708.Main Story:Ameless3
「それじゃあ、また明日。私はもう一度調査に向かうが……君は、差し迫った理由がない限り、外に出ないようにね」
「はい! また明日の朝に!」
凄まじい圧を感じる笑顔で告げられ、私は負けじと元気に返事をした。そしてお見送りをしようと立ち上がり、共に談話室を出る。
相変わらず綺麗な顔をしているなあと彼の横顔を見つめながら廊下を進んでいると、その先に何やら見慣れた人影が。
「マクベスタ? おはよう、今日は少し遅かったね。もう朝食は終わってしまったわ」
最近は頻繁に東宮で食事をしているマクベスタ。しかし今朝は来なかったな、と駆け寄りながら話しかけたら、彼は今にもこぼれ落ちそうなくらい翡翠を見開いて、その瞳から涙を溢れさせた。
「えっ?! ど、どうしたのマクベスタ! 突然花厭症にでもなったの?!」
前世で言うところの花粉症と似て非なるもの、それが花厭症。なんでもその詳細はまだ判明していないらしく、とにかく花に触れたり近づいたりするだけで涙が出たり、咳やくしゃみは勿論のこと、重度だと麻疹や呼吸困難、手足の痙攣までもを引き起こし、最悪の場合死に至るという。
「……違う、違うんだ。オレは、ただ……お前が笑っていてくれるだけで、よかったんだって……気づいて…………っ」
「よくわからないけど、とりあえず涙を拭いて? これ使っていいから」
何故か泣き続けるマクベスタの頬に、懐から取り出したハンカチーフを当てる。拭ったそばからまた新しい雫が滴ってくるものだから、マクベスタが溢れさせた悲しみにより、私のハンカチーフはずっしりと重みを増した。
「……アミレス……ずっと、ずっと、笑っていてくれ。苦しんだり、裏切られたり、泣いたり、落とされたり……しないで、くれ……」
「え? わ、わかったわ。ずっと、というのは表情筋の有限性的に難しいかもだけど、頑張ってみる。どうかな?」
今日はやけに笑えと言われる日だ。もしや私が知らないだけで、六月十四日は『国際笑顔デー』みたいなものなのかもしれない。などと考えつつ、泣き縋られては無碍にも出来ないと早速口角を釣り上げてみる。
するとマクベスタは目元を綻ばせて、花が咲くようにふにゃりと笑った。多分、正解だったのだろう。
……マクベスタの瞳って……こんなに暗かった? もっと純度の高い翡翠だったような気がする。
まるで、そう。シュヴァルツのあの瞳のよう──。
あの後リードさんをお見送りし、謝罪してばかりで元気が無いマクベスタ、期待の大型新人美容アドバイザーアンヘル、怒りと不安が共存した瞳の情緒不安定フリードル、の三名と最後の晩餐Part2なお茶会をすることに。
気まずさ限界突破デスゲームはまだ終わっていなかったらしい。まさか第三ラウンドが始まるだなんて。たすけて神様。
何故か互いを憎み合っている様子の攻略対象達と飲む紅茶は、まったく味がしなかった。せっかくのアルベルトの紅茶も、ネアのスイーツも、何も味を感じなかった。
とにかく時が過ぎ去るのを待ち、昼過ぎ頃。どうしても外せない仕事があるからと、なんとか名残惜しそうな三人に帰っていただくことに成功。
ああ痛い。胃が痛い。今朝会った時、リードさんに胃痛に効く治癒魔法か何かをかけてもらえばよかった……。
そして、夜。
明日には事件が起きる。ここでメイシアを事件から遠ざけなければ、最悪の場合、彼女が自殺してしまう。優しいあの子に辛い選択をさせてしまう。
そんな恐怖からまた寝られず。でも今夜は一人になりたくて、寝台の上で横になり、ぎゅっと目を閉じていた時のこと。
「…………」
何者かが、私の傍に立っている。
時刻は二十二時を回った。こんな時間に、私の部屋に無許可で入ってくる人なんて東宮にはいない。居たとしても、それはシュヴァルツかセツだ。だがシュヴァルツはいつの間にか姿を消していた。セツも同様だ。
じゃあ、この人は誰なのか。そもそもどうやって東宮……ひいては私の部屋に入ってきたのか。──なんて難しく考えなくても、答えは一人。
「……こんな夜更けにどうしたの?」
寝返りを打つように体の向きを変えて目を開ける。すると寝台の傍には、予想通りの人物が立っていた。
「お前に会いたいな、と思って。つーかビビらねぇんだ? 俺、一応男なんだけど」
「気配で貴方だとは分かっていたからね。貴方がうちに不法侵入するのはいつものことだし」
「はは。信用されてんだ、俺」
軽薄な笑い声が聞こえる。だがその顔は、新月ゆえの宵闇と部屋の暗がりの影響か、全く見えない。
「……ねぇ、カイル。何か嫌なことでもあった? 貴方、嫌なことがあると無理に笑うわよね」
彼は自由気ままでめちゃくちゃな男だが、非常識ではない。こんな夜更けに突然不法侵入する程の理由が必ずあると思うのだ。
「…………記憶がめちゃくちゃなんだ。何が現実で、何が夢で、何が事実で、何が嘘なのか分からない。“救えなかった”って後悔だけが、心臓をぐっちゃぐちゃにしてるんだよ」
要領を得ない返答に、私も言葉を詰まらせてしまう。
「俺も結局はあの女共と同じだった。どこまでも自分本位で、他者を慮ることはなく、ただ己の欲望のままに行動し、簡単に他者を破滅させる。……そんな自分が大嫌いなのに、あの終末には、何一つとして異論が無い。こうして得られた機会も、ラッキーだって思ってしまう。そんな俺が、本当に大嫌いだ」
自己嫌悪を露わにし、吐き捨てるように彼は呟く。
カイルはここまで自己嫌悪が激しくなかったはずだ。いったいこの数日で彼に何があったのだろう。
それも気になるが、今は目の前の親友だ。
「……カイル。貴方がどれだけ自分を嫌っても、私は貴方のことが好きよ。これから先、貴方がどんなクズや下衆や外道になったとしても、きっと私は貴方のことはずっと好き。たとえ裏切られても、見捨てられても、貴方は私にとってずっと大事な親友だよ」
体を起こして、カイルの顔を覗き込む。
「だから。貴方が嫌だと思う部分は、全部私に押し付けて。貴方の人生を寄越せって言ったのは私だもの、貴方自身が疎む負の部分を請け負うのは当然のことだと思う。だから、そうやって無理に笑わないでいくらでも愚痴ってよ。なんの為の親友なの?」
「…………どれだけ俺のことめちゃくちゃにすれば気が済むんだよ、お前」
近づいたことでようやく見えた彼の顔。予想に反してかなり嬉しそうな、でも困ったような、複雑な表情を浮かべている。
「隣、いいか? ……話、聞いてほしいんだけど」
「いいわよ。ちょうど眠れなくて困っていたの」
「それじゃあ遠慮なく」
カイルは私の右隣に腰掛けた。そして、まるで独り言のように、彼はおもむろに語り出す。
「……俺さ、お前が思ってる程良い奴じゃねぇんだよ。だからさっきまで、いつかお前に捨てられるんじゃってすげぇ怯えてた。俺がお前の立場なら、間違いなく俺みたいなクソめんどくせぇメンヘラ予備軍自己中クズオタク、何が何でも排斥するし」
どうして私がカイルを捨てる前提で話すのかしら。寧ろ、捨てられたいの? 絶対捨ててあげないけど。死なば諸共よ。
「……けど、お前はさ。こんな俺のことも大事な親友って言ってくれた。あれ、本っ当に嬉しくて……あの瞬間まで腹ん中で暴れてた不安とか恐怖とか自己嫌悪とか、一気に落ち着いた。お前、本当にすげぇよ」
「ありがとう、でいいのかな。別に褒められるようなことはしてないけれど」
「したんだよ。少なくともお前は、俺みたいな希死念慮に囚われたクズを生かして、平穏無事に生かし続けている。人類にとっては害悪だろうが、例の選択に至らなければ俺はただの破滅願望持ちのチートだ。お前が望む限り、俺は人類にとって益のある存在でいるって決めてるからな」
「……つまり、人類にとって重要な貴方を生かしたから、褒められるようなことをしたと?」
「概ねそんな感じ」
彼の言う通り、気分が落ち着いてきたのだろう。その後カイルは、時折ネタや軽口を挟みつつ、雑談に花を咲かせた。
愚痴らしい愚痴はしてくれなかったけれど、そもそもカイルが自分について話すことが珍しい。心境だとか前世でどんなキャラを推していたとか、そんな当たり障りのない話ばかりで、踏み込んだ話ではないが……それでもいいのだ。
彼が嫌う自分自身を、少しずつ私に預けてくれているという事だから。
「ふぁ……」
「なに、眠いの?」
頭にずしんとのしかかる睡魔。
ほんの少し前まで全然寝れなかったのに、なんだか今夜は眠れそうだ。
「ほら横になって。布団もちゃんと被れよ」
「ふふ……おかあさんみたい……」
「はぁいアミレスちゃん。おねんねちまちょうねぇ〜〜」
カイルがノリノリで寝かしつけてくる。
布団越しに優しく体を叩かれて微睡む意識の中聞こえてきた、彼の鼻歌。
「〜〜〜〜♪」
自分がイケボの声帯持ちだと忘れているのだろうか。その美声で、春の木漏れ日のような鼻歌を歌うんじゃない。
と、思いつつも。私の意識は徐々に夢の中に落ちてゆく。暗転する視界。その寸前に朧げに見えたカイルの顔は──とても、幸せそうだった。
「いい夢見ろよ、みこ。今度こそ──…………」
連日更新にお付き合いくださりありがとうございました。
次の更新は金曜日で、来週からは基本的に週一金曜更新に戻りますヽ(´▽`)/