70.白亜の都市の侵入者3
そしてエンヴィーは大聖堂の地下にある霊廟へと辿り着く。荘厳な雰囲気の空間で、エンヴィーは辺りを見渡しながら立ち止まった。
(姫さんが言うにはここの更に奥にその聖人とやらの部屋があるっつぅ話だが……ねぇな、部屋なんて)
この空間の出入口は来た道一つだけ。その出入口も今や追手が騒がしいと言う理由だけで、業火の柱により塞がれている。
窓すら無いこの空間の更に奥に本当に部屋があるのか……そう、エンヴィーは思案した。
だがしかし、エンヴィーは考えを改める。
(まぁ、あの姫さんがあるって言ったのならあるんだろう。とにかく壁を破壊してけばその内隠し通路とか出てくるだろ)
エンヴィーはアミレスの発言を疑わなかった。アミレスの発言を信じて、エンヴィーは勢い良く近くの壁をぶん殴った。
何度も何度も四方の壁を殴り、いたる所を陥没させた。
壁にはクレーターのような跡が多く作られ、床にはその破片が散らばる。
歴代の枢機卿や大司教が祀られる荘厳な雰囲気の霊廟は、たったヒトリの男により瞬く間に荒らされてしまったのだ。
「おっかしーなァ……周囲に隠し通路的なモンはねぇ……いや、そうか。魔法で隠蔽してんのか」
エンヴィーは部屋をもう一度ぐるりと見渡して思考し、そしてハッとしたように何かに気がついた。
彼の推測は正しかった。確かにこの部屋には隠し通路があるのだが、それは周囲には無かった。
何せ隠し通路があるのは壁沿いのどこかではなく──
「あそこか」
──足元、なのだから。
彼が視線を向けた先……それは霊廟の中心にして、多くの人々の骨が納められた納骨棺があった。
エンヴィーが納骨棺に向かっておもむろに歩き出す。
その棺からは夥しい程の魔力が溢れ出ており、それはエンヴィーの勘を鈍らせるにまで至った。その為この空間に足を踏み入れたばかりの時は気づけず、こうして冷静に考えてようやく気づけたのだ。
そして彼が納骨棺に触れようとしたその瞬間。あの火柱を越えて、何者かがこの空間に侵入して来たのだ。
「──どうかそれには触れないで頂けますか、精霊様」
「……誰? お前」
エンヴィーが振り返った先には一人の男が立っていた。
肖像画や彫刻で見る天使のような美しい顔立ちに、その羽が如き腰まで伸びた白金の長髪。穏やかな印象を抱かせる檸檬色の瞳と、その下で自然に弧を描く淡い桃色の唇。
最早不健康そうに見えてしまう雪のように白い肌に、純白と金の刺繍の祭服。
頭の先からつま先まで真っ白なその男は、何と最上位精霊たるエンヴィーに気取られる事無く火柱を越え、この空間に侵入せしめた。……もっとも、この空間が異様に濃く禍々しいまでの魔力に満たされていなければその限りでは無かった事だろう。
真っ白な男は、エンヴィーの問いに深く頭を垂れて答えた。
「我が名はミカリア・ディア・ラ・セイレーンと申します」
そう。彼こそが二作目で追加された攻略対象にして……国教会が誇る不老不死の人類最強の聖人、ミカリアなのだ。
ミカリアと言う名前を聞いて、エンヴィーは少し笑みを浮かべた。
「へぇ、お前が聖人とやらか。俺ァお前に用事があったんだよ」
「僕に……? 精霊様がですか?」
ミカリアが驚いたように目をパチパチと瞬きさせる。
「おう。それで急いでたのによォ、ここの人間達がどいつもこいつもすぐ喧嘩売ってきやがるんだが」
「それは……不甲斐ないばかりでございます。まさか貴方様の正体が精霊様と気づけぬ者達ばかりとは思わず……これよりは更なる教育の方を徹底致します。このような不敬な振る舞いを二度としないように」
今一度ミカリアは深く頭を下げ、謝罪した。
聖人と呼ばれる程のミカリアは一目見て……いや、エンヴィーが放出したあまりにも神聖な魔力から、彼が大聖堂前で暴れ出した瞬間よりそれを感じ取りエンヴィーの正体を看破していた。
しかし他の者達は違った。枢機卿と呼ばれる者や大司教程の地位にある実力者なら、まだ気づけたかもしれないが……そうでない一般的な司祭や教徒達が目の前の存在の正体を把握出来る筈もなかった。
相手が精霊と分かっていたのなら……彼等彼女等とてあのような強行に及ぶ事は無かっただろう。
人間が形ある精霊に挑むなど、ただの自殺行為に等しいのだから。
「そーしとけ。今回は俺だったからあの程度で済んだが、人間嫌いな奴等だったら確実にこの街滅んでたしな」
「御忠告痛み入ります」
「で、お前に話があるからどこかに案内しろ。そうだな……お前の部屋でいいか」
「……もしや、この霊廟には僕の私室を探しに?」
「そうだが?」
ミカリアは一瞬エンヴィーを訝しげに見つめた。
今、彼の頭は非常に混乱していた。何せ精霊召喚でもしない限り人間界に現れる事などない形ある精霊が、突然この神殿都市に侵入し大暴れした上に自分に用があるなどと宣ったのだから。
(……形ある精霊。それもこれ程の魔力と威圧感であれば恐らく上位精霊……何故そのような存在が、僕に?)
ミカリアは必死に考えつつも、「こちらです」とエンヴィーを私室に案内した。
隠し通路の答え合わせはエンヴィーの読み通り、棺の下。棺に仕掛けられた魔法陣を作動させる事で棺の手前に更なる地下へと続く階段が現れるのだ。
その階段は人が降りてゆくと勝手に塞がるようになっており、階段内より入口を開く事は不可能のようで……所謂一方通行の道だった。
等間隔に魔力灯が灯る暗い階段を、二人は足音と布擦れ音だけを響かせて降りて行った。
「この道は数十年前に作られたものでして、国教会でも極僅かな人のみが知る道なのです」
歩く際の話題にとミカリアが口を切る。
それには「へー」と興味なさげに答えたエンヴィーであったが、彼の反応はすぐさま塗り替えられる。
(……姫さんは何でこの道の事を知ってたんだ?)
ピタリ、とエンヴィーの表情が固まる。顎に手を当ててエンヴィーは考えた。
『聖人の私室は大聖堂の霊廟の更に奥で、きっと侵入するのは困難だろうけど……信じても、いいですか』
エンヴィーの脳裏に再生されるただの人間の少女の言葉。
本来知る由もない事にも関わらず、どこか確信を持って話した彼女は一体何者なのか。
そんな疑問符がまたもやエンヴィーの頭に出現した。
(あのヒトのお気に入りって時点で相当変わってんのは決まりだし、俺自身それは身をもって知ってるんだが……だとしてもやっぱり……ま、その内分かる事か〜)
が、しかし。エンヴィーは考える事をやめた。
別に絶対に今明かさなければならない問題と言う訳でもなければ、特に明かす必要もないからである。
アミレスが何者なのか……気にならないと言えば嘘になってしまうが、別に彼女が何者であろうとエンヴィーには関係の無い事。
例えアミレスがどんな存在であろうとも──エンヴィーにとって、アミレスはただの可愛い弟子。それだけは変わらないのだ。
「到着しました。こちらが僕の私室になります」
暫し歩くと、美しい扉の前でミカリアが立ち止まった。その扉をミカリアはゆっくりと開き、エンヴィーを招き入れた。
部屋の中は綺麗に整頓されていて埃一つ無い。そして窓も無い。
部屋の中にあるものと言えば……天蓋付きの寝台、様々なジャンルの本が所狭しと並ぶ本棚、ペンと紙が置かれた机、隣の部屋へと続く扉、謎の巨大なぬいぐるみぐらいだ。
この空間において巨大なぬいぐるみはとても異質だった。
その為、エンヴィーはそこに視線を奪われていた。それに気づいたミカリアが微笑みながら説明をする。
「それは……僕の唯一の友人…………じゃあなくて、知り合いが四十年程前に贈ってくれた、誕生日の贈り物なんです」
「ぬいぐるみねェ……随分と嬉しそうじゃん。人間がぬいぐるみ貰ったら喜ぶってマジだったのか」
「少なくとも僕はとても嬉しかったですね。彼から贈り物を貰ったのは後にも先にもあの時だけでしたから」
ミカリアは脳裏に一人の男の姿を思い浮かべ、懐かしむように話していた。エンヴィーはそれを興味ありげに聞いていた。
(そもそも、あのアンヘル君が僕に贈り物をくれた事が青天の霹靂だったしなあ)
(…………俺、特訓で使う物以外で姫さんに何かまともな物をプレゼントした事あったか? ねぇな! あー、ぬいぐるみー……贈ったら姫さんも喜ぶのか……?)
二人はまさに正反対の表情を作り考え事に耽けっていた。
エンヴィーに至ってはかなり真剣に悩んでいるようだ。そしてエンヴィーは思う。
(あの姫さんがぬいぐるみ貰って喜ぶか……? なんてったってあの姫さんだぜ? 星剣あげたら目ェきらきらさせて喜んでた姫さんだぜ??)
アミレスとの剣術の特訓にて。木剣による特訓を終え真剣での特訓に移行する際、エンヴィーは女の子たるアミレスの為に特別な剣を用意していた。
それは精霊界でのみ採取可能な星空の如き輝きを放つ鉱石、星雲石をふんだんに使用した魔剣だった。
魔剣としての能力は重量操作。アミレスが持つととても軽く感じる長剣なのだが、その攻撃自体にはなんと大剣程の威力と重量がかかっていると言う……。
簡単に言えば……アミレス専用の馬鹿みたいに強く希少な剣なのだ。
ちなみに、あの剣を鍛えたのは他ならぬエンヴィーである。石の最上位精霊と鋼の最上位精霊、そして智の最上位精霊に助力を仰ぎ作り上げた至高の一本──それが、あの白銀の長剣なのだ。
勿論、アミレスはそんな事知りもしないが。
(……でも姫さんって意外と可愛いものとか好きだからな。何でか知らねーけど、自分には可愛いものは似合わないとか思ってるらしいけども)
全然似合うのになァ……と思いつつエンヴィーは深くため息をついた。
そしてエンヴィーは気を取り直して本来の目的を果たさんと動き出す。懐より一通の手紙を取り出してミカリアに手渡した。
ミカリアは渡された美しき手紙を見て目を見張った。何故ならその手紙には……かの大国、フォーロイト帝国が皇家の紋章が封蝋にて押されていたのだ。
ミカリアは瞬時に理解した。かのフォーロイト帝国が公的手段では無く上位精霊を使ってまでして、聖人である自分に直接伝えなければならない程の事柄が起きたのだと。
天空教を国教と定めている訳では無いフォーロイト帝国と、天空教を信仰する国教会はとても密接な関係……と言う訳もなく付かず離れずの関係だった。
同じ大陸西側に領地を構える国家と都市らしく絶妙な関係を保っていたのだ。
フォーロイト帝国は帝国内での天空教の布教を認めるし、たまに国教会へと寄付もする。代わりに、国教会は帝国での有事の際にその力を費やしてくれ。
……そんな、互いに何かあれば協力はしよう、ぐらいのギブアンドテイクな関係だったのだ。