686.Date Story:with Rosenica2
囚われのお姫様を攫うように窓から飛び出すと同時、私は二つの魔法を発動した。『全反射』と『凍結』──どちらも、正確には魔法ではないんだけどね。
「す、すごい……っ! 私達、空を歩いてるよ! すごい! それにっ、誰も私達に気づかないなんて……本当に魔法使いに攫われたみたい…………!」
「ふふっ。喜んでもらえたようで嬉しいわ」
全反射で周囲から姿を見えなくした状態で、水を凍結して作った道を歩いているだけなのだけれど……こうして無邪気に喜んでいるローズの横顔を見ると、種明かしが躊躇われる。
「さて。それじゃあどこへ行こうかしら。ローズ、貴女はどこに行きたい?」
「ほ、本当にどこでもいいの?」
「もちろん。貴女の思うがままに。どこへだって連れ去りますよ、お姫様」
「そっ、それじゃあ──……」
ぽっと顔を赤らめて、ローズは目的地を定めた。ならば私は、魔法使いとして彼女に魔法をかけてあげるだけだ。
♢♢♢♢
ローズが希望した場所を巡る。小説や御伽話の聖地だったり、何やら恋人が押し寄せているスポットだったり、大きな本屋だったり。
元々変装していたこともあって、目立つ行動さえ取らなければ、建国祭で賑わう街中が騒ぎになることもなかった。
後でイリオーデにめちゃくちゃ怒られるんだろうな、と脳裏に恐怖が残り続けるものの……お説教一つでローズの笑顔を見られるのなら、安いものだ。
「わぁ……! 夜景が綺麗……!」
「そうね。この高台、意外と穴場なのよ」
一日中帝都を巡り、早くも日は落ち夜の帳が世界を覆った。夜空には満天の星々が輝き、その下──街には、人々の良き営みによる穏やかな光が灯る。
昼間は花火や発光弾にて彩られた空が、今や月と星々の輝きだけを頼りに無限の彩色を放つ様は、やはり夜も良いと実感させてくれる。
「西部地区には初めて来たけれど……アミレスちゃんのおすすめの場所、とっても素敵だね。また今度、お兄様とアミレスちゃんと一緒に来たいなあ」
「もちろんよ」
西部地区は時計台。その近くにある高台に、私達はいた。この時計台に来たのは私たっての希望だったのだが……ローズにも楽しんでもらえているようで、よかった。
夜風に鈍色の髪を預け、絶景を前にキラキラと幼子のように目を輝かせるローズの横顔を見つめ、切り出す。
「ねぇ、ローズ。こっちを見てちょうだい」
「なあに?」
「『──麗しの、運命の姫君。どうかあなたの笑顔を、独り占めさせてはいただけませんか?』」
彼女がこちらを振り向いたその瞬間。水を凍らせて氷の花束を作り、街歩き中に買っておいた厚手の紙で包んで、その場で跪き、氷の花束を差し出した。
最初こそ目を丸くしてぽかんとしていたローズだったが、途中でハッとなり顔を紅潮させ、
「ま、まさかこれって……『硝子のお姫様と運命の魔法』の、あのラストシーン……!?」
興奮気味に語った。
「ふふ、正解よ。流石はローズね。本家は硝子の花束だったところを、氷の花束にしてしまったから、完全な再現とはいかなかったけれど」
「そんなことないよ! この花束、挿画で見たものとそっくりだし!」
「そう? 頑張って再現した甲斐があったわ。──というわけで。はい、これは貴女に。御伽話の真似事ではありますが、受け取っていただけますか? 私の可愛い薔薇の君」
「ひゃうっ……もちろんいただきます! うぅ……今日のアミレスちゃんは王子様力が高すぎるよぅ……まるで夢みたい……っ」
氷の花束を抱えてはしゃぐローズの髪を一房ほど指に絡めて、口付けを落とすフリをする。
「夢だなんて、そんなこと言わないで? この時間が夢だったら私は悲しいわ」
「あ、あぁ……っ、ぅ〜〜〜〜っ! アミレスちゃんの天然王子様ぁ! 人たらし! このっ、世界一素敵なお姫様ぁ!!」
「……随分と変わった罵倒ねぇ」
ぴたりと固まり、顔を真っ赤にして、彼女はわっと叫んだ。
「夢みたいかもしれないけれど……どうかしら? 現実もけっこう良いものじゃない?」
「…………うん、アミレスちゃんの言う通りだね。夢よりもずっと、夢みたい。──いいえ。夢よりもずっと……この現実の方が愛おしくて、幸せな、夢のようなひとときでした」
あれから少しして。ローズは、見た人の心を落ち着かせる花のような笑みを浮かべた。……私は、これを守りたい。彼女の笑顔を守りたい。
多くの人を傷つけ、彼女達に重荷を背負わせてしまった私には、こんなことを願う資格が無いことだってわかっている。本来許されざることだってわかっている。
だが、それでも。あの一件の全てを知り得た上で私を許した心優しい彼女に。笑顔がとても可愛らしい、私の大好きな友達に──……素敵なハッピーエンドを迎えてほしいと願うことぐらいは、許してほしい。
皆のハッピーエンドの為ならば、私は、どんな悪役にだってなれる。どんなことだって出来る。──だって。大好きな人達の幸せが、私の幸せだから。
夢と現実の境を見失い、過ぎ去る時間に怯える貴女。貴女の幸せの為ならば、私は…………。
「わっ、鐘の音……? もうそんな時間なの?」
時計台から響く、午前零時を告げる音。二つの針が月を見上げて重なり、魔法が解ける時間が訪れてしまった。
「……悪夢から醒める時間よ、私の歌姫。大丈夫。たとえ魔法が解けても、魔法がなくても、私は貴女の傍にいる。貴女の王子様にはなれないけれど……貴女が望んでくれる限り、私はずっと一緒にいるから」
これは、魔法使いが歌姫にかける、最後の魔法だ。
「だから貴女はもう、夢を見なくていい。貴女の夢は全て私が叶えてあげるし、全て現実にしてみせる。夢なんか見てる暇がないくらい、私が貴女を幸せにする。だから、私がいるこの現実を信じて、もう一度私の手を取って」
「……──夢見る必要がないくらい、幸せにしてくれる、の? もう、『夢』を恐れなくて……いいの?」
「えぇ。私は貴女だけの魔法使い──貴女の絶対的味方だから、貴女の幸福の為ならいくらでも尽くすわ。貴女が望む幸福は、全て夢で終わらせない。魔法使いの名にかけて、私が貴女を、絶対に幸せにしてみせる!」
「っ! ……そんなの、ずるい、よ……」
僅かに震える手を握り、目を合わせて、何度も訴えかける。
「…………あぁ。そんなあなただからこそ、私は……」
ローズはぽつりとこぼし、そして間を置いてから顔を上げた。
「……──すき。好きです。大好きです、アミレスちゃん。私、どんな御伽話よりも、どんな王子様よりも、どんなお姫様よりも……貴女が好き。好きで好きで、おかしくなっちゃいそうなの!」
月明かりの下、顔を紅く染め上げて、彼女は、美しい音色を奏でるように熱烈な言葉を口にした。
「この初恋はいつか涙に変わるって、わかってるの。でも、私はこの恋を諦められなかった。この恋を、この最後の夢を、貴女を好きになったこの現実を、なかったことになんてしたくない。──だから」
涙を蓄えた紫瞳が揺れる。宙に放り出された大粒の涙が月光に照らされ、煌めく。だがそれよりも私の目を奪ったのは、
「この初恋を、最後に貴女へ捧げさせてください」
燦々と輝く夜景よりも美しい、恋する乙女の熱い瞳だった。
その瞳に囚われた、刹那。鼻をくすぐったのは、花の香り。口を塞ぐのは、ふわりと沈む柔らかい唇。視界を占めるのは、ローズ達の鈍色。
「……!!」
私は今、キス、されている? 他でもない、ローズに。今しがた『好き』だと言ってくれた彼女から……千年の眠りより救い出す、運命の口付けのように。
「……──もう、私は夢を見ない。だって、どんな御伽話よりもずっと素敵な恋が、今、目の前にありますから」
まるで、御伽話のよう。運命のお姫様に想いを告げる王子様のように、彼女は愛を奏でた。
私だけに向けられたそれを、こんな特等席で贈られて、誰が無かったことにできようか。
「ローズ、私……は……」
貴女の愛への返歌を用意できない。恋をしたことがない私にはその資格がないし、それに私はあくまで魔法使いだから、貴女の王子様にはなれないの。
ローズを絶対に幸せにする──その気持ちと言葉に嘘偽りは無い。だけど私は────…………
「未来を、誓えない。この命が尽きるその時まで、私の全てを懸けて貴女を幸せにするけれど……私だけは、誰かと恋をするわけには、いかないの」
だって私達は、いつ死ぬかもわからない存在だから。明日があるかもわからない命に、他者の未来を縛りつけるわけにはいかない。
私が死ぬことで、恋した人を苦しめたくない。私が消えることで、愛した人を悲しませたくない。
……馬鹿な私が『愛されている』と気づくことに遅れた所為で、とうに取り返しがつかないところまで来てしまった。だからもうこれ以上、今日を生きるだけのこの命に、誰かの人生を縛りつけたくない。
こんな私に告白してくれた彼女に対して、無神経で酷い発言を返すのは、先程の宣言と矛盾していると自分自身が一番理解している。
でも、仕方ないの! 大好きなローズに幸せになってほしいからこそ──私だけは、彼女の想いに応えてはいけない!
……だのに。
「──今はそう思っていてもいいの。今、私がこうして世界を変えられたように、いつか貴女の世界も変わるかもしれないから」
ローズは、あの日のように穏やかな微笑みを浮かべた。全てを知った上で私を信じてくれた、あの冬の日のように。
「まだ、私にもチャンスはあるってことだよね。それなら……その日が来るまで、私は貴女に恋をし続けます。貴女に私の愛が届くその日まで決して、愛することをやめません」
「ローズ、でも、私は……っ」
「まさか……魔法使いさんに夢を奪われてしまった私から、この恋まで奪うつもりなの? アミレスちゃんは、私のこと、幸せにしてくれるんだよね?」
返す言葉が見当たらず二の句を継げなくなる。するとローズは、それ見たことかと言いたげにしたり顔で笑い、続けた。
「ふふっ。泡となって消えるその時まで、絶対に諦めないんだから。夢見がちな私から初恋を奪った責任、ちゃんと取ってくださいね? 私だけの魔法使いさん」
午前零時を過ぎ、彼女にかけられた魔法が解ける。
胡蝶の夢から醒めた歌姫が恋をしたのは──……王子様ではなく、酷い魔法使いだった。
あけましておめでとうございます!
2025年、しぬしあ史上トップクラスにロマンチックな告白からスタートです。本年度も本作をよろしくお願いします。




