♦680.Chapter2 Prologue【かくして夢は現実に】
Chapter2、始まります。
……──夢を見た。
長く、そして複雑な夢。その夢に生きる僕はあの苦痛の日々──奇跡力下の時のように、神々の愛し子を必要以上に大切にしていた。
『我らが神々の愛し子であるミシェルさんを拐かした罪は何よりも重い。たとえそれが大国の姫君であろうが、裁定は平等に下されましょう』
眼下に広がる、厄災に蹂躙されたのかと見紛う程荒れ果てた氷の国。
かの国の城が在った場所に穿たれた、一つの十字架。そこには、齢十五程の少女が磔にされていた。
『聖人殿っ! おやめください! このままでは、フォーロイト帝国は──っ!』
『…………ケイリオル卿。これは当然の帰結だ。君達が我々に牙を剥いたからだ。神々の愛し子の命を危険に晒された以上、その罪は償って貰わなければならない』
『しかし……! 国は落ち、皇帝陛下が既に息絶え、皇太子殿下も重体となった今、我々に贖う方法などもうございません! 私は死んでも構いません! ですのでどうかこの国だけは……ッ、王女殿下だけは! 聖人殿のご慈悲で赦免としていただけませんか!?』
夢の僕は、なんとエリドル・ヘル・フォーロイトを殺し、フリードル・ヘル・フォーロイトをも瀕死に追い込んだらしい。酷く穏やかな様相の遺体を抱くケイリオル卿もまた、僕がやったのか半身が消し飛んでいるようだ。
死に損ないの体で必死に国を守らせてくれと乞う彼を冷たく見下ろし、
『まだあるでしょう』
『……え?』
夢の僕は、彼等の持つ氷よりも冷たい声音で告げた。
『ミシェルさんを拐かした張本人──アミレス・ヘル・フォーロイトの命。それを以て、貴国への罰としよう』
『────っ!?』
夢の僕とケイリオル卿の視線が、磔にされた少女へと集中する。そして僕は手を掲げ、光魔法を発動した。
──だめだ。それだけは。おねがい。やめて、やめてくれ。
『王女殿下ッッッ!!』
ケイリオル卿が目にも止まらぬ速さで移動し、彼女を庇うように立つ。失われた筈の半身を氷で偽造し、なんとか立っているらしい。
『罪の印に灼かれよ。──太陽の裁き』
──いやだ。いやだ。いやだいやだいやだっ。彼女を傷つけたくない。彼女を苦しめたくない! お願いだからやめて……!
『気高く煌めき、儚く舞い上がれ、結晶の塔! 空を仰ぐ氷樹の穂先!』
金色の魔法陣から放たれる無数の光線を、聳え立つ氷の大樹が防いだ。
それにホッとしたのも束の間、夢の僕は静かに魔法の威力を上げ、苛烈にその氷樹を破壊してゆく。破壊したそばから再生する氷樹と、溶岩のごとき灼熱の光線。その二つが、十字架の前でぶつかり合う。
『〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!』
膨大な魔力が衝突し、数分と経たないうちに周囲は焼け野原と氷河と化した。だがそれでも、彼は必死の形相で魔法を使い続ける。
『ッなにが、なんでも……! あなた、っ、だけは────ッ!!』
氷で偽っただけの半身が砕け散ろうが、全身に霜が降りようが、彼は止めなかった。
──ありがとう。僕を止めてくれてありがとう。そしてどうか、お願いします。そのまま彼女を守ってください。僕の手から、彼女の未来を──……。
『……輝け、無限に続く天への路。螺旋光線』
『!?』
二つの魔法の同時発動。それは、僕と彼を絶望の淵に立たせるのに十分な出来事であった。
その魔法はケイリオル卿の周囲に螺旋を描き、身動きが取れない彼を、無数の光線が刹那のうちに四方八方から貫いてゆく。
失われてしまった。彼女を守る最後の盾が。僕の手で、失われた。
『っ、ぅ、あ…………お、……じょ、でん……か…………っ!』
体中に穴が空き、夥しい出血を伴いその場に倒れ込んでもなお、彼はまだ息をしていた。その目には、まだ光があった。──だけど。
『アミレス・ヘル・フォーロイト王女殿下。貴女は神々の愛し子の誘拐──神々への叛逆という大罪を冒しました。故に、神々の代理人として、僕が貴女を裁きます』
彼女は、絶対に助からない。
『死を以て償いなさい』
──いやだ! やめてっ! やめてくれ!! 彼女にはっ……姫君にだけは、手を出さないでくれ────っ!!
『……ぁ、そん、な……あなた、まで……ぼくの、眼、の……ま、ぇ……で…………』
ケイリオル卿の目から光が消えてゆく。それと同時に、彼女から、温度が失われていった。
素手で心臓を貫かれて、彼女は死んだ。赤い血を垂れ流し、白銀の髪を落とすようにがくりと項垂れ、罪人のように磔にされたまま。
彼女は。僕の、運命の姫君は──……僕の手で殺された。
────あ、あああぁ……。あああああっ、ァァアアアアアアアアアアアッッッ!!
──僕が……っ、他ならないこの手が、彼女を殺した。何よりも大切で、かけがえのない、たった一人の運命を! 僕が、殺した……ッ!
いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだッ! こんなの夢だ! 絶対、絶対に! こんなことがあっていい筈がない!! だって、そんな……姫君が、死ぬ、なんて。…………嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だウソだウソだウソだウソだウソだウソだうそだうそだうそだうそだ!!
…………ダけど。今、僕の目ノ前にハ──こノ手デ殺しタ、アミレス・ヘル・フォーロイトの死体ガ、あルじゃなイか。
♢
「……──姫君ッッッ!!」
目が覚める。滝のように汗をかいた体で飛び起きて周りを見れば、そこは親善交流の期間中寝泊まりしている真珠宮の一室だった。
脳裏に焼き付く磔の死体。まるで実際にこの目で見たかのように、鮮明にその姿を思い出せてしまう。──だがここは間違いなくフォーロイト帝国で、あの夢の景色とは似ても似つかない平和な世界が、窓の外には広がっている。
やはりアレは夢だった。姫君は死んでいない。僕は彼女を殺してない、のに。
「……なに、これ…………」
右手に、妙な温かさがある。人の体温程の温もりと共に、何故か、自分の鼓動とは違う脈拍を感じる。
「みぎ、て。この手で、僕、は……彼女を──」
夢じゃ、ない? あの悪夢は夢ではなく、現実? この平和な世界こそが、夢? それじゃあ、僕は──……この手で彼女の心臓を抉り、かの、じょを……ころし、た?
「ぁ、ああぁああああっ! そんな……っ、そんな! 僕がっ、彼女を……! 姫君を、殺したんだ────!」
アミレス・ヘル・フォーロイト。僕の、運命の人。たった一人の、僕の愛する人。
そんな彼女を。僕は……この手で殺したのだ。