702.Main Story:Ameless
六月十三日。徹夜で迎えた朝。
天空の花畑でシルフの衝撃の告白を聞いた私は、当のシルフと共に東宮に帰宅し、『まだ色々と整理が必要だろうから』と気を遣って姿を消したシルフとの思い出を、私室で一人、寝台で大の字になって振り返っていた。
考えれば考えるほど、どうして今まで気づかなかったのかと己の馬鹿さ加減に失笑が漏れる。あんなにも、ヒントは無数に転がっていたのに。
……それだけ、私は恐れていたのだろう。彼の正体を知ることで『シルフ』という友達を失うかもしれない、その可能性を。
もしもやたらればの話で最悪の想定ばかりをし、勝手に落ち込んで病むのがお家芸とはいえ、相変わらずなんというか……我ながら、愚かである。
「……あ。セツ! 今日は早起きだねぇ〜」
ひとりでにガチャリと開いた扉に目を向けると、器用に扉を開けたらしいセツが、ぽふぽふなんて擬音が聞こえてきそうな足取りで部屋に入ってきた。そして、後ろ足でこれまた器用に扉を押して閉め、ここでようやくこちらに駆け寄ってくる。
セツは朝に弱いのか、いつも八時くらいにならないと目を覚さない。そして昼間になるとたまに姿を消すこともあるが、基本は私の寝台の上で、数時間程昼寝をしている。微動だにせず熟睡している。きっと寝るのが好きな子なのだ。
「よーしよし。今日もセツは可愛いね」
「わぁふぅんっ」
セツの体を撫で回し、その体に顔を埋めてはどこか懐かしい匂いを吸っていた時。
「ヴヴゥ……ッ」
「どうしたの、セツ。窓の方を見て……?」
とても大人しく可愛いセツが、突然唸る。威嚇するような顔が向くのは窓の方なのだが、外にはいつもと変わらない外の景色が広がるのみだ。
いったい何があったんだろう。そうは考えつつも、ひとまず今はセツを落ち着かせることに注力した。
♢♢♢♢
朝食を食べ、デスクワークに励む。
ときおり息抜きにイリオーデやアルベルトと模擬戦をして、また机に齧り付く。こう見えて皇族なので、こういった催事中は何かと仕事が多いのだ。
しかも数日前から、よりにもよってこんなタイミングでケイリオルさんが地方出張に行ってしまい……。その皺寄せが、全役人と我々皇族に来ているのが現状である。
我々は改めて実感した。──ケイリオルさんなくしてこの国は成り立たない! と……。それ程に連日連夜仕事漬けで、早くも役人の中から過労ドロップアウトのコンボを決める者が続出しているとか。その度に巡礼中の国教会信徒またはミシェルちゃんやセインカラッドを呼び出し、治癒してもらっているのだとか。
倒れても強制再起動されてまた倒れるまで働かなきゃいけないなんて、控えめに言って地獄である。
しかし私は、まだそこまで働き詰めというわけではなかった。何かと調整してくれるケイリオルさんがいないにもかかわらず、どうしてこんなにも仕事量が控えめなのかと現状を疑ったこともあったが……それはなんと、フリードルの配慮だというのだ。
もしかしたら、ケイリオルさんが『王女殿下はまだ病み上がりですので……彼女に回す仕事を減らすことは可能でしょうか?』なんて掛け合ってくれたのかもしれない。本当にいい人、いや、いいおじさんだなぁ。
そんなこんなで定期的の休憩を挟みつつ仕事に勤しんでいた時、ノックも無く部屋の扉がゆっくりと開いた。
隙間からチラリと見える、白くふわふわとしたもの。またセツが来たのかな、とも思ったがセツは少し前から静かなお昼寝の為にどこかへふらりと行ってしまった。ならば誰かと注目すれば、
「……シュヴァルツ?」
懐かしの、ふわふわもふもふわたあめヘアーを揺らす美少年がそこには居た。視線が交わるなり彼は少し瞬いて、
「──えへへっ。久しぶりぃ、おねぇちゃん」
これまた久しく、語尾が伸びた口調で私を『おねぇちゃん』と呼び、にぱっと笑って部屋に入ってきた。
ほんの一年前までは当たり前だった光景。なのだが、彼の本当の姿を知ったからだろうか。さっきからずっと、頭の中で何かが引っ掛かる。
「今日はお祭りなのに、おねぇちゃんったらまぁた仕事なのぉ? せっかくのお祭りは楽しまなきゃ損だよぅ! ねっ、ルティ」
「えっ? ええと…………俺、も。そう思う……」
「ほら。ルティもこう言ってるんだし! ぼくと一緒にお祭り行こっ」
可愛い顔して、有無を言わせない強引さ。綿毛のような髪が揺れる度に振り撒かれる愛らしさは、健在のようだ。
……わからない。ただそういう気分なだけかもしれないけれど……彼が急に人間になった、動機がわからない。一緒に過ごせば、何かわかるかな。
でも仕事が…………いや。先が不明瞭な私にとって、大事な身内よりも大切なものなんて無い。仕事なんて失ってもすぐに死ぬことはないが、身内を失えばおそらく私の心はすぐに死ぬ。ならば答えは最初から一つしか無い。
「……わかった。一緒に街に行こう、シュヴァルツ」
「わーい!」
無邪気に喜ぶシュヴァルツを見て、また、違和感に襲われる。
「しかし、主君は本日一睡も……」
「大丈夫よ。貴方が適度に休憩を挟んでくれたから、そこまで体調の変化は無いし」
身を案じてくれるアルベルトに大丈夫と告げて立ち上がり、「準備するから少し待っててくれる?」と言えば、シュヴァルツは無邪気に「わかったぁ」と笑って部屋を後にした。
……まただ。また、違和感。彼は、記憶にあるものと同じように笑っていたけれど……笑う前に一瞬、硬直していた。その振る舞いの全てが、どこかぎこちないのだ。
「……とりあえず準備するから、二人とも席を外してちょうだい。ルティ、ネアかスルーノを呼んでくれる?」
「かしこまりました」
準備を手伝ってもらうべく侍女を呼び、二人が居なくなった後の部屋で私は、際限のない不安に襲われた。