672.Side Story:Lwacreed
視点が変わりますが、前話の続きになります。
鐘の音が響く。幾重にも、何かを祝福するかのように、麗しくしかして荘厳にそれは鳴り響く。
「っ?! なんだ、この音は……?!」
異教徒の男が耳を押さえて眉を顰めた、その時。
『────そう自分を卑下しないで。君は僕の、自慢の子なのだから』
とても温かい、誰かの声が私を包んだ。
『たとえ君が認められずとも、僕は君を愛しているし、君をずっと見守っているよ。誰よりも僕と似ていて僕よりもずっと優しい──……不器用なロアクリード』
ドクン、と。強く心臓が鼓動する。聞いたことがないはずなのに、この声が誰のものなのか、何故かわかる。この頭が、心が、私以上にそれを理解している。
「……主、なのですね……っ」
涙と共に言葉が溢れ出た。
愛されていた。こんな私が、こんな平凡な私が、我が神に愛されていた。主に認められていたなんて……!
『君はもう少し自分の為に力を使うべきだ。私の愛が、君の願いの一助となることを祈るよ。──さあ、頑張りなさい、ロアクリード』
「っはい! 感謝致します、主よ!」
主の御声を拝聴し、湧き出る力を拳に集めて、迫り来る紫黒の大蛇へと放つ。すると大蛇の頭部が爆ぜ、それは一時撤退して頭部を修復しながら男の周りを舞う。
水だから打撃は効かないとも考えたが、今ならばいける気がした。選ばれた側のお前達のように、主のご加護がある今ならば……私はきっと──憎き聖人にだって打ち勝てるだろうから!
「!? やはり邪神の力を……ッ!」
「我が主、ハイル様を愚弄しないでもらえるか」
「人の分際で分不相応な座を望んだ男など、欲深き邪神としか言いようがない。そのような下賤な者が我が神と同じ位にあることが、そも許し難いことなのだ!」
「何を言うか。我が主、ハイル様をお前達の信仰対象を同列に語るな。お前達の神とやらが実在しようがしまいが、この世界において真なる神は唯一柱! ──ハイル様のみだ!!」
主を信じれば信じる程、力が湧いてくる。聖人は、幼い頃からこのような全能感を抱いていたのか。そりゃあ、ああも面倒な人間に育つというものだ。
私にとって主の教えというものは当たり前のものであり、主への祈りを捧げるのは物心ついた頃からの日課だった。魔窟の中でも、祈りを捧げることだけはやめなかった。──いや、あまりにもそれが当たり前で、たとえ魔物と戦っている最中でも、体が勝手に主への祈りを捧げていた。
それ程までに私という人間を構成する一部分になっていた主が、私を愛してくれている。『君はもう少し自分の為に力を使うべきだ』と、そうお告げくださったのだ。
ならば私はその御言葉に従おう。私の人生を支えてくださった主の御言葉に従い、私の人生を導く彼女の為に──いいや。彼女の為にこの世界が欲しいという私の欲望の為に、主より授かりしこの力を使おう!
「運がいいな、お前。今の私はとても高揚している。何せ──……主のご加護があるのでね」
「っ!? 神聖なる大蛇よ!!」
地面を蹴り一気に肉薄すると、男が手足のように紫黒の大蛇を操った。──だが、問題はない。陽だまりのような暖かさを持つ光が右手に集まり、やがてそれは長装籠手となって私の右手を包む装甲をあつらえた。これは心強いとほくそ笑み、大蛇ごと男の腹に深い一発をお見舞いする。
「っぐ、ぁああッッッ!?」
胃液や血を口から飛ばし、骨や内臓が潰れる音と共に男が凄まじい勢いで吹っ飛ぶ。路地裏を飛び出して小さな通りにある家屋に衝突すれば、これまた衝撃音が轟いて辺りは騒然となる。
「……とんでもないな、これ」
気分が高揚していたとはいえ、手加減だってした筈だ。なのに想像以上の威力が出てしまい、若干頭が冷えてきた。
主よ。あなたのご加護、凄まじいです。多分、私のような自分勝手な人間に与えてはいけないご加護です。これ。
以前シュヴァルツ君が言っていた、『だって君──聖人と同じぐらいの土台はあるだろ?』という言葉は、もしやこのことだったのかもしれない。
とうに見放されていると思っていたが、私は私が思っていたよりも……主に愛され、信用されているのかもしれない。──このような、圧倒的な力を与えられる程度には。
「それじゃあさっさとあの男を始末しようか」
主のお導き通り、私は私の為にこの力を使う。
──『私は……っ、死にたく、ないよ……!』と、当たり前のことで涙する少女の未来の為に。
──『色々楽しみになって来ました。頑張って、大人になってみせるね。リードさん!』と、当たり前の未来すら朧げな儚い彼女の笑顔の為に。
これからも君にとって『良い大人』でいられるように、私は君の疵になろう。君の為に世界を敵に回したなら、きっと──……君だけは私を『良い大人』として記憶してくれるだろうから。
きっと私は早世するだろうけど……彼女の記憶の中に美しいまま永遠に遺れるのなら、寧ろその方がいいじゃないか。
「……汚れに穢れた醜い私など、彼女は知らなくていい。彼女が『綺麗な優等生の私』だけ覚えていてくれたならば、それだけで私の人生全てが報われるのだから」
それが私の欲。私の願い。私の、夢。
「主よ。あなたのおかげで私は私の願いに向き合えました。私は──この願いの為にこの身の全てを擲つと、ここに誓います」
コツコツと。主への感謝と信仰が深まるにつれ輝きを増す長装籠手を体側で揺らし、石畳の上を行く。
先程まで自暴自棄になっていたのが嘘のように、私の心は晴れやかだった。──っと、いけない、いけない。
凡人が調子に乗りすぎても何もいいことなどない。あくまでこの力は主の慈愛により与えられし泡沫のもの。この全能感に慣れてしまっては、聖人のような人間になってしまいかねない。それだけは避けねば。
「その為にも、お前は早く死んでくれないか?」
飛ぶように間合いを詰め、瓦礫の上で項垂れる男の前に立った、その時。首に何かが巻き付いたかのように息苦しくなった。