番外編 ある王女とほろ苦い味 後編
「あ〜み〜れ〜すっ♪ こんな道端で何やってんだよ」
「シュヴァルツ、重いよ」
「なんのことだかさっぱりだなァ〜」
急にのしかかってきたかと思えば、彼は上機嫌に腕を回してきて、私の頭上で楽しげに笑っている。
「随分と機嫌がいいけれど……何かいいことでもあったの?」
「好いた女と会えたんだ。男なら誰でも上機嫌になるさ」
「そ、そういうものなんだ……」
「それよりお前さんは何やってたんだァ? 堅物のマクベスタくんがえらくはしゃいでるが」
などとシュヴァルツが言うものだからマクベスタに視線を向けたが、彼は神妙な面持ちでシュヴァルツを見つめている。アレのどこがはしゃいでいるのだろうか……?
「チョコを配っていたの。初めて作ったにしては中々に美味しく作れたから」
「チョコ? なんだァそりゃ……──今、作ったって言ったか? まさかとは思うが、お前さんが作ったのか?」
「そうだよ。せっかくだしシュヴァルツも食べて」
あんぐりとして上から覗き込んでくるシュヴァルツに、黒と白に艶めく絹のような髪のカーテンを押しのけてチョコを差し出す。するとシュヴァルツは数度瞬いて、私の指ごとパクッとチョコを食べた。
「口に合うかしら。あと、私の指は食べ物じゃないから今すぐ解放してほしいな」
なんて言えば、その瞬間に私の指先を何かが這う。それに驚き肩が跳ねたら、シュヴァルツはわざとらしく唇を動かし、舐るようにして指を解放してくれた。
「ふっ、予想通りの反応だな」
唖然とする私を見てか、彼はくつくつと笑う。
「…………趣味が悪いよ、シュヴァルツ。からかわないで」
「この状況でまだ『揶揄ってる』って思えるあたり大物だなァ、アミレスは」
熱を孕んだ瞳を細め、シュヴァルツが私の頬に手を触れた瞬間。何者かが、凄まじい勢いで彼を襲った。この速度は──
「師匠!?」
思いもよらぬ刺客を認識したシュヴァルツは、飛び退くように私から離れて、それを迎え撃つ。
紅の三つ編みが鮮やかな曲線を描く。風を切るほどに早すぎる回し蹴りと多種多様な足技で、師匠は果敢に攻めていた。
「姫さんに手ぇ出してんじゃねーよクソ悪魔。今すぐ灼くぞ」
「ハンッ、油を売る暇があるならさっさと工房に引き篭りやがれ、職人」
「わ、わーーーー! 師匠もシュヴァルツも落ち着いてーーーー!?」
慌てて師匠の背に抱き着く。炭のような、灰のような、そんな慣れない匂いを纏う背中に顔を埋めて、力いっぱいに私は叫んだ。
「ようこそ師匠! 最近中々会えなくて寂しかったから、今日は会えて嬉しいなぁ!! それはそうと甘い物に興味とかってあります!?」
とにかくこの、一触即発の空気をなんとかしなければ。その一心で師匠の気を逸らすべく文脈が死に絶えている支離滅裂な言葉を吐く。程なくして、いつもとは一味違う師匠の声が降ってきた。
「──俺も会いたかったですよ、我が一等星の君。貴女と尊き葉を交わすことを許されしこの時間こそ、我が身におけます甘露なる褒美と心得ますが…………貴女は、この身に更なる蜜を与えてくださるのですか?」
私の腕からするりと抜け出して師匠はその場で跪いた。そして、鎖骨の辺りに手を当て恭しく頭を垂れたかと思えば、たおやかに微笑みながら面を上げて、柄にも無いことを言う。
これには誰もが唖然とする。特に師匠と関わりの深い私とマクベスタは、顎が外れそうになった。
「……なーんちゃって。姫さんが嬉しいこと言ってくれたんで、俺もたまにはカッコつけたくなっちゃいました」
いつもの快活な笑顔を浮かべ、師匠が口調を崩す。彼は「やべー、だいぶ恥ずかしい……やっぱ柄じゃねーなぁ……」と、口元を隠して視線を泳がせている。
「師匠……あんな風に喋ることができたんですね」
困惑のあまり、なんとも失礼な言葉が飛び出してしまった。
「ご存知の通り、真面目に喋るのはけっこう苦手なんですけどね……俺にもそれなりの立場があるんで、必要に応じて最低限の礼節は学んでるって訳です」
「そうなんだ。真面目な師匠もかっこよかったよ」
「ありがとうございます。まー、真面目に喋ってないだけで、いちおう普段から真面目ではあるんですよ。これでもね」
と言ってスッと立ち上がる師匠に、満を持してチョコを差し出す。
「これが例の『甘い物』ですか?」
「そうだよ。師匠もおひとつどうぞ!」
「ではお言葉に甘えて」
ニコリと笑い、師匠は私の手からチョコを取って口に放り込んだ。
「おー、けっこう美味いですねこれ。精霊界でも中々見ない食べ物だし、アイツ等に教えてやったら喜びそう」
「じゃあ、後で材料と作り方を教えた方がいいかな?」
「願ってもねぇー話だ。是非、俺に教えてくださいな」
同じくレシピを知りたいらしいアルベルトやマクベスタにも教えてあげようと、そのまま廊下で立ち話をしていたら、
「こんな所にいたのかエンヴィー! 『なんか嫌な予感がする』とか言って消えたっきり帰って来ないと思えば……ボクが任せた仕事を放り出してアミィと遊ぶなんて」
「アッ、シルフさん……!?」
怒髪天を衝いた様子のシルフが、ずんずんと、肩で風を切って迫ってきた。
「ボクだってアミィと遊びたいのに……! 泣く泣く我慢して仕事をしているのに!!」
「す、すいません。ですがシルフさん、俺も初めはちゃんと使命の為に動いてたっつーか……」
シルフに詰め寄られる師匠を見て、「上司ガチャ大失敗乙」とカイルが野次を飛ばす。「シルフはちょっぴり我儘で感情の起伏が激しいだけで、いい子だよ」と脇を小突けば、カイルは呆れたように息を吐き、こちらを見つめてきた。
「そうだ。シルフ、こっちに来て」
「?」
「シルフもおひとつどうぞ。けっこう美味しいって評判なんだよ」
差し出されたチョコをぱちぱちと不思議そうに眺めたのち、シルフは私の手を包むように掴んでからチョコを食べて、輝くご尊顔を更に煌めかせた(物理)。眩しっ。
「美味しいね、これ。ちょっぴりアミィの魔力も感じられて味わい深いよ!」
「シルフさん? なんでわざわざそれ言っちゃったんですか……!?」
「オレサマもあえて触れないようにしてやってたのによォ。興醒めな真似するなよ精霊の」
魔力……? もしや急速冷凍の時の氷室が原因かしら。魔力との関わりが密接な彼等だからこそ気付いたのね。と、あわあわしたりギスギスしたりと忙しい人外さん達を眺めながら、私は思う。
初めての手作りチョコだから、大胆なショートカットをしてしまったが……やはりちゃんと正規ルートを辿るべきだったのだろう。次からは、ちゃんと時間をかけて作ろうかな。
その後。残ったチョコを数個ずつ包み、アルベルトに配達してもらって、現在帝都にいる関係各所にお裾分けした。シャンパージュ伯爵家をはじめとして、リードさん達、ハイラ、ケイリオルさん、そしてフリードル。
アルベルトがとんでもなく渋い顔をして戻って来たから、あまりいい顔はされなかったのだろう。まあ未知のスイーツ(しかも私の手作り)を突然押し付けられたのだ。彼等の気持ちもわからなくはない。
数が足りないから、ディオ達にはまた今度。それこそバレンタインデー当日にでもあげようかしら。
……──こうして。私の密かなバレンタインデーは、幕を閉じたのであった。
♡
その後────。
シャンパージュ伯爵家ではアミレスの手作りチョコを巡り、ホリミエラとメイシアの間で壮絶な親子喧嘩が繰り広げられたとか。
ロアクリードは味覚が麻痺した自分が気軽に消費していいものではない……と、チョコに防腐処理を施し宝物のように上質な箱に保管したところ、ベールに心底引かれたそう。
マリエルは愛しのアミレスが作ったという一口サイズのチョコを余すことなく味わうべく、なんと一つに十分はかけて、滂沱の涙を流しながら食べたという。
決して他人の手作り料理を口にしないケイリオルだが、アミレス作と分かるやいなや大人しくその場で食べて、ほろ苦くも甘い優しい味に弾けるような笑い声をこぼした。
フリードルは一つだけ食べて『甘いな』と満足げに微笑み、残りの全てを凍結して、美しい氷像を彩る宝石と入れ替えて飾ったようだ。
こんなものを毎度見せられたアルベルトの心境は、想像に難くない…………。