72.白亜の都市の侵入者5
(うーん、でもやっぱり……ルムマがあたし以外のヒトとばかり話してるのはやだなぁ。ヤキモチ妬いちゃう)
その包容力の塊のような性格からはあまり想像がつかない程、ラブラは実は嫉妬深かった。ルムマに対してだけだが。
この相思相愛の二人と関わるのは、非常に精神衛生によろしくないと最上位精霊達の間では有名な話だそう。
しかしエンヴィーは今、そんな二人と関わる事を強要されているのだ。
「……デートのついでにエンヴィーを回収させてくれてありがとう、ルムマ」
「ラブラのお願いならお安い御用だ。ほら、さっさとこの馬鹿をリバース達の所に連れて行ってデートの続きをしよう」
エンヴィーの事など無視し、ラブラとルムマが唇と唇が触れてしまいそうな距離でいちゃいちゃと微笑み合う。
その傍らで居心地悪そうに表情を歪めるエンヴィーだったが……突然ルムマに首根っこを掴まれ、突如生まれた空間の歪みに投げ込まれる。
お邪魔虫をさっさと処理したかったのだろう。だとしても手荒なやり方だ。
「っい、だ……ッ、くっそルムマの奴雑なんだよ……!」
暫く宇宙のような穴を落下し続けたかと思えば、突然地面が現れてエンヴィーは頭から着地した。
周囲には至る所が星空のように瞬く幻想的な光景……されどエンヴィーにとっては馴染みのある景色。ここが精霊達の世界、精霊界なのだ。
頭を擦りながらエンヴィーが上体を起こすと、その背後に一つの人影が現れる。
「やっほーエンヴィー。俺やでー」
肩口で切り揃えられた空色の髪を揺らし、エンヴィーを上から覗き込むようにして胡散臭い男は笑った。
エンヴィーはその男の笑顔を見て露骨に嫌そうな顔をした。
「……ハノルメ、まさか、お前も?」
「リバースはほんまに天邪鬼な子やからなぁ、エンヴィーん事全然心配してないって何回も言うてたよ。そんであいつ、近くにおった最上位精霊達に声掛けてんで〜」
エンヴィーの予想は的中した。ハノルメもまた、ラブラとルムマ同様にリバースより頼まれたのだろう。
彼等がここまでしてエンヴィーを精霊界に連れ戻そうとしていた理由……それについてはエンヴィーとて心当たりがあるものだった。
リバースが退去する際、エンヴィーにかけた言葉……それは『後遺症が現れる前に早く帰って来い』と言う内容だった。
代償。それは精霊召喚における召喚者側が負うべき代償であり、召喚した精霊の位によってその重さもまた変わる。
あの時アミレスが召喚したリバースは最上位精霊だったので、その代償は計り知れないもの。普通の人間であれば九分九厘の確率で死ぬであろう代償が与えられる筈だった。
しかしアミレスはその代償を受けなかった。それは何故か……そう、エンヴィーがその代償を肩代わりしたからであった。
手伝うのは魔力を大量に使うから、召喚には触媒があった方がいいから……それらは確かに真実なのだが、別にそれは召喚陣より出ていても可能な事柄。
にも関わらず、エンヴィーは召喚陣から出ずアミレスの手を握りしめたままアミレスに精霊召喚をさせた。
その結果、目当てのリバース──最上位精霊の召喚と言う前代未聞の精霊召喚には成功し、アミレスの望みは叶えられた。
が、その裏でエンヴィーは本来召喚者が精霊召喚で負う筈だった全てを肩代わりし、それ相応に負傷していたのだ。
リバースはそれに気づき、精霊界に帰還する際にあんな言葉を残していったのだ。
しかしエンヴィーはその言葉を無視し、アミレスの頼みを受けて神殿都市に侵入して暴れていたのだ。
「で、代償は今どんな感じなん?」
「あー……放っておいたら権能が暴走しそうなのと、魔力炉の損傷が激しいなァ。あとはアレ、さっきちょっと力使ったからすげぇ吐きそう」
「あんたほんまに何やっとん??」
ずっと痩せ我慢を続けていた緊張の糸が切れたのか、途端に酷い顔色となり仰向けに倒れ込むエンヴィー。
そんなエンヴィーにゆるーく突っ込みを入れつつ、ハノルメは彼の体を風で浮かせて運び始めた。
(エンヴィーが無茶すんのは昔からの事やけど……あの御方と言いエンヴィーと言い、人間の女の子の為にそこまですんねんなぁ)
ハノルメはエンヴィーを運搬しつつ楽しそうに笑っていた。しかし……エンヴィーにそれを咎める気力は無かったのだ。
ぐったりとしながら運ばれる事暫くして、エンヴィーはリバースによる説教と治療を同時進行で受ける事となった。
遠のく意識の中で、顔を歪め自分の治療をするリバースの姿を見て……エンヴィーはその可笑しさについ笑ってしまい、その所為で更にコッテリと絞られたとか。
その後回復するまでリバースに見張られていたエンヴィーがアミレスの元に向かったのは……少し後だったとか、かなり後だったとか。
♢♢
静かな部屋にペラリ、ペラリと紙を捲る音が鳴る。
檸檬色の瞳は様々な文字列を映しては、それを記憶に焼き付けた。
(……──帝国の王女、アミレス・ヘル・フォーロイト。兄は皇太子フリードル・ヘル・フォーロイト、父は皇帝エリドル・ヘル・フォーロイト、母は……アーシャ・ヘル・フォーロイト。既に死んでしまっている。幼い頃よりただの一度も社交界に現れず、王女でありながら剣を握ると言う噂から『野蛮王女』などと揶揄されている。そして、皇帝と皇太子より疎まれている? そんな事が……)
真夜中。大聖堂が一室、聖人専用の執務室にて。
ミカリアは数時間かけて部下に調べさせたアミレス・ヘル・フォーロイトに関する調査結果の資料に目を通していた。
そしてその情報の少なさに驚いた。普通、一国の王侯貴族ともなれば本人が幼くとも相当量の調査結果があがる筈なのだが……アミレスのそれは本当に少なかった。
まぁ、事実これまでの人生で記録に残るような事は何もしていないのだから当然と言えば当然である。
だがそれこそがミカリアの興味を惹くに十分な理由となった。
国教会の力を以てしても全然出てこなかった情報。そして出てきた数少ない情報から分かるアミレスと言う人間の不憫な境遇。
それらがミカリアの目に留まってしまったのだ。
(……このような境遇にあったからこそ、精霊と上手くやっていけるのかな。環境の影響で心が荒んだりせず、精霊に気にいられるような綺麗な心を持っているんだろう)
上位精霊を召喚し契約した訳ではなく、ただただ仲良くしている。形ある精霊に頼み事を聞いて貰える程に、上手くやっている。
それがどれ程凄く困難な事かミカリアは理解していた。だからこそ、見た事も話した事も無いアミレスを尊敬したのだ。
(オセロマイト王国で病が流行っていると言う話は少し前に聞いた気がするけれど……おかしいな、うちの大司教達が行ったんじゃなかったのか? まさか断ったとか……後で彼等に話を聞きに行かないといけないね、これは。大司教達の派遣がない為、聖人の僕が大司教達を動かせと…………)
その文面を見て、ミカリアは少しムッとした。気に食わない事があったのである。
「……それなら僕に来いと言えばいいのに。ただ大司教達を動かすだけなら普通に書信を送れば一発だよ。なのに……わざわざ精霊を使ってまで僕に届けたい内容がこれって、信用されてないのかなぁ、僕……これでも何十年と聖人やってるのに……」
はぁ。とため息をつき美しい顔に陰を落として項垂れる。
寧ろ、その聖人と言うネームバリューのせいでアミレスがその方法を思いつかなかったと言う事に、ミカリアは気づく気配が無かった。
アミレスは、ミカリアと言う人間を知るからこそ、その手段を取れなかったのだ。
アミレス以上に表舞台に顔を出さない聖人に、わざわざ遠方まで行って大勢の病人の治癒をしろなどと言える筈が無い。その事に常識知らずの男は気づかないのであった。
「前例が無く致死率が高い未知の伝染病……その概要を聞いただけで、普通、たった十二歳のお姫様が自ら現地に行って解決しようとは思わないでしょう。死ぬ可能性の方が高いのに、どれだけ自身を顧みないのか……」
シンプルでありながら精巧な彫刻があしらわれた椅子に座り、ミカリアは暗い天井を仰いだ。
しばしその姿勢のまま物思いに耽ると、ミカリアは突然自身の頬を両手でパンッと叩き、決意を帯びた瞳で言った。
「……良し。小さなお姫様が頑張っているんだ……僕が──他ならぬ僕が何もしない訳にはいかない」
彼の決意は静かな部屋に溶けていった。
その後おもむろに立ち上がったミカリアは部屋を出て、誰もいない静寂の廊下を進む。
「大司教の職位を持つ者達に告ぐ……至急大聖堂が議会室に集合しなさい。これより──円卓議会を執り行う」
誰に言いつけるでもなくミカリアはそうこぼした。
その瞬間付近にいた何者かが姿を消し、その旨を伝令しに向かった。この命令は瞬く間に全ての大司教に伝わり、やがてその者達は必死の形相で議会室へと足を向けた。
例えどのような場合であろうとも、聖人が円卓議会を執り行うと言えば……大司教の職位を持つ者は必ず出席せねばなるまい。
もう眠りについていた者、身を清めていた者、鍛錬に励んでいた者、身を休めていた者、残業に縛られていた者……状況は十人十色ではあるが、彼等彼女等はその時己が行っていた全てを中断し、白亜の円卓にある自身の席に座った。
そして聖人の到着を待つ。荘厳で壮麗な空間にて一言も発さず、神の代理人たる聖人君子の登場を待つ。
そしてその時が来れば……彼等彼女等は一糸乱れぬ動きで立ち上がり、開かれた扉に向けて深々と頭を垂れた。
「……うん、十二人全員いるね。それじゃあ始めようか」
ミカリアが微笑みながら席に着く。その後、ミカリアの左隣の第一席より順に席に着き始めた。
第一席は唯一の枢機卿ラフィリア。第二席は信託の大司教ジャヌア。第三席は節度の大司教ブラリー。第四席は禁食の大司教マリリーチカ。第五席は無芸の大司教エフーイリル。第六席は悪滅の大司教メイジス。
第七席は緊縮の大司教ジュークラッド。第八席は時厳の大司教ライラジュタ。第九席は無戦の大司教アウグスト。第十席は不眠の大司教セラムプス。第十一席は無色の大司教オクテリバー。第十二席は真実の大司教ノムリス。
以上の計十二名の者達が順々に席に着き、そしてようやく円卓議会が始まりを迎えた。
「さて。今回の議題は──背信者の粛清だ」
まさに神の代理人と呼ぶべき眩く神聖な微笑みで彼は告げる。
それは国教会が信仰する天空教の教義に反する行為を取った者を粛清する合図。
それはその場にいた大司教達を一気に緊張状態へと追いやる最後の審判。
ただ一人全く動揺する様子を見せない枢機卿ラフィリアを除き、十一名の大司教達は互いの顔を見ては疑心暗鬼にどよめきだす。
そんな彼等彼女等を見てミカリアが更に口を開く。その瞬間、大司教達は一斉に口を閉ざした。
ミカリアの言葉を遮る事も阻む事も許されないからである。
「教義に反した愚か者がこの場にいる。さぁ、悪を抱く者は大人しく名乗り出よ」
……これより数分後。一人の大司教が名乗り出た事により早々にこの粛清と議会は終わりを迎えた。
ミカリアは、我が身可愛さに救いを求める声を足蹴にした大司教を許さなかった。そして粛清が終わり、改めて彼は大司教達に命令する。
──このような、教義に反する事が二度と起こらぬようにせよ。と……。
それと同時に、数時間前の侵入者の件が上位精霊の仕業である事も大司教達に話した。それを聞いた大司教達は若き司祭達の大きな過ちに気づき頭を抱えたとか。
そうして議会は終わり、ミカリアは自室に戻りながら枢機卿ラフィリアと話す。
「神々の愛し子の保護は後どれぐらいで片付きそうだい」
「……五日、保護完全完了」
「そう。じゃあ数日後に少し出かけるから」
「例、吸血鬼?」
「いいや違うよ。今回は……勇敢なお姫様の所だ」
ラフィリアの方を振り返り、少年のような笑みでミカリアは話した。
そして数日後──神殿都市の大聖堂から突然聖人が姿を消した事で大騒ぎになるとか、ならないとか。