♦731.Chapter3 Prologue【かくして絶望は咲く】
Chapter3はじまります〜!
六月十五日。この日を、帝国市場の魔王ことホリミエラ・シャンパージュは我が事のように心待ちにしていた。
垂れる眉尻に柔和な笑みをたたえ少し度が強い丸眼鏡をかける彼は、一見して穏やかな優男だが──ホリミエラ・シャンパージュは、その微笑みを決して崩さずあらゆる商談を成立させてきた。
有利な条件をもぎ取っては、満面の笑みで魔王のように『ハハハハハハハハ!!』と高笑いすることもしばしば。彼の笑顔が輝けば輝く程、取引先の顔色は悪化し、交渉の場は分かりやすく天国と地獄と化す。煉獄など無い。零か百なのだ。
そんな帝国市場の魔王がここ最近異常に上機嫌な理由。それは──
「メイシアと我が君は今頃どうしているだろうか……デートが盛り上がっているといいのだが」
今日は、目に入れても痛くない愛娘と、心酔し崇拝する我が君の、デート当日だからである。
ホリミエラは妻と娘を溺愛している。彼の妻ネラと娘メイシアの名誉を傷つけた家門が、十年程前に全て没落させられたのだ。
最愛の妻と娘を救ったアミレス・ヘル・フォーロイトを、我が君と崇拝する程に、彼はアミレスに心酔している。
敬愛せし我が君と、最愛の娘がデートをするというのだ。そりゃあこうもそわそわと、気もそぞろになる。
「……だと言うのに」
浮かれきった顔が一変。その口元は絶えず微笑むが、紅潮した頬は色を落とし、丸眼鏡の奥にある灰色の瞳は万物を見下すように冷めていた。
その視線の先にあるのは、怪しげなローブを身に纏う三人の男達。何やらコソコソと路地に麻袋を運んでいる。見るからに不審者だ。
「先程の南部地区方面で起きた爆発といい、不審者といい……帝都の警備はどうなっているんだ。こんなことなら、妖精族侵略事件の際に金に物を言わせて警備隊に口を出しておけばよかった」
帝都の市場を支配し、フォーロイト帝国全域に商会の支部を設置して各地においても市場を管理し、フォーロイト帝国が行っている貿易の九割を担い、更には大陸西側諸国の流通や経済にまで強い影響力を持つ、歴史ある大商会。
そんな商売ジャンキーたる彼等シャンパージュにとって、商売において必要不可欠たる“買い手”と“売り手”と“商品”が傷つく事はさることながら、彼にとっては庭も同然の商業区たる南部地区を荒らされるなど、どれも許し難い事なのだ。
だからこそ、帝都復興計画に誰よりも身を投じてきた。商売は、健全な心身を持った人間同士が行う最も簡単で最も身近な契約行為だから。そして彼等はその行為を尊び、愛してきたから。
──と、いうのも理由の一つではあるが。
今のホリミエラにとって非常に重要な理由が、もう一つある。
「……!」
「〜〜〜〜!」
「! ……!!」
ホリミエラの視線に気づいたらしい不審者達が、何かを話した後にこちらに向かって駆け出した。その手には片手剣や短剣などが握られている。
目撃者は始末しよう、とでも話し合ったのだろう。ホリミエラの身なりは貴族の若き当主といった、華美ではないが洗練されたもの。彼は細身な上、微笑みを絶やさない優男っぷり。しかも護衛をつけていないときた。すぐに始末できると判断されたらしい。
子供でも分かるような殺意を向けられても、彼は全く動じなかった。呆れたように小さく息を吐き、懐に手を入れて、今にも肉薄する不審者へニコリと微笑みかける。
そして彼は告げた。
「──余計な真似をしてくれたな」
優しげな微笑みから飛び出した怒りを孕む言葉に、先頭を走る不審者が一瞬たじろいだ、その時。
ダァンッ! と、薄暗い通りに銃声が響いた。
「ッ、ぁ────」
「今の音は……!?」
「っおい! 大丈夫か!?」
凄まじい魔力に眉間を穿たれ、自身に何が起きたか理解する暇も無く倒れる男。それに一人が駆け寄り、もう一人がホリミエラ──彼が持つ一挺の銃を睨んでいる。
銃口の先で回転する二重魔法陣を輝かせる、赤い魔石を嵌めた銃型魔導兵器。それを片手で構え、ホリミエラは相変わらず柔らかく微笑む。
「今日は愛娘と我が君の記念すべきデートの日……それを邪魔する者は、何人たりとも許さない」
瞠目する二人の不審者に銃口を向け、躊躇なく引き金を引く。魔石に貯蓄された火の魔力が弾け、魔力の弾丸を凄まじい速度で撃ち放つ。こちらを睨む不審者の眉間をまず撃ち抜けば、ホリミエラは間髪入れずに最後の一人のこめかみを撃った。
魔導兵器たるこの銃は魔力をそのまま魔力弾へと変えて撃ち放つ為、薬莢の装填等の手間が不要なのだ。
必要なものは魔石に貯蓄する火の魔力と、弾丸に変える己の魔力のみ。そしてホリミエラは──メイシアの父親なだけあって、魔力量が一般人より遥かに多い。
なのでこうして、圧倒的な威力と連射性能を誇る銃型魔導兵器を使いこなしている。勿論これはシャンパー商会製だ。運動能力が代々壊滅的なシャンパージュ家に生まれた奇跡の子。隣国の王室騎士団出身だという母親の血を継いだ身体能力を持ち、魔力量が多いホリミエラの為の、特注品である。
「これは……爆薬か。やはりこの不審者達が騒ぎを起こしたようだ」
三つの死体には目もくれず、ホリミエラは路地に置かれた麻袋を開けて中身を観察した。路地の入り口で屈んで麻袋を触る姿は紛う事なき不審者だ。
(──マイク達が爆薬を設置しに行った方向から銃声が聞こえたかと思えば……! あの男が、マイク達を……ッ)
ホリミエラを狙って、これまた怪しげなローブを着た男が、離れた場所から魔法を発動せんとする。発動したのは火魔法。
徐々に膨らむ火球がホリミエラを焼こうと放たれる寸前、何者かが音も無く背後に忍び寄り、男のうなじを鋭く叩いて意識を奪った。
暗殺者のような身のこなしで、相変わらず足音一つ立てずにその人はホリミエラに接近する。そして彼の背後に立ち、さした日傘を傾けて口を開く。
「──シャンパージュ伯爵。背中が不用心でしてよ」
「おや。こんな所で会うとは奇遇だね、ララルス侯爵」
振り向けば、そこには茶色の長髪を団子のように纏める落ち着いたドレスの美しい女性が立っていた。
彼女はマリエル・シュー・ララルス。妹に婚約者と爵位を与えようと奮闘中の、元皇宮侍女の敏腕女侯爵である。
親しい顔に対して礼は欠くまいと立ち上がり、改めて一礼するホリミエラにマリエルもまた改まったように挨拶をして、二人は立ち話を始めた。
「して、ララルス侯爵は一人で何を? 君が祭りに行くとあらば、そちらの部下達が同行者を買って出そうなものだが」
「よくご存知で……実際何名かには『一緒に行きたい』と言われましたが、今日は遊びに来た訳ではありませんので、丁重に断りました」
「断ってしまったのか〜」
(──顔に傷のある、ええと……イアン、だったか。彼もきっと断られたんだろう。可哀想に。彼女もまた、主──我が君に似て、色恋には疎いようだ)
ホリミエラは数年前に見た緑髪の青年の甘酸っぱい表情を思い出し、ハハハ。と乾いた笑いをこぼした。
「それはともかく。遊びではないなら、何故一人で街に?」
「……胸騒ぎがしたのです。今すぐ街に行かなければ確実に後悔する。そんな予感が消えてくれなくて……仕事を部下に任せて、飛び出してきてしまいました」
「そうなのか。君程の女性がそう言うのなら、やはり今この街には何かあるのだろう。私は祭りを見物していたのだが、この通り不審者を見つけて──」
それからというものの、ホリミエラとマリエルは情報交換に勤しんだ。どうやらマリエルはホリミエラに出会う少し前に、謎の蛇に出くわしていたらしい。
ホリミエラが対処した不審者達と、マリエルが手刀にて沈めた不審者。四人全員が同じ紋様があしらわれたローブを纏っていたこと、彼等が爆薬を用意していたこと、ローブの紋様が危険極まりない過激な新興宗教のものだと判明したことで、二人は、水面下で帝都全域を巻き込んだ企てが動いていると断定した。
何が起こるか分からないからと二人で行動を共にし、ホリミエラとマリエルは【大海呑舟・終生教】の企てを打ち砕くべく、動き出したのである。
♢♢
「──ったく……過去最大規模の建国祭をやってるっつーから、遠路遥々来たのによ。なんだァ、この騒ぎは」
男はくすんだ暗い赤髪をわしゃりと掻き、ため息まじりにぼやく。
今しがた西部地区側から帝都に来たばかりの彼の目の前では、南方からぞろぞろと、青い顔をした人の波が押し寄せてきているではないか。
「逸れたら危ねぇから、オレの肩にでも乗っとくか?」
「いいの? やったあ!」
男は、連れの少女を軽々と持ち上げ、肩車をした。少女は桃色の髪を体ごと左右に揺らして、鼻歌まじりにはしゃぐ。
(…………なァんか嫌な予感がするんだよな。観光だけのつもりだったが、どうなることやら)
蜜柑色の瞳を伏せ、男はまた、ため息を一つ。
「──うしっ。とにかく行くぞ。ここまで来たんだ、散々楽しまねぇと損だ、損!」
「たのしもー! おー!」
はじめての帝都に大はしゃぎの少女の、ぶらぶらと揺れる足をしっかりと掴んで、男は虫の知らせを感じながら帝都の街へ繰り出した。




