654.Episode Angel:Me volví feliz.
『──なあ、王女様。一つ、頼みがあるんだ』
そうして語り出したのは、呪われた吸血鬼の無様な舞台。優しい彼女はこれにもいつかのお茶会のように真摯に向き合ってくれた。
うだうだと過去のことを話して、同情を誘うような真似をして。我ながらなんと卑怯なのか。
……でも。そんな俺の言葉に、彼女は本気で感応してくれていた。綺麗な瞳に涙を蓄えて、体を震えさせる様を見て……ろくでもない俺はひどく喜んでいた。
『……ふ。やっぱりあんたは優しいな。思ってた通り──いや、思っていた以上に、俺に寄り添ってくれるようだ』
そんな彼女だからこそ。俺は、願った。──『おまえもきっと幸せになれる』って言ってほしい、と。
そしたら彼女は愕然として固まり、やがて声を震わせた。
『なれるよ。絶対に、貴方も幸せになれる。誰にだって幸せになる権利があるの。だから絶対、絶対に──アンヘルが幸せになれる日が、いつか必ず訪れるわ。何があっても貴方は幸せになるって、私が保証する!』
涙が溢れる瞳が、俺の目をまっすぐと捉えていた。
──彼女のこの言葉は、間違いなく、俺だけに向けられている。心の底からそう願ってると伝わってくるような感情豊かな声で、彼女は俺の願いを叶えてくれた。
他でもない、あんたが。心から俺の幸せを願ってくれた。その事実だけでもう──……俺は、すげぇ幸せだと思えてしまう。
『…………あんたって、本当に……』
たったこれだけのことで幸せを感じるなど、我ながら単純な心だと思う。だからこそ、俺はもっと幸せを感じたい。──叶うなら、あんたと。
抑えきれない喜びから俯き、ささやかな幸福を噛み締めて。俺はまた彼女と向き合った。
『──ありがとう、王女様。やっぱりあんたに頼んでよかった。こんな俺でも……幸せになってもいいんじゃないかって、そう思えてきた』
『っアンヘルはとっても素敵な人よ! 貴方がなんと言おうが貴方は幸せになれるし、貴方はもっと報われるべきだって、私は思うわ』
『くくっ。俺のことをそんなふうに褒めるの、王女様ぐらいだぜ? 俺のことで泣いてくれるのも……今となってはあのバカと、あんたぐらいだよ』
涙を浮かべながら、彼女はまた嬉しいことを言ってくれる。その言葉が世辞ではないと分かっているからこそ、更なる多幸感が押し寄せてくるのだろう。
『……──本当に、おれも幸せになれるみてぇだ』
自然と頬が緩む。俺は、久しぶりに心から笑っていた。
何度も馬鹿みたいに想い慕ってきた女に、ここまで言ってもらえたんだ。俺達は間違いなく──今、この世で一番幸せ者だ。
『あんたのこと、信じてよかった。本当にありがとな、アミレス』
『ぅえっ? え、えぇ。役に立てたのなら、何より、です……』
試しに名前で呼んでみたら、彼女は驚いたのか声を裏返してしまった。その反応が、これまた愛らしい。
ぎゅ〜〜〜っと胸が締め付けられるような錯覚が、嗜虐心と共に湧いてくる。もしやこれがミカリアの言っていた『トキメキ』……?
降って湧いてきた嗜虐心のようなトキメキに促されるまま、アミレスの頬に触れてその涙を拭ってみる。
『ほら。もう泣き止んでくれ。俺はあんたの笑った顔が…………。──うん。けっこう気に入ってるんだ』
『わ、わかったから……人の顔をむにむにしないで……?』
危ねぇ。勢いで『好きだ』って言いそうになった。こちとらあんたの笑顔に何回も一目惚れしてんだ。あんたの笑顔は好きに決まってんだろ。
……と意味不明な癇癪をその場で起こす程、俺は幼稚じゃない。泥酔したミカリアじゃあるまいし。
件のミカリア程夢見がちではないが、どこぞのクソガキ共程情緒が無いわけではない。だから、想いを伝えるならばそれ相応の準備をしてから……と考えているのだ。これでもな。
だから、あんたに想いを伝えるのはもう少し先になるだろう。まあ……それがいつになるかは、俺にも分からないけど。
♢♢♢♢
アミレスとスイーツバイキングに行った日の夜。俺は雪花宮が真珠宮に侵入し、旧知の男を訪ねた。
「ようミカリア。今朝ぶりだな。今いいか?」
「アンヘル君!? 僕入浴中なんだけど? 見て分かると思うけど、全然よくないよ?!」
バンッと扉を開け放つと、そこではミカリアが入浴に興じていた。流石にこれはどうかと思い、扉を閉めてからあちらへと足を向ける。「なんでこっちに来るのかな」「僕としては君にも出て行ってほしかったのだけど」「アンヘル君??」と騒ぐミカリアをとりあえず無視して、俺は浴槽の縁に腰掛けた。
「アンヘル君。ねぇアンヘル君。僕は今、身を清めているところなんだけど」
「あのさぁ、ミカリア」
「ああもうまた僕の話無視してる……」
よくわからんものが浮かぶ湯船で肩を落とすミカリアを一瞥し、独り言のように切り出す。
「アミレスって、すげぇいい女だよな」
「──────────は?」
その瞬間に、ミカリアの目から光が消えた。奴は湯を押し除けて勢いよく立ち上がり、こちらを見下ろしながら詰問してくる。
「──今、なんて言った? 姫君のこと、名前で呼んだよね? いつの間にそんな馴れ馴れしく……彼女と親しくなったの? それになんだいその発言は。いい女? 君の口からそんな言葉聞いたの初めてなんだけど。何から何まで全部説明してもらってもいいかな?」
「モロ出しだぞミカリア。ぶらぶらとそんなモン見せんなミカリア」
「答えてアンヘル君。いったい──君と彼女の間で、何が起きたのかを!!」
ミカリアが全裸のまま、滴る水もそのままにずいっと顔を寄せてくる。
圧がすげぇな。これが聖人の圧か。
「あー……話せば長くなるんだが」
「今日はもう泊まっていって。というか、洗いざらい話すまで絶対に逃さないから」
「…………チッ」
俺はあくまで、アミレスはいい女だよな。って話をしに来ただけだったんだがな。この感じだと……何から何まで全部吐かされそうだ。
まあ、いいか。これはこれで。知己と過ごす夜も悪くない。
──なんてことはない、六月八日。彼女は『プレゼントを用意出来てなくてごめんなさい!』と平謝りしていたが、あんたからのプレゼントなら、もうとっくに貰ってる。
今日は……今までの人生で一番幸せな誕生日になったって、心からそう言えるからな。