706.Main Story:Ameless
シュヴァルツはずっと様子がおかしいままだった。おでかけ中も、その後も、ずっと私の腕にぴたりとひっついて離れない。そしてその目は仄暗い。……私が曇らせてしまった瞳のままだ。
だからか、邪険に扱うなんてことも出来ず。イリオーデやネアにかなり反対されたが……シュヴァルツが弱りきった表情で『ひとりで寝たくない』と言うものだから、ナトラも一緒に寝ることを条件に、一緒の寝台で翌朝を迎えたのである。
その所為なのか、私めちゃくちゃ怒ってますよと言わんばかりの顔でクロノがずっと睨んでくる。彼の様子もまあまあおかしいのだが、多分、ナトラのお気に入りである私の安否がかかっているからだろう。彼曰く、の話だが。
そうして気まずさ限界突破デスゲームのなかで目覚め、日課のトレーニングをこなし、軽く湯浴みをする。
昨日、シュヴァルツとおでかけしている間はアルベルトを街へ解き放ち、調査に専念してもらった。そこで判明したのだが……やはりゲーム通り、六月十五日に事件が起きそうとのこと。
相当巧妙に隠しているのか、アルベルトの調査を以てしても未だに爆弾そのものは見つからず。いかにも怪しすぎる集団はとうに見つけているのに、摘発に必要な一手が足りないという歯がゆい現状だ。
アルベルトは、『証拠、捏造しましょうか?』と提案してくれたが……敵はここまで尻尾を隠すのが上手い組織なのだ。確たる証拠が無い限り、おそらく言い逃れられてしまう。
しかしテロは阻止しなければ。さもないと、メイシアが死んでしまう。あの子に魔女になる選択肢を選ばせてしまう。それだけは避けなければならない。
でも、テロリストを捕まえる名分が、今は無い。もどかしさのあまり、ここ数日で急速に胃が痛くなってきたぐらいだ。
翌日にはテロが起きると分かっているのに何も出来ない、この無力感。『胸騒ぎがするので……』『部下が怪しい人を見かけたんですよね』『やっぱり、平和が一番じゃないですか』『お願いします帝都全域の警備増やしてください本当にお願いしますおじさん♡』とかなんとか、とにかく理由を二度漬け、根拠不明の我儘を三度漬けして。
建国祭開始直前に、街の警備を厳重にしてくれとケイリオルさんに頼んではいるが……これも気休めにすぎない。
明日、テロが起きてしまう。叶うならば今日じゅうに証拠確保からの摘発が理想だが……敵も、ここまできてそんな初歩的なミスをするとは思えない。
きっとテロは防げない。また、被害が出てしまう。だからこそ、少しでも民への被害を抑えるべく、帝都内の警備隊を臨時で増員してもらったのである。
「……浮かない顔だね、おねぇちゃん。ほらほら、笑って? ぼく、おねぇちゃんの笑った顔が大好きなんだぁ」
「あ、ありがとう。こうかな……?」
「うんうん。すっごく可愛い〜!」
食堂に向かう道すがら。私の左手はシュヴァルツに握られていて、まるで幼稚園帰りの親子のように、ぶんぶんと振られている。
「王女殿下〜。お客様がいらしてますよ。いやぁ、最近は非常識な男が多くて嫌になりますねぇ〜」
「お客様って?」
小豆色のふわりとした長髪を揺らし、侍女服を揺らしてスルーノが小走りでやってきた。相変わらず音も無く走るなぁ。癖なのかな。どんな癖だ。
「辺境伯──デリアルド伯爵ですよ。なんでも、どうしても王女殿下に会いたいそうで〜。あれって王女殿下に群がる害虫ですか? 消します?」
「駄目に決まってるじゃない。アンヘルは私の友達なんだから。相変わらずたまに物騒よね、貴女は」
「王女殿下はこの地獄に咲く一輪の花ですからねぇ〜。群がる害虫共は全て駆除しないと、王女殿下が食い荒らされて枯れちゃうじゃないですか」
「怖いこと言わないで……とにかくアンヘルのことはこのまま通してちょうだい」
「はぁーい」
どことなく不満を隠しきれていないスルーノ。ハイラ直属だったからか、彼女から過保護要素を受け継いでいるのよね、この人……過保護だし過激だわ。
「それじゃあシュヴァルツ、食堂に向かう前に、友達を迎えに行ってもいい?」
「いいよぉ。ぼくも一緒に行く!」
シュヴァルツと手を繋ぎ、二人で並んで歩く。今朝はクロノの代わりに、イリオーデとアルベルトからの視線が凄まじい。
「いらっしゃい、アンヘル。貴方が此処に来るなんて珍しいね」
珍しいというか、単独訪問は何気に初めてなのでは? 前に来た時はミカリアと一緒だったし。
「…………」
「アンヘル?」
出迎えるなり、彼は紅い瞳を丸くして、立ち尽くした。私の背後に幽霊でもいるのかと振り向くが、そこにはイリオーデしかいない(アルベルトは朝食作りの手伝いに向かったのである)。
「──俺のこと、忘れてないんだな」
「え?」
聞き返すが、アンヘルは心底安堵したように微笑むだけ。そしておもむろに手を伸ばしてきて、私の頬に触れた。
「…………あんたは赤い化粧も似合う。でも……俺の前では、青い化粧だけにしてくれ」
「は、はい? わかりました……」
何の話だろう。もしかしてアンヘル、この数日で突然美容に目覚めた? それでこのアドバイザー然とした言葉。上昇志向の塊だわ。
「──何故、デリアルド伯爵がこの宮殿にいるんだ?」
ここでまさかの来客。この絶対零度の声は、我が兄フリードルのものだ。
何しに来たんだろう。まあ、この人いつも突然用も無くやってくるけど……。
「おまえには関係無いだろ。俺はただ、逢いたい人に逢いに来ただけだ。そういうおまえはどうなんだよ。こんな所になんの用だ?」
「僕は兄として妹を救い、幸福へ導く義務がある。故に……妹を探してここへ来た。何か文句でもあるのか」
「文句しかねぇよ。おまえはアミレスに近づくな。アミレスを見殺しにしたクソ野郎が」
「は、我が妹の危機にすら駆けつけぬ薄情な怪物が……招かれてもいないのに、随分と大きい顔をするじゃないか」
いや何この空気。どうして貴方達は今にも殺し合いを始めそうなテンションで、ずっと睨み合っているの? 血を見ないと落ち着かない病気にでも罹ったの?
ところで。フリードルはもしや私に気づいていない……? 私とフリードルの間にアンヘルが居るこの立ち位置なら、たしかに向こうから私の姿が見えないのも納得だ。
……挨拶、した方がいいのかな。すっごく空気悪いけど。ついでに機嫌も悪そうだけど。
「……兄様、おはようございます。朝からお元気ですね」
ひょっこりと顔を出す。するとこちらに気づいたフリードルが、荒波のように深海の瞳を揺らして、一歩ずつ接近してきた。こんな顔、はじめて見た。
「無事、か? 傷は、体は、大丈夫、なのか」
「えっ? あ、はい……多分……?」
たどたどしく捲し立てるフリードルに、ガシッと肩を掴まれる。目と鼻の先にある彼の顔は、今にも泣き出しそうだ。
「…………すまない……僕は、どうして、あのようなことを……」
何の話だ。私は今、何を謝られている?
もしかしてフリードルは、まだ私が本調子じゃないと本気で思ってらっしゃる? だから元気なのを知った上で見舞いだなんだと度々押しかけてきたのね……!
傷がどうのと呟いたのは、妖精との戦いの後暫く療養していたからなのかもしれない。……本当に不器用なんだから。うちの兄様は。
「もう、あのような自暴自棄な真似はしない。僕はきちんと目的を果たし、後悔のない選択をする。だから……」
「割り込むなよ、ガキ。俺がアミレスと話していたんだが」
「……貴殿は兄妹の団欒に割り込んでいる自覚を持ってはどうだ?」
なんでもいいから私の家を修羅場にしないでほしい。
「…………どいつもこいつも邪魔なんだよ」
ん? 今、どこかから不穏な言葉が……。
「おねぇちゃん。もう食堂行こ? ネアの料理が待ってるよ」
「それもそうね。……えっと、お二人とも……朝食は、お食べになりましたか?」
シュヴァルツに促され、社交辞令として訊ねる。
頼むから食べたと言ってくれ。いつもの二人ならギリまだしも、妙に機嫌が悪い様子の彼等との食事なんて、最後の晩餐でしかない。可能なら避けたいところだ。
「いや、まだだ。朝起きてすぐに此処に来た」
朝弱いのに? 今、朝の七時とかよ?
「食事などよりもお前を探す方が重要だ」
人間をやめようとしてらっしゃる?
「……本当にアイツ等と一緒に朝飯食うの? アレ、他者と食卓を囲むことひいては配慮の場──空気を読んだり会話を繋げたりとかの社交性と人間性が問われる場に、向いてなさすぎると思うんだけどぉ」
シュヴァルツ、私にも庇いきれない高火力のストレートはやめてあげて。たしかに貴方は空気読むの上手だし、気配り屋さんだけども!
「と、とにかく! お二人ともまだなら、もしよければうちで食べていってください」
「いいのか? 願ってもない話だ」
「……では、相伴にあずかろう」
この会話の流れで自分だけ朝食を食べるなんて選択肢は、誠に残念ながら無い。引き攣る頬を鍛えた表情筋でなんとか押し上げ、睨み合う二人に提案する。
不機嫌なシュヴァルツとイリオーデ、そして何やら様子が変な客人二人を伴い、私は食堂へと向かった。