738.Side Story:その執事、忠犬につき
アルベルトvs洗礼名レヌンティアツォです。
※レヌンティアツォさんがちょっぴり可哀想です。
今やその能力を失った色覚の魔眼を持つ執事ルティことアルベルトと、視たもの全てを石化させる生奪の魔眼を持つ蛇人の洗礼名レヌンティアツォ。
魔眼に慣れ親しんだ者達による魔眼を使っては封じ使っては回避の戦いは、苛烈さを増すばかりであった。
洗礼名レヌンティアツォは毒の魔力を所持している。蛇人の多くは、毒の魔力を遺伝的に得るのだ。
そうして放たれる毒の矢と毒の剣。そして毒ワンちゃん。大小様々なワンちゃんを象った毒が、アルベルトの周りを縦横無尽に駆け回る。ワンちゃん型なのは、洗礼名レヌンティアツォの趣味だ。
多種多様で時々気が散るような毒の攻撃に翻弄され、アルベルトは度々生奪の魔眼によって石化してしまった。その都度洗礼名レヌンティアツォは、今度こそとばかりに気合を入れて石化したアルベルトを屠ったのだが、
「──毎度毎度、ご丁寧に頭ばかり潰さないでくれるかな。そう何度も自分の顔が粉砕されるところなんて見たくないんだけど」
(何故この男は何度殺しても死なぬのだ…………!!)
当のアルベルトは艶のある上品な黒の執事服を揺らして、けろりとした様子で現れる。
もう何度この顔を潰したか分からない。殺しても殺しても湧いてくる執事服の男に、彼の顔は皺くちゃになる程歪む。いい加減、洗礼名レヌンティアツォもノイローゼになりそうだ。
(……埒が明かないな。とっととこの男を無力化して、計画の全容を吐かせたいのに。妙に動きが機敏だし、肉弾戦も強い。何よりあの毒が厄介だ)
洗礼名レヌンティアツォはシャルルギルとは違う毒の使い方をする。シャルルギルが霧や団子といった形で“殺害”目当てで毒を使うのに対し、洗礼名レヌンティアツォは剣やワンちゃんなど、“攻撃”目当てで毒を使う。
あくまで毒による麻痺や殺害は副次的なもので、主目的は攻撃または撹乱。攻撃のついでに毒で侵せたらいいな。ぐらいの感覚で、洗礼名レヌンティアツォは毒を扱っている。
普通にシャルルギルより性質が悪い。
シャルルギルですら、毒を使う時はそれなりの覚悟をもっているというのに。この埋まりようがない感覚のギャップは、毒に縁深い蛇人故のものなのだろう。
だが、元諜報員のアルベルトとしてはこちらの方がやりやすくて助かる部分もあった。諜報員の多くは潜入任務の際に交戦する。そういった時に重宝するのが猛毒をそれはもうベタベタと、なんの予定も無い休日の朝に食べるトーストのバターみたく塗りたくった、暗器の類なのだ。
洗礼名レヌンティアツォのそれは紛れもなく毒そのものだが……毒を纏った武器と考えれば、昔取った杵柄でどうにかできなくもない。
問題は毒ワンちゃんだ。なんだあれは。まるで本物の犬のように予想外の動きばかりする。アルベルトが一番苦戦しているのは、実のところ毒ワンちゃんだったりするのだ。
(月蝕む宵の緞帳で視界を奪っても、お構いなしにあの蛇人は毒で攻撃してくる。こんな街中で毒を打ち水みたいに撒くなよ。馬鹿なのか? 馬鹿なんだろうな。魔眼は防げても、それで街への被害が増えているようじゃあ駄目だ。主君の執事として、最善を尽くさなければ)
此度の建国祭テロ事件において、調査を単独で行なっていたアルベルトの活躍はめざましいものだが……この執事、主に褒めてもらいたいがばかりに、成果を欲張っている。実は強欲なのだ。
(純粋な力勝負じゃあ俺はあの男に勝てない。闇魔法で戦うしかない、んだけど……あの男、やけに魔法の効きが悪いんだよな。どういうことだ……?)
次々と繰り出される洗礼名レヌンティアツォの拳をひらりふわりと躱しつつ、アルベルトは宵闇を溶かした黒髪の下で、太陽を独り占めする雨雲のごとき灰の瞳を細めた。
洗礼名レヌンティアツォには、あまり魔法が効かない。『月蝕む宵の緞帳』が早々に解除されてしまったのが良い例だ。
魔法の多くは時間経過等で勝手に消滅ないし解除するものより、使用者の意思で消滅ないし解除されるものが多い。
照明器具をつけるのに電気が要るように、魔力を消費することで魔法は発動する。なので魔力を消費し続ければそのぶん魔法は持続するし、逆に魔力の供給を絶てば魔法は解除される。スイッチ一つで明かりがつき、そして消えるように。
もちろん時間経過で勝手に消滅ないし解除される魔法もある。他にも、魔法の影響を受けて発生した事象などは使用者の意思一つでどうにかすることなど不可能だ。
だからこそ、アルベルトの意思に反して魔法が解除されたことは異変と言える。
「何回殺そうが俺のことは殺せないんだからさ、いい加減諦めたらどう?」
「……笑止。神に誓いし我らが悲願への旅路を阻む者に貸す耳など、持ち合わせてはいない」
「──ふ。あははっ」
「…………何が、おかしい」
悲願を笑われ気を悪くした洗礼名レヌンティアツォが眉根を寄せれば、アルベルトはニヒルに笑って言った。
「俺さ、昔はずっと祈ってたんだ。どうか弟が無事でありますように。どうか弟とまた会えますように、って。毎晩祈った。毎晩願った。外道の言いなりになって、やりたくもない犯罪に手を染めてしまった日も、罪の無い人達をこの手にかけた日も。ずっと……神様が救ってくれるのを、信じてたんだよ」
真夜中に降りしきる雪のように、朧げで冷たいばかりの声。
遠くで鳴り響く雷鳴すらも聞こえなくなる程、洗礼名レヌンティアツォはアルベルトの言葉に意識を割いていた。その表情に、光の円環を持つ鋭い瞳を瞠る。
「──だけど、誰も俺のことを救ってくれなかった。『信じる者は等しく救われる』『正しい行いをすれば救われる』って、聖書にそう書かれていたから、信じた。ずっと祈って、願ったさ。でもどれだけ神様の存在を信じていようが、間違いばかりで罪まで犯した俺を救ってくれる存在なんていなかった。……──この世界に、神様はいなかったんだよ」
アルベルトは神を嘲った。
神はいない。神という存在、その概念や教えが当然のように寄り添うこの世界においては禁句とも言える言葉。
口にしたアルベルトの顔は……どれだけ信じて願おうがその祈りが届くことはなかった、かつての絶望を思い出して苦痛に歪んでいる。
アルベルトが信じていた天空教においては『神々は子らを愛し、いついかなる時も導きお救いくださる。』と、神の愛を『人類救済』であると定めていた。
それはありとあらゆる人間に与えられるべきものだ。どこまでも都合の良い人間視点の傲慢で強欲な主張だが、同時に、人間が神々へ抱く最大限の畏敬であり愛とも言える。
神々を心より敬い信じるからこそ、神々にしか成せぬ『人類救済』という人間への最大の愛情を希う。そして──天空神話の神々はそれを是とした。
本来、神という機構に不平等は許されない。不公平も許されない。どんな祝福も災禍も平等に公正に、人類に与えられるべきなのだ。しかし。【世界樹】の設計に不備があったのか、はたまた何らかの外的要因があったのか。もはやその原因は定かではないが、【世界樹】と神々の約束は遥か昔に破られ、やがて選定が当たり前となった。
それがこの世界──【世界樹】の箱庭における、神という機構の在り方だ。
だからこそ、【世界樹】は魔神の誕生に目を瞑った。それどころか、自ら魔神を選ぶこともあった。そして、彼等に神々と同等の権能を持つことを許したのだ。
何年先になるかも分からないが……いつの日か神という機構が終焉を迎えた時、その役割を引き継ぐ存在とする為に。
(…………でも。一人だけ。たった一人だけ、神様も見捨てた俺を救ってくれた人がいた。星空の真ん中できらきら輝く月のように、綺麗で、可愛くて、笑顔がとびっきり素敵な、優しい女神様がいたんだ)
アルベルトにとっての神は、もはやただ一人。──彼の世界に色彩を落としたお姫様。その小さな手を差し伸べてくれた、たった一人の女神様のみ。
ならば他の神はいらない。ただ彼女を信じ、彼女の為に生きて、彼女の為に死ぬ。それこそが彼の信仰。自分を救ってくれた最初で最後の女神様に捧げる、愛そのもの。
まるで祈りを捧げるように目を伏せて、アルベルトは心地良さそうに、パリッと整えられた襟にそっと触れた。
(……──何を宣うか。神はいない? 戯言を。神はいる。我がレヌンティアツォという聖なる名は、我が神より賜りし祝福そのもの。我らが神が実在し、そして我らを見守ってくださっておられる証左。…………この場に先生がおられなくて、本当に、よかった)
「──貴様のような異端者の戯言など……聞くに堪えん」
彼等のように、祀る存在との距離が近すぎる宗教は他に例を見ない。
──【大海呑舟・終生教】の崇拝対象、魔神海帝アルミドガルス。
魂を人間界に送り込み、そこで見つけた人間に己との契約の証たる“名”と祝福を与えることで、海帝アルミドガルスは魔界の虚の海に封印されながらも、忠実な眷属を手に入れたのだ。
信徒達からすれば海帝アルミドガルスは絶対的な存在。海帝アルミドガルスこそが唯一なる神。彼等はただ、自身を救ってくださった神の言葉に従うのみ。
そんな最も尊き存在を侮辱され、洗礼名レヌンティアツォが黙っていられる訳がなかった。
「神に捧げ、神に祈り、神に誓い、神に願う。果てなき明日を夢見て先をも見えぬ闇を往く旅人に、幸福あれと」
洗礼名レヌンティアツォは、腹の底から沸いてくる激しい怒りから声を震えさせた。
「禁欲を呑み、穏和を呑み、活力を呑み、飢餓を呑み、無欲を呑み、羨望を呑み、謙虚を呑み、唯一なる舟に乗り現世を覆し大海を、我らは渡る。……──我が神よ。あなた様の子供たるレヌンティアツォが願い奉ります。どうか、この憐れな者に救済を」
フーッ、フーッ、と鋭い歯の隙間から熱い息を漏らし彼は神へ願う。眼前の人間を“救済”する力をお貸しください、と……。
──海帝アルミドガルスは、一部の眷属達に力を与えた。神の恩寵と呼ぶべきそれは彼等の魔力量を増やしただけでなく、身体能力の向上や、人の身の限界を超えた力を眷属達に贈った。普段はそれを洗礼名により封じているが、神に願うことで一時的に解放できるのだ。
(怪物も、この気味の悪い男も、全て“救済”してくれる────!!)
丸太のように逞しい体に鱗が刻まれてゆく。洗礼名レヌンティアツォの下半身では粘土をこねて伸ばすように肌が引き伸ばされ、服を破りその形を変えゆく。人の足だったそれはやがて、滑らかな蛇腹へと変化した。
蛇人も獣人の一つ。完全に狼の姿となるジェジとは少し毛色が違うが当然、獣化が可能だ。しかし、彼の場合はただの獣化ではない。
海帝アルミドガルスの恩寵により、本来の獣化時より遥かに大きくなった蛇の腹と尾。その尾の一振りで、煉瓦造りの建物を砂の城のように破壊せしめる圧倒的な力を得る。まさに弩級の獣化だ。
そんな大きな下半身を得たものだから、洗礼名レヌンティアツォの顔は周囲の建物よりも高い位置にある。蛇の下半身を引き摺るようにずるずると動かし、鋭い瞳孔でまっすぐとアルベルトを捉える。その佇まいは狩りをするかのようであった。
続きは明日20時頃更新予定です!
よろしくお願いしますヽ(´▽`)/