742.Side Story:騎士よ、剣を取れ。
とある騎士の、矜持をかけた話です。
『───イリオーデ。お前は剣だ。誉高き帝国の剣の化身だ。その身はまさに研ぎ澄まされた剣そのもの。故に、お前は騎士であらねばならない。いついかなる時も、お前は騎士であらねばならないのだ。騎士でなければお前は──……』
──あの時、父はなんと言ったのだろうか。
イリオーデ・ドロシー・ランディグランジュは朧げな記憶をかき集めるも、それはあえなく失敗に終わった。
──支えるべき主がいる事は騎士として何よりの本懐……だったか? いや、違う。もっと別の……己の根幹に関わる事、だった気がする。だが、何も思い出せない。
霧に迷うように、幾度となくこの挑戦はうやむやとなってきた。
まるで、決して思い出してはいけないと、彼の精神が拒んでいるかのように……。
♢
商いが盛んな街に剣戟が響く。
可愛らしいリボンで一つに結ばれた青い長髪と、軽い襟足が特徴的なウルフカットの黒髪が、瞬く間に接近してはすぐ離れる。
常日頃からどんちゃん騒ぎで、酔っ払いが壁にぶつかったり、怒声罵声や喧嘩が日常茶飯事な南部地区ではあるが……これ程に鮮やかで美しい音は珍しいもので。
二人の騎士が街を縦横無尽に駆け巡り、目に見えない速度で何度も刃を交える様は、もはや舞っているようにも見えた。
片や腕のいい職人が鍛えたと一目で分かる、上質な長剣。
片や実用向きとは到底言えない、逆さ十字の華美な剣。
その二つが、風を切り裂き幾度となく衝突する。
明らかに実用向きではない儀式用と思しき華美な剣。なのに、その剣は一切の迷い無く振られ、研鑽に裏打ちされた確かな剣筋は、イリオーデの首を落とそうとする。
それを軽くいなし、イリオーデは切れ長の瞳を細め、冷静に洗礼名インヴィダを見据える。
(……やはり強いな。この男)
天才たるイリオーデをして強いと言わしめる男。
その立ち居振る舞いがいかに軽薄でも、一度彼の剣を受ければ、剣の道を志した者なら誰しもが否応なしに理解させられる。──この男は血の滲むような努力を積み重ねてきたのだろう、と。
「──ねえ。一つ聞きたいことがあるんだけどさ。お前の剣は、何の為にあるの? お前はどうして……剣を振れるんだ?」
洗礼名インヴィダは薄紫の瞳を細め、剣呑な顔つきで問いかける。
(何の為? 私の剣は王女殿下の為に在る。王女殿下をお守りし、そしてその道を切り拓く為に……かの御方の剣が、私だから)
「──何が言いたい」
「どうしてお前は剣を取った? どうしてお前は剣を振った? どうしてお前は──騎士として、戦うんだ? 俺は……それが知りたいんだ」
まるで何かを確かめるように。洗礼名インヴィダは攻撃の手を僅かに緩め、イリオーデの様子を窺った。
イリオーデは唖然とした表情で固まり、焦点の合わない瞳のまま、勘で洗礼名インヴィダの攻撃を全ていなしている。
(……何故、剣を取ったか。何故、剣を振ったか。何故、騎士と成ったか。だと?)
「──それは、私が騎士だからだ」
それしか答えがないとばかりに、イリオーデは断言する。しかしその答えを相手は許さず。
「それがお前の答え? ふざけてんの?」
「私は至って真面目だ」
「ならお前はとんだ笑い者だよ。──生まれながらの騎士なんていない。剣を取って、振って、何かの為に戦うと誓って、はじめて騎士が生まれる。騎士となれる。だけどお前の言い分だと……お前は、騎士だったから剣を取ったことになる。順序が入れ替わっているんだよ。それはあり得ないことだ。だから、ふざけてるのかって聞いてるんだけど」
「…………先程から、貴様は何を言いたいんだ。この問答になんの意味がある」
今度はイリオーデが問えば、洗礼名インヴィダは表情をスッと落として口を開いた。
「……言っただろ、ただ知りたいから。お前みたいなバケモノがどうして大人しく騎士なんてものをやっているのか……その忠義の果てにあるものが何なのかも知らずに必死に戦う姿が、どうにも目に止まったからだよ」
「忠義の果て……?」
「──分からなくなるんだ。どうして剣を取り、どうして剣を振って、どうして戦っているのか。どうして俺は騎士なんだって……何もかもが、わからなくなる。でもその時にはもう、後戻りなんて出来ない。だって……騎士としての生き方しか、分からないから。だからこうして……騎士じゃなくなっても、騎士の真似事しかできない。狂わされたんだよ。俺の人生は“剣”に狂わされた。“騎士”に狂わされた。お前だって、いずれそうなるだろうさ」
これ程の騎士が騎士を辞めただと? そう、イリオーデは瞠目した。
傍目から見ればまだまだ若く、騎士としてはこれからといった歳分だろう。若くしてこれ程の強さを誇る者が何故、騎士を辞めたのか。
それが、生粋の騎士たるイリオーデには理解し難いようだ。
──その理由全てを、本人が明かしているというのに。
「……そうはならない。私は騎士だ。あの御方の剣だ。我が生涯の主の為、私はこの剣を振る。生涯を懸け、騎士としてお仕えするのだ」
「その忠義の果てには何も無いんだ。お前だっていずれ分かるよ。……俺達は主の為にあるのではなく、結局のところ人間の浅はかな欲と支配の為にあるんだって。俺達の努力は無意味で、研鑽は無価値だ。騎士の剣は──赤の他人の虚飾でしかないんだよ」
苦虫を噛み潰したような表情と感情を堪えた声で呟き、洗礼名インヴィダは今一度剣を構え、イリオーデに肉薄する。
「──俺は……善良な人々を守る為に剣を取った。毎朝のように挨拶する隣人を守る為に剣を振った。名前も知らない、赤ん坊を授かったばかりの夫婦の為に剣を振った。変わり映えせずとも何かが違う毎日を楽しむ子供達の未来の為に、剣を振った! 彼等の為に剣を取ったんだ。だけど………っ、騎士の剣は何一つ守れなかった。善き営みを守る為に戦うと、主に誓ったのに。騎士の剣を求めた人間達の所為で、俺は、守りたかったもの全てをこの手にかけたんだ……!」
軽薄なばかりだった声が、剣と共に震える。
「俺が騎士になったからあの人達は死んだ! 俺が剣を取り、剣を振ったから! 主への忠義の果てにあったのは──騎士を騙る、鉄錆を持った殺人者の未来だった。あれからもう、剣を取る意味が分からない。剣を振る理由が分からない。“騎士”が何なのかも分からない。──なのに。俺はまだこうして剣を取り、振ってる。そんな自分が……嫌で仕方ない」
だが洗礼名インヴィダは、騎士としての生き方しか知らないのだ。イリオーデ同様に、いずれ騎士となるべく育てられたから。
そんな憎く疎ましい己へのせめてもの抵抗として、実用性がかけらもない儀式用の剣を使っているのである。
(誓いを違え、守るべき人を守れなかった──。己の存在を支えて来た生きる意味が、その誓いが、最悪の形で永遠に失われたのか)
「──そうか。だから、私にああ問うたのだな。何故、騎士として戦うのかと」
ようやく理解できた。洗礼名インヴィダの問いの、その意味を。
閉じ込めた記憶の底から溢れ出し脳裏を埋め尽くす悪夢の景色が、彼に理解を促したのだ。
遅すぎたなどと言い訳を並べ立て、原因の一つでしかない存在に責任転嫁して。その末に、酷く醜い自分本位な結末を迎えた。
『───アランバルト・ドロシー・ランディグランジュ。私が騎士として死ぬ為に死んでくれ』
未来の自分がした最悪の選択。騎士道からかけ離れ、間違っても騎士とは呼べない最期。
騎士であらねばならない男が、騎士で在り続けられなかった事により起きてしまった、考えうる限り最も悲惨な末路。
あの悪夢における自分が騎士であったとは思わない。騎士としてあるまじき行為だ。
なのに、未来の自分はそれを良しとした。──誰よりも、騎士であることを望んでいたというのに。
(……──頼むから、誰か答えてくれよ。俺が剣を振ってきた……その意味を)
騎士としての矜持を踏み躙られ、騎士の在り方とその意義を見失ったからこそ。洗礼名インヴィダは、何故か騎士で在ろうとするこのバケモノに聞きたいのだ。
──どうして剣を取り、その剣を振る、騎士として戦うのか。
その理由を教えて欲しいと。かつて憧憬のままに剣を振っていた己を否定しない為に。これまでの人生を──騎士であった己を肯定する為に。
「騎士として戦う理由……そんなもの、考えたことも無い。私は騎士であることが普通だったし、当たり前だった。騎士としてあの御方にお仕えする為に、私は生きている。だから、その理由を挙げるとすれば──……生きる為だ」
ただ一人の主にその身総てを捧げた騎士は告げる。
「生きる為──……。お前にとって、“騎士”はどんなものなんだ?」
人生の意義と騎士道を見失った騎士は告げる。
「──騎士とは。弱きを助け強きをくじくもの。人の営みを守護し、人の成す悪を滅するもの。その剣は誇りそのもの、誉れ高き正義であるもの。剣を捧げし相手の為に命を尽くすもの」
イリオーデに刻まれた騎士道精神。それをおもむろに諳んじると、
「強くあれ。聡明であれ。正義であれ。慈悲深くあれ。冷徹であれ。謙虚であれ。強欲であれ──。……だったっけ」
「ああそうだ。私にとっての騎士とは、この騎士道そのものなのだ。生涯の主の為に剣を取り、それを振る。かの御方の剣となる為に」
「…………そっか。騎士道そのものか。はは、懐かしいなぁ」
洗礼名インヴィダが、繋げるように続きを諳んじた。その瞳は切なげに細められている。
(だったら……やっぱり俺にはもう、騎士である資格なんて無い。何も守れず、誇りも正義も無く、俺自身が悪を成した。……俺は、ここで騎士に斬られるべき人間だ)
悔いばかりの人生だ。地獄のような騎士団を出奔してからは、いつ死んでもいいように贖罪の為に生きる日々。
一人でも多くの人を助け、一つでも多くの未来を守る。──そうやって、騎士というものに縋ってきた。
だからいつ死んでもいい。寧ろここで、騎士であろうとするこのバケモノに斬られるべきだ。
(……でも。俺はまだ、死ねない。だってまだ、センセーやセリヴァリンの未来を、守れていないから。彼等みたいな善き人が死ぬなんて……そんなの駄目だ。絶対に。俺は今度こそ、優しい誰かの善き営みを守りたい。──騎士に憧れ、騎士として剣を取りそれを振り続けた、この人生の為に。“騎士だった俺”を肯定する為に、最後にもう一度だけ騎士道を胸に戦うことをお許しください。我が神よ……!)
来る新世界にてセンセーこと洗礼名オーディウムやセリヴァリンが笑えるように。
血と悪逆に染まった自分こそが、善人である彼等の道を切り拓いてみせる。そんな決意から、洗礼名インヴィダは騎士道のもとに剣を振る。
「ありがとう。誉高き騎士よ。少しだけ……自分の中で折り合いがついた。──なればこそ。俺が守りたいものの為に、全身全霊を以てここで貴公を撃ち破る」
「……望むところだ。あの御方の剣として──あの御方の敵は、私が全て斬り捨ててくれる」
一度距離を取り、両者剣を構え真剣な面持ちで見合う。
「神に捧げ、神に祈り、神に誓い、神に願う。果てなき明日を夢見て先をも見えぬ闇を往く旅人に、幸福あれと────!」
「この身はあの御方の剣。騎士として在るもの。故に、私は────」
神への祈りと、主への誓いが、同時に紡がれる。
「彼等の未来の為に、ここでお前を倒す!」
「必ずや、あまねく敵を討ち滅ぼす」
途端に膨れ上がる、洗礼名インヴィダの魔力と身体能力。まるで弾丸のように目にも止まらぬ速さで肉薄する洗礼名インヴィダを、イリオーデは不自然なまでに煌めく愛剣一つで、迎え撃つ──……。
続きは明日20時頃更新予定です。
よろしくお願いします〜!ヽ(´▽`)/




