721.Main Story:Ameless Hell Forloyts
その兆候は、明確にあった。
私だけが一方的に知ってしまった『みこ』の記憶を、彼女が思い出しはじめたあの頃から。全てを忘れていたからこそ形成された『彼女』は、ゆっくりと、雨に抉られる地面のように、じわじわと壊れていたのだ。
そうして壊れゆく中で突きつけられる、自分の考えと周囲の考えのギャップ。もはや変えようのない自己というものが、酷く歪んだものであると彼女はついに知ってしまった。
──『みこ』は、誰かの為に生きることしか出来ない。
その誰かというのは特定個人ではなく、あまねく人類全てであり、彼女の人生において彼女自身は道具に過ぎないのだ。目的を果たす為の道具であり、それは決して、自分の為に存在するものではない。
そういう風に、『みこ』は作られた。巫女たる神子として、神と人を繋ぐ──ただそれだけの為に存在する、人間の為の道具で在れかしと。
記憶を取り戻した彼女が度々、人間の成り損ないと自嘲するのは、『そうでなければならない』という無意識下での自己認識によるものだろう。
だから、彼女は誰の想いも受け入れられない。
特定個人の願望だけを受け入れるわけにはいかないから。それが出来る程、彼女は人間らしくない。だが全ての願望を聞き入れるわけにもいかない。何事も選別する必要がある。しかし、それは『不平等』である為、彼女には選別すら許されない。
無意識下で、彼女自身そう理解していた。だから彼女は、メイシアから好意を向けられる度に苦しんでいたのだ。
この複雑な自己矛盾の所為で、メイシアに辛い思いをさせてしまうと、確信していたから。
……私だって分かっていたのに。
今の今まで何もしてあげられなかった。いつもずっと、貴女が苦しむ声を聞くばかりで、その肩の荷を分けてもらう事すらできなかった。
だから私は──……貴女がこれ以上苦しまないようにしたい。たとえそれで貴女に嫌われてしまっても、私は構わない。
元より私はそういう女だ。どれ程に疎まれ嫌われようが、構わず自分のやりたいようにやる。愛する人の為に尽くす。それが私、アミレス・ヘル・フォーロイトだ。
貴女が自分と向き合って、もし、変わりたいと願うなら。私はそれに全力で協力する。自分と向き合ったうえで、もし、変われないと思ったなら。私は、貴女が無理に変わらなくてもいい世界を作る。
貴女を傷つける感情は全て奪って、ぐちゃぐちゃにして、斬り捨てて、壊してあげる。貴女を苦しめるものなんて何も無い、そんな世界にしてみせる。
恨みを買うのも、嫌われるのも、全部私だけ。貴女は嫌われる必要なんてない。貴女はただ、貴女が望むままに『皆とずっと一緒に』居ればいいの。
貴女の幸せが、今の私の幸せだから。
貴女はすごく頑張ったわ。たくさん傷ついて、苦しんで、誰にも弱音を吐かずに一人で頑張ってきた。そんな貴女が立ち止まって休むことを咎める人なんて、一人もいない。そんな人間、私が存在を許さない。
──多くの人に怨まれる悲運の王女は、私だけでいい。
貴女には、多くの人に愛された幸せな王女になってほしいの。だから、嫌われ者で出来損ないの悲運の王女という役柄は、私が貰っていくね。
元々これは私のものだし、貴女が背負う必要なんてなかったんだよ。私の代わりに苦しまなくてよかったんだよ。
貴女は貴女として生きてよかったの。『王女だから』『王女として』なんて考えなくてよかったの。私の運命まで背負わなくてよかったのよ。
本当に、真面目すぎるんだから。そんな優しい貴女だから、私は……こんなにも貴女を大切に想っているのでしょう。
散々苦労をかけているこんな悲運の王女に、一緒に幸せになりたいと言ってくれた──たった一人の貴女だから。
貴女が貴女らしく生きられるように。
貴女の願いを叶えられるように。
貴女を幸せにしてあげられるように。
その為ならば、アミレス・ヘル・フォーロイトはなんだって出来てしまうと、そう、確信しているのです。
無数の悲運の王女がそうだったように、私は──……愛する人の為ならば、喜んで命を差し出せる女ですから。
♢
「さっきから目障りね……次から次へと湧いてきて。彼女の周りに蔓延る危険物じゃあるまいし、いい加減にしてくれないかしら」
「あ、アミレス様……?」
十歩程進む度に出没する、黒い流動体の蛇。便宜上黒蛇と名付けたこれが際限なく湧いてくるものだから、流石の私も虫の居所が悪くなってきた。
そんな『アミレス様』の豹変ぶり見て、メイシアはオロオロとする。
「なんでもないわ。先に進みましょう」
みぃちゃんはこんな風に笑っていたのかしら。そう思い描いた笑顔を作って、メイシアの左手を掴み、先を行く。勿論アマテラスは構えたままだ。
ジスガランド教皇が例の宗教と接敵したというのは、おそらく帝都南部地区方面。同方向から爆破音が聞こえたことから、間違いないだろう。
メイシアを安全地帯に送り届けるべく東宮を目的地としていたのだが、先程見たところ、王城付近に避難してきた市民が集中しており、どうにもあそこに行くのは愚策に思えてきた。
平常時ならまだしも、混乱渦巻く非常時の今、この髪色によるモーセの海割り現象が起こるとは思わない。つまり、人混みに足を取られる不安がある。その隙に襲撃された日には、メイシアを守れるかどうかも怪しい。
なので仕方なく、ジスガランド教皇達が戦っているという南部地区へ向かう事にした。
戦いに巻き込んでしまう懸念は残るが、攻撃は最大の防御と言う。今はその戦法で行くしかない。
北部地区に向かうように、青い顔をした民が我先にと逃げ惑う。その波に逆らって、みぃちゃんが前もってケイリオルさんに頼んでいた臨時の警備隊等が駆け出し、時に避難誘導を行っているようだ。
得体の知れない黒蛇に対しては魔導師と騎士が連携して対応し、その隙に警備隊が避難誘導を行う。妖精族侵略事件での経験を上手く活かしている。
流石はみぃちゃん。とても良い采配だ。彼女は、事件を防げなかったって落ち込んでいたけれど……そんなことはない。“ゲーム”とは明らかに違う事件に対して最善策をきちんと打ち出している。もはや“ゲーム”と大きく異なるこの世界で、何かしらの対策を立てようと考える方が難しい。
しかしみぃちゃんは違う。決して警戒を怠らず、アルベルトにずっと調査させていた。それが身を結び、こうして市民への被害を抑える最善手となっているのだ。
「また黒蛇……!」
みぃちゃんの活躍に、ふふふ。と思わず頬が緩んだ時だ。
現れたのは進路を塞ぐ黒蛇の群れ。うにょうにょと蠢くそれが何匹もわらわらと集まっていれば、ただただ気色悪いというもの。
すぐに全て葬ろう。強く一歩踏み出した、その瞬間。黒蛇の群れが何故か一点目掛けて集まる。
「蛇が……が、合体して……大きく……!?」
サーッと顔を青くして、メイシアが呟く。
それにしてもなんだか見覚えのある展開ね。たしか……以前みぃちゃんが穢妖精と戦っていた時は、フリザセアさんが現れたのよね。
そうやって不審な氷の精霊が現れた時の事を反芻していると、巨大黒蛇に異変が。
空から「ぶっ潰れろ」と聞き馴染みのある声が降ってきたかと思えば、眼前の巨大黒蛇が重たい物に圧し潰されたかのようにぺしゃんこになって、最後には液体として散った。
当然、そんな潰れ方をしたならば黒い液体がこちらにも相当量飛来したのだが、どうやら何者かはそれを見越して長方形の結界を巨大黒蛇の周囲に展開していたようだ。
随分と抜かりない人だこと。
「アミレス〜、お前やっぱり街にいたのかよ。そんな事だろうと思った。こっちに来て正か──」
結果を解除しながら現れたのは、カイル・ディ・ハミル。──の皮を被った、穂積瑠夏という男。
この世界で一番、みぃちゃんの優しさと甘さにつけ込んでいる悪い男。何故みぃちゃんはこの男を無害と思えるのかしら……彼女が、この男を必要としてさえいなければよかったのに。
なんて不貞腐れる私をよそに、カイルは私を一目見て、その顔から鼻につく笑顔を引っ込めた。
「──おい。アイツはどうした? どうしてアンタが出てきてるんだ」
「まぁ怖い」
「非常時って訳でもねぇのに、なんでそんな事になってんのかって聞いてんだよ。さっさと答えろ」
私の両肩を掴み目と鼻の先でカイルが捲し立てる。凄い剣幕と、低く唸るような声で問い詰めてくるものだから、メイシアも慌てた様子で「カイル王子! 何をなさってるんですか!?」と声を上げた。
しかし、カイルは一切引く様子を見せない。
「……色々と限界だったのよ。だから、無理やり眠らせた。私はその間の代役と、時間稼ぎ。答えになったかしら?」
「限界……? アイツに何があったか教えろアミレス!」
「はあ。今はどう考えてもそれどころじゃないでしょう? 後にしてくださる?」
彼とてこの体を傷つけるつもりはないのだろう。なんとか振り払える程度の強さで肩を掴まれていたので、それをどうにか振り払い、必死な形相のカイルの横を通り過ぎる。
そもそもどうして私がアミレスだと分かったのかしら。一言も喋ってなかったのに。普通に気持ち悪いわ、この男。やっぱり危険物なのでは?
「……アイツより大事なものなんて俺には無ぇよ。それどころじゃないとか、関係ない」
「でも残念ながら、彼女はこの街と民を守りたいそうよ。だから私も戦っているの。これが、彼女の望みだから」
これがみぃちゃんの望みだと言えば、カイルは悔しげな様子でぐっと押し黙った。笑ってしまうくらい、みぃちゃんに弱い男だ。
「さあ、メイシア。カイルも静かになったことだし、行きましょう」
「あ、あの…………はい、わかりました」
気になる事が多いのか、不信感が抑えられないのか。何度もぐっと言葉を飲み込んだメイシアの表情は、暗くなる一方だ。
まあ、それでもいいのだけど。
みぃちゃんの願いを叶える為に必要なのは、あくまで『皆』であって、つまるところ相手が生きてさえいればその状況はなんだっていい。もし仮に、このままメイシアがアミレスを嫌ったとしても、彼女をどこかに閉じ込めてしまえばいいだけのこと。他も同様だ。
みぃちゃんを苦しめる要素を排除しつつ、『皆』とずっと一緒に居させてあげられる。
だからいくらでもアミレスを嫌えばいい。
さすればみぃちゃんの苦悩の種は減り、いずれ叶えるべき願いに向かう選択肢が増える。──監禁、とかね。
みぃちゃんはそれを悲しむだろうけど……あの子は“嫌われること”より“失うこと”を恐れている。ならば、より恐れるものを回避すべきでしょう?
「……アミレス。アンタ、何を企んでるんだ」
メイシアを連れて南部地区に向かっている最中の事。当然のように着いてくるカイルが、藪から棒に言い放った。
「私は彼女の願いを叶えたいだけよ」
「願い……? アイツの願いって、たしか『死んだ後も私の事を忘れな──』」
「違う」
「……え?」
「彼女の本当の願いは、それじゃない」
「じゃあ何だって言うんだ? 教えろよ、俺だってアイツの願いは叶えてやりたい。何か力になれるかもしれねぇだろ」
「嫌よ。彼女の願いは彼女のものだから」
「は? なんだよそれ……っ、おい待てよアミレス!」
腑に落ちない様子のカイルを置いて、踵を返し先を進む。
途中で警備隊に帝都内の状況を聞いたところ、あの黒蛇が帝都各地で出没しており、人間を襲っているのだという。その割に被害があまり出ていないのは謎だ。
兵士や騎士、魔導師が対応しているとはいえ、あの蛇はかなり面倒な性質らしく簡単には倒せない。それが、直接的被害を抑えられる勢いで討伐されているとは、これ如何に……。
愛の為ならなんだって出来てしまう生粋のフォーロイトでありながら、その異端児とされるアミレスさんが本領を発揮していますね。
あらゆるものから宝物を守ろうとする献身的な彼女の愛は、やはり美しいです。(でも覚悟決まりすぎててちょっとこわいよね! なんて言えない。)