719.Heroes Side:Freedoll,Macbethta
しぬしあ軸の攻略対象視点、フリードルとマクベスタのターンとなります。
──後継ぎも作らず、行方不明の妹を捜し続けた気狂いの皇帝。氷の王が代々治めてきた国を突如として終わらせた致命的な愚者。そう、多くの罵倒と非難を浴びながら死んだものと思ったのだが、どうやら僕は、過去に戻ったらしい。
父上が存命で、ケイリオル卿は失踪したのではなくディジェル領へ援軍として派遣されただけ。ならば此処は、過去に他ならない。いずれあの未来を辿るのか否か……僕にも分かり得ぬことではあるが、少なくとも、今はまだ未確定の未来に過ぎない。
ならばそれを回避すればいいだけのこと。あのような結末にならぬよう、僕の手でアミレスを救い、幸福へ導き、そして──……後継ぎを作り育て上げてから、幸福の絶頂でアミレスと共に死のう。
それこそが、僕の望み。皇太子の存在意義への最良解だ。
ならばまずはアミレスを捜さなくては。これが過去であるならば、アミレスはまだ凍結されていない筈。どこかで、あの気の抜けた笑みを誰彼構わず振り撒いていることだろう。
そのような健気な妹が、あのような憐れな結末に至らぬよう……不幸な結末から、僕がアミレスを救う。
兄として、アミレスを幸せにしてやりたいと、心から思ったから。
久方ぶりに見たアミレス。
記憶の中にあるのは血塗れにもかかわらず幸せそうに笑みを浮かべた死者の顔だったから、こうして生きて血の通う妹を見られて、僕は喜びに打ち震えた。
僕だけが回帰した世界。僕以外の誰も、あの結末を知らない。それはジェーンやレオナードに確認済みだ。だから、アミレスがあのことを覚えているはずなどないのに……僕は、何も知らないアミレスへ謝罪を繰り返していた。
その後もしばらくアミレスと時間を共にしたが、ジスガランド教皇が押しかけて来たとかで、追い出されてしまった。
……未来ではアミレスを治癒しに来なかったというのに、なんとも厚顔無恥な男だ。面の皮の厚さが鉄鎧並み。これを鉄面皮というのか。
翌日。ケイリオル卿不在の皺寄せを大胆に食らった僕とレオナードは共に書類の山を片付けていた。
やはりレオナードは優秀で。彼一人で文官十人分の働きをしてしまうものだから、方方から手伝えと言われたそうなのだか……何故か普段は気の弱いレオナードのことだ。いいように使い潰されるのが目に見えている。なので仕方なく、建国祭期間中は僕の補佐として働くように命じた。
実際、僕の業務量は凄まじい。ケイリオル卿不在の穴埋めをし、アミレスに回される仕事を幾らかこちらで請け負ったのである。
「フリードル殿下、こちらの決算書にもお目通しを。あとこの申請書、嘆願書、決算書、申請書、決算書、決算書もお願いします」
「決算書が多すぎではないか?」
「治安部と環境部と内政部が色々と経費で落としたようで……まあそれらに関する報告ですね」
「……衛生維持目的での魔導具購入? なんだこれは。騎士団は何を買ったというんだ」
「蓮口型水洗機といって、少し魔力を込めるだけでいつでも何処でも誰でも簡単に水を浴び、汗を流せる魔導具らしいです。最近の騎士や兵士は、淑女から汗臭いと言われるのをたいそう気にするそうで」
「そうか…………まあ、発汗等は人体の健康に影響する。衛生及び健康維持目的とあらば、一つや二つであれば認めるが……十台も要らんだろう。六台は回収し、兵団や他の部署に回せ」
「そのように通達しておきます」
レオナードは慣れた手つきで通達用の文書を作成する。情けない男のイメージが強いが、本来この男は非常に優秀な人材なのだ。
……たしかに普段は、卑屈で根暗で情けないことこの上ないし、我が妹に群がる獣共の一匹でもあるのだが……仕事をさせれば、たちまち得難い人材となる。実に極端な男である。
「──なんだ、あの煙は。発煙筒も花火とやらも、今日は予定してなかった筈だが」
「何か事件が起きたとか……? どうされますか、フリードル殿下。今ここを離れたならば、間違いなく後の自分達の首が締まるどころか捻じ切れますけど……」
黒煙が立ち上がる街を見遣り、目を合わせることもなく席を立つ。
「何を言うか。──行くぞ、レオナード。お前とて分かっているだろう、我が愚妹は自ら火中に飛び込むような生粋の馬鹿なのだ。過剰と言われようが、僕が守らなければあの女は簡単に死んでしまう。僅かにでも事件の可能性があるならば、僕も行かねばならない」
「……否定できませんね。分かりました、お供します。王女殿下の為ならば、俺はなんだってする所存ですので」
レオナードの横を通り過ぎた時に見えた彼の顔は、随分と仄暗いように見えた。元々暗い男ではあったが……ここまで鬱屈としていただろうか。
「……取るに足らぬ些事か。おい、レオナード。今夜は眠れぬと思え」
「う゛っ……はぃ……また泊まり込みかぁ…………」
情けない呻めきを漏らしながらも、レオナードはまっすぐと前を捉えて付き従ってくる。
あの未来を否定する為にも……どうせ首を突っ込んでいるのであろうアミレスを守らなければ。そして、今度こそアミレスを愛し、幸せにするんだ。
それが僕からお前にくれてやれる──……ただ一つの、愛だから。
♢♢
何度、繰り返しても。
アミレスは涙を流し、そして死んでしまう。裏切られて、苦しみながら失意の中殺されてしまう。
そんな状況に耐えられなくなって、オレは自ら命を絶った。もう二度と、この悪夢が繰り返されませんようにと。アミレスがこれ以上死ぬことがないようにと。
愚かな己を罰するように、雷を落とす。雷の魔力に耐性があるこの肉体すらも刹那で灰へと変える、神の雷霆を──我が、心臓へ。
そうして自死を選んだオレを嘲笑うように、暗澹とした現実はオレを蝕んだ。
「……──ここは、オレの……部屋、か」
体を起こせば、そこは見慣れた客室。
どうやらあのやり直しは終わってしまったらしい。……それを悔やむ最低なオレと、心のどこかでそれに安堵する最悪なオレがいる。相変わらずの醜さだ。
「……今は、いつなのだろうか。アミレスは…………無事ではない、の、か?」
そう考えた途端。胃の中のものが一気に込み上げ、喉を焼いた。寝具を汚し、嗚咽をもらす。
「アミレスは、もう、いない。オレのせいで……」
大好きなはずの彼女の笑顔が、記憶の中で霞む。それらは虚ろな死に顔に上書きされ、今にも消えようとしていた。
「ぅ……ッ、ごめんなさい、ごめんなさい……ッ!」
彼女を救えなかった。彼女を守れなかった。贖うことも、何一つ出来ないまま。
オレは罪を重ねてばかりだった。彼女に想いを押し付け、彼女を困らせた。生きて贖うべきなのに、オレという人間は生の中で罪を重ねる。贖うどころか、罪を犯す。
……もっと早く死ぬべきだった。どうせならば、アミレスに出会うよりも前──あの日よりも前に、死んでおけば。
彼女は命を懸けずに済んだ。彼女は傷つくこともなかった。彼女は懊悩する必要もなかった。彼女は、何度も死を繰り返さなかった。
オレが、生きている所為で──……。
「…………いつの間に、こんな所まで」
気がつけば、そこは東宮の前。一丁前に身なりだけは整えて、オレは無意識に此処まで来てしまった。
「マクベスタ王子じゃないですかぁ。本日はどのようなご用件ですかー?」
アミレスの侍女スルーノが、今すぐ帰れと言いたげな表情で出迎えた。声だけはしっかりとしているものだから、役者だなと感心する。
「……いや、ただ、此処に来たくて」
「へぇ、そうなんですか。あ、もしかして朝食ですか? 普通に遅刻ですよ」
とりあえず食堂にでもお連れしますね〜。と、スルーノが先行して歩き出す。その道中で廊下に飾られた青い花に目を奪われ、その場で立ち止まっていた時。
「マクベスタ? おはよう、今日は少し遅かったね。もう朝食は終わってしまったわ」
あるはずのない声が、聞こえてきた。
罪悪感に苛まれるほどに焦がれ、罪を重ねてもなお諦められないほどに愛した、たった一人の、初恋の女性。
……──生きている。アミレスが、まだ、生きている。
死んでいない。苦しんでいない。泣いていない。そして、笑っている。そうだ、この笑顔だ。オレが大好きな……アミレスの、笑顔。
あの笑顔を守る為に、オレは死ぬべきだ。
オレのような人間は生きていてはいけない。今すぐ死んで、彼女の未来を脅かす要素を一つでも多く減らすべきだろう。
……だけど。いずれ、またあのような事件が起きるとしたら? アミレスが殺されるような事件が、起きるのだとすれば。
オレが死のうが生きようが、アミレスの未来は脅かされる。アミレスは裏切られて殺されてしまう。
それだけは、避けなければ。
今までとは違うやり直し──これが、最後の機会かもしれない。
今度こそ、オレはアミレスを守る。救いたいなどとは驕らない。だからせめて、彼女の未来を守らせてほしい。
今、死ぬのは──……この罪深い恋心だけでじゅうぶんだ。
彼女に贖いを。
愛おしい君へ、オレが捧げることが許されるものは、この罪滅ぼしだけ。だからオレは……今度こそアミレスの為に生きて、死のう。
アミレスがオレじゃない誰かと結ばれて幸せになる姿を見守ること──。それが、罪深い恋心を抱いたこの身への、最良の罰だから。
「おや、マクベスタ様ではないか。何か良い事でもあったのかい? 今日は随分と顔に覇気があるようだが」
城の中を歩いていれば、資料を抱えたアルブロイト公爵と出会った。十二歳で人身御供のように帝国に来てからというものの、彼にはよくしてもらっている。ありがたいことに、親戚の子のように思ってくれているそうだ。
彼の奥方がオセロマイト産の紅茶をいたく気に入ってくれていて、何度か公爵家のパーティーに招かれ、参席したこともある。
「……アルブロイト公爵。その節はご心配をおかけしました。──ようやく。己の在り方と、成すべき事を、理解したのです」
「成すべき事、か…………身を引き締めるのはよいことではあるが、あまり根を詰めすぎないよう気をつけた方がいい。貴殿は少々、自罰的なきらいがある。己を追い詰める前に、私やオリベラウズ侯爵やケイリオル卿を頼ってくれ」
「……ありがとうございます。もしもの時は、相談します」
挨拶もそこそこに、アルブロイト公爵とその場で別れる。
ケイリオル卿……彼は一体、何を考えているのだろうか。顔が見えないので表情から何かを読み取ることも出来ないし、何より今、彼は帝都に居ない。
彼の真意を推し量ることなど不可能に近い。だがそれでも、オレは彼の考えを知る必要がある。
──アミレスを、あの悲劇から守る為に。