君の騎士は無事なのか。無事でなければおまえを殺す」
「まあ、なんとか。それよりそちらは大丈夫なんです? イリオーデさんをここまで追い詰めた男を治癒するなんて、後先考えないにも程があると思いますが」
「何かが起こる前に僕が対処するから問題は無い。それよりも姫君の騎士だ。彼が無事でなければ……きっと、姫君は心を痛めてしまう。それだけは避けなければならないだろう」
「言われなくても分かってますよーだ。アミレスさんの騎士はわ・た・し・が責任持ってお助けしますので、聖人殿はどうかそこの邪教徒の監視をお願いしますね〜〜〜〜」
「…………」
「…………」
真顔の中にある侮蔑の瞳と、貼り付けた笑顔の中の一切笑っていない瞳が、またもや静かに火花を散らそうとする。
その間に挟まれているイリオーデは、ロアクリードの光魔法でスゥスゥと眠りについていた……。
↓イリオーデ自身の話↓
◯87.巻き起こる波乱2
◯113.ある過去の結末〜116.私は王女殿下の為に生きる。
◯118.私兵団結成2
◯幕間 騎士足り得ぬ兄は、〜幕間 その役を演じ切る。
◯167.十三歳になりました。4
◯199,5.ある兄弟の休日
◯242,5.ある侍従長の感慨
◯閑話 イリオーデの理性は限界だ!
◯321.ある男達の晩酌
◯483,5.ある騎士の偶然
◯678.Side Story:Iliode
↓呪(の魔力)に触れたり触れなかったりのシーン↓
◯250.ようこそ、ディジェル領へ5
◯565.Main Story:Freedoll VS Iliode
◯588.??? VS Iliode,Charlegill
◯589.Eddyella VS Iliode,Allbert,Sara
↓シャルルギルがなんか気づいていたシリーズ↓
◯590.Eddyella VS Adler
◯606.Main Story:Others4
これにてChapter3終了となります。次話よりChapter4、氷都決戦編もそろそろ佳境です。
よろしくお願いしますヽ(´▽`)/




