682.Side Story:Rosenica2
「お兄様。助けてくれてありがとうございます」
お兄様に言い負かされて情けなく退散した古狸さん達の背中が完全に見えなくなってから、お兄様に向けてお礼を告げる。するとお兄様はホッとした様子で眉尻を下げて微笑んだ。
「ローズが無事でよかった。……本当に、一人にしてごめんね。モルスを俺じゃなくてローズの傍に置いておくべきだったよ。後でしっかり、あの人達のことはフリードル殿下に伝えておくからね。今後二度と身の程知らずな真似ができないようにするから、安心して」
自分を指差すよう立てた親指を、首の前でスッと動かして、お兄様は含みのある笑みを浮かべた。
「あの、お兄様……簡単に皇太子殿下のお名前を出してしまって大丈夫なんですか? いくらお兄様が皇太子殿下のお気に入りとはいえ、流石に綱渡りが過ぎるのでは……」
「あくまで俺の能力を買ってくださってるだけで、俺はフリードル殿下のお気に入りなんて大層なものじゃないよ。それにね、ローズ。これは全部でまかせ、というわけではないんだ」
「え……?」
私の頭を撫でて、お兄様はにやりと笑う。
「『お前の妹の歌は凶悪だ。あれをそう何度も戦場で使われ、兵がその恩恵に依存するようになっては敵わん。故に、非常時以外は歌わせないようにしろ。これは命令だ』って、魔物の行進の後に言われたんだ。だから全部が全部嘘というわけではないよ。安心して」
「そうだったんですか…………本当に、優秀な御方なんですね。皇太子殿下は」
「まあ、あの偏屈な伯父様が認めるぐらいだし。フリードル殿下は本当に優秀な方だよ。ローズの歌を聞きその恩恵を体感したうえで、利用するのではなく危険性に気付き対策しようとするなんて。俺も、命じられた時は本当に驚いたよ」
お兄様から聞いた『冷徹な方だった』という話と、あのアミレスちゃんをずっと蔑ろにしていたという噂。そして幼少期に一度だけ遠目に見た冷ややかな印象が強くて、ずっと怖い方なのかと思っていたけれど……皇太子殿下は、私が思っていたよりも、まともな方なのだろう。
氷結の貴公子と呼ばれる程に民からの信頼も厚く、とにかく国に尽くすような堅実な政治姿勢。甘言にも惑わされない聡明で芯のある人。私の歌をきちんと危険なものとして認識する、公明正大さ。
アミレスちゃんを蔑ろにした過去は何があっても許せないけれど、彼の皇太子としての実績と能力は批判の余地がなく、そこは認めざるを得ない。
「……お兄様。私には分かりません。皇太子殿下は長らくアミレスちゃんを蔑ろにしたような、冷血な方なのに……どうしてこんなにも、世の為国の為に身を尽くしているのでしょうか」
納得がいかない。国の為に尽くせるような人柄でありながら、長年にわたりアミレスちゃんを虐げてきたという事実が。
どうして見ず知らずの民──国の為に尽くせるのに、実の妹にほんの少しも優しくしてあげられなかったのか。それが本人の意思によるものなのか、それとも外的要因による結果なのかは分からないけれど……何にせよ、十数年もアミレスちゃんを苦しめてきたことに変わりはない。
魔物の行進や国際交流舞踏会、アミレスちゃんのバースデーパーティーや狩猟大会、妖精との戦いの時も。皇太子殿下と彼女の関係は良好なように見えた。それはきっと、アミレスちゃんが持ち前の優しさで皇太子殿下を許したから成り立っているものなのだろう。
だからこそ私は。部外者が首を突っ込むことでもないとは重々承知の上で、身勝手ながらも“兄”としての彼を──フリードル・ヘル・フォーロイト様を許してはいけないと、切に思った。
「うーん、どうしてだろう。元々、特定の何かへの愛情が極端に薄いのかも。彼は国を愛しているというよりかは、機械的に“国を治める存在”であろうとしているだけのように見えるし。それが何故かまでは俺には分からないけど……多分、フリードル殿下には“皇帝となる未来”以外の全てが無意味な存在だったんじゃないかな。だから王女殿下を冷遇していたとか」
あくまで俺の妄想だけどね。と、お兄様は困ったように笑う。
「その結果、と言っていいのかは分からないけど、王女殿下は重度の愛着障害に陥った。でも関わってる感じだと彼もわりと……いいや。確実に、フリードル殿下も愛着障害ではあるんだよね。ややこしいなあ、本当に…………」
「愛着障害……」
たしか、赤子の頃に親などからの愛情を受けられなかった子供が陥り愛情に無関心になってしまうという、病とは似て非なるもの。
私はあまりこういった分野には詳しくないのだけれど、お兄様は東方や南方の医学書を読むのもお好きだから、専門的分野にも明るいらしい。
概要を思い返した感じだと、アミレスちゃんは確実に愛着障害だろう。それも極度の。ただ皇太子殿下も、というのが腑に落ちないのだけど……お兄様がそう考えたのなら、きっとそうなのでしょう。
「まあ、何にせよ、だ。今のフリードル殿下はどうやら本気…………じゃなくて。きちんと、王女殿下を愛そうとしているようだし。過去の過ちを繰り返すような愚は犯さない御方だから、そう過剰に心配する必要はないよ。きっと」
「……そうですね。お兄様がそう仰るなら、私もかの御方を信じてみますわ」
だけど。もしも彼がまた、アミレスちゃんを苦しめる日が来たならば──……その時は私が、大好きなアミレスちゃんを守るんだから!