♦671.Chapter1 Prologue【かくして愛を供する】
「視察、ですか」
陛下がいつもの調子で僕に命令してくる。
「ああそうだ。つい先日、ディジェル領西南方面の山間部にて未確認の峡谷が発見されたのは覚えているな?」
「はい。おそらくは先の魔物の行進にて発生したものとされる、例の峡谷ですよね」
「流石だな、よく覚えている。帝国の盾の見立てではその峡谷は白の山脈と繋がっているようでな、中々に面倒な魔物が次から次へと湧いて這い上がってくると、奴等が泣きついて来たのだ」
「それで状況確認がてら僕を派遣しようと? しかし、ディジェル領の民は元より強靭な肉体を持ち、更には対魔物戦闘に慣れている筈。肉は肉屋に、と言いますし僕が出しゃばる程のことでは……」
そもそも。白目を剥きそうな程忙しい建国祭真っ只中に遠方への長期出張なんて、たまったもんじゃない。
よりにもよって僕を建国祭運営から外すだなんて。正気か? この男。僕が抜けた穴をどうやって埋めるつもりなんだ?
「私とて、お前を遣わしてやる程のことではないと思ったのだが……どうやらその魔物とやらが中々に厄介な奴らしい。それこそ、お前が行ったほうが被害を抑えられるだろうと考える程にはな」
陛下がここまで言うということは──。
「……強い知性を持つ魔物が出現したということでしょうか」
「どうやらそうらしい。お前の眼が通用する程度には知性がある、それなりに上位に位置するであろう魔物。それがなんと、確認できただけでもざっと十体はいるとかでな、雑魚共も際限なく湧いてきよるから領民も手を焼いているそうだ」
故の救援要請だ。と呟き、陛下はテンディジェルの家紋の封蝋が施された手紙を机に置いた。
「ちなみにそれは僕として向かえばよろしいのでしょうか。それとも陛下として?」
「好きなようにすればいい。お前が魔法を使いたいのであれば、俺は暫くの間隠居し、ヌルにでもお前の代役をやらせるさ」
皇宮周辺を適当な理由で封鎖して、隠居期間に中庭の花壇をいじったりするつもりなんだろうな。あと数ヶ月で彼女の誕生日だから、それまでに彼女が好きだった花で溢れ返った庭園にしたいのだろう。
花なんて好きじゃないくせに。なんなら花厭症だから、自然と触れ合うだけでもそれなりに辛いくせに。……本当に、そういうところだけは変わらないね、君は。
「……はぁ。分かりました。行きますよ、皇帝の側近として。ですので陛下は真面目に、僕のぶんも馬車馬の如く働いてください」
「お前の代わりが務まる人間などこの世に存在しない」
「先程ヌルに代役をさせるとかなんとか仰ってましたよね? 自分に出来ないことを他人に強要しないでいただけますか?」
「ああ言えばこう言うなお前は……」
「貴方が昔から屁理屈ばかり並べ立てていたからだと思いますよ」
ぴしゃりと言い放つと、エリドルは不満げに顔を顰めた。
庭園の件はそれこそヌルにでも任せればいい。彼もずっと見ていたんだから、きっとエリドルの理想通りの花園を作ってくれるさ。君は重度の花厭症なんだから、あまり無理をしないでくれ。
「……まあいい。取る物も取り敢えずディジェル領に向かい、峡谷の魔物共をどうにかしてこい」
「仰せのままに。これを勅命と賜り、進行中の業務を一時中断、及び放棄し──我等が帝国の盾が揺るがぬよう、その支援に向かわせていただきます」
拗ねた様子の彼の機嫌を取るように、胸に手を当て背を曲げる。
(何を今更取り繕っているのやら。──本当に、近頃のこいつのことはよく分からんな)
ふと視た彼の心は、少し悲しげに見えた。だがそれに触れたりはしない。彼の心に寄り添うのは彼女の役目であり、僕は……エリドルとは別の道を歩むことにしたのだから。
寄り添いたくても、寄り添ってはいけない。それが僕のけじめだから。
「……では、失礼致します。此度の勅命は火急の要件故、急いで部下に業務を引き継ぐ必要がございますので」
「そうか。………………必ず、五体満足で俺の元に帰還しろ」
「──うん。任せてよ」
そっぽを向いて、エリドルがおもむろに呟く。
……これくらいなら、許されるだろう。頼むから許してほしい。五体満足で戻ってくることを約束するだけ。ただ、それだけだから。皇帝の側近ではなく彼の弟として約束することを、どうか今だけは許してほしい。
♢
──そんな願いは、歪み歪んで最悪の形になってしまった。
僕は。僕は。エリドルに寄り添い約束してしまったことを、後悔することになる。
……『任せて』と約束したあの瞬間、エリドルが僅かに喜びと憎悪を発露させていたのを見逃さなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。
「────エリドルゥッッッ!!!!」
「…………許せとは言わない。だがこれは俺達の為なんだ、カラオル」
どこか哀しげに笑うエリドルを見上げ。顔の布を外され鎖に繋がれた僕は、生まれて初めて、怒りに任せて叫んでいた──……。