番外編 ある王女と第二の性 後編
そうして抑制薬により落ち着きを取り戻したケイリオルは、ようやく仕事に関する話に移ることができた。アミレスの一挙手一投足に翻弄されながら話を終え、書類を渡すやいなや、彼は足早にこの場を立ち去ろうとする。
「あの、ケイリオル卿。俺を猫みたいに持つのやめてもらえません?」
「……抑制薬を飲んだとは言えど、貴殿も僕もいずれ限界が来ます。であれば、彼女に手を出さない内に退散するに限るでしょう?」
お前は早くアミレスから離れろ。と言わんばかりの力強さでカイルの首根っこを掴み、ケイリオルはドアノブに手をかけた。
「いやしかしですね? 俺には役割があるっつぅか、もしもの時にアミレスを守る為にここに残る必要がありましてですね?」
「その役割とやらは、貴殿でなくてもよろしいのでは?」
「俺じゃないと駄目なんですって! 俺以外の人間にやらせたら取り返しがつかなくなる可能性があるんですよ!」
「…………ひとまず、詳細をどうぞ」
と、ケイリオルは説明を促しながら怪訝な視線を送る。今にも凍結されそうな冷たい圧を受け背筋を震え上がらせながら、カイルは簡潔に説明した。
「──その役割、貴殿でなくとも問題はないのでは? 僕もαですし。まだ歳若い貴殿と比べると、間違いが起きる可能性はゼロに近いですよ」
「俺だって間違いませんけどぉ!?」
(──というかαなのかよこの人! 精神力とんでもねぇな!?)
カイルの説明を聞いた上でケイリオルはこのような結論を出したらしい。これにはカイルも不満があるようだ。
(悪意の有無、性欲の有無、愛情の有無……それに拘らず、若者は自身の欲に正直になりやすい。彼がアミレスに対しどのような感情を抱いているのか、僕にも分からないが……もしも友情以上の何かを抱いていた場合、万が一が無いとは言い切れない──……というのは、建前で)
「──アミレス王女殿下の安否を、他所の男になど任せられる訳がないでしょう」
可愛い姪に近づく男は全て警戒対象。相応しくない者にアミレスを嫁にやるつもりは一切ない。過保護な親バカもどきと化したケイリオルは、ついに私情を前面に押し出してしまった。どうやら理性は溶けたままらしい。
「くっ……微妙に納得できる理由を出してきやがる……っ!」
「ご納得いただけましたか? では、カイル王子はお引き取りくださいませ。王女殿下のことならばご安心を。僕が責任を持って、彼女の将来と貞操をお守り致しましょう」
「絶妙に任せづらい言い回しするのやめてもらえます!?」
グッバ〜イと部屋の外にカイルを放り出し、ケイリオルが笑顔で扉を閉めようとした、その時。
いかにもうんざりとした様子のクロノが、その背でムラ一つ無い黒翼を羽ばたかせて現れた。
「おい娘。どうして今日に限ってこんなに来客が居るんだ。僕の仕事が増える一方なんだけど」
「え。また誰か来たの……? 特に約束は…………はっ! 今日はリードさんの月一健康診断の日だわ!」
「ああ、その緑の髪の男もいたよ」
「健康診断……? 何ですかそれは。聞いてないですよ、僕は何も」
「あっ……そのぅ、えぇと……彼が厚意でやってくれていること……なので……えへへへへ」
ケイリオルの圧が凄い。これにはアミレスも笑ってやり過ごす道を選んでしまった。
この“健康診断”は国際交流舞踏会後、ロアクリードがフォーロイト帝国に滞在するようになってから始まった月に一度の恒例行事だ。何かと無茶ばかりをするアミレスの健康チェックの他、αならではのお悩み相談、各種抑制薬の処方まで。アミレスの健康にまつわるあらゆることを、何故かロアクリードが担っている。
シルフ達的にはまあまあ目障りなのだが、これがまた優秀なもので。温厚な彼が人好きのする笑顔で執り行う強制問診(正直に話すまで絶対に終わらない。尋問とも言う。)により、傷病を周囲に隠しがちなアミレスが大人しくそれを吐き、適切な治療を受けてくれる為、仕方なく黙認しているのだ。
今やロアクリードは、アミレス専属の訪問医のような立場だ。何をやってるんですか教皇様。
「それで? 結局妹のおもちゃは通してもいい人間なの?」
「うーん……あの人もαだけど……健康診断サボったら怒られるからなぁ。リードさん、怒ると怖いからなぁ。お説教はやだなぁ……」
ここに来て説教を恐れるアミレス。もっと恐れるべきものがあるのではなかろうか。
「アミレスさん?? お前さんまさかジスガランド教皇をここに来させようとしてらっしゃる??」
「そうだけど……駄目なの?」
「あれだけ俺とケイリオル卿が話してたのにまだ理解してないとかマ!?」
「で、でも……相手はリードさんだよ……?」
「だから性善説は通用しねぇの! お前はもうちょっと男を疑え!!」
この叫びにはケイリオルも深く頷いた。
「ジスガランド教皇が個人的に王女殿下へ健康診断なるものを行っている件については、また追々詰めるとして。彼を通すのはやめた方がよろしいかと。そもそも! 本来男子禁制たる姫の宮殿に他国、それも遠方の大国の、宗主国皇帝かつ巨大宗教の教皇なんて立場の男性を立ち入らせることが、想像を絶する程の大問題なんですよ」
あまりの正論に、傍聴していたシルフとエンヴィーが「「確かに」」と声を揃える。
だが、アミレスはご存知の通り往生際が悪い。基本的には性善説を信じている彼女は、一度懐に入れた相手にはとことん甘く、尽きることのない無条件の信頼を向けてしまうのであった。
「それはそうなんですけど……もう色んな人が出入りしてるし、いいかなあって」
「よくないんですよ。前にも諫言しましたが、全くもってよくないんですよ。僕がどれだけ、貴女に関する噂を撒いた輩をしらみつぶしに消しているとお思いで? だから貴女はいつになっても問題児だの色狂いだのと、不名誉な呼び名で謗られるのです。貴女を謗った人間をしらみつぶしに拷問にかけその舌を抜いてもまだ収まらぬ程に! 貴女の不名誉な悪名は知れ渡ってしまっているのです……!」
「…………誠に申し訳ございませんでした」
ここまで来れば、迷惑と心配をかけまくっている自覚のあるアミレスには、もう謝ることしかできない。
そんなアミレスの悪名をどうにかしようと奔走する、ケイリオルの苦労を垣間見たカイルは、
(この人、想像以上にめちゃくちゃ良い人なんだな……なんかやけにアミレスに甘いし……皇帝の側近ってだけでめちゃくちゃ警戒してたのが申し訳なくなってきたわ……)
同じくアミレスに苦労させられている者として、親近感と同情を覚えていた。とはいえ、ことカイルに至ってはその苦労すら喜べるある種の変態(※対アミレス限定)なので、ケイリオルの方が格段に苦労しているのだが。
「……あのさ。来客、まだ他にもいたんだけど」
「「「え?」」」
クロノから放たれた衝撃の言葉に、人間達は固まる。ナトラが「本当か、兄上」と聞き返すと、クロノは軽く頷いて続けた。
「娘と似た男、よく来る金髪の男、娘の友達らしい魔眼の女、黒い吸血鬼、あと忌まわしき聖人もいたかな。今にも殺し合いが始まりそうな空気をしていたよ」
「えぇ……どんな顔ぶれなのよ……」
「修羅場がフルスピードで突っ込んできた?!」
(何故今なのですかフリードル殿下……ッ!!)
思いもよらぬ団体客にアミレスは困惑し、カイルは絶望し、ケイリオルは顔に手を当て項垂れる。
「おいどうすんだよこれ。なんでそのメンツが同時に東宮に来るんだよ厄日じゃねぇか」
「事情を話せば引き返してくれる……とも思えませんね。特にフリードル殿下あたりは」
「ミカ──聖人様も多分引き返しませんよ。今の聖人様なら、事情を把握するやいなや強行突破しかねん」
「デリアルド伯爵もかなり自由な方ですし……」
「メイシアちゃんがこんな絶好の機会を逃すわけがねぇんだわ……」
「…………状況は絶望的ですね」
「そっスねぇ〜〜……」
カイルとケイリオルは仲良くため息をこぼした。先程までの論争は何処へやら。彼等は今、共通の敵を得たことで共同戦線を張ったのだ。
「しかし、彼等を通す訳にはいかないのもまた事実。王女殿下の貞操を守るべく、我々がなんとしてでも彼等を止めなければならないのです」
「右に同じく。アミレスがアイツ等に襲われるなんて展開になった日には、俺、いよいよ殺人鬼になっちまうんで。断頭台回避の為にも、死んでもアイツ等を止めねぇと」
ここに、対人戦最強の怪物と神に愛されすぎた男のタッグという、世界で最も凶悪な防衛戦線が誕生した。
────シルフが変の権能を使用可能になるまで残り、数時間。
イリオーデとアルベルト、侍女トリオからスルーノ、ケイジーに加え、シャンパー商会及びララルス侯爵家より派遣された侍従達、緑の竜や黒の竜といった東宮オールスターズが加わった、カイル&ケイリオルの極悪防衛戦線。
実際に戦うことになどならなければいいのだが、と彼等が願ったところで、アミレスに対して並々ならぬ執着を見せる面々相手となれば、そうは問屋が卸さない。
アミレスが一時的にΩになったと聞いた瞬間は、星雲を背に目を丸くして固まった来客達だったが、その後はもう、早かった。何が早かったか? それは当然、
「今すぐっ! わたしをアミレス様のお傍に参らせてくださいましっっっ!!」
「我が妹の一大事だ。そこを退いていただけませんか、ケイリオル卿。僕はアミレスの兄なのですよ」
「アミレス、Ωになっちまったのか……ってことは、今なら番とやらになれるのか。ふぅん、いいこと聞いたぜ」
「姫君が……Ωに……? あぁっ、いけない、いけませんっ! 望まぬ番契約により姫君が不条理を強いられるなど、そのようなことがあってはならない! なんとしてでも、運命が彼女をこの魔窟から救い出さねば…………!!」
「アミレスがΩ……この、花の蜜のような甘い匂いは、まさか彼女の…………」
アミレスに想いを寄せる者達は暴走した。それはもう、早々に。カイルとケイリオルの予想通りに、彼等はアミレスの元へ行かせろと抵抗をはじめた。ただ、一人を除いて。
(……この色々と重くて面倒臭い人達から、彼女の身を守らないと!)
「──これはつまり合法的に聖人をぶん殴れる好機では?」
本音と建前が逆になっているものの、ここで来客の中で唯一違う行動を取った男がいた。──そう。みんなの心の清涼剤、ロアクリードだ。
「そうと決まれば私はこちら側につこう。よろしく頼むよカイル王子! ケイリオル卿!」
「マジすかジスガランド教皇?! めっちゃ心強いっすわ!」
「共に王女殿下をお守りしましょう、ジスガランド教皇!」
極悪防衛戦線が更に凶悪になったところで、ついにその防衛戦は開幕した。
明らかな戦力差(防衛側の有利)に見えたが、流石に相手が悪かった。攻勢側の面々が揃いも揃って高貴な身分であり、中にはほんの少し傷をつけただけで世にも恐ろしい蛇が飛び出してくる者もいる。
しかも、だ。そもそもとして。攻勢側は不老不死の人類最強の聖人、辺境を治めし不死身の吸血鬼、絶対零度の魔剣を持つ氷結の貴公子、聖剣ゼースを持つ雷鳴の黒騎士、二つの魔眼を所持する業火の魔女──と、このような錚々たる面々が揃い踏みなのだ。
相手を殺してはならないという前提の防衛戦において、これ程に厄介な相手などそういない。
故に両者共に一歩も退かず。東宮の前で繰り広げられた彼等の熾烈な戦いは、数時間にわたり続いたという……。
♢♢♢♢
「もうっ! 絶対に、二度とこんなことはしちゃ駄目だからね?」
「ご、ごめんよぅ……まさかこんなにも大事になるなんて。ボクも予想外だったよ……」
しゅんと項垂れながら治癒魔法を使うシルフに向け、アミレスはぷんぷんと怒っていた。
時刻は午後八時を回った頃。どっぷりと深まった夜と、その中で煌めく月と星々が地上を照らす。
なんとあれから六時間も続いた防衛戦/攻城戦により、戦争でも起きたのかと見紛う荒れ果てっぷりとなった東宮の前にて。大戦犯として責任を取るよう言われたシルフは、当事者達の治癒(と、荒れ果てた王城敷地内の補修)に全力で取り掛かることとなったのである。
約十分程前。ようやくαに戻り、フェロモンもおさまったアミレスが外に出てきたことで、熾烈な戦いの決着はついた。
ここまで戦ったにもかかわらず、アミレスがαに戻ったと知り、攻勢側だった面々は非常に残念がっていたとか、いなかったとか。
そして当のアミレスは、この後第二類性別種の変更による身体への影響が何もないか、いつもの倍は長い、ロアクリードの健康診断を受けることに。
こうして、『アミレスΩ化事件』は人知れず終息したのであった……。
アミレスがΩになった時、傍にいた男がカイル以外でしたらその時点でバッドエンド、怒涛のR18展開でした。いやあ、カイルがいてくれてよかったですね。
しぬしあ軸とは少しズレたどこかの世界線では、こんなルートもあったのかも? といった、皆様の妄想が膨らむお話になっていたらこれ幸いです。
次回からは本編が再開しますので、ご安心ください。
ではでは、また次回。何卒よろしくお願いします。