723.Others Side:Chrono,Schwarz
クロノとシュヴァルツの視点になります。
「最近は随分と元気だね、【世界樹】」
どうにか【世界樹】の元に辿り着くなり、淡く光る無数の白い枝を持った我が母を見上げ、声を掛ける。すると懐かしい人形が【世界樹】の幹から生えてきた。
「──黒の竜よ、何の用だ。……と、【世界樹】は問うている」
いつの間に声帯を獲得したんだ、この人形。まあどうでもいいか。
「【世界樹】に、僕の前足を直してもらおうと思って。君なら直せるだろう? だって僕を創ったのは【世界樹】なんだから」
百年くらい前に穀潰しに吹き飛ばされた左の前足。当時は前足の一本ぐらい、と思っていたが……これがまた厄介で。前足の一本を失っただけで色々と不調をきたすのだ。
竜の姿であればその不調が顕著になるので、常に人間体で居続ける始末。なんとも情けない。
人間体であっても、左前足に相当する左腕が失われている為、何故かやらされている仕事(侍女業というやつらしい)も微妙に手間取る。実に損ばかりだ。
「……如何なる理由をもって足を直そうとしているのか、答えよ」
「無いと不便だと思ったから。それに、いざという時満足に戦えないと困るだろ」
「今まで不要だったのに?」
「今、必要になったから」
意味の無い問答を繰り広げていれば、今度は見知らぬ男が現れた。
「───まあまあ。彼にも考えがあってのことだろうし……そう邪険にしなくてもいいじゃないか」
「…………竜は、その爪垢に至るまで存在の規模が絶大。一度は失われた前足を元に戻そうとすれば、あらゆる世界に演算不可能な影響を及ぼすことが予想される。故に、【世界樹】はあの男の判断に、理解を示せない」
「だが、今まで不要だと思っていたものをわざわざこうして取り戻しに来たということは──彼は何かを知ったんじゃないかな?」
「────」
緩く編まれた膝に届く青墨色の頭髪と、太陽のような白金色の胡散臭い瞳。どこか白のお気に入りと似た雰囲気の、黒地に金糸の古風なローブを纏った男。
無駄にヘラヘラと笑う男が念を押すように言えば、人形は閉口してぴたりと固まった。
「──【世界樹】は、オマエに問う。オマエは何を観た? オマエは【世界樹】から与えられた権能で、何を識った?」
これは【世界樹】の言葉か。
……虚無の権能。【世界樹】から与えられた、僕の存在を保証する為のもの。
始まりと終わりを司り、あらゆる運命の始点と終点に僕は繋がることが出来る。あらゆる運命を、観ることが出来るのだ。
「…………ある一人の女が、絶対に死ぬ運命にある。たった十五年……僕達からすれば瞬きの時間で、その女は必ず死んだ。あらゆる世界、あらゆる未来において。僕はその運命に抗いたい。だから、力を取り戻そうとした」
──その運命に、娘が巻き込まれてしまったから。
何がどうなってこうなったのか……本当に、訳がわからない事ばかりだ。そもそも僕は運命だとか因果だとかを観ることは出来ても、干渉するのは容易いことではない。そう何度も、無謀な真似はできないのだ。
だから今はこうするしかない。力を取り戻し、運命そのものに干渉するのではなく……運命に抗う。娘がこの悲運に抗っているように。
「──【世界樹】は、オマエの要求に答える。しかし、存在規模の問題は見過ごせない為、条件を課す」
長考の末、人形は踵を返して世界樹に触れた。樹液のようなものを抽出したかと思えば、その塊をこちらに放り投げる。
鮮やかな放物線を描き、その光の塊は僕の体にスゥッと溶け込んだ。すると程なくして、左肩から淡い光が溶け出し人の腕を模った。
光が収まればそれは見紛うことなき人の腕となっていて。
「……出来るなら最初からやれよ」
「人神の進言を受け、【世界樹】はオマエの判断を信じたのだ」
「それより条件って? 早く教えてくれないかな」
「条件は──」
それを聞き終わるやいなや、僕はその場を後にした。
その際、胡散臭い男から「黒の竜様。大変かとは思いますが、頑張ってくださいね〜! あと妹さんに『どうかお手柔らかに』と伝えてください」と手を振られたが、やはりどうでもいい。
人形──【世界樹】が提示した条件。それは、『普段は隻腕のまま過ごす事。腕を使うのは危機に瀕した時のみ』というもの。竜が危機に瀕することなどそうそう無いというのに、本当にいやらしい性格をしているな我が母は。
だが、今はこの条件を飲み込むほかない。
条件付きとはいえど、曲がりなりにも腕を取り戻したことで体内の魔力循環が早くも正常化の兆しを見せている。これだけでもじゅうぶん【世界樹】に嘆願した価値があるというもの。
ごちゃごちゃと文句を言って腕を取り上げられては敵わないからな。いつの間にか隻腕に戻っていたが、苦情は入れないでおこう。
「…………もう誰にも奪わせない……絶対に」
君が、僕が望んだように悲運に抗ってくれれば、それでよかった。僕はそれだけを望んでいたのに。運命とはなんとも残酷で、無慈悲なものだった。僕の自己満足の所為で、君は不幸になってしまった。
だから、僕は君を守る。
あらゆる悲運から君を守って……君が、幸せになった姿を見届けられるように。
「どうか──……今度こそ、幸せになってくれ」
運命の果てから、ただ望む。
願いも祈りもしない。神なんてもの、全て消え去ってしまえばいい。君を不幸にするだけの存在なんて消えろ。僕から愛する者をことごとく奪う存在なんて、滅びろ。死ね。死んでしまえ。
どれ程運命が巡ろうが、どれ程世界が変わろうが、僕は神々を怨み呪い続ける。
娘が幸せになる、その瞬間まで──……。
♢♢
馴染みのある気配。数百年前にこの手で封じた蛇の一部。それが湧き出る地下水のように、ぼこぼこと帝都に現れた。
やはりあの蛇の魂は、人間界で復活しようとしている。……この感じだと、おそらくはこの国の何処かで。
厄介だ。あの時殺しておけばよかった。殺しておきたかった。でも、できなかった。
『───ヴァイス。殺してはなりませんよ。あなたはアレを封印するのです。いいですね?』
いつも煩いクソ親父は、その時も目障りだった。
人間界を滅ぼそうとしていた魔神をひょいっと捕まえ、わざわざ魔界の中でも辺鄙な地域に連れて来ては、ぼくにその魔神を封印しろなどと言ったのだ。
どう考えても殺す方が簡単なのに。
あの男はいつもそうだ。何を考えているか分からないし、分かりたくもない。気味悪くて、鬱陶しくて、いつまでも父親面をする親失格のクソ野郎。──どうしてぼくは、あのクソ野郎に逆らえないんだ。
『あんな蛇、ぼくヒトリでじゅうぶんだから消え失せろ目障りだ気色悪ぃ』
そう言って、クソ野郎の手を借りることなくヒトリであの蛇を封印したんだったか。
あの時の蛇がまさか今になって復活しようと足掻くとは……随分とタイミングが悪い。昔からそうだ。ぼくは運が悪い。
どうしてこんなに運が悪いんだと、幼い頃に色々と調べて……俗に幸運と不幸と呼ばれるそれが与えられる機会は、誰しも半々に決められており、廻る仕組みになっていることが分かった。──が、それはどうやらぼくには適用されなかったらしい。
あのクソ親父に見つかったこと。あの男と出会い、裏切られたこと。死にたくても死ねなくなったこと。こんなクソみてェなトラウマに何百年と怯え続けていること。終わりが決まっていること。──アミレスと、出会ってしまったこと。
不幸ばかりだ。幸運なんて間違っても呼べない、苦しみばかりの半生。何も、いいことなんて────
「…………いや、違ェな。アミレスと会えたことや、アイツと……イカれた人間共と過ごす毎日は、スゲェ楽しかった。これだけは、間違いなく、ぼくの幸運だ」
これまでの数千年の苦しみと比べれば、ほんの僅かの幸運。まったくもって釣り合いなど取れていない。
だけど、たった数年の幸運のおかげでぼくは……今まで生きていて良かったと、心からそう思えてしまった。
生きていたからこそこうして苦しみ、壊れゆくのに。絶対に手に入れられないものに手を伸ばして、その熱に身を灼かれているというのに。
──性懲りも無く、オレサマは欲望のままに行動している。
苦しむとわかっているのに、傷つくとわかっているのに、壊れるとわかっているのに、救われる日は来ないとわかっているのに……それでもオレサマは期待している。
いつの日か──……これまでの不幸に見合うような、とびきりの幸運が訪れることを。
そして、その幸運がアミレスであってくれたらいいのにと。オレサマは、未だに願っている。
──この空白の悪魔を救う幸運は、アミレスであってほしい。
壊れかけのぼくは願い、狂いかけのオレサマは祈る。
それぐらいの幸運は許してくれ、と。
「だから、こんな所でアミレスに死なれたら困るんだよ。……アイツを手に入れないと、オレサマはいつまでも幸せになれないから」
悪魔らしく自分勝手に。欲望のままに、オレサマは力を振るう。
相手があの蛇ならと、昔の姿に近しい悪魔に姿を戻し、蛇の一部を次々と屠る。
あのケツの穴が小さい蛇のことだ。オレサマを見つけるなり喜んで復讐に来るだろう。その時は、今度こそ殺してやる。
アミレスの身に何かが起きるよりも、前に。
だってアイツは……オレサマと違って、死にたくないって泣く女だから。だったらアイツの代わりにオレサマが命を使うべきだ。死にたくても死ねない、この死に損ないこそが戦うべきだろう。
いつかの日に──アミレスと出会えたことを、生涯における最上の幸運だったと言えるように。
この苦しみや恐怖と決別する日が訪れることを願って、アイツの為に戦おう。
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