739,5.Interlude Story:Renuntiatso
洗礼名レヌンティアツォの話です。
私は、天覧真国南部の山間部にある蛇人の集落で生まれた。
蛇人は獣人や亜人からも倦厭されている。猛毒を宿す蛇に連なる者として蛇人の多くは毒の魔力を持ち、蛇女怪が由来とされる生奪の魔眼を所持している為、獣人達からも亜人達からも危険視されていたのだ。
だからこそ多くの獣人や亜人が暮らす都から遠く、片田舎の人里からも離れた辺鄙な山間部に集落を持っていた。
特徴的な鋭い瞳孔と、その周りに浮かぶ呪いの環。誰しもがこれらを恐れ、我々蛇人を忌避した。
私達は何もしていない。先祖が彼等を傷つけたというわけでもない。私達が何かしたというわけでもない。ただ、恐ろしい眼を持つというだけで、私達は迫害されたのだ。
ある日のこと。集落に、二人の男がやって来た。男達は狐の獣人狐人で、なんでも謂れのない罪で村から追い出されたそう。ここに来る前に偶然辿り着いた人狼の里で襲われたとかで、怪我も酷かった。
集落の者総出で彼等を介抱した。なんと彼等は我々を不必要に恐れも疎みもせず、ただの隣人として接してくれたのだ。それが私達は……とても、とても嬉しかった。
──だが、月が半分程欠けた頃。
彼等は私達を裏切った。……否。愚かな私達は、ものの見事に騙されたのだ。
水を汲む為、彼等と共に集落近くの渓流に行ったところ、そこには見知らぬ人間達がいた。
理解が追いつかない。何故こんな所に人間が? まさか人攫いか? 彼等はまだ怪我が治っていない。私が彼等を守らねば。
逡巡して立ち尽くしていると、
『蛇は狡猾って聞いてたんだがなァ、どいつもこいつもコロっと騙されてくれたぜ! ギャハハハハハ!』
『狡猾な種族じゃなくてぽんこつな種族だったなァ〜〜。おかげさまでオレ達は儲けられるんだけどよ』
下卑た笑みが、私の心臓を握り潰した。
『…………最初から、蛇人が狙いだったのか』
『あ? それ以外ねェだろ。誰が好き好んでバケモノ共の巣穴になんて行くかよ。まさかオマエ等……俺達のこと本気で信じてたのか? 本気でおてて繋いで仲良しこよし〜〜なんて寒い真似できると思ってたのか? 蛇のくせに? ギャハハハハハ! 傑作だなァこりゃ!』
何度も何度も、下品な笑い声が私の心を押し潰す。
ショックだった。だがそれ以上に、この事を知れば仲間達はどう思うだろうかと空想し、心の底から喜ぶ大人達や子供達を思い出しては、更に胸が苦しくなる。
私も、皆も。我々蛇人は──仲間以外の友が出来たことを歓喜した。なんの混じり気もなく、あの時はただ嬉しかったのだ。
騙されたことへの衝撃で茫然自失としていたところ、人間の男が私の首に何かを取り付けた。それは首輪のようなものであり、枷のようでもあった。
私が──蛇人が狙われた理由。それは、この生奪の魔眼だ。
人間達は人身売買を生業とする外道達で、中でも亜人や獣人を専門に取り扱っていると、忌々しいことに自慢げに語っていた。
しかしここ数年は亜人や獣人の警戒が凄まじく仕事も上手くいかない。そこで人間達が思いついたのが、蛇人が持つとされる生奪の魔眼を使って亜人や獣人を捕まえようという、人の道から外れた計画である。
その計画の為に狐人を雇い、こうしてまんまと私が捕えられてしまった。人間達によって嵌められた首輪の所為で反抗も許されず。無辜の民を……なんの罪もない亜人や獣人を、私は何人も石化させたのだ。目の前で捕まり、枷を嵌められ奴隷として売買される亜人や獣人の泣き喚き暴れる様を、ただ見ていることしかできなかった。
何度、謝ったかもわからない。
喋る事は許されなかった。だから、心の中で。声に出せない謝罪が心の内で増幅し、行き場を無くして脳を侵す。
しかし私は人間達に逆らえなかった。あの者達の言葉のままに、一人また一人と、同郷の者達から人生を奪っていったのだ。
もう嫌だ。誰か、誰でも良い。私を殺してくれ。私の所為で、何百人もの亜人と獣人が、人権を剥奪された。私なぞが居た所為で。蛇人のこんな眼が、在ったから。
『───それは違うよ。あなた達の眼は、苦しみを和らげることができる。奪うばかりではない、安らぎを与えられるものだ』
それは、よく晴れたある日のこと。
人間達が人身売買の拠点としていたどこかの国の屋敷に、黒いローブを着た者達が乗り込んできた。その中の一人──夜明けのように移ろう鮮やかな髪の男は、人間達が私に戦闘を命じる暇すら与えず制圧し、柔らかく微笑みながら私の前に立つ。
『そこの男達が、危険だなんだと話していたけれど。あなたのその、生奪の魔眼……それは人の時を奪うもの。つまり、病や怪我で苦しむ人達を一時はその苦しみから解放することができる。たしかに治癒魔法と比べれば、時に置き去りにされるという恐怖はある。だけれど、その“時”を恐れる人は、この世界にごまんといる。僕だってその一人だ。──あなたの眼は、そんな恐怖から少しだけ目を逸らすことを許される優しい眼だと……僕はそう思うんだ』
男は、私の眼を見て話している。首輪を嵌めてきた人間達ですら、ただの一度も私と目を合わせようとしなかったのに。
赤土色の瞳で、男はまっすぐとこちらを見ているのだ。
『やあ、はじめまして。私の洗礼名はオーディウム。悪い奴らをやっつけに来た、正義の味方気取りの凡人だ』
『……先生。神に通ずる方と会えてはしゃいでいるのは分かりますが、じっくりと話すのは彼を解放してからの方がいいのでは? ほら、アフェクトムさんも荒んでますし』
『ああ……全部全部全部全部全部全部全部壊れてしまえ消えてしまえ死んでしまえ……』
『それもそうか。アフェクトム、落ち着いて。建物を壊されては私達みーんな、仲良く生き埋めだからね』
男の後ろには、少年と女がいた。何やら恐ろしいことをボソボソと口走る女を、少年と男が宥める。女が落ち着いたら、今度は私へと彼等の視線が集まる。
『隷従の首輪……先生の仰る通りだ。『生奪の魔眼の持ち主はその力を利用されているだけだ。そうに違いない。蛇人は大人しすぎる一族らしいからね』──という読みは当たっていましたね。流石です、先生』
『とにかくこの首輪をどうにかしないといけないな。罪人達が持っているであろう鍵を探そうか』
言って、彼等は気絶しているらしい人間達の体をまさぐる。数分と経たずに見つかった鍵で首輪が外れた瞬間。
心がふっと軽くなった気がした。息がしやすい。胸の苦しみが少し和らいだ。
声の出し方なんてもう忘れてしまったのに声が出そうになって、それは嗚咽として喉から転げ落ちた。
『ぁ、ぅ…………ッ、ぁ、あ…………!』
解放された。私はこの日確かに救われたのだ。
──この、非凡でありながら平凡な男によって。
♢
……嗚呼。私は、死ぬのだろうか。
鏡に映る己を視た瞬間に心を埋め尽くしたのは、私のような存在すらも受け入れ、そして尊敬までしてくれた、心優しき同胞達のこと。
私には願いなどない。私が人生を奪った者達への罪滅ぼしをしたいだけ。ただそれだけが望みだった。
──でも。あの優しい男達の願いは叶ってほしい。そう……私は心より願っている。彼等の悲願が叶うことが、私の願いと言っても差し支えがない程に。
彼等を導き、彼等に笑い合える平穏な日々を与えたのは、我らが神。そしてかの御方の存在により、私は救われた。
ならば我らが神の為に。心優しき同胞達の悲願の為に──……私はこの身を、彼等の悲願に捧げようではないか。
……我が神よ。洗礼名レヌンティアツォが、願い奉ります。
どうか、我が身をお使いくださいませ。あなた様の依代足り得ぬ未熟な身ではございますが……少しはお役に立てると、あなた様より賜った名のもとに、自信を持って言えましょう。
『──まったく。我が眷属はどいつもこいつもすぐに命を無駄にする。なんなのだ、オマエ達は』
脳裏に敷き詰められた禍々しい色。そして壊れゆく精神の中、頭に響く声。この名を賜った時に聞いた、我らが神の御声だ。
『…………良いのか。オマエの精神に巣食うものはオレが呑んでやるし、放っておけばいずれ石化は解ける。それまでに破壊されてしまう可能性もあるが、その判断は流石に性急であろう』
──良いのです。我が神よ。私の命が、我らの悲願を叶える一助となれるのならば。この身、喜んで捧げましょう。ですのでどうか……先生の願いを。心優しき彼の夢を聞き届けてくださりますよう、願い奉りまする。
『…………ああ、分かった。オマエの命とその願い、そして捨てきれぬ罪悪感、このオレが全て呑み干そう。大義であった。我が眷属レヌンティアツォ──蛇と縁ありし者、琉琉』
意識が遠のく。底なし沼に落ちてゆくように、私という全てが何かに呑み込まれてゆく。
……私はようやく神の下に還れるのだな。
──我が神よ。どうかこの理不尽な世界を……変えてください。
『ふん。せいぜい、オマエ達の神を信じるがいい。この世全ての絶望……オレが呑んでやろうではないか』
罪なき人々が苦しむことのない世界。
優しき人々が悲しむことのない世界。
そんな平穏な世界。我らが神に願う、先生の──私達の悲願。
幸福と希望に満ち溢れた新世界。叶うならば、この眼で見届けたかったものだ──……。




