736.Side Story:ブチ切れ教皇様と通りすがりの元聖人
サブタイトルの通りです。
※ちゃんと本編ですのでご安心ください。
「……いい加減、投降したらどうだ? 私とて、いたずらに他者を嬲る趣味は持ち合わせていない。特に子供の悲鳴など、聞くもおぞましい……」
血を羽織ってもなお、淡く美しい金の光をぽこぽこと泡のように溢れさせる槍斧を手に、ロアクリード=ラソル=リューテーシーは平坦な声で告げた。
身の丈程ある槍斧は逃げ惑う異教徒の足の腱を容赦無く斬り、苦痛に喘ぐ子供を庇う女の首に、心臓が震える程に冷たい刃を突きつけている。
しかし、幸薄そうな女──洗礼名ヴォナフォルトゥーナは一歩も退かなかった。少しでも動けば即座に首を落とされると確信しているのもあるが、たとえ自分を犠牲にしてでも、子供──洗礼名プラッシピオを守らなければ。と、ただそれだけの理由で、洗礼名ヴォナフォルトゥーナは恐怖に震える体に鞭を打ち、ロアクリードの前に立ちはだかる。
(今の私は、誰がどう見ても極悪人だな)
「──何度も言わせないでくれたまえ。今すぐ投降しろ。さすれば子供の命だけは見逃してやる」
「……これは私達の悲願。あなた達には分かり得ない、私達の願いの成就に必要なこと。だから絶対に……退く訳にはいかないわぁ」
自嘲を含んだ声は僅かに苛立ちを孕み、洗礼名ヴォナフォルトゥーナの顔にまた一つ大きな汗を増やした。
焦茶色の髪の間から覗く薄桃色の憂いを帯びた瞳は、恐怖に揺らぎながらもロアクリードを捉え続ける。
冷めたオールドブルーの目で彼女を見据え、ロアクリードはため息を一つ零した。
「……そうか。ならば死ね」
「!!」
残念だ。とでも言いたげに瞳を伏せたかと思えば、瞬きの間にロアクリードの姿が消えた。
どこに行ったのかと洗礼名ヴォナフォルトゥーナが振り向いたその瞬間。目の前で、悲鳴が舞う。
「ひ、ゃ……ぁ〜〜〜〜〜〜ッ⁉︎」
「プラッシピオちゃんっっっ!!」
足の腱を斬られ地べたを這いつくばっていた洗礼名プラッシピオの腕が、鮮やかに切断されている。
当然その犯人は、ギロチンのように槍斧を地面に落とした、ロアクリードだ。
「……見慣れない色だとは思ったが、色の魔力か。あれは視覚から精神異常を起こす厄介な魔法が多いと聞く。そんな魔法を使われては困るんだ。私はまだ戦わなくてはならないのでね」
淡々と呟くロアクリードは今しがた落とした腕を、猿轡のように洗礼名プラッシピオに噛ませた。
まだ幼い少女であった洗礼名プラッシピオは、あまりの苦痛から泣き叫んでいて、己の口に捩じ込まれたものが自身の腕であると気づかず、痛みを堪えるようにそれを必死に噛んだ。
何かが口の中に滲む。生臭く、鉄のような臭いだ。気持ち悪い。だけど、こうでもして痛みに耐えなければ、あまりの苦痛に意識が飛んでしまいそうなのだ。
「やめてっ! プラッシピオちゃんっ!!」
両腕を失い、両足の腱を斬られ、自分の腕に喰らいついて痛みを堪える姿は、誰もが目を逸らしたくなる程に憐れなものだった。
洗礼名ヴォナフォルトゥーナは、その惨状の原因たるロアクリードに怒りをぶつけるよりも、憐れな少女に駆け寄ることを選んだ。
もがき苦しむ洗礼名プラッシピオの体を抱き上げ、彼女は我が事のように苦悶の表情を作る。まるで母親のように、彼女は洗礼名プラッシピオの為に泣いているのだ。
「もうやめて、プラッシピオちゃん……だめ……だめよ」
(…………傷つけたくないのなら、苦しませたくないのなら、危険から遠ざけて安全な場所に閉じ込めておけばいいのに。自由を許すからこうなるんだ。私のような、目的の為ならば手段を選ばない人間など世界中にごまんといるのだから)
洗礼名プラッシピオからなんとか腕を取り上げようと奮闘する、洗礼名ヴォナフォルトゥーナ。
鼻白んだ様子で彼女の過ちを追及するか悩むロアクリードだが、そこでふと、彼の思考がぴたりと止まった。
(──そうか、そうすれば良かったんだ。アミレスさんが何の憂いも無く笑って暮らせる穏やかな世界……それを作るには、まだ少し時間がかかる。それまでは、危険などない箱庭にでも彼女を閉じ込めてしまえばいい)
ロアクリードの願いは至極単純。
底抜けのお人好しで、自己犠牲を是とする、異常にならざるを得なかった少女──アミレス・ヘル・フォーロイトが、もう物陰に隠れて一人で泣かないでいいように。あの笑顔が眩しい少女が、普通の女の子として笑って暮らせるように。
ただそれだけの為に、この世界が欲しい。
それがロアクリードの願いだった。
あの春の日。退屈な話ばかりだっただろうに、目をキラキラと輝かせてこんな自分を尊敬してくれた、可愛い女の子。悪意と無縁で純粋無垢なあの眩しい笑顔が、人生に疲れていたロアクリードの救いとなっていたのだ。
だから『リード』は、魔に近い怪しげな少年からの意味不明な提案を受けた。だから『ロアクリード』は、もう一度だけこれまでの人生に向き合う覚悟を決めた。
──優しすぎるあの子が笑って暮らせる世界にする。
ただそれだけの願いの為に。彼はこの世界を手に入れるべく、権力と力を欲したのだ。
そして、今。
件のアミレスは相も変わらず無鉄砲で、お得意の自己犠牲は何故か増長する一方。こういうのって普通、歳を重ねる程に落ち着くものでは? とロアクリードは戸惑った。
明らかに危険な存在が増えているし、彼女に並々ならぬ執着を見せる人間が多すぎる。そして何より問題視すべきは、憎き聖人だ。あの男まで彼女を狙っているときた。
どうにかして聖人の毒牙から彼女を守らなければ。なんてあれこれ策を巡らせていたのだが……ここでまさかの妙案が彼の中に降ってきた。
これぞまさに神の啓示。ロアクリードは人好きのする微笑みをうっとりと浮かべ、ふふふっ。と上機嫌な息を漏らす。
(どうして今まで思いつかなかったんだ。少しでも目を離せばすぐに無茶をするのだから、常に目の届く場所にいてもらえばいい。場所は──祖国の城なら部屋も余ってるし、私の権限でどうとでも出来るけれど……お友達と引き離すのは忍びない。であれば、やはり帝国内に箱庭を用意すべきかな。彼女に不自由なく暮らしてもらうならば、ある程度の広さは必要だろう。『体を動かしたいです!』とか絶対言い出すよね、彼女なら。それなりの広さと強度の訓練場を屋内に作るとして………………うん、新しく城でも建てようか。あとはアミレスさんが外に出られないよう、ベールに特殊な結界を────)
誰もが見惚れるその微笑みの裏では、アミレス監禁計画の草案が次々と練られてゆく。
ロアクリードは長らく、全てを捨て必死に生に食らいつかないと生き延びられない環境に在った。だからいつでも捨てられるように大事なものは作らなかったし、何事にも肩入れせずに生きていた──のだが。
この通りアミレスには肩入れしまくっている。それはもうズブズブと。ちょっと首を突っ込むだけでは済まず、今や全身でアミレスの沼に突っ込んでいるようなものだ。
どうしても捨てるわけにはいかない、捨てたくない、はじめての大事なもの。であれば、どんな犠牲を払ってでも守り抜くに決まっていよう。
──どうか、私の目の届く場所にずっと居てほしい。
ロアクリード=ラソル=リューテーシーは、狂気と正気の狭間で、過保護っぷりを加速させていた。
(そうと決まれば土地探しだ。早く作りたいなあ、彼女の為の箱庭。彼女の笑った顔が見られるのならば、私はそれだけで心が満たされるだろうし)
「──よし。早く異教徒どもを裁こう。この者達は我が国の、敬虔なる隣人の子供達を殺した……不浄な存在なのだから。罪ある者どもは全て殺してくれる」
早く【大海呑舟・終生教】を片付けて、アミレス監禁計画を進めたいロアクリード。
爽やかな笑顔からは想像もつかない物騒な言葉が、次から次へと飛び出す。
(ああ……っ、先生の言うことはやはり正しかったわ。ジスガランド教皇は真性の怪物──人の皮を被った、バケモノだわ……!)
ロアクリードの言葉の数々に戦慄する洗礼名ヴォナフォルトゥーナ。その腕の中では、洗礼名プラッシピオが痛みにもがき苦しんでいる。
(…………プラッシピオちゃん。血は繋がっていないけれど、私はあなたを本当の娘のように思っているの。あなたが夜を忘れて、陽の下を歩んでくれたなら、私は…………)
「──神に捧げ、神に祈り、神に誓い、神に願う。果てなき明日を夢見て先をも見えぬ闇を往く旅人に、幸福あれと」
洗礼名プラッシピオを守るように抱きしめて、洗礼名ヴォナフォルトゥーナは紡ぐ。
(この詠唱……邪神の力を得る為のものか)
その文言に覚えがあるロアクリードは、すかさず女の首を落とそうと槍斧を振る。しかし、その刃は爆発的に膨れ上がった風の魔力に阻まれた。
「っ、魔力暴走……!?」
「禁欲を呑み、穏和を呑み、活力を呑み、飢餓を呑み、無欲を呑み、羨望を呑み、謙虚を呑み、唯一なる舟に乗り現世を覆し大海を、我らは渡る。……──我が神よ。あなた様の子供たるヴォナフォルトゥーナが願い奉ります。私はどうなっても構わないから……どうか、プラッシピオちゃんに救済を」
洗礼名ヴォナフォルトゥーナの願いは神に届いた。その証明とばかりに、彼女等を囲う暴風の壁の中でその体が淡く光りだす。そして脳内に響くのは、何者かの低い声。
『──本当に良いのか』
「はい。私の命を、プラッシピオちゃんに。我が子を死なせた私に出来る償いは……我が子同然のこの子の為に、死ぬことですから」
『ふん。まあ、良い。オマエがそれを望むなら。オマエ達の神として、その願いを叶えてやらんでもないぞ』
「ありがとうございます。我が神よ……あなた様にお仕え出来て、ヴォナフォルトゥーナは──ユリアは、幸福でした」
光の玉となり、まるで砂のように崩れ始める洗礼名ヴォナフォルトゥーナ──ユリアの体。腕の中に抱えられていた洗礼名プラッシピオの体が地に落ちる寸前、激しくも温かい風が少女を支えるように吹き荒れる。
たしかに血の繋がりは無い。だが彼女は、その少女を我が子のように慈しんでいた。我が子同然の少女が苦しんでいるのだ。嗚呼、ならば。
(親代わりがあなたの為に命を使う、理由になるわ──……)
それは、かつて家庭内暴力に晒され我が子を天に流してしまった母親が、それでもなお捨てきれなかった、子への愛情そのものだった。
『目覚めろ、プラッシピオ。そして唱えるのだ。ヴォナフォルトゥーナがオマエに託したものを。あの女の激情の全てを、呑み込め』
「……──神に捧げ、神に祈り……神に誓い、神に願う」
いつしか口に捩じ込まれていた腕は消えていた。その全身が淡い光に包まれると、失われた筈の両腕と斬られた両足の腱が、まるで何事も無かったように元通りになっているではないか。
黒から青紫に移ろうツインテールが揺れ、その下でゆっくりと開かれた水色のツリ目は、その身を包む温かさに潤み揺れていた。
(……バカ。なんで、あたくしなんかを助けたのよ。バカ、ばかばかばか。ヴォナフォルトゥーナの……ばか……っ)
「──果てなき明日を夢見て先をも見えぬ闇を往く旅人に、幸福あれと」
体を起こした洗礼名プラッシピオは強く目元を擦り、神への祈りを必死に紡ぐ。
「……──我が神よ。あなた様の子供たるプラッシピオが願い奉ります。どうか、道を外れし憐れな者に救済を!」
今度は痛みではなく悲しみで泣きたいのをぐっと堪え、その少女は天に向けて嘆願した。
続きは明日の20時頃更新予定です。
よろしくお願いします〜ヽ(´▽`)/