729.Side Story:咎人は捨て、罪人は惑う
マクベスタ&カイルの対謎蛇サイドのお話です。
時間にして、およそ十分。
マクベスタとカイルは本気だった。雷霆を誘う聖剣と機械仕掛けの剣を以て、彼等はその戦いに全力で挑んでいた。──だが、現実はそう甘くなかったのだ。
「……ッやはり硬すぎる……!」
(──まるで、鋼鉄の岩肌を素手で殴っているような気分だ)
電光石火の速さで肉薄し、マクベスタは蛇の腹に一閃を叩き込む。しかしその細い円筒からは想像もつかない程の硬さが、聖剣の攻撃を阻んだ。
攻撃を入れるどころか反動で痺れる手。一度でも気を抜けば手に力が入らなくなりそうで、一瞬たりとも力を抜けず体力を消費する一方だ。
蛇の反撃を躱すように後方に退避してから、ふざけるな、と目の前の蛇を睨む。
(妖精には攻撃も当たらなかった。彼等は常に攻撃や死を回避する奇跡を起こしていたから、そもそも攻撃が入らなかったが……この蛇は違う。攻撃自体は全て当たっている。だがそれが何一つとしてこの蛇には効いていない)
妖精のような回避ではなく、全てを無効化しているようなもの。
上位存在故に為せる技なのか、はたまた何らかのカラクリがあるのか。どちらにせよマクベスタの雷とカイルの魔術は、蛇に一切効いていなかった。
マクベスタがかつてシュヴァルツより教わった『全てを殺す剣』略して全殺剣は、魔王たるシュヴァルツ──ヴァイス・フォン・シュヴァイツァバルティークという悪魔が、森羅万象に対する“絶対的選択権”を持っているが故の、必ず攻撃が入る前提の自己流剣術。
この蛇のようにそもそもあらゆる攻撃が効かない相手など、考案者的には想定外もいいところ。此度に至っては、全殺剣は封殺されたようなものだ。
(カイルにも、あの魔導具が通用しない事への焦りが見えてきた。……どうしたものか)
マクベスタは雷の魔力と聖剣ゼース、そして全殺剣しか手札がない。だが何においても規格外なカイルは無数の手札を有しているし、その気になれば手札を増やせるような男だ。
そんなカイルをもってしても手に余る相手。それを前に、マクベスタは固唾を呑む。
(…………だが、それでも。オレは戦わなければ。今度こそ彼女を守る為に────)
それが、自分に出来る最大限の償いだから。
マクベスタは希う。我が罪を、今度こそ贖いたいと。
マクベスタは乞い願う。どうか、この恋が枯れて散りますようにと。
マクベスタは恋願う。彼女の傍にいることだけは許してくださいと。
まるで、そうでなければならないと、自分に言い聞かせるように。
「……──ゼース。力を貸してくれ」
黒い聖剣を、研ぐような手つきで一度だけ撫でる。
すると彼の言葉に応えるように、その剣は青白い輝きの軌跡を全身に浮かべた。
《────ああ、いいぜ。俺様は愛だ恋だで身を滅ぼす馬鹿がこの世界の何よりも大、大、大好きなんだ! 好きなだけ暴れちまえ、恋狂いのマクベスタ! 俺様の力なんざいくらでも使え! ギャハハハハハ!!》
随分とまあ喧しい声。それはマクベスタにしか聞こえていない、聖剣ゼースの声だった。
妖精族侵略事件以降、実はこうして、度々マクベスタに話しかけてくるようになっていたのである。
聖剣とは往々にして特殊なる由来を持つ。
鍛冶神の弟子が鍛えたもの。長年祈りを捧げられたもの。神となった人間の一部が変質したもの。精霊が特殊な素材で鍛えたもの。
それらの製作者の情熱や、所有者の愛情が残留し、擬似人格へと昇華され剣に宿る場合があるという。いわゆる付喪神のような存在だ。
普通に五月蝿いこの聖剣ゼースがいい例である。
彼曰く。今まで寝ていたものの、この間突然起こされたとのこと。『ゼース。汝は神成り、其の怒りは雷槌なり』というマクベスタの呼び声に誘われ、数千年ぶりに目を覚ましたらしい。
極悪な性癖を隠そうともせず、偶然マクベスタが彼の嗜好にジャストミートした為、こうも気に入られてしまったようだ。
アミレス程ではないが、マクベスタも大概変なのに好かれやすい性質らしい。
「力を貸してくれて感謝する。だが少し静かにしてくれ、ゼース」
《ひっでぇー扱いだなァご主人サマ! そこがまた愉快だから良し! やっぱり恋狂いの大馬鹿野郎は最高だ! ギャハハハハハ!!》
やっぱりうるさいな……と、脳内に響く下品な笑い声に顔を顰める。
黒い剣を這う青白い輝きの軌跡。そこから、不遜にして傲慢なる光が溢れ出した。──切り裂かれた空間が唸るように悲鳴を上げる。目的を失った神の怒りが、いたずらに天の白雲を弄ぶ。
天へと昇る雷槌。そのあまりの破壊力に石畳が剥がれ、埃のように宙へと舞い上がった。
爆発的な雷の魔力の増幅。それを受け、アップバングに整えられていたマクベスタの前髪は逆立つように後ろに流れ、彼の端正な顔が露わになる。
「…………」
深呼吸をする。その息は震えていた。人の身に余る神雷が全身を駆け巡り、体が悲鳴を上げているのだ。
もはや、この状態で喋ることは叶わない。それどころか意識がどれ程保つかも分からない。
しかしマクベスタは一歩を踏み出した。その一歩でどこかの筋肉が裂けたとしても。一歩ずつ進み、青白い輝きを纏う聖剣を構える。
全てはこの罪を償う為に。
──どうか。彼女が幸せになれますように。
そんな願いを心の内に秘め、マクベスタは一閃の雷霆となり、首を持ち上げこちらを睨む蛇に雷の刃を放った。
♢
カイルは手製の魔導兵器を操作しつつ、端正な顔に冷たい汗を滲ませた。
どれ程斬ろうが、殴ろうが、魔法をぶつけようが、あの蛇には何一つとして効かない。それどころか一切解析できないのだ。
相応に手間暇がかかるものの妖精ですら解析できる相棒ちゃんが、《解析不可能》との結果を弾き出す存在。
そんなもの、カイルがこの世界に転生してから片手で数えられる程しか観測していない。
──シュヴァルツ、ナトラ、クロノ。
この三体はふと解析を試みたものの、《解析不可能》との結果に終わった。シュヴァルツは魔王で、ナトラとクロノは原初の竜種だ。
そもそも生命体としての構造が違いすぎる為、今の技術では解析が出来なかったのだろう。
一方、シルフは《測定不可能》との結果に終わったのだ。精霊の解析は難しいものの決して不可能ではなかったのだが、ことシルフに至っては測定が出来なかった。
その原因を、カイルは未だ把握出来ずにいる。
そんな三体の人ならざる者達に次ぐ《解析不可能》の存在。アミレス・ヘル・フォーロイト曰く、神そのもの。
『──運命を弄ぶ、神という機構を殺せ』
カイルには使命がある。【世界樹】との取引で彼に課せられた、神を殺すという使命。
あの蛇が真に神であるならば、カイルはあれを殺さなければならない。そんな使命感から対象を解析し、必要があれば対世界虐殺機構を発動して戦うつもりだった。
しかし、あえなく失敗に終わった。
どうやらあの蛇は本当に神そのもので、自慢の星間探索型魔導監視装置をもってしても解析出来なかった。当然、対世界虐殺機構を発動する事も叶わず。
カイルが焦っている、というマクベスタの所感は正しかった。
(クソ……ッ! 俺に何が出来る? 大戦兵器化も効かねぇし、魔法も軒並み暖簾に腕押しだ。認めたくないが──あの蛇に、サベイランスちゃんは通用しない。俺は、無力だ)
元のタブレット型に戻った星間探索型魔導監視装置を手にカイルは、悔しさのあまり眉間に深い皺を作り歯軋りした。
妖精族侵略事件の際、彼は慢心からアミレスの身を危険に晒してしまったと、ひどく己を責め立てていた。件の戦いで無理をし、後に生死の境を彷徨う程の想像を絶する苦痛に喘いだのは、そんな理由からだ。
穂積瑠夏という男は、昔からそうなのだ。なまじ何でも出来てしまったが為に、何事においても責任を負わんとする。いかなる状況であろうと、彼は無条件で自分に責任があると考える。
母と姉が異常な人間だったことも、父親が己を見捨てたことも、全てを事実として受け止めた上で──彼は、崩壊していた家庭環境の原因は自分にあると考えていた。
───かあちゃんとねえちゃんがいつもおれの体にべたべた触るのは、おれがこんな顔で生まれちゃったから。
───母ちゃんと姉ちゃんが好き勝手にするのは、俺が母ちゃんと姉ちゃんに逆らえなかったから。
───父ちゃんが俺を見捨てたのは、俺が父ちゃんにとって有益な子供じゃなかったから。
───何回父ちゃんの職場に手紙を送っても返事が帰って来ないのは、俺があの人に愛してもらえるような努力を怠ったから。
そうやって、冤罪に等しい自責で常に自分で自分の首を締めていた。
彼はあらゆる才能を持ちながら人としては非常に不器用で、どうしても、自責の末に誰よりも苦しむ。
失敗すれば人一倍後悔するし、己を責める。自分の多才っぷりを理解しているからこそ、『何故失敗したのか』と己を容赦無く非難する。
彼は、その才能に不釣り合いなぐらい、不器用すぎたのだ。
(考えろ。俺ならなんとかできる。できる筈だ。できなきゃ、駄目なんだ)
神を殺す。それが彼が成すべき使命。
あの【世界樹】がわざわざ命じたということは、カイルにはその力があると暗に示したようなもの。
しかし今の彼には、神殺しは不可能。頼みの綱たる対世界虐殺機構が使えないのだ。あれ以上の手札など無い。まさに切り札なのだ。大戦兵器化も通用せず、魔法だって効かない。
ならば新しく魔法を作るしかない。神すらも殺せるような、魔法を。
だけど。
(……ッ、どうすればいいんだよ! どうすれば……あの蛇を殺せるんだ────!?)
自責と後悔の迷宮に囚われたカイルは、普段の冷静さを失っていた。
ゆっくりと机に向かい思案するならいざ知らず、焦燥感に駆られた彼には新しい魔法を作る余裕など無い。
彼の生きる意味──『みこ』が限界を迎えた事で代わりに表に出てきた本物のアミレス・ヘル・フォーロイトは、カイル達への警戒を緩めず全く事情を明かさないので、『みこ』が今どうなっているのか分からない。
それが、あの時点で既に彼から冷静さを奪っていたのだ。
──みこを失うわけにはいかない。
皮肉にも、『みこ』への執着が彼の生きる意味と彼最大の弱点となってしまった。
「マクベスタは、戦ってるのに……っ」
耳を劈く雷鳴に思わず顔を上げれば、弾けるような雷を纏うマクベスタが、果敢に蛇を攻撃していた。
それがまた、胸の内の焦燥を激化させる。
「──何もせず、何も成せず、ただ呆然と立ち尽くすとは。いいざまだな塵芥」
「フ、フリードル殿下……いくらカイル王子相手でも、最初からその態度は流石にどうかと思いますよ……?」
俯くカイルの尻を叩くように罵倒したのは、酷薄な冷たい声。その声の主の隣では、気弱そうな声音の青年がおどおどしている。
「フリードル、レオナード……」
カイルは目を丸くした。震える唇からこぼれた微かな声は、耳がいいレオナードにしか届かない。
「街で事件が起きているようでしたので、俺とフリードル殿下も様子を見に来たんです。そしたら変な蛇がわらわらと……カイル王子は何かご存知ですか?」
「……ある程度なら」
そうしてカイルは、フリードルとレオナードに情報を開示した。
どうやら彼等は西部地区方面からやって来たようで、マクベスタが引き起こした雷の轟音に引き寄せられたらしい。──『マクベスタ・オセロマイトがああも雷を乱発している理由がある筈だ』と、虫の知らせを受けて。
「……マクベスタ・オセロマイトが異常に雷を撒き散らして交戦している爬虫類が、件の“神”とやらか」
「どうしますか、フリードル殿下」
「愚問だ。──あの蛇を始末するぞ、レオナード。お前の頭と声を僕に貸せ」
「仰せのままに」
既に冷気を漂わせる魔剣・極夜を鞘から抜き、拡声魔導具を持ったレオナードを伴って、落雷が激化する一方の戦場へとフリードルは一歩踏み出した。