♦700.Chapter4 Prologue【かくして宵に溺れる】
Chapter4、ホリミエラ視点で始まります。
私には、最愛の妻と娘がいる。
熱烈な求愛の結果振り向いてくれた暖炉の火のように暖かく美しい妻のネラと、如何なる人形にも負けぬ愛らしさを持つ聖火のように眩く可憐な娘、メイシア。
どちらも私にとってかけがえのない家族だ。彼女達の為ならばなんだって出来るし、なんだってやろうと思える。私の全てを彼女達に使ってもまだ満足しきれない程に、私は妻と娘を愛している。この世の何よりも。我が天職であろう商いよりも、だ。
……だからこそ、あの十年は殊更に辛かった。
不運に不運が重なってしまっただけの、誰も悪くない事故。その事故により最愛の妻は目を覚まさなくなり、最愛の娘の人生は容易なものではなくなってしまったのだ。
どれほど大枚をはたこうが、私は彼女達を救えなかった。どれほど技術を革新させようが、私では彼女達を救えなかった。それどころか、私は何度もメイシアを傷つけてしまったのだ。
我が身の不甲斐なさに何度歯を食いしばったことか。
……それでも私は、シャンパージュ伯爵家の現当主として。シャンパー商会の会長として。彼女達の夫であり父として。二人を絶対に不幸にはさせまいと、とにかく手段を尽くした。そうして身を粉にしながら、私は毎夜のごとく願ったのだ。
──どうか、妻と娘が幸せになれますようにと。
私は煉獄に落とされようが構わない。だからせめて、ネラとメイシアは。私の愛する妻と娘だけは救ってください、と。
これまでの人生でまったく信じてこなかった“神”という存在に縋ったのだ。
だが、結局のところ神など居なかった。神は善良な彼女達を救ってくれなかった。神は彼女達を見捨てた、のだが……捨てる神あれば拾う神ありと言う。それだけは、真実だった。
『ですので、貴方達に頭を下げられても困る一方です。何せアミレス・ヘル・フォーロイトとしては──……褒められるような事も謝られるような事も何一つしておりませんので。スミレと名乗る子供が、友達を家まで送った。ただそれだけです』
あの時も、
『…………私に感謝するのは後でもいいでしょう? 今は、家族での時間を取り戻す事に専念してください。私への様々な言葉は……どうか、いつか快復した夫人と共に。いつでもお待ちしておりますので』
この時も。
その少女だけは、私達に救いの手を差し伸べてくれた。慈愛に満ちた微笑みで、神ですら見捨てた最愛の妻と娘を、彼女は救ってくれたのだ。
──もしこの世に神が存在するならば。それはきっとこの御方のように美しく、高潔で、慈悲深い存在なのだろう。
神など信じていなかったのに。いつしか私は……愛娘を果てしない暗闇から連れ出してくれた、あの少女を。愛妻を出口のない眠りから目覚めさせてくれた、あの御方を。──心の底から、崇拝するようになっていた。
当然のことだ。神とやらですら救えなかった私の妻と娘を救ってくれたのは、他ならないあの御方。我が君、アミレス・ヘル・フォーロイト王女殿下その人なのだから。
我が生涯を捧げてもまだ返しきれぬ程の恩を、私はあの御方より賜ったのだ。
♢
「おはよう、ネラ。メイシア。今日も世界で一番美しく、愛らしいよ。君達と共に朝食を食べられるなど、私はなんと幸せ者なのだろうか」
「そうは言うけれど。あなた、もう食べ始めているじゃないの」
「君達が起きてくるのを可能な限り待とうと思ったんだが、ほら、私って食べるのが遅いから」
「お父さんは食べるのが遅いんじゃなくて、単純に食べる量が多いんじゃ……?」
食堂で一足先に朝食を頬張る私に、髪や化粧を整えた、世界で一番美しい妻と世界で一番愛らしい娘が呆れの視線を送って来る。
ちなみに世界で一番綺麗な存在は勿論、我が君、王女殿下だ。彼女は実質的に神なのだから、はたしてこのようなありふれた言葉があの御方を形容するのに相応しいかどうか、議論の余地はあるが。
ふむ……次回の『王女殿下の素晴らしさについて語る会』の議題はこれにしよう。
それにしても。今朝は妻と娘と共に朝食を摂れるなんて、今日はきっと良い日になるだろう。新たに大口の契約を取れそうな予感がする。
なんてほくそ笑む私には触れず、ネラは侍女が引いた椅子に、その正面にはメイシアが座る。
両手に花……いや、両手に最愛の妻と娘。なんと幸福なのだろうか。この場に更に我が君が居たならば、言うことは無いのだが。
「お父さん。あの、相談があるんだけど……いい?」
「勿論いいとも」
食事をある程度終えたところで、メイシアがおずおずと切り出す。
「十五日に、アミレス様とデートしたいの。だからお願い……十五日のぶんの仕事も、それまでに終わらせたい!」
王女殿下とデート、だと……? つまり…………結婚……っ!?
「──メイシア。王女殿下はご多忙な方だ。約束は取り付けているのかい?」
書面だけでもいい。とにかく婚姻は早くすべきだ。何せ王女殿下は引く手あまただからな。王女殿下にならば愛娘をお任せできる。というか、願ってもない話だ。故に、何もせずとも既成事実が手に入るというのは、まさに天の導き。ならぬ我が君の導き。今すぐにでも高笑いと共に拳を天に突き上げたいほど、気分が高揚する。
「うん! わたしの誕生日当日は家族水入らずで、って気を遣ってくださったみたいで。少し早めにわたしの誕生日をお祝いしてくださるの!」
「まぁ。良かったわね、メイシア。当日はとびっきり可愛くお洒落しましょうね」
「お母さんが服を選んでくれるの? やったぁ、嬉しい!」
あぁ……幸せだ。約十年、ずっとずっと、思い描き追い求めた理想の光景。
楽しそうに笑い合う愛妻と愛娘を見られる日々を生きられるなんて。……本当に、幸せだ。
「既に約束しているのならば、調整可能なものは全てこちらで対応しよう。勿論、そのぶんしばらくは凄く忙しくなるだろうから、覚悟しておくように」
「ありがとうお父さんっ!」
可愛い愛娘の為ならばなんだってするとも。
世界や法が君達の婚姻を許さずとも、私が許そう。
「……しかし。王女殿下は相変わらず謙虚で思慮深い御方だ。他ならぬ王女殿下であれば、いついかなる時でもシャンパージュ伯爵家はその門戸を開くというのに。まあそういった繊細な心配りもまた、あの御方の美徳の一つとは認識しているんだが……」
「あなた。今は悠長に話している暇なんてないと思うわよ。忙しくなるんでしょう?」
「えぇー、もう少し語らせてくれないかい?」
「駄目です。王女殿下の話となると途端にこれだから……メイシアまであなたに似て、隙さえ見つけては王女殿下の話をするようになってしまったのよ」
「それのどこに問題が……?」
「あ・な・た?」
「……ごめんなさい大人しくします」
ネラに凄まれ、肩を窄め黙々と朝食のサンドを頬張る。
これには王女殿下の話を出来ると目を輝かせていたメイシアも、しょんぼりとした様子で小さな口にサラダを詰め込んだ。
ネラのこれは私の体調を気にしての事だから、私もなかなか反抗しようとは思えないのだ。仕事を詰め込みすぎて睡眠を疎かにしがちだからな、私。
最近は、魔物の行進や国際交流舞踏会、王女殿下のお誕生日や建国祭や帝都復興計画などでとにかく働き詰めだったので、ネラも心配してくれているのだ。
いやぁ、妻の愛が骨身に染み渡り無限に気力が漲るよ。
「メイシア。朝食が終わり次第仕事だから、準備しておきなさい」
「うん。わかった」
一足先に食べ終え私も諸準備の為自室に向かう。着替えに加え、必要書類の確認やスケジュールの調整等の準備を終えて玄関へ向かうと、そこでは既にメイシアとネラが待っていた。
「待たせてごめんよ。それじゃあ行こうか。──行ってきます、ネラ。必ずや愛する君の元に戻ると約束しよう」
「…………毎朝大袈裟すぎよ、エリィ」
照れているのかうっかり昔の呼び方で私を呼ぶ愛妻の頬に口付けて、私はメイシアと共に仕事に向かった。
「いってらっしゃい。あなた、メイシア」
「行ってきます、お母さん!」
愛する妻に見送ってもらえる、この幸福を噛み締めながら。
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