閑話 ある吸血鬼の幾星霜
【紅に彩られた誓い】後の悪夢軸アンヘルの話です。
誰も救われない話が苦手な方は覚悟のうえでお読みください。(※念の為の注意書き)
干上がったアミレスの死体。どうにか頭と体を繋げようと血の魔力で足掻いてはみたものの。所詮は血を操るだけの魔力。綺麗にくっつけることは叶わず、結局少しばかり縫う羽目になった。
俺の血で象った赤い糸。俺とアミレスを繋ぐもの。それで首と体を繋げ、意思を失った体を、彼女の体内に作った血の柱で支える。
滲んだ紅い死に化粧と、閉ざされた瞳。もう二度と俺の名を呼ぶことはない。俺の初恋の女は、確かに死んだのだ。
『なあ、アミレス。俺はやっぱり遅すぎたんだろうか。過去と現在を受け入れることをずっと恐れて、避け続けていたから……あんたへの想いに気づけず、他の連中と比べて随分と出遅れて、忘れられる程度の存在になっちまったのか?』
音を奏でるように、ぱしゃりと血溜まりを踏みつける。アミレスの骸と共に死体の海の上でワルツを踊ると、情けない後悔から独り言がとめどなく溢れ出してきた。
『人って、本当に生まれ変わるのかね……生まれ変わったところであんたが俺を覚えている確証なんてどこにもねぇし。何せもう既に忘れられてしまったからな。──それでも』
俺は待ってるよ。誓いを果たす為に、ずっとあんたと一緒に、あんたともう一度出逢う日を待ち続けよう。
あんたが生まれ変わるまで、ずっと。この世界のどこかであんたがまた笑う、その日まで。何十何百何千、幾らでも待ってやる。
どうせ俺は、死ねない最後の吸血鬼だから。
『……くそ、俺、塩っ気のあるものは苦手なんだがな』
未だ止まらぬ唇を濡らすものに恨み言を吐いた、その時。
『──デリアルド伯爵。何故、貴方がこのような真似を……』
布野郎が、死体の海に氷を浮かべこちらまで渡って来た。どうやらこのクソガキ、未だに潔癖症らしい。
『それ、出してもいいのか。隠してたんだろ。俺が気を利かせて黙ってやってたのに……ああ、でも。わざわざ口封じしてやる必要がある人間なんて、もう此処には居ないか』
『……』
嘲笑を含めば、布野郎はその両手に氷の剣を作り出し、黙してこちらをじっと見てくる。
──アミレスの処刑後、俺が殺した人間の数はざっと五万人。たぶん、城に居た人間はだいたい殺した。だって連中はアミレスを死なせたから。アミレスを見殺しにした連中に、生きる価値などない。だから殺した。
止めようとした騎士も、兵士も、逃げ惑う文官や侍従も、泣き喚く記者や群衆も、全て等しく首を刎ねて殺した。痛みなど感じる暇もないぐらい、一瞬で。
……アミレスが苦しみながら首を落とされたのだから、同じ苦しみを味合わせてやろうかとも考えたが、馬鹿みてぇにお人好しなアミレスはきっとそれを望まないだろう。
『おまえ、なんで今まで止めにこなかったんだよ。そのくせ今更殺意向けてくるとか、意味わからねぇ』
アミレスの処刑から、はや一時間は経とうとしている。俺もその間は移動を繰り返し、今や城の大広間に居る。
なのに布野郎は一度も止めなかった。俺が帝国民を虐殺することを、あの男は今の今まで容認していた。──全てを視透かす眼を持っていながら、だ。
にもかかわらず、奴は今俺に殺意を向けてきている。初めて会った日……クソガキ共の侍女からクッキーを分けてもらった時よりも、ずっと鋭く大きな殺意を。
『……あ。あの時のクッキーのガキって、もしかしてアミレスの母親? うわマジか。そうと分かっていればもう少しちゃんと挨拶とかしたんだが……』
素朴ながらも美味いクッキーを作る侍女のガキ。色こそ違えど、顔が非常にアミレスと似ていた。つまり、あの時のガキが後のアミレスの母親というわけだ。
『──黙れ。お前如きが、彼女を語るな。彼女の忘れ形見に触れるな。今すぐアミレスから手を離せ』
『は、隠す気もねぇのかよ。今まで散々育児放棄してきた連中が、今更何言ってんだ? そもそも……アミレスが死んだのは、おまえが見殺しにしたからだろうが。虫がいいことばっかり言ってんじゃねぇ』
『ッ!』
ズバリ図星だったのか、クソガキはその場で固まった。それを横目にテラスへ向けゆっくり歩を進める。
こいつなら助けられた。俺には無理でも、この男なら、アミレスを救えたやもしれないのに。
このケイリオルという男は。この、カラオル・ヘル・フォーロイトという男は、救えたはずのアミレスを見捨てた。それが紛れもない事実だ。
『アミレスを見捨てた連中に、アミレスを渡すわけがねぇだろ。これ以上……こいつを誰にも辱めさせない。決して苦しめさせはしない』
『待て!! アミレスを何処に連れて行くつもりだ!?』
『あ? おまえには関係ねぇだろクソガキ。おまえにはアミレスの叔父面する資格なんて無い。アミレスを見捨てたこと、せいぜい後悔すればいいさ』
『やめろ……っ! アミレスを連れて行くな!! 僕はまだ、何も────ッ!!』
テラスから飛び立とうとすれば、誰のものとも知れぬ血が着くことも躊躇わず、クソガキは駆け出した。
必死に、無数の氷の剣で俺を撃ち落とさんとする。が、少しでも軌道がズレたらアミレスの死体が余計に傷ついてしまうからだろうか。あいつの魔法には躊躇いがあった。
これを利用しない手はない。俺はその隙を、つく。
『俺やおまえがどれだけ悔いても、もうアミレスは戻って来ない。永遠に。そんなのおまえだって分かってたはずだ』
『……っ!』
『なのに何もしなかったのはおまえだ。何も出来なかったのか、しなかったのか、どちらにせよ結果は同じ。ただ一人、あの偏屈な皇帝の横暴を止められたおまえが何もしなかったから。アミレスはもう、笑ってくれなくなったんだよ』
だから俺はおまえを許さない。偏屈な皇帝も許さない。面倒臭い皇太子も許さない。この国を許さない。この国の民を許さない。神とやらを許さない。世界を許さない。全てを許さない。
『だから、俺は全てを呪う。アミレス以外の全て、森羅万象を。覚悟しておけよ人間共──……俺は今から、おまえ達の敵になる』
いつかアミレスが生まれ変わったその日に、今度こそ幸せになれるように。
俺はこの世界の全てを呪った。
♦♦♦♦
あれから、何年経ったか。たぶん百とか千とかは経ったと思う。
世界を呪ったり、布野郎が身分を明かしてまで陣頭指揮を執っては帝国の総力を挙げて俺を討伐しようとしたり、人類の敵になってミカリアと殺し合ったり。アミレスの侍女が東宮に火を放って焼身自殺したとか、帝都で侯爵家の当主とその弟が刺し違えたとか。
それなりに色んなことがあったな。
アミレスの死体を保存しようかとも思ったが、やめた。きっとアミレスはそれを望まないから。
だがどうしても彼女の生きた証が欲しくて。夜空みたいな瞳を一つ取り出して、それだけは保存した。
──“瞳”とは、あらゆる情報を収集する、知的生命体にとって最も重要な機構。
故に、宝石眼や魔眼というものが存在している。魔耳とか、宝石舌とかは無いのに。それはひとえに“瞳”が重要なもの故である。
だから瞳を保存した。アミレスという存在の全ての入り口だから。
その後はアミレスの死体を二分割して、棺に入れた。墓は二つ。俺の家の庭と、燃えて廃墟となった東宮の裏庭。やっぱり慣れ親しんだ土地で眠りたいだろう、と思ったのである。
毎日アミレスの墓参りをして、毎日のように世界中を飛び回ってはアミレスの生まれ変わりを探す日々。
どうしてまだ逢えないんだ? どこにいるんだよ、アミレス。なあ。逢いたいよ、アミレス。話したいことがたくさんあるんだ。伝えたい想いもたくさんあるんだ。あんたにしてやりたいことも、たくさんあるんだ。…………なんで、いつになってもあんたに逢えないんだ? ずっと、ずっと待ってるのに。全然見つからない。見つけられない。ただ、もう一度逢いたいだけなのに。
俺は、もう二度と、あんたに逢えないのか……?
そう絶望することも、度重なった。
竜の形を纏う厄災が人類を半数近くまで減らした。──たぶん、俺との殺し合いを経てミカリアが昏睡状態だったから。
国がいくつか滅んだ。──ハミルディーヒも、また、いつの間にか別の名前に変わっていた。
過去最大規模の魔物の行進が起きた。──なんでも魔界で魔神が暴れたとかで、逃れてきた魔物が人間界になだれ込んだらしい。
海の向こうから変な文明で栄えた連中が攻めてきた。──世界中で人間が死んだ。意味のわからない文明で作られた兵器は魔法よりもずっと単純で、複雑で、脅威的だった。そんな兵器で世界を脅かす侵略者共を、ミカリアは聖人として相手した。たった一人で世界を救い、その戦いでミカリアは死んだ。
この世界に、俺を覚えている人間はもういない。
ミカリアの犠牲などまるで無意味かのように、残された人類は争いを繰り返した。侵略者の兵器は各地を不毛の地や焦土へと変え、人類は限られた資源や土地を巡り血で血を洗う。
俺はただ、それを眺め続けた。
アミレスとミカリアの墓が朽ちないように世話をして、自分でスイーツを作って、時たま家畜の血を飲んで、ある魔導具の製作をし続けた。
そうこうしているうちに、いつの間にか数千年ぐらい経ってしまった。
俺はいくらでも待てる。あんたにまた逢える日を。心臓が縮むような痛みにも、胸が張り裂けそうな苦しみにも、連続する寂寥にも、段々慣れてきたから。
ああ、でも。
『……こんな未来の無い世界に生まれたって、あいつはまた苦しむだけじゃないのか?』
それは駄目だ。それは、いけない。
だから、この世界は諦めよう。
『──ここじゃない別の世界なら、アミレスも幸せになれるだろ』
アミレスの魂と共に、別の世界へ。
あいつの魂は……まあ、【世界樹】を脅しでもすりゃあ手に入るだろ。その為にも【世界樹】まで辿り着く必要がある。
だから、造らなければ。
『真理の方舟』
吸血鬼が、竜の呪いを受けてでも果たそうとした悲願の鍵。
真理へ至る為の舟を。
そうすれば……きっと、またおまえに逢えるよな? アミレス────。