734.Recollection Story:Affectum
いかにして石斧フルスイング系バーサーカーが生まれたのか……。
洗礼名アフェクトムの過去話になります。
私は、世界で一番幸せな女だった。
初めて恋した人と心を通わせる幸運に恵まれ、そして結ばれる幸福に恵まれたのだ。愛する彼と共に過ごせる日々は、まさに、幼い頃思い描いた理想の未来のようで。
そんな日々を、私は愛していたのです。
彼はとても素朴な人だった。おっとりとした平和主義者。武器よりも鍬を持ち、ペンよりもお年寄りや子供の手を取る、民に寄り添う良き領主になろうとしていた。
彼はコンリゾット男爵の嫡男で、私はその幼馴染。私の家系に爵位があるわけではなかったが、私の祖父母の代からコンリゾット家に仕えていて、私もよくお屋敷に招かれていたのだ。
幼い頃から、幼馴染としてずっと彼のそばにいた。そんな信頼の積み重ねがあったからか、人の良い旦那様方は私なら大歓迎だと、彼との結婚を喜んで受け入れてくださった。
オセロマイト王国の端も端、コンリゾット男爵の領地は海沿いの小さな場所で、領民は漁業か農業で生計を立てている。そんな領民達の中に混ざって、彼はよく、漁や土いじりをしていた。
私は、そんな彼が大好きだった。汗水垂らして体を動かし、領民達と共に笑い合う彼が。こんな根暗な私すらも慈しみ、愛してくれる、たった一人の旦那様──エイリッドが、この世の何よりも愛おしかったのだ。
──だから私は間違えた。
彼に、次期領主らしく書類仕事をやれと言えばよかったんだ。領民達の仕事を奪ってはいけないと言えばよかったんだ。
楽しげに領民達と交流する彼を、私が止められたならば……あんなことにはならなかったのに。
ある日の朝。エイリッドは『今日は漁に行ってくるよ。とびっきり美味しいのを釣り上げてくるから待ってて、ネリィ』と笑って、家を出た。私はいつも通り『いってらっしゃい』と彼を見送り、満足してしまったのだ。
まさか、これが最後の会話になるだなんて思いもしなかったから。
エイリッドを乗せた漁師達の船が沖合に出た時。海賊が現れたという。
彼は襲われた船の中で、領民達を守ろう自らと囮になったというのだ。勿論領民達は彼を守ろうとした。でも彼は、『おれは領主一族として、あなた達を守る責務があります』と頑なで……漁師達はどうにか逃げ仰せたが、その中の一人が見たというのだ。彼が、海賊達に嬲り殺される様を。
泣き、震え、嗚咽を必死に堪えながら漁師は海に逃げ出した。彼の命令に従って。そう、漁師達が自ら謝罪にきた。『どうか、エイリッドさまを見捨てたこの首を落としてください』……と。
──私の愛する人は、齢二十一歳にして帰らぬ人となった。
私がこの愛に甘えて彼を嗜められなかったから。私が、私が────。
私は不幸になった。
誰もが前を向けとか、きっといい出会いがあるとか、彼の分も幸せになるべきだとか……口当たりだけよくて中身が伴わない、停滞を否定するだけの意見を責任感も無く乱雑に口にする。誰だって私の感情は無視する。停滞し、彼への想いを絶やさないことこそが私の望みだというのに。
若くして亡くなったエイリッドと、その妻であり未亡人となった私。その両方を憐れむことで聖人にでもなったつもりなのだろうか。適当な慰めを繰り返すばかりで、告解でもして許された気分に浸ろうとしているのだろうか。
そんなことしたって、私は絶対に許さない。
私から彼を奪った世界を許さない。全てを許さない。何もかも全部私は絶対に許さない。
憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!
ああ! 全てが憎らしい! こんな世界──全部消えろ、全部壊れて消え去ってしまえ!
何もかも全て嬲り殺してやる。善き人であった彼がそうされたように。尊厳も命もあらゆるものを踏み躙り、壊し尽くしてくれる。
絶対に彼は望まない復讐に残りの人生全てを捧げてやる。彼の分の幸せなんていらない。私は彼と一緒でなければ幸せになれないから。
ああ、だからこそ。
──憎らしい私諸共、こんな世界は滅びてしまえばいいのよ。
♢
『───そうか。あなたは、大事な人を失ったのだね。……失ったものに想い馳せることの何がいけないのだろうか。僕は……今でもずっと、あの子を想い続けている。あの子がまだ生きていたらどんな風に成長していたか、どんな風に笑っているのかとか、そんなことばかり空想してしまう。どうして、たったそれだけのことが、許されないのだろうか』
彼の愛した地だけはどうしても汚したくなくて、ある日置き手紙を残してコンリゾット領を飛び出した私は、彼を殺した海賊の情報を集めつつ目につく限りの人や生き物を無差別に嬲り殺していた時。
私は怪しげな集団に出会った。勿論、彼等を襲ったのだが……しかしその中の一人──『先生』と呼ばれるその男は、あっという間に私を無力化したのだ。
そして彼は『あなたの話が聞きたい』と。適当に慰めるでもなく、前に進ませようと無理やり背を押すのでもなく……その場に立ち止まって、愛した人を想うことを良しとしてくれた。誰もが許さなかった停滞を、彼だけは許してくれたのだ。
エイリッドを想い続けること。それだけが私にとっての救いだから……。
彼は私と同じ傷を抱えていた。かつて愛する人を失い、人や世界に絶望したのだという。だから私の感情や望みを正しく理解してくれた。
彼や彼の周りは似たような傷を持つ人達ばかり。けれども、同じ傷を持つのは、彼一人。この痛みに共感してくれたのは、『先生』だけだったのだ。
『先生。私は……この世界の全てを許せないの……全てが、憎い。全て、壊してしまいたいわ……』
『……ならば、僕達と共に来るかい? 僕達は我が神の教えに従い、この絶望ばかりの世界を壊して新たな世界を迎えようとしている。こんな世界に絶望したあなたにこそ、新たなる世界を見届けてほしい』
彼はきっと、私が無闇に命を捨てないようにしたかったのだろう。『先生』はそういう人なのだ。
神に選ばれた人間だというのに。どこまでも凡庸で、人並みの感情で懸命に生きる人。傷ついた人に人一倍優しくなれる善人。
だから、私に生きる理由を与えたのだろう。世界が生まれ変わるその日までは……決して、自暴自棄になって命を捨てたりはしないように。
だから私は──『先生』と共に、新たな世界を待つことにした。