688.Side Story:Angel
俺が恋した女は、どうやらかなりの競争率らしい。何でも既に何人かの男に告白されているうえ、彼女を慕う男なんてミカリアを筆頭に腐るほど居るときた。これはうかうかしてられねぇ。俺も、負けじと積極的にアピールしなければ。
『……──ん? この城……こんな雰囲気だったか?』
フォーロイト帝国が王城を訪ねると、城内は随分とものものしい雰囲気をしていた。
『おい、そこの。何があったんだ?』
忙しなく駆けずり回る文官らしき男を呼び止める。すると奴はギョッとした様子で固まり、
『鋭い赤の瞳に黒い髪の若い男……まっ、まさか、デリアルド辺境伯……?! ど、どうして貴方様のようなお方がこちらに? 訪問のご予定などは、特に伺っておりませんが…………』
鼻つまみ者が現れたような反応をする。
『あ? 俺が居ると何か都合が悪いことでもあるのかよ』
『いッ、いいえそんなまさか! 滅相もございませんッ!!』
『チッ……で、何があったんだよ』
『そ、それがですね。──本日、反逆罪に問われている王女殿下の処刑がついに執行されるのです。なので我々も各種手配で──……』
────は? こいつ、今、なんて言った? 反逆罪? 処刑? 王女殿下って……アミレスが?
『おまえ……くだらん戯言を吐かすなら相手を選べ。死にたいのであれば、この場でその首を落としてやる』
『ひぃっっっ!? う、嘘などではございませんっ! ほ、本当に……っ! 王女殿下が本日処刑されるのですっっっ!!』
胸ぐらを掴んで問い詰めても、文官は必死の形相で同じ言葉を繰り返すだけ。
……まさか本当に、あいつが処刑されるのか? でもなんで? あいつが反逆罪に問われるなんて、そんなのどう考えても冤罪だろ。
『…………処刑。つまり、あいつが……死ぬ……?』
あいつはただの人間だ。俺と違って死んだらそこで終わりの普通の人間。そんな、アミレスが……誰かの手で、こんなにも早く殺される。
そんな呆気ない終わり──吸血鬼が許せるわけないだろ!!
『ックソが!!』
『?!』
文官をその場に投げ捨て、走り出す。
アミレスはどこだ? 東宮に行けばいいのか? それとも……っ、冤罪に問われているのならば牢屋か? とにかく、王城じゅうを駆け巡ってでもあいつを見つけなければ!
『どこだ……ッ! どこにいるんだよ、アミレス…………ッ!!』
通りすがりの扉を全てこじ開け、王城じゅうのあらゆる部屋を見て回る。文官や侍従や騎士が騒ぐが、有象無象を気に留める余裕など今の俺には無かった。
『っアミレス!!』
そこは、王城敷地内でも随分と辺鄙な場所。薄汚れたドレスに、痩せこけた手。傷んだ髪を無造作に垂らし、彼女は手枷に鎖を繋がれ連行されていた。
突然現れた俺に、護送担当の騎士共が驚愕し慌てて剣を構えるなか。名を呼ばれたアミレスはおもむろに顔を上げ、
『…………申し訳ございません。どちら様で、いらっしゃいますか』
うつろな瞳で、じっとこちらを見つめてきた。
『どちら様、って……何言ってんだよ。俺はアンヘルだ。アンヘル・デリアルド。俺達の仲なんだ、今更名乗る必要なんて無いだろ』
『…………申し訳ございません。私は、貴方様のことを存じ上げておりません。心よりお詫び申し上げます』
淡々と述べて、アミレスは深く頭を下げる。
何が、起きているんだ? どうしてアミレスはこんな悪趣味な冗談を……なんで、俺のことを知らないなんて、そんな意味不明な嘘を、つくんだ……?
『デリアルド……って、まさか、辺境伯……?! な、何故貴殿がこちらに? この反逆者にどのような用向きがあるのでしょうか』
騎士の一人が、剣を震えさせながら問うてくる。ぞわりと不愉快が全身を駆け巡り、
『…………さっきから、どいつもこいつもふざけるのも大概にしろ。その女が反逆者なわけねぇだろうが!!』
『『『『ッ!?』』』』
ぷつんと、頭の中で何かが切れた音がした。瞠目する騎士共に突撃し、膂力を以てそれを全て薙ぎ払う。
フォーロイトとしては異常なぐらいお人好しなあの女が、反逆なんて大層な真似をできるわけがない。やはりこれは何かの間違いで、あいつは冤罪で処刑されようとしている。
それに心を病み、あんなにも憔悴して……だから俺のことにも気づけないでいるんだ。そうだ、きっとそうなんだ。──頼むから、そうであってくれ。
『行くぞ、アミレス!』
『…………』
うつろな瞳を少しだけ丸くして固まる、アミレスの手を引き寄せ、彼女を抱え跳躍して城壁を走る。
『ッ、吸血鬼が反逆者を拉致して逃走した! 罪人が逃亡したぞ────!!』
騎士の一人が叫ぶ。数分も経てば城内は大騒ぎで、次々と現れる騎士や兵士、更には魔導師の連中が俺を捕えようと躍起になった。
城壁を走り、空を飛び、屋根の上に逃げ込む。今日程、この身が人ならざる化け物であってよかったと思った日はない。
こうして、冤罪で処刑されようとしている彼女を救い出すことなど、人間の身では叶わなかっただろうから。
そこで、妙な違和感が絶え間なく襲いかかってくる。──帝都は、あんなにも暗い街だったか? アミレスの誕生パーティーをした街は、あんな廃墟群じゃなかったはずだ。一体どうなってるんだ?
そう、違和感が頭に引っかかる度に頭痛が走る。まるで、何かに気づけと言っているように。
『ふぅ……この辺りなら暫くは平気だろう。大丈夫か、アミレス。舌とか噛まなかったか?』
城の屋根上に彼女を下ろし、声をかける。しかし返ってきたのは、予想だにしない言葉だった。
『……何故、私を連れ出したのですか? 私はお父様の役にすら立てない不要な存在です。これ以上お父様のご気分を害さないうちに、疾く死ぬべきなのに』
『なに言ってるんだ? あんたは不要な存在なんかじゃねぇ! 俺に希望をくれた、俺のたった一人の……っ大切な存在だ! あのクソガキがあんたを殺そうとしてるなら、俺があいつを殺す! だから────』
頼むから、そんな、全てを諦めたような顔をしないでくれ。あんたは笑顔が一番似合うんだ。だから頼む。どうか、笑ってくれ。
『ころ、す? お父様、を…………だめ、駄目です。そんなこと……絶対に許さない!!』
──俺の願いは、届かなかったらしい。
アミレスは狂ったように叫びながら、俺の首を絞めてくる。……弱い。たったこれしきのことで俺は死ねない。殺せない。だけど、
『……っ、なん、で……』
俺の心は、今にも死にそうだった。
呪いで死よりも重い苦しみを味わっていた時のように、心にヒビが入ってゆく。『何度も恋した女が本気で俺を殺そうとしている』という事実が、一度壊れ脆くなっているこの心を揺らがしてくるのだ。
俺の存在はその程度のものだったのか? 気が動転してるだけかもしれないが……あんたのことを散々蔑ろにしてきたあのクソ親父よりも、俺はどうでもいい存在だったのか?
くそ……ちゃんとした告白を、とか悠長なこと考えず、あの場で告白しておけばよかった。そうすればもしかしたら──あんたにとってもう少しだけ、大事な存在になれていたのかもしれない、なんて。
告白しておけば……こんな後悔をせずに済ん──
『どなたか知りませんが……っ、お父様を害するのであれば、この場で私があなたを──ッ!』
…………え? しら、ない? なんで? どういうことだ?
あんたはいつも、俺を見かけるとすぐに笑って声をかけてくれたじゃないか。俺の態度が随分と悪かった頃も、今も、ずっとケーキみたいな笑顔で俺のことを呼んでくれただろ?
なんで、そんな……知らないなんて、言うんだよ。なんで、そんな風に──初対面みたいに、喋るんだよ……!
『本当、に……俺のこと、知らない……のか?』
胸の痛みに苛まれながら発した言葉への返答は、無言だった。無言で、彼女は俺の首を絞め続ける。
──知らなかった。忘れられるということが……こんなにも辛く、苦しいだなんて、知りたくもなかった。…………なんて、悪夢のような現実なのだろう。こんな悪夢、見たくなかった。
『…………そう、か』
頬が濡れ心が張り裂ける。
忘却というものは俺にとって救いだった。だけど、今ばかりは。それを……心から、恨めしく思う。
♢♢♢♢
その後のことは、よく覚えていない。
布野郎あたりが俺達の元まで辿り着き、アミレスを連行したのだろう。俺もついでに連行されたが、フォーロイト皇家と長い付き合いがある辺境伯という立場故か、保釈金代わりの魔導兵器をいくらか上納することを条件に、解放されたんだったか。
そして、今。
俺の目の前には、首だけになったアミレスが居る。まだ僅かに血をこぼして、その首は公衆の面前に晒されていた。
反逆者だ、と恩知らずな群衆が喚き散らし、中には石やゴミを投げつけるクソ野郎までいる。その光景を記者共が面白がりこぞって絵や文字にするなか、俺は、騎士の制止も無視して前に出た。
『……髪、綺麗だったのに。こんなふうに切らなくたっていいだろ。首だって……もっと綺麗に切れたはずだ』
群衆のどよめきを聞きながら、断頭台に登り、落ちた髪を拾ってゆく。その際に見た胴体の切断面は、随分と拙い。上を見上げれば、ギロチンがやや刃こぼれしているように見受けられるが……これでは、首を落とされる瞬間、彼女が苦痛を感じてしまった可能性がある。
そもそも、彼女のように髪が長い女はギロチンにかける際邪魔になるからと、処刑前に髪を切っておくことが多いのに。わざとそのまま処刑するなんて……それ程にあのクソガキは、アミレスを苦しめたかったのか。
こんなことなら、処刑用の魔導具を作っておけばよかった。苦しめることなく一瞬で死に至らせることができる──そんな、魔導具を。
『…………あんたが死ぬってわかってたら、せめて苦しまないで済むようにしたのに。なんで、こんな急に死ぬんだよ』
どこまでも彼女を辱めたいのかその場に放置され、この辺りでは見かけない種類の野鳥に狙われている死体を抱き上げる。
ゴミ共からの奇異の視線も、批判も、全てどうでもいい。俺にとって大事なのは──あんたの笑顔だけなんだ。
『……分身。アミレスを頼む』
血の魔力で象り、変幻自在の固有能力で作り上げた分身に、アミレスの体を預ける。そして俺は晒されている首に両手を伸ばし、瞳を閉ざし苦悶を僅かに滲ませる彼女の目元と口角を、少し触った。
『…………うん。やっぱり、あんたは笑った顔の方が、いい』
視界が霞み、体が震える。指先に熱を感じない。
本当に死んでしまったんだ。俺の愛する女は……こんなにも虚しい終幕を迎えてしまった。
『……──だったら。せめて最期ぐらい、とびっきりドレスアップしないとな』
永眠るアミレスと額をコツンと合わせた、その瞬間。
騎士も記者も市民も。群衆の首が、全て飛ぶ。研ぎ澄まされたギロチンを落とされたように、血で放物線を描きながら、数多の首が飛んだ。
アミレスを辱めた連中を、アミレスの血で象った刃で殺す。血の魔力は、自身の血と制御下に置いた血を自在に操ることができるのだ。だから、命を失ったアミレスの血を制御下に置き、操った。
そうして噴き出した血で周囲が赤く染まっていく。アミレスの血は一滴残らず回収したので、残りは今しがた殺した奴等の血でやろう。
おまえへの餞は、もう少しだけ待ってくれ。大丈夫。俺は死なないし、どうせすぐに向こうからやって来て、簡単に用意できるから。
『綺麗だな、アミレス』
その目元と唇に、鮮やかな紅を。
派手すぎる化粧を施しても、それはすぐ、俺の所為で滲んでしまった。
『どうか……安らかに眠れよ』
息を吹き込むように口付けても、口紅が移るだけ。眠りについたアミレスは、もう、俺に笑いかけてくれない。
『もしもおまえが生まれ変わったら──……その時はまた、俺と出逢ってくれ』
それまで俺はおまえとずっと一緒にいるから。
『あいしてるよ、アミレス』
血の一滴まで、おまえの全てを愛している。だから……ずっと、一緒にいさせてくれ。これからも、俺の中で生き続けてくれ。
干上がったような死体を抱きしめ、俺は希った。
BAD END【紅に彩られた誓い】