718.Heroes Side:Mika,Angel
しぬしあ軸の攻略対象視点、『ミカ』とアンヘルのターンとなります。
──純白の祭服を脱ぐ。ストラを外し、金の意匠を机に置く。一つに結んでいた髪を降ろし、微笑むことを辞め、祭服の代わりにあの日の服を着た。
あの春の日に彼女が選んでくれた、『ミカ』の為の服。彼女が自ら僕の手を繋ぎ、そして走り出したひとときだけの夢のような時間──、それが夢でないと証明する、唯一のもの。
ずっと宝物のようにクローゼットの奥へと仕舞い込んでいた。もう二度と着ることはないと思いつつ、どうしてもこの服を捨てられなくて……ずっと、誰にも知られないように隠してきた。
まさか、もう一度袖を通す日が来ようとは。それが飛び跳ねたくなる程に嬉しくもあり、同時に『ミカリア・ディア・ラ・セイレーン』が壊れてしまった事実を思い出させる。
……ラフィリアは怒るだろうか。僕は彼との約束を破ってしまった。ずっと彼の主──『聖人』でい続けると約束したのに。僕は壊れてしまった。僕は、『ミカ』になってしまった。
この不可逆に身を任せてしまったのだ。仕方のない事とはいえ、彼との約束を破ってしまった負い目はある。
だけどもう、何も知らなかった頃には戻れない。僕は嫉妬と羨望を捨てられないし、自由と運命を諦められないから。
「……ラフィリアに殴られても、文句は言えないや」
そもそも殴ってすらくれないかもしれない。だって僕を殴れば、それは僕が『聖人』であることを辞めた世界一の咎人だと認めたようなもの。『聖人』が壊れることを誰よりも危惧していたラフィリアが、この事実を認めるかどうか……。
きっとラフィリアは僕を認めない。『ミカ』を、ラフィリアは許してくれないだろう。
それでも構わない。それも覚悟の上で、僕は『聖人』であることを辞めた。相応しくないと自覚し、その役割を自分勝手にも放棄したのだから。
……それにしても。天空教信徒で最も純粋無垢な存在であると示す為の純白の祭服を脱いだからだろうか。顔を隠したわけではないのに、誰も僕に気づかない。
きっと、『聖人』は清廉潔白な存在だと皆が思っているからだろう。真っ白でなくなった僕は、誰にも認識されない。僕が『聖人』だった男だと、誰も気づきやしない。
まあ。生まれてこの方白以外の服を着たことなど片手で数えられる程度しかないので、『聖人』が真っ白な人間だったのは間違いないのだけど。
だが今は違う。白ではない僕。今ここに立っているのは──紛れもなく、ただの『ミカ』だ。
「──っ、爆発音……!?」
姫君に会うべく帝都の大通りを歩いていた時。遠くから、建国記念日を祝福する祭典には似つかわしくない、鈍い音が響いた。これには人々も足を止め、何事かと眉尻を下げて顔を見合わせている。
そこで僕は自分の体に驚いた。なんと無意識のうちに、足が爆発音の聞こえてきた方向を向いていたのだ。
助けを求める人、救いを求める人、迷える人、その全てに手を差し伸べること──それが、『聖人』の役割だったから。人々にとっての希望の象徴であり、平和の体現者であり続けなければならなかったから。
どうやら体に染み付いた責務は中々に消えてくれないらしい。ただの『ミカ』には分不相応な役割すら、百余年の人生が遂行させようとしてくる。
「僕にはもう、そのような資格はないのに……!」
気づけば走り出していた。立ち止まる人混みの間を縫うように進み、事故現場へと向かう。
こうなればもう戦うしかない。『聖人』としてではなく、『ミカ』として。
愛する姫君の街を守る為に。姫君が愛しているこの国を、僕も愛せるように。僕は『ミカ』として戦おう。
この国──……いいや。僕の、運命の為に。
♢♢
アミレスは、随分と元気そうだった。
あいつの笑顔が見られたその瞬間、今にも泣き出してしまいそうなぐらい、胸が熱くて苦しくて。とにかく『よかった』と……心から彼女の無事と、こうしてまた言葉を交わし笑顔を見られる現在に感謝した。
舟を完成させて良かったと、数千年の努力が報われた思いだ。──そう、俺は、舟を完成させたのである。
そして【世界樹】との取引の結果、俺はアミレスの魂を連れて別の世界に渡るのではなく、『枝分かれした運命の一つに遡行する』事となった。
その条件というのが、その世界でもう一度舟を作れというもの。【世界樹】が何を考えているのかは知らないが、その条件を飲み、俺はこの世界に渡ってきたのだ。
時間遡行の影響か、あらゆる知識や記憶が失われていたようだが──夢という形であの世界……便宜上前世としようか。前世の記憶を見て、全てを思い出した。宵闇を愛し、月を求め続けた数千年を。
そして思い出した。俺が果たさなければならない宿命を。
人類が認識し観測した世界──精霊界や魔界や妖精界ではなく、人類が認識も観測も出来ていない未知の世界へ渡る舟。
それを、俺はまた造らなければならない。
あらゆる運命と情報の集合体たる【世界樹】の枝の一つ一つが俺達の生きる『今』なのだが、木が枝分かれしているように、【世界樹】の枝も枝分かれしているそうで。分たれた先の枝には『今』とは違う『今』ないし『未来』が在るとか。“認識外の世界”と呼ぶそうなのだが……まあ、細かいことはいいだろう。
その“認識外の世界”へ渡る舟があれば、世界と世界の境界を伝って、この世界の何処かに在る【世界樹】に辿り着けるのではないか。──そう、吸血鬼の大人連中は考えていたらしい。
この世界の根幹たる【世界樹】に辿り着けたならば、真理を解き明かすことも叶うと信じて。
なんともまあ馬鹿げた話だが、俺はその空理空論な夢物語に数千年費やしたのだ。俺こそが世界一の夢追い大馬鹿野郎だ。しかし、それがこの奇跡を掴んだのだから、吸血鬼の夢見がちな馬鹿連中には感謝しなければ。
こうして渡って来られた前世とは違う世界。今度こそアミレスが幸せになれるように……俺に出来る全てを尽くそう。
アミレスがこれからも元気で、健康に、末永く生きてくれるように、あいつを守ろうじゃないか。あわよくば旦那とかになってな。その方が、あいつを見捨てたクソ野郎共から距離を置くこともできて、何かと都合が良いし。
そうと決まれば東宮に通い詰めよう。もはや住もう。皇太子だとか王子だとか色々と、アミレスに対して気持ち悪いぐらい執着しているクソ野郎共が来やがるし、アミレスは優しいからあいつ等の訪問を断れねぇみたいだからな。俺がなんとかしねぇと。
もう、絶対に──アミレスにあんな痛ましい結末は迎えさせない。
「……ん? 街の方が騒がしいな」
王城の窓から帝都を眺める。何やら南の方で騒ぎが起きたようだ。
「騒ぎなんてどうでもいい、が……あいつのことだ。絶対現場に向かうよな」
あのお人好しのことだ。間違いない。
どれだけ人が死のうが、文明や歴史が壊れてしまおうが、俺には関係の無いことだが……ここはあいつの生きる国だから。アミレスが生きている間ぐらいは、緩衝材の辺境伯として、協力してやってもいいかもしれない。
「ま、これもアミレスを守る為だ。あいつが死に化粧なんてものをする日が来ないように──ちゃんと、守らねぇと」
フードを被り、窓を開け放って、俺は街へと飛び出した。




