705.Episode ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎:Bitte akzeptiere alles über mich.
六月十三日の朝の、悪魔視点です。
数日ぶりの東宮。
いつもと変わらない光景の中を、久々に人間として歩く。時たますれ違う侍女──先輩にあたるネアやスルーノ、後輩のケイジーなんかが物珍しいような、懐かしむような表情でこちらを見ていた。
そうして辿り着いたアミレスの私室。
あんな別れ方をしたんだ。顔を合わせることすら、怖い。顔を合わせた瞬間にまた⬛︎⬛︎されるかもしれない。今度こそ本当に嫌われるかもしれない。
それでも、ぼくの欲望は止められないから。
「──えへへっ。久しぶりぃ、おねぇちゃん」
おそるおそる開いた扉から部屋の中を覗き、アミレスと目が合った瞬間。ぼくは、人間を演じた。
こうすれば、まだ可能性はある。まだ、愛してもらえる。まだ、見捨てられない。まだ、裏切られない。
太陽みたいな笑顔も、銀のように美しい体も、水のように透き通った心も、全てを手に入れられるかもしれない。
この猛毒に、どれだけ蝕まれたって構わない。お前がくれる毒ならば、ぼくはいくらでも飲み干そう。
「……わかった。一緒に街に行こう、シュヴァルツ」
「わーい!」
祭りに行こうと誘えば、アミレスは戸惑った様子ながらも快諾した。
「準備するから少し待っててくれる?」
待つ。その言葉に一瞬、体が硬直した。
「わかったぁ」
と笑って返事して、逃げるようにその場を去る。
……怖い。アミレスは違うと分かっていても、過去の恐怖や苦痛が心臓を締め付ける。
あの頃だって、ずっと待っていた。約束を果たしてもらえる日をずっと待って、何百年も独りで待ち続けた。……でも、結局、その日は来なかったんだ。
だから、怖いのである。また……何年も独りで待つことになったらと考えると。未来諸共世界を滅ぼしてしまおうかと思い悩むほどには、待つ時間というものへの恐怖が拭えない。
アイツの言いつけ通りに待ち続けたその末に──忘れ去られて捨てられる未来を想像した。ぼくはそれを、ひどく恐れているのだ。
「──おい、穀潰し」
すれ違いざま。珍しく、クロノが呼び止めてきた。振り返ってやれば、アイツは殺意を隠そうともせずこちらを睨んでくる。
「……何だよ。ぼく、忙しいんだけど」
「ついに悪魔であることすら辞めるのか」
「は、お前には関係無いだろ。ぼくがどうなろうが、どうしようが、ぼくの勝手だ」
「ああそうだね。だけど──娘に手を出すのであれば、話は別だ。そうなると僕も黙っているわけにはいかないんだよ」
「…………興醒めだな」
いったい何をみたのか知らないが。これ以上付き合ってやる必要を感じず、会話を切り上げて立ち去る。そんなぼくの背中を、アイツは刺し殺さんとばかりにいつまでも睨んでいた。
──どいつもこいつもアミレス、アミレスって。どうしてアミレスは出会ったヤツを全員骨抜きにするんだ。ぼくだけにしろよ。ぼくだけを見て、ぼくだけを愛してくれたらいいのに。
あれだけぼくに欲望を与えておいて。もうこれ無しでは生きていけないって思えるような、中毒性の高い致死量の愛情を一方的に与えておきながら、アイツはその責任を取らない。
はなからあの女は──……本当に愛されようとは、していないんだ。
だから、『愛されたい』だなんて願うくせに、こちらの愛は何一つ受け取らない。結局のところ、アイツの人生において愛される必要なんてものは元々無く、アイツの幸福において必要なのは、自分が愛せる相手を見つけることだけ。
────あぁ、そうだ。そうなんだ。
アミレスは最初から、欲とは無縁の……見返りのない無償の愛しか、持ち得ていない。
「……そっかぁ。じゃあ、ぼくがどれだけ頑張ったって、結局は無意味ってことじゃん」
悪魔は対価無しに欲望を喰らえない。人間の欲望や魂を喰らう為に、悪魔は人間の望みを叶える。悪魔とは、そういうものなのだ。
だから、アミレスが見返りを求めていない以上、ぼくがアイツの愛を受け取ることは不可能だ。無償の愛を享受できるのは人間共や精霊共だけ。悪魔は──それを受け取る資格すら、無い。
「っ、なんで……! ぼくは、ただ……っ」
名前を呼んで、傍にいてほしかった。ずっと、ずっと一緒にいてほしかった。ずっと友達でいてほしかった。ぼくを受け入れてほしかった。ぼくを愛してほしかった。ぼくを……ぼくを、忘れないで、ほしかった。
ただ、それだけなのに。
「ぼくは…………どうしていつも、捨てられる側、なんだよ……」
──嫌だ。絶対に嫌だ。
捨てられたくない。アミレスの傍を離れたくない。ずっと、アイツと一緒にいたい。
アイツの全てをぼくのものにしたい。そうしたら、アミレスはぼくの傍から離れなくなるだろうから。ずっとぼくのものでいてくれる。ずっと一緒に、ぼくを忘れることもなく、捨てることもなく、裏切ることもなく、ずっとずっと一緒にいられる。
……何としてでも、ぼくのものにすればいいんだ。
アミレスの関心が欲しい。アミレスの絆が欲しい。アミレスの欲望が欲しい。アミレスの全てが欲しい。
ならば、もう。──奪うしかない。
素直に与えられるのを待つのでは駄目だ。ぼくにはそもそも受け取る資格など無いのだから。
だから、全て奪おう。
他の連中になど、一切分け与えない。アイツの全てはぼくのものだ。ぼくに恋なんて欲望を与えた責任を、アイツに取らせよう。
──アミレスを待つ。ただ静かに、心を殺して待ち続ける。
遠くから、クロノとアミレスの声が聞こえてきた。どうやらクロノが余計なことをしているらしい。まあ、いいさ。寧ろ好都合だ。アミレスはきっと、ぼくが自分の所為で壊れたと知れば、持ち前の責任感でぼくをより構うだろう。ぼくの立ち回りによっては、アミレスを独占することとて叶うやもしれない。
そうだ、それでいい。もう何も躊躇わない。アイツを手に入れる為なら、ぼくはどんな手段も厭わない。
『……──うちにおいで、シュヴァルツ』
あの月夜。お前がぼくに手を差し伸べたあの瞬間から、こうなることは決まっていたんだ。
好きなんだ。好きで好きで狂ってしまったくらい、お前のことを愛してる。
「…………ぼくの全てが、空白になって壊れてしまう前に。お前がぼくを救ってくれよ」
もう──孤独は嫌なんだ。
お願いだから……ぼくを拒絶しないで、アミレス。