67.一通の報せ7
「あの、イリオーデ。頼むから黙って背後に立たないでくれない? 普通に怖いから」
「そこまで気が至らず、誠に申し訳ございません」
「いやいいのよ、多分……私を守ろうとしてくれてるんでしょう?」
「……っ! はい、その通りでございます……!」
ゆっくりと振り返り、背後を取ってきた男にやんわりとやめろと伝える。失敗した……と思っていそうな表情のイリオーデは、まるで犬のようにシュンとしてしまった。
しかし私がフォローした所、少しだけ表情に明るさが舞い戻った。
どうして彼がこんなにも私の言葉で一喜一憂するのかは甚だ疑問ではあるものの、言う事を聞いてくれるいい人だから問題は無い。
「でも背後に立つのはやめてね」
「畏まりました。では斜め後ろにて控えております」
恭しく一礼すると、イリオーデは宣言通り静かに斜め後ろへと移動した。
そう言えば……もうイリオーデは準備が終わったようなのだが、ディオとシャルはどうなのだろうか。なんて考えていると、噂をすればなんとやら。
ディオとシャルが虎を見て口を開けたまま、私の元まで駆け寄って来た。虎を指指して「アレなんだよ殿下?!」「虎が、見た事ない巨大な虎が……」と小声で問い詰めて来た。
それは私も聞きたいのよ。と返して、シュヴァルツとマクベスタによる準備が終わるのを待つ。
やがて彼等による虎……雷虎とやらの準備も終えたので、ついに貧民街を発つ事に。
元々馬車に繋がれていた馬に関してはある程度の金と一緒に、ラークに暫くの間の世話を押し付けた。ちなみに、雷虎の手網はなんやかんやでマクベスタが握る事に。雷に耐性のある人間の方が万が一の場合、安全なんだとか。
そして私達は荷台に乗り込み、ひとまずあの夜の噴水広場まで行きたいとディオに伝えると、ディオが案内役としてマクベスタの隣に座った。シャルとイリオーデは私達と一緒に荷台に乗っている。
そうして、私達はまず噴水広場を目指した。
虎が引く馬車……虎車? なんてあまりにも珍しいので、絶対目立つと思っていたのだが……どういう訳か全く目立ってないようだった。夜だからなのかしら?
とボソボソ疑問を口にしていると、シュヴァルツが小声で、「実はねぇ、あの虎は人間から見える自身の姿を自由に変えられるんだ。今は多分、馬の姿に見えるようにしてると思うよ!」と耳打ちして来た。
そんな便利能力があっていいのかと戦慄したのも束の間、ディオがこちらに顔を出して「噴水広場まで来たが、この後は?」と聞いて来た。
それに「ここからは歩くわ」と返して、私はローブを目深に被ってから馬車を降りようとする。
するとその時、イリオーデが当たり前のように手を差し出して来て……どうしてこう、イケメン達は当然のようにエスコートしてくれるのかしらね。
これからリードさんが宿泊していると言う水の宿なる店へと向かう訳だが……リードさんと面識のある私とシュヴァルツとディオ、そして護衛としてイリオーデが向かう事になり、マクベスタとシャルは馬車で待つそうだ。
「しっかし……何でリードの居場所知ってんだ、アンタは」
「ディオに聞いたようにリードさんにも泊まってる場所を聞いたからよ」
「誰彼構わず住所聞くなよ」
「それ聞いたのはディオとリードさんだけですぅー」
そう口を尖らせると、ディオが「ハイハイそうかい」とあしらって来た。
そして道行く人に水の宿の場所を聞いて、私達は水の宿へと辿り着く。外観としてはとても綺麗で落ち着いた、そこそこいい宿屋のようだ。
店に入ると店員らしき人が私達に気づいて「いらっしゃいませ、宿泊ですか?」と笑顔を浮かべる。
私が答える前にディオがスっと前に出て、店員と話す。
「ここに友人が泊まってる筈なんだが、実は数日間連絡が取れてなくて。リードって奴で……深緑の髪の男なんだが、知らないか?」
ディオが口八丁に話を進める。店員はディオの話を完全に信じて、私達をリードさんが泊まっている部屋の前まで案内してくれた。
そして、「騒ぎだけは起こさないで下さいね……?」と念押しして受付へと戻っていった。……どうやら、店員は変な想像をしているらしい。
そしてディオがコンコン、と部屋の扉を叩く。少しして部屋の中から足音が聞こえてくる。扉の前でそれは止まり、ついに扉が開かれる。
「何か御用でしょうか──って、え?」
「よう、リード」
「どうもお久しぶりです〜」
中から現れたのは、とてもラフな格好で目を丸くしたリードさんであった。
突然の来客に言葉を失った彼に向け、ディオが手を軽く上げて挨拶し、私も小さく手を振った。
そんな私達を見て、リードさんは非常に困惑したような顔つきになる。
「…………何かあったんだね? そうだよな、そうじゃないと君達が僕を訪ねる意味が無い……はぁ、どうぞ、とりあえず中へ入って」
まるで酸っぱいものを食べたかのように顔中に皺を作り、彼はため息を吐きながら私達を招き入れた。
お邪魔しますと言いながら中に入ると、想像より遥かに広く綺麗な部屋がそこにはあった。広さにして……およそ十五畳はくだらなさそうな広さだ。
落ち着いた雰囲気の壁紙に、少しだけ皺の残るベッド。リードさんの物らしき荷物は部屋の一角に纏められており、全く散らかっていない。
窓際には一対の椅子と小さなテーブルがあり、片方の椅子にはあの日リードさんが着ていた綺麗なローブが背もたれに掛けられ、テーブルの上にはワインが置かれていた。
なんというか、全体的にとても綺麗な印象を受ける。ゴミや汚れも全然無く、リードさんの性格がよく現れているとも思える。と言うか、多分ここ本当にいい宿屋だわ。お高めな感じの。
リードさん……元司祭と言うだけはあってお金持ちなのね……司祭って結構稼げそうだし、知らんけど。
……それにしても、リードさんは私達がここに来たと言うだけで、それなりの緊急事態に陥っていると察したらしい。
落ち着いて話す為にこうして中に招き入れてくれたのだろう。
「で、僕に何か用……いや。僕に何をして欲しいんだい?」
リードさんが、穏やかに、どこか困ったように眉尻を下げる。本当に、どこまでも察しのいい人だ。
私はまたオセロマイト王国の現状について掻い摘んで説明し、その上で彼に協力してくれと頼んだ。
誰も彼もを巻き込んでしまい申し訳ないと思う。だけど、あの国を救う為にはこうするしかないのだ。
どうしても無理と断られてしまったら諦めるしかないけれど、そうでないのなら粘って何とか……と決めた時。
「よし、引き受けよう」
私の話を聞いて、リードさんは速攻でそう答えた。
流石に即決が過ぎる……そう謎の不安を覚えた私は、「本当に良いんですか?」と聞き返した。
しかしリードさんは変わらず気前の良さそうな笑みを浮かべていて。
「元々、オセロマイト王国にもいつか行く予定だったんだ。緑がとても豊かな国と聞くし、楽しみにしていたんだ……だがその国が今危険な状況に置かれているとあれば、僕だって何もしない訳にはいかないと思ってね」
「……ありがとうございます、リードさん……っ」
とっても優しくてお人好しの彼に、本当に何から何までお世話になっている……頭を下げても下げ足りないぐらいだ。
「人々を癒す事しか、僕には出来ないから……まぁ……その唯一の存在意義すら捨ててしまったようなものだけど」
ふとその綺麗な顔に影を落として、リードさんは呟いた。
どう言う意味なのか聞きたかったけれど、何だか踏み込んではいけない気がした。リードさんの心に、これ以上誰かが触れてしまってはいけない気がした。
その為私は何も聞けずじまいだった。
「王女殿下。これから行くんだよね?」
「えっ? う、うん」
「じゃあ今から荷物を纏めるから少し待っておいてくれるかい」
一切の文句も言わず、リードさんは準備に取り掛かった。
ぼーっと物思いに耽っていた時に話しかけられたので、私は少し動揺してしまった。
程なくしてリードさんの準備が終わり、私達は水の宿を後にした。
リードさんは旅人らしく多いようで少ないような荷物一つだけで、とても身軽そうではあった。
そして少しして馬車に戻ると、何やら植物について熱く談議していたらしいマクベスタとシャルが出迎えてくれた。お互いに初対面な人達が大半なので、私はここで改めて紹介をする事にした。
共通の知り合いたる私が、「こちらが元司祭のリードさんで、こちらは私の友達のマクベスタと協力者のシャルルギルです」と紹介すると、マクベスタとシャルがぺこりとする。
しかしリードさんはと言うと、
「……ちょっといいかな、王女殿下」
挨拶をするのでは無く、動きや表情を失った笑みをこちらに向けて来た。
何やらちょっとした恐怖を背中に感じた途端、リードさんに手を引かれて皆から少し離れた場所に立つ。
すると突然リードさんが私の肩を掴み、そして顔を目の前に近づけてきて……。
「どうして男しかいないのかな!? 君、本当に無防備過ぎない? 何かあってからでは遅いという事を理解していないのか?」
黒い笑顔で彼は捲し立てる。
突然の事に頭の理解が追いつかない。ジトーっとリードさんに見つめられる事数分。かなりのタイムラグを経てようやく私は彼の言葉の意味を理解した。
「大丈夫です、彼等は私の私兵なので。雇用主の私に仇なす事だけはしないでしょう!」
勿論貴方にもです。なので安心してくださいよリードさん! と自慢げに言うと、リードさんは憐れなものを見るような目で、それはもう大きなため息を吐いた。
「…………仕方ない、もう諦めよう」
「……何が仕方ないの……!?」
そして彼は全てを諦めたような瞳となり、慈しむような面持ちで、ローブ越しに私の頭を撫でた。
なんかよくわかんないけどとても馬鹿にされてる気がするわ。
何も聞けなかった先程とは違い、今度はちゃんと聞けたものの……結局リードさんにはぐらかされてしまい、理由は分からずじまい。どうしてよ。
「それじゃあ戻ろうか、王女殿下」
更に彼は逃げるように会話を切り上げ馬車へと戻って行った。慌ててその後を追いかけ、すこしモヤモヤした気持ちのまま、私は馬車に乗り込んだ。
御者席にはマクベスタとディオ、幌とその幕が着いた荷台には私とシュヴァルツとイリオーデとシャルとリードさん。
大人が三人いるからか、中々に手狭になったわね。しかし私とシュヴァルツが小さいからかあまり問題は無かった。
やがて馬車が動き出す。目的地はオセロマイト王国……未曾有の伝染病『草死病』の原因究明と感染拡大の阻止、そして既に罹ってしまった人達の救助。
何があってもあの国を……マクベスタの帰る場所を守ってみせる。
幕の隙間から見える月を見上げ、私は強く決意する。
──こうして。私がアミレスになってから六年……ついに帝都の外に出たのだ。